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Heavens Under Construction(EP5)  作者: 高山 理図
Chapter.10 What humans can imagine can be realized
120/130

第10章 第2話 Pathology of realworld◇◆

【アガルタ第27管区 15年312日目(5778日目) 総居住者数 332442名 総信頼率 100%】


『そろそろ頃合いかも』


 スタッフさんとの神殿での定例会議が終わって、おもむろに切り出したのは黒いコートの愛くるしい銀髪幼女だ。

 会議室の椅子にちょこんと座っている。

 彼女は身長が低いので、私達から見るとテーブルから首が生えてる感じになっててシュールだ。

 彼女の名はイスティナ・マセマティカ。

 ステルス運用されているので私とロイにしか見えず、彼女とコミュニケーションできるのも私達だけ。

 イスティナはあくまでロイの教育のためにこの管区に接続しているので、敢えて他のスタッフと会話しない。

 私はおまけで見えているという感じ。


『ロイ、お前は他管区の短期留学に行きなさい』


 で、ロイに対してだけ凄い命令口調。


「短期留学? ……以前、白椋様と蒼雲様が実施されていた、一年間の短期留学でしょうか」

『そのことは知らない』

「はい……」


 ロイは戸惑ってるみたいだ。

 他管区に留学するには、分身でエントリする。

 本体のほうは所属している管区で昏睡状態となる。

 長い間留守にはできない。


「俺が行っていいのですか」

『管区運営も今は落ち着いてるし、まだ悪役管区も開かない。赤井さんもいるし、せんせぇの推薦もあるしで。逆に今しかない』


 せんせぇとは蘇芳教授のことだよ。

 ロイには凄い敵意を向けてくるイスティナも、蘇芳教授を呼ぶときだけは舌足らずな感じでかわいいんだ。

 その蘇芳教授はイスティナの本体と同じラボ内にいるはずで、ひょっとするとこの会話だって聴かれているかもしれない。

 案外、蘇芳教授の差金だったりして。


「赤井様の許可があれば、行ってまいります」


 ロイは「え、いいの?」みたいな顔で私を見ないでほしい。

 反応に困るから。まあでも、私としてはチャンスがあるならものにしてほしい。

 ロイは私がいなくなったあと、この管区を継ぐだけでなく、他の構築士ともうまくやっていかないといけない。

 彼は現実世界に出られないから、他管区に留学して見識を深めるのはいいことだと思う。


『私は賛成ですよ』

「承知しました。では参ります。イスティナ様、留学先として相応しいと思われる管区はありますか」

『30管区がいいんじゃないかな』


 ロイはイスティナの顔を立ててお勧めを聞いている。

 そうそう、そういう根回しって大事だよ。 


「30管区ですと、俺は間接的に地球の科学文明を見てしまうことになるのですが、支障ないでしょうか。それは禁忌だとお伺いしていましたが」


 そうだった。

 ロイには地球文明を見せちゃいけないって話だったんだけどあれどうなった?

 そもそも素民には地球文明を見せちゃだめだ。

 パクってオリジナリティなくなっちゃうから。

 折角の仮想死後世界、オリジナル宗教管区には地球文明の延長でないものが求められてる。

 ロイはもう甲種一級維持士補で、公務員扱いになったからいいのか? 

 人類に敵対するかもってことで警戒されてたはずだけど。

 医療特区として特別運用されるっていうからもういいのか。

 その辺の運用が変則的になっててもうよくわからない。


『そこはせんせぇに感謝すべきだね』

「蘇芳教授のご推薦ですか。ありがたいです。では30管区にしようと思います」


 そりゃ真っ先に30管区行くよね。

 延期して思わぬところから妨害が入ったり、蘇芳教授の気が変わったらいけないからね。

 にこやかにしていた私もさりげなく打診してみる。


『……よかったですね! 私も来年あたり……』

『赤井さんはまだです。まだ十五年目なので』

『……ですよね』


 でもだよ、ロイに先越されるとは思わなかったよ。

 羨ましいけどそこは顔には出しません。

 いいなー。

 イスティナは何でロイに30管区の留学をお勧めしたんだろ?

 確かに他の管区ではロイに対する警戒も強いだろうから、他管区主神と極力揉めないようにってのはあるかもしれないけど。

 何か見せたいものでもあるのかな。


「申し訳ありません赤井様。先に行かせていただきます」

『気にしていませんよ』


 気にしてるけど。


『伊藤さんに迷惑をかけないよう、管区の予習をしておきなさい』

「はい」


 イスティナ、30管区のデータをロイに渡してる。

 すげー容量あるな、何のデータが入ってるんだろう。

 30管区行く前に何の予習をしておくべき? 

 ロイなら地名はおろか、在来線の時刻表や芸能人の名前まで完全に覚えかねないよ。


『あと、これは私から。気分転換に』


 イスティナ、ロイのインフォメーションボード上にしゅっとデータを投げてくる。

 なになに? 

 JAPAN PERFECT TRAVEL GUIDEBOOKですって。

 観光用のガイドブックじゃん!!

 イスティナ、気が利くとこある。


『多分日本を離れることはないだろうから、暇つぶしに』


 そのガイドに東京のもんじゃ焼きのお勧めどこって書いてある? 

 東京の町並みは現実世界の完コピだって言ってたから、きっともじゃじゃ屋もあるよね。

 ちょっと見せてと思ったけど確認するのやめとこ。

 ……敢えて確認はしない。

 載ってなかったらダメージ大きいから。


『観光におすすめの都市ならやはり京都の寺社巡りから……』

「観光はしませんが、このガイドブックは地理を把握するのに役立ちそうです」


 私の観光情報いりませんでした。ロイは観光しませんとのこと。

 そんなことってある?

 勉強も大事だけどそこはちゃんと観光もして遊んでおいでよ。

 ディズニーとかUSJとか行かないの? 行かないのかー。

 それにしても、メグと同時期に30管区に行ければベストだったのにね。

 時期が同じならあんなに揉めなくてよかったし、メグも寂しくなかったかも。


「30管区で進んだ科学技術を学べる場所はありますか?」


 なんだろう。日本科学未来館とか?

 アメリカ行っていいならAmerican Museum of Natural Historyとか?

 Exploratoriumとか?

 博物館なら色々あるけど、多分求めてる知識レベルが違うな。

 きっと、行くからには地球史完コピしようとでも思ってるはず。

 ロイならできてしまうだろう。


『分からないことは管区主神が教えてくれるよ』


 イスティナの言う通りだね。


「それもそうですね」

『そうそう、伊藤さんに留学希望を出しておいて。申請しないと受け入れてもらえないよ。ちなみに、八雲PMに却下される可能性もあるから』


 色々刺激を受けて帰ってくるんだろうか。

 楽しんで気分転換でもしてきてくれたらいいんだけど、人類の営みに幻滅もするかもしれない。

 どうなるかな。

 あ、それで30管区がお勧めってわけなのか。

 疑似現実世界を見せて、ロイがどんな反応をするか試されてるわけだ。

 これも蘇芳教授の発案なんだろうか? 


『留学許可が下りたら赤井さんはスタッフを増員してください。ロイの穴は結構大きいですよ』

『分かりました。増員します』


 どうなるかなと気をもんでいたら、27管区と30管区、伊藤さんと八雲さんの双方承認したらしく、留学申請はすんなり受理された。

 そっか、ロイが抜けるか。

 じゃあ私もスタッフさん増やさないといけないね。

 使徒役のオファーどうなってるかなーと思っておっかなびっくり確認したら、出ました。

 218件ですって!?

 は? 過去最多じゃない?

 そういや私って忘れてたけどこの二年ずっと構築士世界ランク一位だったんだ。

 そりゃ獲得希望オファーだけでなく、移籍希望者も殺到してるはずだよ。

 前回面接した時にいい人いたから、あの人でいいかもって思うけど、この二年で状況が変わってるからまた選び直さないといけない。

 やっぱり今回も希望者全員面接するの?

 これは骨が折れそうだ。


 ◆


 ここはカルーア湖上の神殿、至聖所に隣接するロイに割り当てられた私室だ。

 赤井が神殿をあける日は、ロイが代わりに素民の参拝に応じている。

 彼は昼休みに、ナズとキララを私室に招いていた。

 ロイが二人を訪ねていくと素民達に囲まれて動けなくなり、会話も全て聞かれてしまう。

 呼ぶほうが気兼ねがない。


「今日は一人か?」


 キララが周囲を窺う。

 赤井とその使徒が神殿に潜んでいるなら、隠し事はできない。


「ああ、誰もいない。巫女と神官はいるが」


 イスティナも私室にまでは入ってこないし、今日は接続していない。

 それでもロイは盗聴されていることを前提として、誰に聞かれてもよい内容を話している。

 ドアのノックが聞こえて、巫女のヒカリがキララとナズの二人にお茶とお茶菓子を出す。

 ロイは飲食を禁じられているので何もない。


「キララ様、ようこそ」

「ヒカリ! 元気そうだな」


 グランダ王キララと、彼女の影であったヒカリは軽く世間話をする。

 彼女は赤井にもロイにも仕えているので密談は避けなければならないが、私室は防音がきいていて、会話は外にもれない。

 ヒカリが辞去してから、キララは真面目な顔に戻る。


「で、急に呼び出してどうした」

「来週から一年間、異世界に行くことになった。直接伝えたいと思って」

「また随分と急だね。それは赤い神様の指示で?」


 ナズが突然の異動話に警戒する。


「いや、別筋からの指示だ。何か意図がありそうだが、詮索していても仕方がない。行ってくる。折角だから、この世界のために有用な技術を覚えてくるつもりだ」

「一年か……長いな」

「向こうの世界の時間で一年だ。こちら側で何年になるかは分からない」


 30管区は現在、利用者が地球に帰還しやすいよう、地球世界と等速で運用されている。

 27管区は加速しているので、一年が数年分に相当するかもしれない。

 イスティナが早く行けというのは、次の区画が開いてしまうかもしれないからだ。


「十年単位になるかもしれないのか……お前はアカイのもとを離れて大丈夫なのか。この世界に戻ってこれるのか? そのまま他の世界に囚われてしまったら?」


 キララの懸念ももっともだった。

 27管区の外がどのような構造になっているのか、ロイも理解できていない。

 ロイは維持士となったとはいえ、暴君として恐れられた同型のやらかしで他管区の主神らから警戒されている。

 白椋が同型を再起動して問題なく共存しているらしいが、それが変則的な運用であることには変わらない。

 実績のある赤井の片腕として彼に忠実に仕えているからこそ、ある意味ロイは守られていた。

 赤井は今、名実ともに世界ランク一位の構築士として評価されている。

 ランクは構築士の絶対的な能力を反映せず、希望獲得金額とオファー件数の総数、つまり構築士としての需要によって決められている。

 赤井は世界一の人気者だ。

 赤井の世界初の実績とバーターに、ロイの抜擢が許されている部分はある。

 その彼の庇護がなくなれば、どのような待遇を受けるか想像に難くない。


「俺は面識がないが、留学先の世界の主神は赤井様の元上司にあたる方で、メグの受け入れ先だ。どうなるかは分からないな……」

「アカイに上司がいるのか。その上はいるのか? さらにその上は? ……想像を絶するな」


 キララが戦慄している。

 伊藤は赤井の元上司だが、アイザック・スミスがアガルタ世界の最上位の管理者だ。

 伊藤は中間管理職ということになる。

 ロイは現実世界側の体制をあまり彼らに話していない。

 叛逆を企てているとみなされないように気をつけている。


「もし、ロイをはめるための罠だったら?」


 ナズが留学の真意を疑う。

 失点や失言を狙われてはいるだろうとのこと。


「落ち度がないよう気をつける。二人とも、俺の留守中にこの世界を頼む」


 ナズとキララの二人はロイの言葉を受けて顔を見合わせる。


「私達は変わらない。何かあればアカイに任せるだけだ。アカイは忙しくなるだろうが」


 キララから見ても、赤井はかなりロイを頼りにしていたようだった。

 その彼が抜けて赤井一柱で33万の民を束ねるとなると、影響は出てくるだろう。


「俺が抜けるから使徒が二人増えるはずだ」

「こっちのことは心配しなくていい。ロイこそ気をつけて。赤い神様の目の届かないところで、無事であることを祈るよ」


 こんなふうに同族を警戒しているナズを思うと、ロイはやるせなくなる。

 いつかナズの心の傷が癒えるように、赤井とともにケアをしていかなければならない。

 それにしてもナズにとっての人類とは、それほど信用ならないものなのだろうか。

 30管区で正気を保っているためにも、どうかそこが悪意に満ちた暗黒の世界でなければよいとロイは願う。


 ◆


 ロイは27管区で不在中の引き継ぎを終え、留学の手続きに入った。

 使徒の選考を手伝うことができなかったが、赤井とその使徒たちならうまくやってくれるだろう。

 送迎会のあと赤井や素民たちに見送られ、分身で30管区へと転送される。

 彼の本体は神殿の地下で保管されることになった。


【 第27管区主神 R.O.I. ◇◇◇(JAPAN/ID:ZERO-JPN4)が第30管区へエントリしました 】


 ロイの分身データは青白い光の奔流となって30管区で再構成されてゆく。

 分解転送方式と呼ばれるこれが、正しい他管区のエントリの方法だ。

 白椋や蒼雲が分解転送は酔うと言っていたが、ロイは何も感じなかった。

 ただのデータの転送で、座標が変わっただけ。

 生身の感覚が存在しない彼には、データの再構成は身を洗われるように心地よかった。


「ここは……」


 ロイはだだっ広い出口のない白い空間に転送されている。

 部屋の中央には大型の白いソファが二脚、向かい合って配置されていた。

 ここで待てというのだろうな。

 ロイはそう心得るとソファに掛けて、白衣の着付けを正す。

 念のため、インフォメーションボードを開く。


【 アガルタ第30管区(第2医療特区) 137億2014万3825年 87日 】

【 利用者4名 ステータス・制限稼働状態 】


 どうやら30管区に入ることはできたようだ。

 ついでに何か変化があってはならないと、自身の情報にも目を通しておく。


【維持士情報】

 役名 : R.O.I. ◇◇◇(JAPAN/ID:ZERO-JPN4)

 職名 : Operator (in training)

 心理層 : 2

 物理層 : 3

 絶対力量 : 137250ポイント(制限状態)

 滞在日数 : 0日

 有効信徒数 : 0名

 総信徒数 : 0名

 所有神具 : Fullerene C60 ( Forbidden Hyper-tool )

 維持士日本ランク : 28位

 維持士世界ランク : 310位


 留学時にはその管区の主神の神通力所持量の1/10以下に力量を調整されてエントリしていると言われていたが、ロイの絶対力量には変化がなかった。


(調整を受けているはずなのに、数値が変わっていない。伊藤様と比較すると、俺の力量は誤差範囲ということなのだろうか)


 暫く待っていると、壁をすり抜けて白衣の青年神が現れた。

 伊藤は天御中主神◆◆◆という、日本アガルタでも最高性能のアバターに載っているとは聞いていた。

 その情報を裏付けるかのように、対面するだけでアトモスフィアに威圧される。

 ISSAC SMITH©に会ったとき、ロイは這いつくばることしかできなかったが、伊藤もなかなかのものだ。

 男神か女神かランダムに変わるようで、本人にも性別を決められないそうだ。


『30管区へようこそ。私は伊藤 嘉秋、30管区の主神です。初めましてではないのですが、こうして話すのは初めてです』


 直接の面識はないが、27管区の様子を外部から見ていたという意味なのだろう、とロイは解釈する。


『まずは公務員らしく、名刺交換といきましょうか』

「初めまして、伊藤 嘉秋様。お世話になります。27管区、甲種一級維持士補、R.O.I.と申します」


 二人は名刺を交換する。

 デジタル名刺の交換方法は赤井やエトワールに教えてもらって、何度か練習もした。

 第30管区甲種一級構築士・仮想世界維持士 伊藤 嘉秋。

 デジタル名刺にはそう書いてある。


『蘇芳教授の推薦と八雲PMの承認を受けて、君の留学を受け入れることにしました。これから一年間、よろしくお願いしますね』

「ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします」

『官舎に案内しましょう』


 白い部屋に出口が現れ、伊藤が先導して出口から廊下に出る。

 廊下は広く、先が見えない。

 内装も何もなく、ただの通用路。

 あるいは接続区域という趣きだ。

 ロイは特に感想もなく伊藤についてゆく。

 30管区は無宗教管区で、30管区の帰還予定の人間以外には神の姿を見せてはならないという決まりがある。

 ロイが30管区に降りる際は不可視化領域を纏うよう調整するとのこと。

 伊藤は東 愛実の滞在時には彼女と同居していたが、現在は官舎を拠点とし、陰ながら人間の帰還候補者たちのサポート任務にあたっている。

 留学神としてのロイも、神殿ではなく官舎の一室を与えられた。

 彼にあてがわれた一室はホールかと思うほどに広く清潔で、近代的な内装で、素民に発見されないよう宇宙空間に存在する。

 部屋に出入り口はなく、出入りするときは転移術を使うそうだ。

 現実世界側のスタッフは現在0名。

 30管区は全て伊藤一人の構築で半自動的に回しているそうだ。


『ここの設備は好きに使って下さい。足りなければ構築で足しても構いません。この世界で暮らすには最初は不明点が多いでしょうから、サポートAIをつけておきます』


 伊藤の提供したサポートAIは、ロイが27管区では目にしたことのない白いふわふわの小動物だった。

 地球ではこれを、猫というらしい。

 猫についているのが猫耳か、と理解し、猫耳の猫本を懐かしく思い出すロイである。


「ご配慮いただきありがとうございます」


 異世界に馴染めるかと不安はあったが、AIがついているのであれば生活の心配はなさそうだ。


『では、地上に行きましょう』


 伊藤はパチンと指を鳴らすと、ロイを転移で巻き込んで高層ビルの屋上に降り立った。

 ロイは待機させているインフォメーションボードで座標を確認すると、東京都庁と書いてある。

 いよいよ人類文明と対峙するときがきたのかと、ロイは静かに興奮する。


『君は平坦ではない世界の地を踏むのは初めてですね。この世界は137億年以上を費やして私が構築した擬似地球です。アガルタゲートウェイ全管区の中で最も地球に近い環境を備えています』


 まるで造物主のような仕事ぶりだ。


『私は君に地球文明のすべてを見せましょう。そのうえで、一年後に考えを聞かせて下さい。あなたならこの世界をどうするかを』

「あなたの世界をどうするか、ですか?」


 熟練の構築士である伊藤の仕事に、部外者であり素人でもあるロイの判断を求められていることに驚く。


『あなたが現実世界の人類をどうしたいか、とも言いかえられます』

「それは……俺が判断するべきことではないと考えます。俺は仮想世界の人々を守りたいと思いますが、現実世界を脅かしたいわけではありません。それは仮想世界による現実世界への侵食や侵略といえることです」


 伊藤は自分が人類の敵となる兆候を見定めたいのだろうか。

 ロイは伊藤に何を試され、仕組まれるのかと警戒する。


『あなたが人類の味方をしてくれると嬉しいのですがね……この世界では、生身の人類の醜悪な部分にも直面するでしょう。30管区はあまりにも多くの問題を抱えています。この世界で何が起きているかは、自分の目で確かめてください』


 30管区の素民は、人類の基本パラメータを反映しているという。

 だから、27管区の素民より人間に近い行動を取る。

 貧困と格差の問題、差別や不平等の問題、蔓延する感染症、慢性疾患、不安定な世界情勢、環境問題……。

 人々が仮想世界という死後の永遠の理想郷を求めた理由が凝縮されている。

 理想郷は、現実世界には実現できなかったのだ。

 莫大な予算を投じて運営されるこの行政サービスですらも利権にまみれた構造によって齎されたものに過ぎない。

 アガルタゲートウェイとは人類の人口増に対応しかねた、ある意味の棄民政策でもあった。

 伊藤はそんな内情を打ち明ける。

 ロイは戸惑いを隠せずにいる。


「俺は現実世界の人間をそう多くは知りません。ですが一人、模範としている方がいます。その方の行いが俺の心にある限り、何を見ても幻滅はしないと思います」


 赤井という特殊な個体に出会ったから、ロイは人類に失望はしない。


『赤井さんは確かに特別ですね。何故特別なのかはよくわからないのですが』


 理屈では説明の付かない稀有な存在だ、とロイも伊藤も理解している。


『……さて、私が君に教えてあげられる知識は微々たるものですが、一年間の滞在中で、できる限り君を鍛えてみようとは思います』

「鍛える……? 武術鍛錬を行うということですか」

『武術に限らずです。君はこれまで、赤井さんや使徒の方と鍛錬を行ってきたのでしょうか』

「はい」


 ヤクシャが27管区を去ってからというもの、ロイも毎日の訓練を欠かさなかった。

 自己鍛錬はもちろん、戦闘訓練も誰かには必ず付き合ってもらっていた。

 赤井と共に、ロイはこの二年で飛躍的に戦闘能力を高めた。

 その成果は、彼のステータスにも反映されている。


『赤井さんはまだ新神ですからね。自惚れるわけではありませんが、私は一応、キャリアも戦歴もそれなりにあり、君に付き合う時間的な余裕もあります』


 天御中主神◆◆◆(JAPAN/ID:ZERO-JPN1)の絶対力量はロイの20倍、赤井の10倍以上だ。

 アガルタゲートウェイの最上位アカウント、ISSAC SMITH©はロイが呼ばない限り干渉してこないし、全てのパラメータが伏せてあって参考にならない。

 であれば、伊藤は現在ロイが出会うことのできる最高の師となるだろう。


『まずは私を超えてください。話はそれからにしましょう』

「あなたを超える?」

『ええ。それもほんの通過点に過ぎません。君がどこまで成長できるのか、人類として純粋に興味があります』


 伊藤が知る限り、主神の絶対力量の上限は6桁だという。

 ロイはそれを遥かに超えていくかもしれないと、伊藤は期待している。


『一年をかけて私を負かして下さい』


 今後一年間、ロイはいつでも伊藤に戦いを仕掛けていい。

 伊藤からは仕掛けない。

 どんな方法を使っても構わないので、参ったと言わせるか再起不能にしたらロイの勝ち。

 伊藤は不死身なので手加減はしなくてよい、素民の被害はすべてカバーするとのこと。


 そんなことをして、伊藤は何をしたいのだろうとロイは疑問だ。

 ロイが仮に伊藤を超越したとしても、維持士としての仕事内容が変わるわけでもないのに。

 いくら最強になったところで、維持士としての最善の管区運営ができなければ意味がない。

 それはまさに、ただの脅威だ。それでいいのだろうか。

 鍛錬の果てに、人類にとっての最大の脅威が出来上がるかもしれないのに。

 性能のすべてを引き出して見せろということなのだろうか。

 これまではロイが何かをしようとするたび、現実世界側から制限をかけられていた。

 超神具、Fullarene Au42の稼働も、一度は成功した階層跳躍も禁じられている。

 ロイの成長を恐れているのは人類であるはずなのに……。

 故意に何かをさせて、それを口実に糾弾され、いいように使われるのではないかとも危惧する。

 この指示に従ってよいのだろうか。


「訓練をしていただくのはありがたいのですが、目的をご教示いただけますか。さもなければ俺は、ただ人を襲う機械になってしまいます。それは、なりたい姿とはかけ離れています」


 蘇芳教授と伊藤は、一体何をさせたいのだろう。

 ロイは何も分からないまま、彼に服従するほかにないのだろうか。

 彼は人々に不安を与えてまで強くなりたいとは思わない。

 意に沿わぬことをさせられそうなら、断固として拒否をしようと決意していた。

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