第10章 第6話 Chain of fear◇◆
ここは30管区疑似地球の東京 江東区。
乙種二級構築士の恵は、瓦礫の降り注ぎ地面が激しく揺れる中で、名簿を頼りに23区内から患者を探して声をかけ、安全区域に誘導していた。
秩序を失った空間では、街の構造物が倒壊し、ビルが次々に崩落してゆく。
『恵さん。中のことはいいからすぐに外に出なさい』
インフォメーションボード上に伊藤からの指示が飛んでいる。
『この一名だけ救助してすぐ避難します』
恵は一人の女性患者を背負ったまま安全区域に向けて逃げている。
彼女は蒼雲の管区から送られてきた大学生の優だ。
スポーツ事故で高次脳機能障害となり、誤って彼女に怪我を負わせた親友のためにも早く戻りたいとリハビリを頑張ってきた。
恵は年や境遇が近いこともあり親近感を覚え、仮想世界での彼女に寄り添って優と友達のように接し、支援を続けてきた。
優も心を開いていて、恵にとって大切な存在だった。
恵の背中にしがみついていた彼女は、意を決したように告げる。
「恵、あたしを置いて逃げて。一人なら逃げられるんでしょう」
『何を言ってるの。一緒に逃げ……あっ……』
二人の進路に突如、瓦礫が降り注ぎ巨壁が生じた。
回避して進もうとすると轟音とともに脇のビルが崩れ落ち、上空からガラスが襲ってくる。
彼女は構築士ではあるが、歴の浅いサポーターであるため戦闘能力が未熟で物理結界での防御もままならない。だめだ、この量はどうにもならない。
二人共潰される!
恵がとっさに優を庇って上に被さると、瞑りこんだ瞼の裏で光がほとばしる。
何が起こったのかと目を開けば。
周囲の瓦礫は分解し、データの屑となって砕け散る。
異邦の神がそこに顕現していた。
実体化し神通力に満ちた彼は神々しく、気品すらある。
右往左往して優を危険に晒し、守るすべもなく圧潰しようとしていた自分とは何もかも違う。
ロイはデータを分解しながら物理結界で恵と優を庇う。
「二人共、怪我はありませんか」
『は、はい……』
彼が立ち上げたままのインフォメーションボードには30管区の素民たちの犠牲者数や被害状況が目まぐるしく報告され続けている。
ここに手をとられている場合ではない。
それでも彼は恵のもとに来てくれた。
「すぐに安全な場所へ。ここは私が引き受けます」
ロイは恵が保護していた患者を引き取り、安全な場所に転移させた。
恵のように患者を危ない目に遭わせて走り回らなくても、神々は念じるだけで素民を安全に保護できた。
乙種二級のサポートスタッフである恵と、甲種一級の神であるロイとは手持ちの権限や反射速度に差がありすぎる。
人助けをしようとして空回りして、伊藤やロイの足手まといになっている。
守られたかったわけではないのに、と恵は自分が不甲斐ない。
【 補完シーケンスを展開。範囲30管区日本中央区・江東区全域 】
【 参照データAG44tBG 】
ロイは念入力で破壊された建造物のデータを取り寄せ、新たに構築し直すことによって修復してゆく。
膨大なアトモスフィアを消費し、彼は伊藤の代行として仮想世界の人々を救っていた。
彼の判断や思考速度は人間離れして、サポート機能を使ってもかなわないと分かる。
「伊藤様はデータの保存に専念していて俺だけでは修復が追いつきません。恵さんはすぐにログアウトすべきです」
『申し訳ありません。至急ログアウトします』
恵は上長の指示として彼の言葉を受け入れる。
「どうか、無事でいて」
彼女を見送る彼の視線の優しさは、恵の目に焼き付いていた。
彼女のログアウトの直前、ロイは恵からの強い願いが流れ込んでくるのを感じた。
それは信頼の力に似た何か温かく力強いものだ。
素民だった頃に赤井から受け取った神通力以来、構築士から維持士への力の受け渡しは経験したことがない。
ステータス数値に変化はなくとも、ロイは彼女から受け取った力の存在感に驚く。
(構築士になっても、彼女の意思は特別なんだな)
恵がログアウトしたのを見届けると、ロイは伊藤の気配を追って執務室である宇宙要塞に転移をする。
制御室の内部で誰かが倒れている。
それが伊藤だと気付くのに、しばし時間がかかった。
天御中主は眠らないどころか身体を休めることもないので、そもそも伏している場面を見たことがない。
「伊藤様!」
誰に襲われたのだろう。
外傷はない。
インフォメーションボードで直近の出来事を解析しようとしても、途中で遮断される。
理由が判明した。
伊藤が疑似脳にアクセスができていない。
ロイは権限を超えた非常事態を悟りISSAC SMITH©へコールをかけるが、インフォメーションボード経由でも何度呼んでも応答しない。
八雲をこちらから呼んだことは数度しかないが、念じただけで彼は来る。
それこそ、常に監視されているのだと理解させられてきた。
ISSAC SMITH©が来なかったことは一度もなかった。
(そんな……)
伊藤を助け起こすと、伊藤は覚醒しなかったが自動メッセージが彼のインフォメーションボードに送達された。
精神の衰えを自覚していた伊藤は、自身に万一のことがあったときのために、自動的にエラーを検出しロイと外部スタッフに報告するプログラムを組んでいた。
そのプログラムがロイに報告する。
【 非常事態発生。30管区主神の天御中主含む、霞が関にサーバーが存在する日本アガルタ第1管区から第33管区の全主神がログアウトした模様。生体維持装置は応答せず、殺害と断定します 】
【 日本アガルタゲートウェイにログイン中の甲種一級構築士は現在0名 】
【 オペレーションルーム、応答せず 】
(日本の全主神が殺害された……!)
赤井も、白椋も、蒼雲も、天御中主も、ISSAC SMITH©も……全員が同時に殺されただと?
27管区の素民や主神以外の構築士はどうなったのだろう。
情報は受け止めたが、預かっただけで理解を拒絶する。
仮に核爆弾が落ちたとしても、地下深くに収容されているとされる甲種一級構築士全員を殺害するのは困難を極める。
何かイレギュラーな、人為的攻撃が発生したとみるべきだ。
仮想世界内部にいる存在には、外部のサポートが全てだ。
そのサポートが断たれたなら……。
「現在のシステム構成は」
【 全管区は準天頂衛星システムむすびと、バックアップ用のデータセンターによってシステムが保持され、23分後に強制終了シーケンスに入ります 】
ロイを構成するプログラムは、留学のために準天頂衛星のサーバー上にミラーリングされて置かれていたので被害を免れていた。
もし彼が留学していなければ、27管区内で朽ち果てていたに違いない。
主神の疑似脳との連結が切れ、さらに外部の介入がない状態では、全管区が凍結またはクラッシュする。
それは知っていたが、外部と通信が維持できず主神が死亡してもアガルタ機構は自動制御されているので崩壊はありえない。
クラッシュはきわめて可能性の低い事象として伊藤や赤井から教わっていた。
現在、アガルタ機構を支える囚神が死亡し、外部との連絡もとれない。
アガルタ機構は、主神の生体に寄生しているシステムだと言われている。
柱の壊れた構造物はいくばくともたない。
「どうすればいい……」
何をすればよいか。何が許されているか。
自分の性能の全てを使ってあがいていいのか。
この非常事態においても、たとえ人助けのためであっても、人類の指揮系統に置かれなければならないのか。
ロイは焦りばかり募る。残された時間はわずかだ。
その時、インフォメーションボード上に一通のメッセージが舞い込んできた。
衛星を通じて、誰かがロイに秘密の通信をよこしている。
誰かが生き残っていたのだろうか。
それとも、外部から指示があるのだろうか。
わずかばかりの期待を胸に、相手との通信を始める。
インフォメーションボードの向こうから覗いていたのは、黄色いマフラーを巻いた少女だ。
イスティナ・マセマティカ。
蘇芳 桐子教授の演算空間、Hex Caliculation Field (HexCF)の管理AIであり、ロイの師ともいえる。
「イスティナ様……」
イスティナは目に涙を浮かべていた。
いつもと様子が違う。イスティナはおもむろに切り出した。
『委細不明の特殊爆弾による爆撃により霞が関全域の電力と電源が喪失し、日本アガルタの全主神が直接、間接的に殺害されました。もはや指揮系統は存在せず、Reachability of Intelligenceよ、お前は自動的に日本アガルタに残る唯一の神にして最上位アカウントとなりました』
仮想死後世界は世界24カ国の国々が採用しているシステムだ。
日本アガルタが崩壊したとしても、アガルタ機構は存続する。
だが、各国のアガルタ機構は独立しているために、このままでは海外からの助けもなく日本管区全域が潰れてしまう。
『運営権限を持つ者として、全33管区から最小要素を構成し、なんとしてでも稼働を維持し続けなさい。この状態でシステムが落ちたら二度と同じ状態では立ち上がりません』
「33管区を……統合!」
無理です。という言葉を飲み込んだ。
一管区ですら完全に管理した経験がない。
あくまで赤井や伊藤の手伝いをしたことがある程度。
しかし、できないでは済まない。
「なんとしてでも、とおっしゃいましたか」
『この状況では、何をしようと誰もお前を咎めない。お前が最善だと思うことをしなさい』
イスティナはロイに判断を委ねて突き放す。
しかしイスティナの態度は、ロイのことを認めているのだと気付いた。
『これは、蘇芳 桐子教授の遺言です』
イスティナの涙のわけが分かった。
蘇芳教授も殺されたということだ。
ロイは混乱のなか、静かに腹をくくる。
AIであるロイには生身の体がない。プログラムを破壊されない限りは不死身なのだ。
だから、蘇芳教授はロイに全てを託している。
(どうすれば全管区を保護できる……)
正規の運用ですら経験がないのに、非常時の運用なんてできっこない。
伊藤だって成し遂げたことのない荒業だ。
傷を広げないためにも、何もせず落として再稼働を待つべきではないのか。
そんな逃げの思考になる。
恐怖と絶望に耐えかねて拳を握りこむと、床に果てた天御中主の衣の裾が手にふれた。
そうだ。
日本アガルタ全管区を宇宙創生から立ち上げた、生き字引のような存在がここにいた。
そしてロイには彼より託された、500億年分もの構築データがある。
(経験がないことが理由なら、今からでも学習すればいい)
構築データの中には日本アガルタ機構全管区のバックアップも含まれている。
他に何か有意義なものも見つかる、いや、見つけて余すところなく活用してみせる。
「開封します」
本人に断ってから、ロイは伊藤の記憶を紐解きデータを検め、分析をはじめる。
伊藤のデータは乱雑なものではなく、完璧に整頓されて余分なものは省かれていた。
なかでもアガルタ機構に散在する特殊ツールである神具のデータと、その使用方法の記憶は重宝した。
それらのデータをかきあつめると、たった一つの解決策が導き出される。
それにはロイの所持するFullerene Au42(フラーレン・オーラム)、赤井の所持する至宙儀、伊藤の所持する相間転移星相装置(SCM-STAR)、その全てが必要だ。
(……これらの三つは全て日本管区にある)
封印された超神具 Fullerne Au42。
これだけが未知だった。
……フォレスターより説明もないまま授与され、それを使わないと誓ったもの。
しかしいかなる機能を持つのか、学習と解析を終えた今なら漠然と分かる。
至宙儀は万能の神具だが、その性能は管区を超えて影響しない。
Fullerne Au42ならば、管区を超えたネットワークを構築することが可能だ。
となれば二つの性能を合体……Fullerne Au42と至宙儀を連結し、仮想世界内に楔を打ってプライベートネットワークを構成する。
新たな空間の安定化は、時空を司る相間転移星相装置によって行う。
こうすることで日本アガルタ全33管区を仮想ネットワーク内で統合し、唯一の管区として稼働できる。
(原理的にはできる。でも、超神具三つを同時に操るなんて)
全管区を落とさず維持し続けること。
それが最優先事項だ。
維持士としての初仕事がこれほど過酷になるとは。
しかし、正規の維持士としての権限を持つものがここにはいない。
やるしかないのだ。
伊藤の経験から学ぶに、特に複雑な作業を行うときは共存在という分身スキルを使うらしい。
つまり自身のほかに二体の分身を生み出し、一つずつ神具を起動すればいいのだ。
こういった情報を残してくれた伊藤に、心からの感謝を送りたい。
方針が決まったら、あらためて神具の所有権をロイへと移転する。
【 JAPAN/ID:ZERO-JPN1よりJAPAN/ID:ZERO-JPN4へ相間転移星相装置を継承 】
伊藤から相間転移星相装置を継承する。
召喚し彼の手におさまったそれは、天球儀を平面化したネックレスのような形状をしていた。
時々伊藤が操っていたので見覚えはある。
【 JAPAN/ID:ZERO-JPN2よりJAPAN/ID:ZERO-JPN4へ至宙儀を継承 】
続いて赤井から至宙儀を召喚しようとするが、召喚に失敗する。
(何故だ。俺には至宙儀を手にする資格がないのか)
至宙儀は伊藤すら十分に扱えず何度も疑似脳を侵食された生体神具だ。
利己心のなく、その性能を未来永劫悪用しないと認定された構築士にしか扱えないと伊藤の記憶は語る。
A.I.であるロイには人間のような感情がないが、持ち手を選ぶ神具にいかなる判断を下されるのだろう。
ロイは一抹の不安を覚えながらも至宙儀のアルゴリズムを解析し、自身の適格不適格を判定する。
何度やっても同じ結果。
適格と出る。
適格者の召喚に応じないということは、至宙儀の所持者が宙に浮いていないということ。
赤井がまだ所有している。
(所有者が解除されないのは、赤井様がご存命だからでは)
一つの希望が脳裏をかすめる。
どうかそうであってほしい。
計画が振り出しに戻ることはいとわず、彼は切にそう願う。
しかし27管区からの応答はなかった。
◆
私はバイオクローンにアクセスし、覚醒する。
生身の感覚が蘇り、世界の解像度が上がる。
普段通りの場所ならば、ここは保管区と呼ばれる地下三階のバイオクローンを格納している厚労省の地下施設だ。
私のバイオクローンは棺桶のような格納容器の中に入っていて、平時は多くのスタッフにメンテナンスされている……周囲には誰もいないようだ。
格納容器に閉じ込められたときのために手動で開くレバーがあるのでそれを引く。
格納容器が開き、モニタ用の電極を外す。
容器から出ても部屋は真っ暗だ。
このバイオクローンには暗視能力が備わっているから、暗くても全く問題はない。
「暑っ」
空調が切れると汗ばむようだ。
平時は全裸で管理されているので、ロッカーをこじあけて最低限外に出ても通報されないようコンプレッションつきのトレーニングウェアを着てシューズをはく。
室内が焦げ臭く、煙が充満し、火災が発生している。
他のスタッフはもう逃げたのかな。
火災が発生しているのに消火設備が機能していないみたいだ。
一体何があったんだろうか。
ここにはいられない。
今にも焼けた階上が抜けて崩落してきそうだ。
電子施錠された扉を素手でこじ開けて、通路へと出て疾走しながら地上を目指す。
各管区のオペレーションルームはセクションが分かれていて点在している。
全管区が固まっているわけではない。
現在は構築中の27管区から34管区までのオペレーションルームがあると言われている。
どの管区が何階にあるのかは知らないけど、27、28、29管区が地下2階にあることだけは知っている。
上階に上がるついでに、誰か取り残されていないか見ていこう。
このバイオクローンは耐火性能があるし、無酸素でも活動できるからね。
待って、何か声が聞こえた。
それは防音性能により人の聴覚では聞きとれないほどかすかな音だったけど、私の耳にははっきりと聞こえる。
近づいてみると、通路に面した隔壁の内側でドアを叩く音と人の声がする。
電源が落ちて電子錠が開かないんだな。
私は力づくで非常用扉をこじあける。
こういう災害時にこそバイオクローンは活躍する。
軍事用でなければ、人命救助に使われるものだ。
内部のオペレーションルームには煙が充満し、床上に数名が煙を飲んで倒れていた。
ドアを叩いていた女性スタッフが私に助けを求める。
「た、助けて……ドアが開かなくなって」
「勿論です。しっかりしてください」
私はスタッフ全員を二人ずつ抱えて素早く通路に運ぶ。
バイオクローンは全身をパワーアシストされているから、何百キロの荷物でも平気で持てる。
隣接するダイヴスペースの水槽の特殊強化ガラスを割って中の水をぶち抜く。
バイオクローンすごいよね。
素手で強化ガラス割っても全然平気。
溶液を飲んで意識を失った構築士もいたけど、救命技術が進歩しているから溺水ぐらいならまだ蘇生は可能だ。
心停止していようが構わず職員を廊下に運んだ。
「ゴフッ、ゲフッ、助かりました」
「ありがとう。きみは……見ない顔だがどの部署だ?」
「ともかく避難を!」
「そ、そうだな」
私のバイオクローンは存在自体が他管区に知られていないし、神坂 桔平としての私の顔も知られていないので、通りすがりの職員だとでも思ってほしい。
火が燃え広がらないうちに一階に上がろうにも、焼けた瓦礫が連絡階段のうえに降り注いで進路を妨げている。
階段の隅に瓦礫を押しのけながら、歩ける人は歩いてもらう。
二人ずつ背負って階段を駆け上がり、炎をかいくぐりガラスや瓦礫が嵐のように飛散するなか、建物の外に運び出した。
有毒ガスを吸って咳き込む彼らは、28管区のスタッフだという。
地上に消防車や救助隊がいるかと思っていたのに、まだ到着していないようだ。
ようやく消防艇が空から降りてきた。
ああ、久しぶりに見た空は憎らしいほど晴れやかだ。
機体の側面には千葉市消防局管轄とある。
千葉? こんな東京のど真ん中で、東京消防庁じゃないのか?
不自然なことはもう一つある。
私の疑似脳にパブリックネットワークが一つも繋がらない。
これまでは専用の「準天頂衛星むすび」を通じて、私の疑似脳は自動的にネットワークに接続して情報を取り寄せることができていた。
人工衛星が落とされたのか? なんて疑いも生じる。
「27管区と29管区のスタッフも地下に閉じ込められているかもしれない。階上にも救助を必要とする人たちがいるはず……」
28管区のスタッフさんたちは他管区のことも心配している。
28管区の白椋さんは……?
そして27管区のスタッフは避難できたのか?
怖くて聞けなかった。
「日本アガルタはもう……おしまいだ……」
背に火傷を負った三好というネームプレートをつけた中年男性が打ちのめされて膝をついている。
28管区のPMのようだ。
「消防や警察に応援を要請してください! 私は救助に戻ります」
「君、装備もなしには……!」
こうしている場合じゃない。現場に戻らないと。
全員は助けられないかもしれないけど、一人でも連れ戻せるよう、今できるだけのことはしたい。
三好PMに腕を掴まれて行くだの行くなだの押し問答をしていると、外国人女性が近づいてきた。
「あの……」
なんだろうこの人、じっと私を見て。
あ! ネームプレートを見て分かったよ。27管区のブリジット・ドーソンさんだ。
てことは顔立ちからしてロベリアさんか?
わーこんな方だったんだ。素敵な人だな。
私のこと、赤井だって気付いて近づいてきたんだなこれ。
「よかったです。ご無事で」
ブリジットさんは私の正体をほのめかすことも尋ねることもせず、それだけを告げて去っていった。
ブリジットさんが合流した一団は27管区のスタッフたちか。
黒澤さんもいる。
八雲さんの姿だけは見えないけど……。
私は彼らの姿を見て安心し、三好PMの隙を突いて警告も聞かず燃え盛る炎と煙の渦に飛び込み、再度の救助に向かう。
【スイッチ】
私はバイオクローンのブースト、いわゆるスイッチモードに切り替えて加速する。
運動能力は飛躍的な向上をみせ、殆ど大跳躍で飛ぶようにして階を下ってゆく。
建物を透視して感覚センサーを広げる。
通路に武装した人間が潜んでいるかもしれない。
私の視界にとらえたものは、武装した人間やロボットに対し自動的に敵味方識別がかけられる。
途中、通りすがった27管区の隔壁は開いていた。
よかった、オペレーションルーム内は全員避難している。
「誰かいませんか!?」
念のため呼びかけるも、生体反応なし。
中にスタッフは誰もいない。
移動しようと振り向くと、目の前に突然生体反応が現れる。
敵味方識別は赤。
敵性体だ。
通路の奥から防炎装備の敵が三名現れ、敵も私を捕捉した。
「投降しろ」
私の警告の応えは発砲だった。
私は銃撃をかいくぐりながら通路の壁伝いに跳躍すると、犯人の背後に回り込み、最初の一人に蹴撃を加えて壁に叩きつけて伸した。
強化ヘルメットが粉砕されている。
私ははっとする。凄まじい衝撃だ。
手加減はしたけど脳を破壊してしまったかもしれない。
現実世界の戦闘訓練では鉄壁に穴をあけてしまったこともある。
テロリストに対する反撃は正当防衛だとはいえ、無力化するだけでいいのに。
二人目の懐に飛び込み、掌底で押し倒して膝を破壊。
銃を踏み潰す。
「伏せて!」
私は背後からタックルされ、何者かに床に押さえつけられた。
コンマ数秒後、通路に放たれた爆発物からの衝撃波に吹き飛ばされる。
危ない。
爆心付近の通路が溶けて跡形もなく消えている。
ただの爆弾ではない、殺傷能力の極めて高いものだ。
バイオクローンとはいえ、伏せてなければ頭が消えてた。
私を庇った何者かはすかさず狙撃し、爆弾を投げた敵を無力化した。
私を助けてくれたのは光学迷彩性能のあるボディスーツを着て、両手に銃を持った女性だ。
何だ、完全武装じゃないか。セキュリティ要員か?
敵味方識別は不明。
「ありがとうございます」
「あなた……」
この人ゴーグルつけてるから顔が見えないんだわ。
「赤井さん」
私は彼女の呼びかけに、心臓が飛び出るかと思った。
現実世界で仮想世界の名を呼ばれたら、そりゃ焦る。
でも困った。
私はこんなに若い女性セキュリティ要員の知り合いなんていないんですけど。
「どこかでお会いしましたか」
「西園 沙織……と言ったら覚えている?」
彼女は私の身体に乗りかかったままゴーグルを外し、冷たく言い放った。
……はい? 西園さんこと実名東 沙織さん……?
ここで遭ったが百年目! 言いたいことは山程あります。
でもゴーグルの下から現れた顔も西園さんとは別人なんですが?
「……西園さんなら覚えていますよ」
先に起き上がった彼女に手を差し伸べられ、半信半疑でその手を取る。
今は恨み言を言っている場合じゃない。
ていうかネイサンさんが沙織さんに何か秘密を託したいと言っていたんだけど、私には何もできなくてもどかしいな。
ネイサンさんの本体は厚労省関連の病院にいて、ここにはいない。
「視覚センサーはごまかせない。八雲が“それ”に乗っているのを見たし、そんな高価なクローンに乗れるのは赤井さんしかいないわ」
私がこのバイオクローンに乗った初日のあのときか……!
テロリストに襲われて、八雲さんが厚労省に持ち帰るのに代行運転してくれたんだよ。
その時に彼女とひと悶着あったのかな。
「時間がないわ。ついて来なさい」
相変わらず偉そうな人だ。
それがまた西園さんらしくもあるけど、私は従わない。
「いえ。職員の救助に戻ります」
構築士として、独断での行動など言語道断。
職員として救助活動に加わるまでは許されるだろうけど、持ち場を離れると職務放棄になってしまう。
「八雲がダイヴスペース内で殺害され、死体の首は持ち去られた」
「は?!」
八雲さんが……死んだ!?
……さっきまで仮想世界内で話して私達を逃してくれたのに。
あのあと現実世界側で殺害されたっていうのか?
27管区を手動操作で閉じてから最後にログアウトするといっていたのに。
だいたい、何を根拠にそんなことを?
「甲種一級構築士も現在進行形で殺されているわ。囚神は全員同じ区画にいて、防犯システムが落ちていて無防備。格好の標的ね。水槽の中のあなたの本体だって、殺されているかもしれないわ。来るの、来ないの。今決めて」
……まずい。セキュリティや警察を待っている場合じゃないな。
ここは今、全館電力が落ちて周囲から孤立している。
千葉から救助応援がきているのは、東京消防庁が機能していないからなんだろう。
スタッフの皆さん私の防犯ばかり気にしてくれていたけど、蒼さん白さんが私と同じような成果を出した今では、甲種一級構築士全員が危険だ。
ちなみにZEROナンバーの私と、おそらく伊藤さんの本体もセキュリティの高い別のスペースにいるだろうけど、センサーを使えば生体反応など簡単に検出できる。
ひとたび厚労省内に侵入されてしまえば、私達の本体なんてすぐに見つかるだろうね。
沙織さんは八雲さんが、27管区にログインしている間に時間をかけて首を切断されたとみている。
沙織さんの言う通り、彼は衝撃を伴う攻撃にはログイン中でも自動的に防御できると言っていたけど、じっくりと切られて対応できなかったんだろう。
無敵の八雲さんにも弱点があったんだな。
私は彼の話を過信しすぎていた。
構築士が殺害されたなら生体脳も疑似脳も完全に破壊すべきだというのは極論でも、脳はただの無防備な記憶のストレージになってしまう。
八雲さんの首が持ち去られ、他の構築士の生体脳までもDFH計画の犯人に一度でも渡ったら、それは過去最大の機密の流出だ。
最悪の事態に発展する。
だったらどんな職務よりテロリストを追うのが最優先。
この間にも闇に紛れての犯行で、構築士たちが殺人犯の凶刃にかかっているかもしれない。
迷っている場合ではない。
「行きます!」
彼女はその言葉とともに背負っていた銃を私に投げ渡しながら、階下へと身を翻す。
非殺傷銃だ。
待って。沙織さん今何もない空間から銃を出したけど、どこに収納してた?
疑問を投げかけると、意外な答えが返ってきた。
八雲さんの弟と妹に借りたものだと。
この人、八雲さんの弟さんと妹さんと接点があるのか。
まてよ、仮に八雲さんが未来人だというのが本当だとして、この時代で殺されたらどうなる?
八雲さんの話に嘘がないなら、彼は過去では死ねないはずだ。
つまり未来人という話が間違いだったんだよな……。
もと沙織さんも含めて、信頼できない語り手が多すぎる。
八雲さんを殺した犯人が沙織さんだという可能性も、まだ捨てきれない。
犯人を追う沙織さんは冷静で、私と同じくそのバイオクローンには暗視性能が装備されているのか、暗闇をものともせず風のように駆け下りる。
私が彼女のスピードについてこれていると見ると、更に加速する。
使途不明のスペースが地下四階にあるので、そこに甲種一級構築士の本体が格納されていると彼女は踏んでいる。
もし、八雲さんの首を持っている犯人がいるのだとしたら、絶対にここから逃してはならない。
私は音波解析を行い、地下深くの生体反応の自動検出を始める。
反応は二箇所に分かれている。
「地下四階に三名、地下三階に十五名です」
「三が敵、十五が職員ね。私が四階に行く」
テロリストの鎮圧か、人命救助か。
どっちにする?
沙織さんがテロリストとの対決を申し出た。
大丈夫か? 私は彼女の練度を知らない。
でも、普通に考えて20年仮想世界にいて戦闘訓練をしていた私のほうが経験はあるはずだ。
「私が四階に行きます!」
彼女は予告もなく振り返りざまに、私にボディーブローを打ってきた。
躱せたけど、思った以上に速い。
「人質ありのCQBの訓練はしたの? あなたはただの役者でしょう。気配すら消せないド素人は後から来なさい」
「……っ」
CQBって近接戦闘か? まあ確かに私は戦闘のプロではないし、役者に近い。
今まで気配を消す必要ゼロだったもんな。
現実世界には現実世界のやり方があるのか。
私は沙織さんを信じて地下三階で分かれ、センサーで捕捉した隠し通路から、隠匿された区画へと向かう。
ここは秘密の区画なんだろう、最近できたような新しい内装だ。
最近作られた重要区画……ってことは30管区か?
隔壁内部に生体反応があり、移動しているということはまだ動ける人もいる。
天井を煙が充満してきていた。
力任せに隔壁をこじあけると、内部には検知した通り十五名の職員がいて、倒れている人は半数ほど。
「皆さん、ご無事ですか!」
職員が首から提げているネームプレートに視線を落とす。
やはりここは30管区だ。
意識のある人は自力で出てもらって、ない人は私が抱えて運び出す。
構築士はスタッフに助け出されて全員ダイヴスペースから手動で引き出されていたけど、数名が倒れている。
私は無我夢中で一人の女性構築士を抱えあげる。
生体反応がある。水を飲んでしまって意識がないようだ。
「大丈夫で……」
彼女の顔を見て愕然とした。
何で君がここにいる? こんなの不意打ちだ。
グリーンのラインの入ったダイヴスーツには、腕に名前の刻印がある……。
東 愛実と銘打たれている。
私は呼吸が止まり、彼女を抱える手が震える。
30管区の構築士になったのか……。
君の夢は本当に構築士になることだったのか?
思考がぐちゃぐちゃで、嵐が吹き荒れる。
唯一言えるのは、私と関わらなければきっとこんな目には……。
彼女は呼吸をしてない。
水を飲んでいるんだろう。
救命技術は進んでいるけど、確実に助かるかどうか分からない。
だからといって、ここで私にできることはない。
押し寄せる後悔に身を引き裂かれそうになりながら、それでも時間を浪費せず、救助隊が上階に来ているので彼女を運び出しそっと廊下に横たえる。
立ち上がって沙織さんの応援へ行かないと。
これが今生の別れになるかもしれない、そう思っても優先順位はここではない。
そのとき、彼女の指先に少し力が入った気がする。
意識が朦朧として、私のことはよく見えていないはずなのに。
あまりにも一方的な再会を果たした後、私は彼女の手を剥がし、闇の深まる階下へ飛び込んでいった。
最速でテロリストを制圧し、脅威を取り除いてから彼女のもとに戻ってくると誓って。