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Heavens Under Construction(EP5)  作者: 高山 理図
Chapter.10 What humans can imagine can be realized
122/130

第10章 第4話 Hidden Code◇◆

【アガルタ第27管区 20年51日目(7351日目) 総居住者数 520012名 総信頼率 100%】


 国民の皆様お元気ですか?

 お久しぶりです、赤井です。

 早いもので、27管区ではロイが去って5年が経ちました。

 え、ロイは30管区ではまだ半年しか留学してないのに何で27管区では5年も経ったかって?

 27管区の加速構築が始まったからです。

 30管区は加速せず、27管区だけ加速してんの。

 現実時間は2138年12月。

 私は2133年4月から、もう実時間5年8ヶ月も構築士をやってる。

 私の任期は仮想時間1000年、実時間は10年だ。

 任期中に仮想時間の1000年が達成できなくても、実時間10年で任期は終わる。

 この27管区は文明を進めるだけの構築を優先しない。どれだけ遅れても構わない。

 当時のプロマネの伊藤さんとはそういう約束で、その基本方針は八雲さんにも受け継がれている。

 だから任期終了までに20~30年ぐらいしか構築してなくてもアガリ! ってことになるけど……でも、退職するまでに27管区の環境を整えておきたいし、一人でも多くの患者さんを30管区から現実世界に送り出したい。

 高次脳機能障害の患者さんの治療は29管区と30管区の白さん蒼さんが頑張って実績を積んでいるけれど、27管区を引き継ぐロイが私達と同じように患者さんを送り出せるか分からないからね。

 そうなると、医療特区の特例は消えて通常運用になってしまうか、用途がなくなって閉鎖になってしまう。

 それは避けたい。というわけでスタッフさんたちと協議のうえ、加速に入った。

 徐々にスピードを上げていくから、実時間一年で百年進む計算になる。


 構築歴はようやく20年の大台に乗った。

 大台っても白さん蒼さんは数百年いってるわけで、まだ二桁のひよっこが何いってんだすみませんって感じですが。

 トラブルと異例続きだった仮想世界の生活にもようやく慣れてきた。

 人口は増えたし留学神も十柱くらいきた。今はたまたまいないけど。

 私は何も変わらない。

 毎日素民たちに会い、願いを聞き、悩みを解決し、祝福する。

 勿論知識や技量は上がっていると思うけど、外見も同じだし考え方も同じ。

 素民に聞いても変わってないみたい。

 時々は福利厚生のためにバイオクローンに乗って現実世界に出て、市街には出られないから厚労省の施設内で気分転換をして過ごす。

 スタッフはエトワール先輩、ロベリアさん、なあこさんに加えて、使徒役を二人、サポート役を一人増員した。段々大所帯になってきたよね。

 これでもまだ、人員は少ないらしい。


 使徒役の追加一人目はヴリティカさん。

 この方はヒンドゥー教のシヴァ神の妻、パールバティーをやっていた人だよ。

 すごく感じのいい人だったから採用してみてびっくり、元有名神だった。

 だからアバターは翼のないタイプだ。

 インド出身の臨床心理士で、患者さんとの接し方も柔らかくて完璧。

 時々私自身の心の健康チェックもしてくれるから安心する。

 素民に対してはおっとりだから大人しい人なのかと思いきや、スタッフ間ではめっちゃ喋る。

 本当に同一人物なのかってぐらい喋る。しかも話が面白い。

 そりゃ人気出るしパールバティーにも選ばれるわって感じの納得の人材だ。


 もう一人はヨハンさん。

 彼は思慮深く落ちついていて、ぜひともお迎えしたい人材だったんだけど、その貫禄も納得、元ギリシャ神話管区の戦神アレースだった。

 私はあまり神話には詳しくないから、オリュンポス十二神の一柱からうちの管区に使徒役で転職って何でなのと思いきや、嫌われ役として日夜戦いに明け暮れて憎まれるのに心身ともに疲れたとのこと。次は平和な管区がいいようで……なんか切実だ。

 うちは区画解放時以外戦わなくていいはず。比較的平和だよ。

 もうこの際素民も患者さんも構築士も、まとめて養生していってほしい。

 怒りすぎて疲れたと言っていた元金剛夜叉明王のヤクシャさん、戦乙女ワルキューレ役だったロベリアさんと同じパターンか……やっぱ前職の役柄の反動ってくるんだな。

 ロベリアさんとヨハンさんは、役柄と境遇が似ていることもあって意気投合してた。

 積極的に戦いをしたくはないものの、使徒の中ではぶっちぎりで強いから、私の訓練にも付き合って指導してくださる。スタッフを定期的に追加すると、私も刺激になる。


 サポートスタッフも一名採用した。

 アートディレクターの琴葉さん。27管区の環境や背景美術を美しく整えてくれる。

 モフコ先輩が去ってからというもの、美術系の技能を持っているスタッフがいなかったので環境整備を強化したかった。

 面接のときにポートフォリオとイメージボードをみせてもらったけど、この人の世界観は本当に圧倒される。美術大学出身で、実力派だ。

 こういう美術系のディレクションをしてくれる人がいると、管区内が見違えて美しくなる。集中力がすごくて、仕事中は話しかけても気付いてもらえないことがある。

 彼女はどんな世界を描いてくれるんだろうと楽しみにしている。


 イスティナはロイがこの管区にいないから、教師役としての彼女は用がなくて27管区には顔をだしてない。

 大好きな蘇芳教授のもとでのんびりしているんだろう。


 私はあまり変わってないけど、素民たちは五年もあればそりゃ変化が訪れる。

 それぞれの人生のステージを進めている。

 一番大きな変化といえば、なんといってもキララの結婚だ。

 お相手はカラバシュのゴーヤ地区出身の一般人、フランさん。

 一般人って何だって感じだけど、王族でも要人でも何でもない一般素民ってこと。

 あまり目立たない人だったから、私も完全にノーマークだった。

 人口50万人になってさすがに全員は把握できない。

 馴れ初めはフランさんがグランダを旅行中で、市街を観光していた日のこと。

 そこで彼は市街をジョギングしていたキララと街角でぶつかり、足を負傷してしまった。

 キララはフランさんを宿に運んだりして介抱したらしい。

 折角の観光が台無しになって、悪いと思ったんだろう。

 フランさんはキララの顔を知らなかった。

 グランダ王だよ、顔知られてるでしょ、って思うんだけど、写真があるわけでもなし、報道されるわけでもなし知る機会がない。

 偶然が重なってとにかく彼は彼女を知らなかった。

 そんでキララはフランさんと接するうち、王族でも武人でも文官でもない、普通のやりとりに惹かれたみたいだ。

 裏表もお世辞もない関係が心地よかったんだそう。

 名乗ればさすがに分かると思うんだけど、キララも名乗らなかったのかな。

 数ヶ月ほど付き合って、お見合いでも政略結婚でもなく恋愛結婚をした。

 結婚する時になってやっと彼女がグランダ王だと気付いて慌てたフランさんだったけど、もうキララは王家を継がなくて良いとわかりほっとしたそう。

 なかなかお似合いだ。

 フランさんは朴訥としていて、少し天然で、キララとは対照的だけどそこがいい。

 闘争の中に身を投じて生きてきた彼女だけど、これまでとは違う平穏と幸せを掴み取ったみたいだ。

 その彼女は妊娠8ヶ月。

 性別は女の子だってエトワール先輩が仰ってるけど生まれるまで彼女には内緒だ。

 彼女との付き合いの長い先輩は、キララのことが気にかかるみたい。

 よくプレママプレパパのための育児指導なんてやってる。

 あれだな、私はそろそろ手作りの出産祝いも用意しなきゃ。


 私はモンジャを訪れ、ナズの家を訪ねる。

 一ヶ月ぐらい、ナズは顔を見せなかった。

 私にも使徒さんにも会いにこない素民や患者さんには、私のほうから会いに行くことにしている。

 私のやり方に対して何か不満を懐いているかもしれないし、心配だから。

 大っぴらに私のことを批判する人はいなくなったけど、行き届かない部分はあるに決まっている。

 彼は仮想世界ではもう20歳になる。

 仮想世界の親であったハクさんの家から出て、ヒノの建てた家で一人暮らしをしている。

 老いたエドのアイが、ナズの家の軒先で日向ぼっこをしていたので撫でる。

 アイは尻尾を振ったが起きようとしない。

 動きが鈍くなっているな。もうすぐ寿命かもしれない。

 家の扉を叩くと、ナズが出てきた。

 どうしたんだろう。

 髪の毛はボサボサだし、ひどくやつれている。

 栄養状態も悪くなっている。

 危機的とまではいかないほどだったから気付かなかった。


『最近、お会いしていないなと思いまして……何かありましたか』

「ああ、すみませんご心配をおかけして。少し作業に没頭していて」


 ナズはやつれている割には、からっとした表情をしている。


『作業……?』

「中にお入りください」


 私は家の中に案内される。

 おや、部屋の中に何もない。

 ベッドと小さなテーブルしかない。もっと家具はたくさんあったはずだけど。


『随分と家の中がすっきりしましたね。引っ越しですか?』

「そんなものです」

『いいですね。引越し先はどちらです?』


 ナズは少し悩んで、私の顔を見据えた。あれ、何か変なこと言った?

 彼は技師の仕事も引き受けているから、現場に近い場所に引っ越すのかな。

 なんて思っていたら。


「向こうの世界に戻りたいです」

『随分急ですね。焦らなくてもいいと思いますが……早く出たいということですか』


 別に引き留めようとしているんじゃない、元の世界に戻りたくないってナズの意思を一度聞いたことがあったから。

 外に出るとしたら、ヒノやトワさん、ヤスさんのほうが早いと思っていた。

 だからその翻心が本当なのか、確かめたくなった。


「一刻も早く戻りたいんです。伝えなければならないことがあります」


 なるほど……家族や恋人に愛してるって伝えたい? 

 そりゃそうだ、思い出したら恋しくなるに決まってる。

 だってもう仮想時間十年以上、現実時間五年以上も家族と会っていない計算になるんだもんな。

 私は両親や家族とモニタごしに会うこともできるし、バイオクローンのメンテナンスのために厚労省内で待ち合わせて実際に会って食堂で食事をしたこともあるしな。

 一応外に出られている。

 ナズが現実世界のことを思い出してくれたのはよかった。

 本人が戻りたいといっても、すぐに現実世界に戻すわけにはいかない。

 脳機能の快復が十分でないと、日常生活を送ることができないので現実世界に戻れない。

 外部の専門家の臨床的評価を経て、30管区に行けるかどうか決まる。

 では、本人の希望もあるし八雲さんに評価依頼を出そう。


『分かりました。では準備を整えておきますね』


 ナズが現実世界で目覚めたら、三親等以内の現実の家族を呼ぶ必要があるらしい。

 誰か連絡がとれそうな親族はいるんだろうか。

 親族が死別していたりいなければ、身元引受人のような人をたてないと。

 なんて色々と考えごとをしながら部屋を何気なく見ていたら……テーブルの上に乱雑にノートが積み上げられているのに気付いた。

 何のノートだろう、日記だろうか。

 それにしてもかなりの冊数だ。表紙を見て愕然とした。

 英語でタイトルが書きつけられていたからだ。

 私は少し胸騒ぎがした。

 一般素民には英語が読めない。これは、素民には明かせない秘密の情報だ。


『何か心配なことがありますか』

「ええ、まさにこれのことです」


 ナズはその一冊を取ってパラパラと私に見せてくれる。

 算用数字、英語、記号……間違いない。


『これは……暗号を解読していたのですか』

「過去の自分が作った暗号を自分で解いたんです。手強かったですね、過去の僕は。たしか赤い神様は僕の心が読めるんですよね」

『はい。でも、最近は読んでいませんが』


 自己申告にすぎないけど、本当に読まないようにしていた。

 読心をするときは集中力がいるから、どうしても相手の会話が疎かになってしまうんだ。

 昔はそれでも取り繕えたけど、今のナズは高次脳機能障害からかなり快復しているから、逆に彼にプロファイリングされてしまう。

 読心に気付かれると信頼を失うし、余計な詮索をさせてしまう。

 素民たちの感情も豊かになってきたことだし、そうなると対人コミュニケーションとしてはあまり相手の心を読まないほうがいい。


「では、読んでもらえますか。内緒話がしたいんです」

『ええ、かまいませんよ』

「僕の頭の中に直接話しかけることができますか」

『できますよ』

「ではそのようにして会話してください」

『わかりました』


 色々細かく指示してきた。何だろうね。

 ナズが私にそんなことを言ったのは初めてだ。

 ナズは仮想世界の人間として素民たちに肩入れをしていて、現実世界の人間に不信感を懐いていた。

 ナズとロイはよく内緒話をしていたけれど、私にその内容を打ち明けてくれるのは今回が初めてかな。

 私は現実世界側の人間だから、ナズには少し避けられていた。

 私も彼の思いを尊重して、あまり介入しすぎず少し距離を取っていた。

 ロイが留学中で不在だから、ナズも相談相手がいなくて色々溜め込んでいるのかもしれない。

 現実世界の人間でもいいから、誰かに知らせておきたいことでもあるんだろうか。


“はじめまして、赤い神様。聞こえていますか。あるいは、甲種一級構築士の方。僕はネイサン・ブラックストーン、現実世界ではアメリカ国家安全保障局の諜報職員でした。あなたにこうしてお話しているのは、あなたが信用に足ると判断したからです”

“初めまして、ブラックストーンさん。赤井と申します。事情は分かりました”


 彼は革まって自己紹介を始めた。

 信用に足るって? それはどうも。

 私は外部のスタッフ経由で彼の素性を知ってはいたけれど、彼はアイデンティティを取り戻したんだな。

 私もうっかり本名を名乗ってしまいそうになるけど、名乗ってはいけないからな。

 あくまで仮想世界の役者として彼の打ち明け話を聞いている。

 彼は構築士ではないので念話で直接双方向コミュニケーションはできないけれど、やり方を工夫すればやり取りができる。

 ネイサンさんがここまで用心しているということは、機密事項なのかな?

 私が外部に出られないというのは、半分正しくて半分間違い。

 意識はバイオクローンに乗って現実世界を散歩しているからね。


“僕はここに来る前、さる機密情報を掴み、それを暗号にして記憶していました。暗号を解かなければ情報が回復しないよう、予め薬物で記憶領域を破壊していました。この世界に来てからはその事を思い出すこともなかったのですが、半年ほど前に暗号の存在を思い出し、数ヶ月かけて暗号を解くことができました”


 ひゃー、本職の諜報職員ってそんなことして暗号を守ってるの?

 情報が盗まれないよう自分にしか解けない暗号に変えて、元の記憶を薬物かなんかで破壊してるの?

 まあ、情報を忘れてしまったほうが身の安全になる場面もあるのか?

 とんでもなく大変な任務ですね。まさに命がけ。

 構築士も大変だと思っていたけど、現実世界の仕事も大変だ。

 頭が下がります。


“情報は人類の存亡に関わるものでした”


 ははあ、だから一ヶ月ほど私達と会わなかったのか。

 会ったら情報を読まれるもんな。

 使徒さんたちも何度かナズの家を訪れていたけど、一度も会えなかったんだ。

 会わないように隠れていたってことか。


“一刻も早くNSAに報告すべきなのですが、NSA内部にも敵がいて……”


 そんな機密情報を扱えるといったら、Issac Smithさんこと八雲PMしかいないじゃないか?

 でも困った。

 あの人ってネイサンさんやNSAの敵? 

 そもそも人類の味方?

 全然分からない。

 彼はアガルタ世界の技術が外に持ち出されないか監視をしていると言っていた。

 NSAはDFH計画を阻止しようとしているから、八雲さんも味方でいいのか。

 込み入りすぎていてわからなくなってきた。

 八雲PMもこの事を既に知っているのかもしれないけど、ネイサンさんの意向を汲んで、この話は私までで止めておこう。


“確実に信頼できる人というのはいますか”

“ええ、一人だけ。東 沙織という方です。しかし情報を彼女に伝えたら、彼女も危険に巻き込まれます。この情報は、持っているだけで危険が及びます”


 なるほど……それで私に相談か。

 外に出ることのない、仮想世界内の人間だもんな。


“では私が一旦情報とヒントを預かり、疑似脳からあなたの記憶を消しましょうか。あなたは全てを忘れた状態で現実世界に出て、私との予約面談を実施します。その時に私が、ヒントとともに未開封のデータを渡します。それでいいですか?”

“それはいい案ですね。ちなみに神様もこの情報を読まないほうがいいと思います。あなたに何かあってはいけない”

“そうですね。私も触れないようにしておきます”


 一つ気になることがある。

 ネイサンさん、この世界に入ってきたの確か実時間5年前ですよね。

 世界の存亡に関わる情報、5年も経ってるけど……手遅れになってない?

 まだ現実世界が滅んでないから、首の皮一枚か何かで繋がっているのかもしれないけど。

 ネイサンさんは窓の外をぼんやりと眺めていて、はっとして私に尋ねる。

 急にどした?


“神様。ときに、この世界にゴキブリはいましたっけ”

“いえ。この世界には昆虫そのものがいません。現実世界と同じ生態系が存在してはいけないんです”


 こういうことは素民には話してはならないけど、彼には告げても問題ない。


“道理で。不自然なほど虫がいないと思っていました。今、その窓の外にゴキブリが張り付いているのを見ました。仮想世界に昆虫が存在しないというのなら、盗撮虫というデバイスだと思います。通常、このような盗撮虫は複数放ちます”


 誰かが不法な盗撮デバイスを、27管区に複数放っている……。

 おそらくは、構築ログを見れない立場にある人間による犯行だ。


「このノートを燃やしてもらえますか。解は既に得ているので。それと、情報を受け渡します」


 ネイサンさんは暗号ノートを私にどっさりと手渡す。

 もういらないってことだね。


『燃やしますね』


 私は手の中に神炎を灯すと、彼の希望通り物理結界を張って暗号ノートを全て燃やした。


『では、預けたい情報をここに念じてください』


 インフォメーションボードの一部を切り離して、そこに情報をストレージしてもらう。

 私達、疑似脳でログインしているから、情報のコピーができる。

 それを至宙儀を使ってネイサンさんの情報をヒントとともに暗号化。

 同じく至宙儀で、疑似脳上の彼のオリジナルの記憶を消す。

 こうして、預かった情報はネイサンさんにしか開封できないようにした。

 ネイサンさんの記憶はサーバーがバックアップを取っているから、暗号や情報を復元できないことはないけれど、閲覧するには八雲PMの許可とパスワードが必要になる。

 八雲PMは殺しても死なないようなタフガイだし、彼なら情報を守ってくれるだろう。


「ほっとしました。この情報を持っている間、不安で寝れなくて」


 それでやつれているのか。激ヤセしてて心配したよ。

 ともあれ今日は安眠してほしい。

 これで彼は安全だ。


『お力になれてよかったです』


 すぐさま27管区全域にサーチをかけ、不法デバイスである盗撮虫の痕跡を収集、使徒さん、焼人さんたちに連絡し、即時対応してもらう。

 八雲PMにネイサンさんの現実世界帰還のための審査依頼を出す。

 仮想世界、近頃は安全だと思っていたけど、何だかきなくさくなってきたよ……。


 神殿に戻ると、神殿の前に人だかりができていた。

 うそ、今日私は非番ですよ。

 今からは営業しないんですが何でこんなに人が集まってる? 何かあったんだろうか。

 ゴキブリ見つけて驚いたとか?

 おや。

 黒髪の見たことのないエスニックテイストのデザインの服を着た男の子が意識を失っている。少年は十歳そこらあたり。


『赤い神様、デバイスへの対応中にグランダの鉱山地帯で行き倒れている民を見つけたのですが』


 ヴリティカさんが山中で男の子を見つけたらしく運んできたという。

 インド出身だというヴリティカさんは長い黒髪で、赤と白のインド系のサリーのような衣装を着ている。

 翼を持たないタイプなのに、普通に空を飛ぶ。

 エトワール先輩も駆けつけて容態を診てくれる。

 この男の子、もう顔立ちも違うし服装の文化圏からして違う。昔のアラビア系を少しひねった感じ。

 命には別状はないけど、熱中症と脱水を起こしているようだ。

 エトワール先輩が生体構築ですぐに急性脱水症状を迅速に改善させ、体内の水分バランスを取り戻す。


『これで様子をみましょう』


 相変わらずエトワール先輩の処置は安心だ。

 これはあれだな、と気付いた私はインフォメーションボードを立ち上げる。

 ワールドマップが勝手に拡大してゆく。


『え、今、このタイミングで?』


 区画未開放で暗黒状態になっていたカルーア湖の南東のマップが現れた。

 今を境に、私達全員がこの区画に立ち入れるようになるはずだ。

 でも待てよ、区画解放ってのは本来30から40年に一度行われるイベントだって黒澤さん言ってたよな。

 おかしくね?

 予定より随分早いってことになる。

 私の疑問を置き去りに、第四区画、その名も“砂上国家 カラハリア”が解放され、区画解放イベントが幕を開けた。

 あの……確か区画解放が始まったら管区間移動は禁止になるルールだ。

 ネイサンさん、大ピンチ。

 区画解放期間中は現実世界に戻れない……!

 てかネイサンさんの動向を察知して、現実世界に返すまじと区画解放イベント始まった? 

 もし、万が一だよ。

 区画解放のドサクサにまぎれてネイサンさんが殺られてしまうようなことがあれば……機密は闇に葬られる。

 出来すぎてるよね、このタイミング。

 ますますもって、区画解放しちゃだめでしょうが!


 ◆


 昼下がりの厚生労働省内の高層階のカフェには、落ち着いたクラシックのBGMが流れている。

 職員の話し声やエスプレッソマシンの音が交錯するなか、一組の男女が自然光の差し込む窓辺に陣取り、密談を行っている。

 男は八雲 遼生、女は東 沙織といった。

 運ばれてきたコーヒーに沙織が口をつけようとしたとき、八雲がカップの上に手を置くようにして妨げた。


「なに?」


 八雲が黙って手の甲を見せると、黒い液体のしみがついている。


「それは……」


 工作虫の仕業だ。

 彼の手についた液体はおそらく、工作虫が飲み物に混入させようとした毒物。

 彼の忠告を理解した東 沙織は手をつけず、注文したコーヒーをさりげなく遠ざける。


「マンション内の水を水筒で持ち歩くべきでしょうね」


 八雲の言うことを鵜呑みにするのも癪だが、これまでのところ彼の指示に従って間違いはなかった。

 マンションで供される食事には毒見が行われており、今のところ安全だ。

 八雲は運ばれてきたティーセットに手をつける。


「あなたのカップには毒は入っていないの?」

「入っていますが飲みます」

「効かないってわけね」

「はい。私は大したことではありませんが、あなたは用心してください」


 美味しそうに毒入り紅茶を飲む八雲を、沙織は気味悪そうに眺める。

 彼は銃撃すら効かず、毒物も効かないときた。

 沙織が知る限り、彼は現実世界においてもアガルタ世界の神のような能力を使う。

 不死身のように見えるし、ありとあらゆる攻撃が効かない。


「そのバイオクローン、どこの特注品なの」

「あいにく私は生身なんですよ」

「面白い冗談。ここで込み入った話をしても構わない? どこか場所を移すかしら」

「ここは騒がしいですし、防諜シールドを私の周囲に張ってありますので構いませんよ」


 八雲は電磁遮蔽器具のようなものを持っているのだろうか。

 沙織は分からないながらに頷く。


「私も毒の効かないバージョンが欲しかったわ。あなたには何か弱点とかないの」

「今はありませんね」


 八雲は持って回ったような不思議な言い回しをした。


「過去にはあった?」

「ええ」

「あなたの弱点だけど、誰かに知られていない? 例えばDFH計画の関係者とかに」

「私はマインドスキャナを使われて記憶を洗いざらい読まれましてね。私達の弱点も知られています。しかし、この時代の科学技術では再現できないのでご心配なく」


 アガルタ機構の共同開発者であるフォレスター教授はマインドスキャナの開発者でもある。

 それは沙織も知っていた。

 しかしフォレスター教授と八雲との関係性までは知らなかった。


「そんな無敵のバイオクローンに乗るあなたは、DFH計画の進行を手をこまねいているつもり?」


 こちらが逃げ回るのではなく、沙織は根本的な解決を図りたい。

 何もせず待てば待つほど状況は悪化する。

 八雲は何を待っているのか。


「今の工作虫の発信元を突き止めるべきだわ」

「この近辺にはいませんよ」

「そんなものが蔓延っているなんて、厚労省内も安全ではないというわけね」


 八雲は犯人らを泳がしていると言った。

  アガルタゲートウェイのサーバーやサーバルームは鉄壁だが、ソーシャルエンジニアリング・ハッキングは依然として有効だ。

 現時点で関与している者一斉検挙もできなくないが、誰がどう動いているのか、背後関係を見極める必要があった。

 下手を打てばトカゲのしっぽのように末端が切られて途絶えてしまう。

 だから八雲は全貌を見極めている。

 沙織はDFH計画に関わると目される組織の人間のリストをデータで渡すも、八雲は一人残らず知っていると答えた。


「全員把握しています。あなたは動かないでください。勝手に動かれると計画が崩れます」

「せめてこのリストの人間の夜間入館を止めるとか、そのくらいの対策もしないの?」

「侵入を検知したら1秒以内に駆けつけますよ。ここは都内なのでね」


 彼は現実世界でも転移術を使う。

 バイオクローンの性能なのだろうが、人間離れしている。

 “把握”の方法については詳しく聞かないが、監視・防犯体制を敷いているということなのだろう、と沙織は認識する。


「あなたが監視体制を敷いているのはどこまで?」

「直接監視できるのは東京都内だけです」


 東京都内だけ……。

 人口でみればかなりの人数ではあるが、彼が網羅している範囲としてはあまりにも心もとない。

 つまりそれは、国内の把握すらもできていないということだ。


「ではそれ以外は無理なのね」

「私はできることをするだけです」

「できることって?」

「DFH計画を乗っ取るために、極秘裏に陽動を仕掛けています。DFH計画に関わる者を全員この東京に集結させ、一気に始末します。そのためには、ある程度計画を進めさせる必要があります」

「そんなことできるの……」

「ああ、始末といっても命までは取りません。ただ、一つ障害が」


 フォレスター教授の所在が分からないことには、進められないのだといった。

 フォレスターがアガルタ世界の全容を知る限り、DFH計画は何度でも蘇る。

 根切りのために、既に死亡しているフォレスターの所在を見出し、抹殺する。

 それが八雲の当面の動きだという。


「居場所は分かるの?」

「もう少し時間があれば正確に把握できます」

「それはどれぐらいかかりそう? 手伝いましょうか。私もじっとしているのも飽きたし」

「待って……呼ばれました。職場に戻りますね。気をつけてお帰りを。会計はしておきました」


 八雲に仮想世界内の赤井から、直接の連絡が入った。

 この連絡ルートは厚労省内の誰にも知られることなく、安全な通信方法で、彼の装備しているウェアラブルデバイスによって直接情報は脳に届けられる。

 八雲はオペレーションルームに戻るエレベーターに乗りながら、首を傾げる。


(第四区画が開かれた。このイベントは四十年後のはず……)


 彼が考え事をしながらエレベーターの表示を見ていると、突如上方で爆発音がして、エレベーターが自由落下を始めた。ケーブルが切れたのだろう。


「きゃーっ!」


 同乗していた三人の職員から悲鳴が上がる。

 八雲は慌てず天井に両手を張り付かせ、上向きに力をかけながらゆっくりと減速させ、停止したところでドアをこじ開け、職員たちを無傷で逃した。


「あ、ありがとうございます。え、ケーブル切れましたよね。どうやって……」

「何かに引っかかったんじゃない?」

「すぐ離れたほうがいいわ」


 職員たちは助かったと分かると泣き出したり、その場で腰を抜かしている者もいた。


「階下が危険です。エレベーターを使用禁止にして、修理の連絡をお願いします」


 八雲はそう言い残すと、次の瞬間にはその場から姿を消していた。




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