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Heavens Under Construction(EP5)  作者: 高山 理図
Chapter.9 Borderline
117/130

第9章 第12話 Protect Unlocked◇▼

 エトワール先輩が私の側に追跡転移で現れた。私の転移先を追ってきた。

 ロベリアさんも事態を把握し、火球衝突のインパクトの概算から、岩盤の下に避難すれば安全だと推測し、火球を防ぐために巨大な岩盤を作りだしその下へ素民の避難を誘導してくれている。

 私は自身のステータスをインフォメーションボードにオンタイムに共有しているので、27管区スタッフ全員が現状を把握した。

 私がどこにいて何をしているか、普段からスタッフ全員が追跡している。


『火球の正体は、なーこさんのアバターの暴走かもしれません』

『同感だ。他に可能性がないか、念のためスタッフ全員の位置を特定するぞ』


 私とエトワール先輩は同時に27管区にログインしている全スタッフアカウントのステータスを確認する。

 詳細が伏せられているアカウントもあるけど、基点区画とつながっているアカウントのログインステータスに不審な点はない。

 今日、基点区画を訪れたスタッフアカウントも存在しないことになっている。

 まだ開放されていない第四区画の状況だけは分からないのは平常運転。

 座標を特定できないのにログインしていることになっているのは、なーこさんの無人のアバターのみ。


『彼女のアバターは無人だ。人が乗っていない。なのにまだ動き続けている』

『なーこさんの頭痛の原因って……アバターの不具合とか関係あります?』

『アバターではないかもしれんぞ。たとえばあの猫耳型デバイスだ』


 エトワール先輩はインフォメーションボードに手を差し入れ、内側から杖を二本抜く。

 それ、私の見たことないやつだ! 先輩は私に手渡そうとして、首をかしげる。


『攻撃的アンチウイルス。アイムール(Aymur)とヤグルシ(Yagrush)だ。君もレポートは読んだだろう。ちなみに赤井君はこれを使えるんだったかな』

『ああ、これがそうなんですね! レポートは読みましたが使ったことないです』

『だろうな。本来は君の仕事だからいずれ習熟したほうがいい』


 エトワール先輩、落胆しつつ杖で量子回路を作成し、空間を撫でて不正を自動検出する。

 杖の先でqc.measure(q, c)と書いて入力し、少し離れた場所に発生した量子エラーの反応qc.x(q[0])の座標を読み取る。


『あそこだ』


 私たちは切り立った岩肌の上に、不自然な空間の歪み、デバイスが発する不可視化領域の片鱗を見つけた。

 なーこさんの無人のアバター、今あそこに移動しているのか。

 視覚的に捉えることはできないけど、その歪みは確かに存在する。


『拡張デバイスをアバターごと破壊するぞ』

『なーこさん本人に許可とります? アバターがなければ27管区に出勤できなくなりますよね』

『これ以上の被害は許容できん、事後報告一択だ』


 私はエトワール先輩のサポートに回り、破片が飛散しないよう物理結界を張る。

 先輩は鮮やかな手腕でコードを展開し見えないアバターを捉えたけど、何かに気付いて叫ぶ。


『反応が消えた! 転移したぞ』


 エトワール先輩が叫んだ直後、一秒もしないうちに警告表示のインフォメーションボードが立ち上がった。

 最大の警告表示とともに座標と人数が表示されている。

 ロイが別地点で複数の火球を観測し、影響範囲を計算した値が打ち込まれている。

 私に何を求められているか分かる。

 至宙儀を介して35名のタコヤキの素民との神経接続を双方向にし、全員を自らの体の一部とする。

 全員を自身の神体の感覚にとりこみ、同時に転移をかけて安全な場所へと避難させる。

 と同時に、自身を目標座標に交換転移。

 ここまでやって、コンマ数秒、被害者はゼロ。

 観測と演算が速かったため、余裕をもって対処が間に合った。

 ロイは私の言いつけ通り火球を直接破壊しなかったが、複数の火球が一箇所に墜落するよう大質量の鉄塊を構築し、軌道をそらして最も安全な座標へ墜落するよう誘導を試みていた。

 考えうる限り、最良の対応だ。

 彼はアバターと集落の間に身をおいて、空中に待機している。


「避難をありがとうございます。予定通りでした」

『あなたこそ素晴らしい判断です』

「敵性アバターは肉眼では不可視状態にありますが、可視化できるようです。攻撃許可があれば、俺も加勢します」


 ロイは手に携えた小型装置を掲げてみせる。

 それは青緑色のレーザー光を放出し、光跡は空中のある座標で散乱している。アバターは見えないけど、レーザーの反射で位置を特定できる。


『それは?』

「これは半導体レーザーというものです」


 知ってるけどもよ!

 そうか、ナズもメグも半導体を作れたんだもんな。

 ロイは神通力を電気に変換することができるから、半導体を介して電圧を印加すればレーザーになるのか。ナズはハーフミラーも作ってたの!? 

 電気工学の部分はトワさんに聞いてるのかもしれない。

 この管区には専門家が何人も入っているからね、完成も早い。

 しかし無線の登場以降、素民たちイケイケで何でも作るな! 

 ロイの維持士としての万能の力があれば何でもできるよね。加速度ついちゃってる。


 で、話は戻るけどレーザーでステルス検出できるんだ! 初めて知ったよ!

 不可視化装置はレーザー光を反射するのか。

 感心しきっていたら、追跡転移をかけてエトワール先輩が現れた。


『何を見とれてるんだ、早く破壊しろ!』


 そして今度こそ、先輩は二本の杖で不可視化されたなーこさんのアバターを捕捉した。

 そうだった。

 逃げられる前に今度こそアイムールとヤグルシを振るう。

 backend = Aer.get_backend('qasm_simulator')

 job = execute(qc, backend, shots=1024)

 result = job.result()

 先輩は何か入力すると、二本の杖で領域ごと完全に焼き切った。

 外科手術みたいだ。

 インフォメーションボードで確認すると、アバターが破壊されたと表示があり、脅威は去った。

 エトワール先輩は分解され始めたプログラムの解析を始め、そこでようやく現実世界側にレポートを送る。

 そんなタイミングで空中に「焼」の大判が現れて、異変を知った強羅大文字焼▲▲さんと信楽焼▲▲▲さんが転移してきた。

 少し遅かった。

 余談だけど強羅大文字焼さんの▲が一個増えてるのは昇進したっぽい。


『私達にまかせてください、と言おうとしたのに』


 信楽焼▲▲▲さん、開口一番恨めしそうにおっしゃる。

 焼人が活躍できる機会ってそんなにはないから、出番がなくなった恨みは確かにあろうかと思う。確かに焼人さんの仕事もあるだろうけど、すみません、すぐ仕留めないとこちらがやられてましてね。


『呼ぶ時間がなかったんだ、そっちが見つけないのが悪い。汚染区画の痕跡除去をたのむ』

『一次対応で呼んでいただかないと』


 信楽焼▲▲▲さんたち、エトワール先輩の要請を頬を膨らませながらも引き受けてくれた。ロベリアさんが入れ違いで神殿に戻ってきた。


「つまりなーこ様の使用していたアルテマ社製のデバイスに問題があったというわけですね」


 ロイは難しい顔をしながらつぶやく。

 よく考えたら株式会社の概念獲得して、普通に会話についてこれてるのすごいよね。

 さっきから感心してる場合じゃないか。


「事前に不具合を検出する方法があればよかったのですが」

『それを突破しているんだ』


 勿論、不正検出プログラムは常時27管区内で走ってるよ。

 それをすり抜けたって話なんだよね。だからまずい。


『実は見回りをしていて、三箇所ほど不安定化している座標を見つけたのです。オペレーションルームに報告するつもりでしたが、念のため場所を記録しておきましたので共有しますね』


 ロベリアさんがインフォメーションボード上にメモをとっていたものを拡大する。

 おお、これは焼人さんたちが助かる。

 でもロベリアさんの目視で見つかっただけで、観えていないものもあるだろうし、実際はこれだけじゃないよね。

 それに他管区でも総点検したほうがいいな。

 現在もまだ地雷が埋まってるかもしれない。


「なーこ様のデバイスには、確かにアルテマというロゴが刻まれていました。アルテマ社という会社の製品の業界シェアはどのくらいあり、ほかにどの分野で使われているのですか」

『アルテマ社の製品を一度も使ったことがない人は、外の世界には殆どいません。それほど普及している人気のブランドです』


 ロベリアさんが説明する。

 私が現実世界にいたころの話なら、日本でのシェア8割のはず。

 アルテマ社のモバイルならば、私も数年ほど持っていたことがあるし、日本人は特にアルテマ製が好き。まあ昔のSONYやAppleみたいな立ち位置だって言ったらわかる? 昔すぎてわからないか。でもシェアが広いということは、この場合いいことではない。


「全く関係のない一般人、あるいは悪意のあるプログラムもこの世界に干渉しうるということになるのですね」


 ロイは外部からの攻撃を危惧している。

 彼は外部の人間をあまり信用していない。

 正確に言えば、人間の情報処理能力を信用していない。

 なにしろテロリストに続き、フォレスター教授も介入してきたばかりだ。

 27管区は狙われすぎている。


「外部のセキュリティシステムを閲覧することはできないのでしょうか。どこに脆弱性があるのか検証したいのですが。襲撃が外部からである以上、内部で対策をしても限度があります」

『それは外部の専門家に任せるべきだ。君のすべき仕事はほかにある』


 エトワール先輩が宥めてくれたけど、ロイは何か引っかかっている。


「エトワール様、たとえこの外の世界を垣間見たとして、得た知識を悪用したりしません。俺はただ、皆を守りたいだけです」


 現時点でそれは彼の嘘偽りのない本心なのかもしれないけど、外部プログラムの検閲は維持士の仕事ではない。

 エトワール先輩がロイを諭す。


『私たちはただ職分を決めて分業をしているんだ。それが人間社会というものだ。そして君は維持士だ』

「その分業に、合理性はありますか。住民の安全が失われてからでは遅いのではないでしょうか」


 難しいな。彼の言うことももっともだけど、人間スタッフの能力を疑い始めると外部との軋轢が生じる。


『わかりました。あなたの意見を外部に伝えて対策を求めます。職分にとらわれず、内部のスタッフで何か対策ができるかどうかも訊いておきます』

「よろしくおねがいします」


 私がとりなすと、ロイはひとまずおさめてくれた。


「そのついでに、俺が外部世界の計算機工学を学んでもよいか訊いてください。英語や日本語を学ぶことが許されるなら、プログラミングもその範疇にあるはずです」

「わかりました」


 ずいぶん踏み込んできた。私は賛成だけど、まあ外の人たちからは警戒されるだろうね。

 話の区切りがついたいいタイミングで、新アバターに乗ったなーこさんが現れた。


『私の不在中に私がご迷惑をおかけしました! デバイスの管理不行き届きで申し訳ありません! あっ、割り込んで大丈夫でしたか?』


 やや前のめりに話した後、場の空気に気づいたらしい。


『ちょうど話は終わったところです』


 なにせ病院の受診を終えて午後出勤したら、オペレーションルームが騒然としていたそうだ。

 この感じだとオペレーションルームは針の筵だったんだろうな。


『なーこさんのせいではありませんから。ご自分を責めないでください』


 エトワール先輩が素民の失踪に気づいてくれたけど、私も含めて誰も異変に気づかなかったんだよ。誰が悪いってこともないし、なーこさんの落ち度でもない。それでもなーこさんは気に病んでいる。


『素民たちにはなんと謝ったらいいか……』


 失踪した素民に火球の記憶はあるけど、不可視化してたからそれがなーこさんだとは気づいてない。


『彼らの今後のケアをお願いします』

『は、はい!』


 落とし所はそんなところだ。


『アバターも新調したんですね』 

『そうなんです。新しいのを作ってもらいました』


 新しいなーこさんのアバターは、うちの管区のテイストに合わせた新作だ。

 再利用は危険だからって、新品をもらったんですって。

 金髪のグラデーションとショートボブな髪型は以前と同じで、服装はフェミニンなワンピースで、以前と比較すると割りと清楚系の装いになってる。相変わらず羽根のないタイプだ。

 うちの素民たち、私達を髪色や髪型で見分けてるところあるから、なーこさんの顔が少し変わったところであんま気にしなそう。猫耳デバイスのないなーこさんも素敵だ。


『それで、頭痛は解消したのかね』


 エトワール先輩の質問。そうだったよ、そのために何度も病院を受診してたんだから。

 なーこさんの頭痛はアバターの乗り換えとともに嘘のように治ったんだそうだ。


『頭が入れ替わったみたいにおさまりました。憑き物が落ちた感じですよ』

『頭が入れ替わったとか、不穏なことは言わないでくださいよ……』


 まあ、それはよかった。なーこさんも大変でしたね。

 そんなやりとりを交えつつ、至宙儀のおかげで失踪した人も全員戻ってきたから、素民の失踪事件は一件落着。

 でもそれで終わりにしない。

 私たちは八雲PMに報告ついでに、外部監視の不備に対する苦情も訴える。

 ロイの意向も汲んで、構築士には仮想空間内のことに集中させてほしいとの主張だ。

 確かにサポートスタッフにも気づいてほしいってのはある。

 患者さんの命を預かっているわけだし、これまで以上に警戒しましょうということになった。

 蘇芳教授はアルテマ社の製品がDFH計画に加担するテロリストを作り出す可能性があると把握し、八雲PMに連絡がきたばかりだったという。

 再発防止のため、アルテマ社のデバイスの使用は厳禁となり、該当する構築士にはヘルスチェックと別のモデルのアバターを支給されることになったそうだ。

 そして意外なことに、ロイが計算機工学を学ぶ許可がおりた。

 そうせざるをえなかったんだろうと思う。

 彼が維持士になって読心術を使う以上、いずれそのあたりの知識は人間患者から根こそぎ漏れる。

 それならば、ある程度管理されたカリキュラムで教育をということなのだろう。

 彼は蘇芳教授から与えられたカリキュラムで数日とたたず計算機工学を学び終え、インフォメーションボード上で「イスティナ」と名付けられた蘇芳教授の管理するAIを操作できるようになった。イスティナには、ロイの操作を監視するプログラムが仕込まれているようだ。AIがAIを学ぶなんてあべこべな気がするけど、まあ得意分野だろう。

 彼は素民に危険が及ぶ直前に、安全な場所に自動転移させるプログラムを完成させ配布した。これにより、管区内でも不慮の事故による死者が大幅に減少する見込みだ。

 これから何が起こるのか、楽しみでもあり、心配でもある。

 しばらく、何事もなければいいけれど。


 *


 愛実と沙織は無人の街……反転世界の東京なる場所に住んでいる。

 そこに佇むこのマンションは不思議な物件で、コンシェルジュサービスは機能しているが、マンション内の従業員は全てAIだ。

 引っ越しの挨拶が必要かと階下を訪ねたが、フロアごと誰もいなかった。

 全てのフロアが空き室になっているらしく、マンション内では誰とも会ったことがない。

 このマンションには八雲の弟なる人物が住んでいるそうだが、その姿を見たことはなく、夜に電気が灯っている部屋はない。

 八雲が弟のように思っているAIなのだろうか、沙織が考えたのはそんなところだ。

 最近はAIやロボットのペットを伴侶や家族として迎えている人間も少なくはない。

 そして、八雲はこの反転世界には立ち入らない。マンションのロビーで八雲との面会を希望したこともあるが、「管轄が違うから入れない」とのこと。

 奇妙な物件には、奇妙なルールがある。

 あまり詮索しないほうがよさそうだった。


 愛実は公務員獣医として勤務するため、今年国家公務員Ⅰ種試験を受けなければならない。

 獣医系技官となる場合、厚生労働省か農林水産省に入省することになる。

 厚生労働省の公務員獣医としての仕事は、食品安全に関わる施策や人獣共通感染症の対策だ。

 農林水産省では、家畜の衛生や防疫、品質管理などの施策を立案する。

 厚生労働省の獣医系技官を志望しよう。

 そう思った。

 傘下組織であるアガルタ機構の動向を探れるかもしれない。

 過去問などで合格ラインに達していたが、八雲の配慮でオンラインスクールを受講できることになった。

 試験勉強や面接対策の合間に予定はなく、沙織と愛実は長期休みをもらった気分だ。

 外出自由なので実世界の東京へも赴くことができる。

 政府の警護がついているといっていたが、この平穏は怖いぐらいだ。

 八雲の言ったよう、愛実が現実世界に出て以降、沙織や愛実の身には何も危険なことは起きなかった。

 姉妹の行方を気にかけていた東京の叔母や、かつての学友にも会うことでき、再会を喜んだ。

 プライベートを犠牲にして働き詰めだった沙織の退職金は人生二回分暮らして行けるほど振り込まれていた。異例のことだ。

 逆にその待遇が、沙織に対して「引退後は首をつっこむな」「口外するな」という圧を与えている。


(このまま何もするなっていうの……? DFH計画のことも、ネイサンのことも全部忘れて八雲に飼い殺しにされるの?)


 沙織を愛実を引き合わせたまではいいが、それによって沙織の行動を封じられている。

 沙織は葛藤する。

 この檻の中にいれば安全かもしれないが、一生監視下に置かれることになる。

 それって何のために生きているのだろう。


「お姉ちゃん。厚労省に出向していたんだよね。そのとき、桔平くんがいたと思うんだけど、本当に知らない?」


 沙織は西園 沙織として構築士補佐官を努めていた時点から、日本アガルタゲートウェイ27管区の主神が神坂 桔平であることを知っている。

 だが、その情報を愛実に話すことができない。

 内閣情報調査室国家特命防諜課 情報調査官であった彼女にとって、家族といえども厚労省の機密を話してしまうのは秘密保持契約違反ではある。

 仮に法を破って話そうとしたところで、警備の都合上、このマンションの内部は八雲か厚労省に完全に盗聴されているといって間違いないだろう。

 愛実の安全のためにも、話すべきではない。

 保護下から放り出されてしまえば、その日のうちに姉妹の息の根が止まる。

 沙織はそう判断せざるをえなかった。


「ごめん。私は出向していただけだし、職員全員に会えるわけじゃないから」


 嘘は得意だ。だが、妹につく嘘は苦しい。


「そうだよね……ほかをあたってみる。何か事件に巻き込まれていなければいいんだけど。家族にも連絡がとれないんだよ。ニュースも全部あたってるけど、何も出てこなくて」


 少しでも時間があれば、愛実は神坂 桔平の手がかりを探し続けた。

 実の妹の必至な様子を見ながら、沙織が知らないふりをし続けるのは辛かった。

 沙織も彼女の気持ちが分からないわけではない。

 ネイサン・ブラックストーンとの再会を何度夢見たかわからない。

 同じ苦しみを持つ肉親として、彼女をそのような境遇にした償いとして、彼女に何ができるだろう。

 沙織は考える。


「構築士になってるって可能性はないかな。桔平くんが卒業した年に未開設だった管区は、限られた数しかないから……」

「どうかしら……」


 そこまで推測できているなら、赤井=神坂だと気づきそうなものだが。

 何か心理的な制限が課されているのか、記憶が完全でないのか、どうしてもそこに思い至らないようだ。

 伊藤や八雲が愛実の疑似脳に細工をしたのかもしれない、と沙織は推測する。


(彼は神坂 桔平の姿でI型バイオクローンに乗って東京にいた。八雲の妨害を避けて愛実が先に彼を見つければ、偶然を装って再会することができる……次に出てくるのはいつ?)


 桔平がバイオクローンに乗って現実世界に戻ってくるのを待つのは、あまり現実的なアイデアではないかもしれない。

 なにしろバイオクローンに対してですら、テロリストによる襲撃があった後だ。

 変装もせず、警備もつけず歩いているのは無防備がすぎる。

 海外に待機させているバイオクローンに接続したかもしれないし、姿を変えているかもしれない。

 セキュリティの面から考えるに、同じ場所には来ないだろう。


「お姉ちゃん、今日は何したい?」

「特に予定はないけど。あなたは?」


 愛実は部屋着を脱ぎ、化粧をして外出着に着替えようとしていた。


「何もなければ私は今日はアガルタ機構に行こうと思うんだけど、いいかな。27管区の皆や30管区の友達に会いたいの」


 愛実の仮想世界の友人は30管区にもいる。

 伊藤のはからいで30管区には自由にアクセスできるため、約束をとりつけていた。


「そう……心配だから施設まで同行するわ」

「35番出口を使えばすぐ合同庁舎だから、外に出ないよ。心配しないで」


 愛実は過保護気味な沙織に、微笑を浮かべる。


「なら、入館許可証を忘れずにね」

「わかった」


 このマンションの地下には50の扉があり、その一つ一つが都内全域につながるポータルになっている。

 出口は政府関係機関のトイレの個室や物置であることが多い。

 35番出口は、厚生労働省のある霞が関合同庁舎の4階にある。

 都内のどこに入り口と出口があるかは、支給されたモバイルを参照すればいい。


 愛実は地下の35番出口のポータルを通り、厚労省4階の物置に出た。

 扉の前に人の気配が消えるのを待って外に出る。

 広く開放的な通路を慌ただしく通り過ぎる職員の中に、神坂 桔平がいないかと、気づけば視線がさまよっていた。


(ここにいるわけないよね……)


 総合受付で順番を待ち、アガルタ機構への特別アクセスを申請する。

 沙織の言った通りIDカードを求められ、個室に案内される。

 27管区にアクセスするには八雲の許可がいると言われていたので、取り次いで呼んでもらった。


「八雲さん……すみません、予約もなしで!」

「当日申請でも構いませんよ。今日は30管区への簡易ログインと27管区の通信を申請しておられますね。27管区内での区画解放イベント発生中はアクセスできないので待っていただく場合もありますが。30管区はイベントがありませんのでいつでも連絡できます」


 よかった、と愛実はほっとする。30管区の友達にも、赤井たちにも会える。


「30管区は現実世界の時間と同調しているんですよね」

「あなたがアクセスしやすいよう、現在は0.5倍速にしてあるようです。ところで、生活は落ち着きましたか」

「何から何まで助けてくださってありがとうございます。勉強にも集中できています」

「便宜を図るのは当然のことです。ところで先程お姉さんから連絡がありまして、ある情報をあなたに教えてよいかと」


 愛実はすうっと全身が冷えてゆくのを感じていた。

 何の話か見当がつく。やはり沙織は知っていたのだ。

 彼女の表情や口調から、桔平について何かを隠していることには気付いていた。

 実の姉妹である。

 ただ、それを愛実に話してよいか判断できず八雲に連絡をとった。

 そんなところだろう。


「それって……神坂 桔平さんのことですか」


 愛実は訊いてしまった。

 口に出してから後悔した。

 彼を探していることを知られてしまったら、詮索や接近を禁じられるだろうか。


「ええ。神坂 桔平さんのことです。あなたが安否を気にしておられるので、お伝えできる範囲のことを話します。彼は厚労省に勤務しており、現在特殊任務中であるため、あなたと同じように厚労省で保護を受けています。ご家族も安全な場所にいます」

「東京異界という場所ですか?」

「いえ、今東京異界にいるのはあなたと沙織さんだけなのですが、神坂 桔平さんは厚労省内に、ご家族は実世界東京の某所にいます」


 実世界東京と反転世界東京、変な呼び方をするなと愛実は感じる。

 厚労省内での隠語なのだろうか。


「その仕事って……あと9年続くというものですか?」


 残り任期が9年というのは、伊藤から聞いた話だ。

 八雲は肯定も否定もせず曖昧な返事をした。


「申し訳ありませんが、これ以上は親族にもお伝えできないのですよ。仮にあなたが配偶者であったり、内縁関係にあってもです」


 愛実は確かに桔平と付き合っていた。

 だが、二人はまだ学生で、法的な関係はないし、何か書面に残る形で将来を約束しあってもなかった。

 愛実が襲撃を受けてから時間が経っているので、彼女や妻がいるかもしれない。

 もう、愛実には見切りをつけて新しい人生を歩み始めていても受け入れなければならない。


「……しかし今回は事情が事情なだけに、彼の意向があればリモートで面会できるように取り計らいましょうか」

「えっ! そんなことができるんですか?」

「実現したとしても、保安のために監視させていただくことになりますが」


 さながら刑務所の受刑者との面会のようだ。


「ちなみに失礼ですが、あなたと彼はどのような関係だったのですか」

「お付き合いを……していました」


 八雲はいい顔をしない。


「お付き合い、では弱いですね。配偶者または親族でなければ。面会を実現させるためには、私以外の部局長の許可も必要なのです。一応申請してみますが、まず通らないでしょうね」

「そうですよね……。私が急にいなくなったことを、どうしても謝りたいんです。彼に奥さんや子供がいたとしても、私は構いません」

「わかりました。いい返事はできないかもしれませんが、少しお待ち下さい」


 八雲は約束すると、愛実の27管区、30管区へのアクセスと簡易ログインの手続きを始めた。

 愛実は先に27管区に繋いでもらい、赤井との面談を希望した。

 神坂 桔平のことで相談に乗ってもらっていたから、消息がわかったと報告しなければならない。

 彼女はモニタごしの赤井に、まず近況報告をする。リハビリは順調で、体の違和感もなくなってきたこと。全身の感覚の感度が上がってきて、戸惑っていること。

 公務員試験の勉強に励んでいること。沙織の様子も。


「……それから、ずっと探していた人の居場所がわかったんです」

『よかったですね』


 彼は忙しい間をぬって、いつものように愛実の話を聞いてくれる。

 30管区では定期的に連絡をとっていたが、現実世界に出てから初めての対話だ。


「会いたいと伝えてもらったんですけど……会えるかどうかはわからなくて」

『あなたは以前、その人に伝えたいことがあると言っていましたね』

「親族や配偶者でなければ会えないかもしれないんです。言われてみればそうですよね。私が彼にとってのどういう存在だったか……分からなくて」


 赤い神は愛実の言葉を飲み込み、言葉を選びながら穏やかに告げた。


『会えなくても伝わっていると思いますよ』


 あれ……。

 メグは彼の口調に、ふいに記憶を揺さぶられた気がした。

 何故、仮想世界にいたときは気づかなかったのだろう。

 第30管区や27管区の仮想世界にいたとき。

 疑似脳では認識できなかった些細な類似性。間のとり方。まばたき、イントネーション。

 アバターを纏って姿も声も違うが、隠せない個性もある。

 それが、現実世界に出てから手に入れた生体脳アクチュアルブレインでは自然なものとして認識できる。


(私。この話し方、知ってる…………かも)


 ゆっくりと糸が繋がり始める。


『すみません、これは私の勝手な想像なのですが』


 伊藤が何故神坂 桔平の消息を濁したか。

 赤い神が自身の名を思い出せないと言ったか。

 彼とその家族に連絡がとれなかったか。

 いくつものサインを見落としていた。

 人の命にかかわる、責任のある仕事……伊藤の言う通りだ。


 厚生労働省日本アガルタ機構、甲種一級構築士。


 27管区の主神、赤井神は――

 神坂 桔平が演じている。


 そして、実世界10年間の任期で縛られている。

 彼が仮想世界に入って一年で、だから残り9年間の任期。

 符号が合った。


『どうかしましたか』


 今は仮想世界にいる彼は全てを知っていて、仮想世界で10年もの歳月を費やし、

 愛実をゆるやかに癒やし、現実世界へ戻してくれたに違いない。


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