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一年だけの契約結婚のはずが、旦那さまが毎月、契約書に一行ずつ書き足してきます

作者: 夜華カナタ
掲載日:2026/11/08

契約結婚と、毎月ふえていく一行のお話です。

 契約書は、たった一枚だった。


 一、婚姻の期間は一年とする。

 二、寝室は別とする。

 三、互いの生活に干渉しない。

 四、一年後、侯爵家はミレイユの実家の借財をすべて肩代わりしたうえで、円満に離縁する。


 署名欄には、ラウル・ヴェルナー侯爵の、まっすぐな字。その下に、わたし、ミレイユ・ノワールの、少しふるえた字。


「質問は」


 侯爵さまは、それだけ言った。


「ありません」


 わたしも、それだけ答えた。


 実家の子爵家には、父がこしらえた借金がある。社交界で「いちばん無口で、いちばん怖い」と言われる侯爵さまが、なぜわたしなどに契約結婚を持ちかけたのかは分からない。分からないけれど、断る理由もなかった。


 一年。干渉しない。それなら、なんとかなる。


      *


 ひと月目の終わり。


 朝、わたしの部屋の机に、あの契約書が置いてあった。


 四の下に、一行ふえていた。


 五、朝食は、同じ卓でとる。


「……干渉、では」


 食堂で聞くと、侯爵さまはパンをちぎりながら答えた。


「食事は生活ではない」


「生活だと思います」


「では、生活の例外とする」


 それ以上は、何も言わなかった。


 次の日から、朝食は同じ卓になった。会話はない。ただ、わたしがジャムを取ろうとすると、先に瓶がこちらへ寄せられている。三日目に気づいた。侯爵さまは、自分の分のジャムを一度も使っていない。


      *


 ふた月目の終わり。


 六、雨の日の外出には、馬車を使うこと。


 その月、わたしは雨の中を歩いて実家へ帰り、ずぶぬれで戻ってきたのだった。


「わたし、歩くのが好きなんです」


「知っている」


「では、なぜ」


「雨は、好きではないだろう」


 ……たしかに、好きではない。言ったおぼえはないけれど。


      *


 三月目。


 七、互いを、名で呼ぶ。


 これはさすがに、困った。


「侯爵さま、これは」


「ラウルだ」


「……ラウルさま」


「さま、は契約にない」


「書いてもいません」


「では書き足す」


 本当に、次の朝には書き足してあった。七の横に、小さく。


 (敬称はつけない)


 わたしは、契約書を前にしばらく笑ってしまった。この人は、言葉で言えないことを、ぜんぶ紙に書くのだ。


      *


 四月目は、「庭の東側をミレイユの好きにしてよい」。


 五月目は、「熱を出したときは、相手に知らせること」。これは、わたしが黙って寝こんでいたせい。


 六月目は、「書斎の窓辺の椅子は、ミレイユのものとする」。わたしがいつもそこで本を読んでいたら、ある日、椅子に新しいクッションがのっていた。


 七月目、八月目、九月目。


 契約書は、一枚では足りなくなって、二枚目に入った。


 干渉しない、という三は、まだ残っている。残っているのに、その下の行がぜんぶ、干渉だった。


      *


 十一月目の終わりに、わたしは自分から書斎をたずねた。


「ラウル。聞いてもいいですか」


「ああ」


「どうして、わたしだったんですか。契約結婚の相手」


 ラウルは、ペンを置いた。長いこと黙っていた。わたしは、窓辺の自分の椅子に座って待った。この人の沈黙には、もう慣れていた。


「……五年前の、王宮の夜会で」


「はい」


「庭の噴水のそばで、泣いている子どもがいた。迷子だった。おまえは、自分のドレスが濡れるのもかまわずにしゃがんで、その子の靴ひもを結び直していた」


 おぼえていない。たぶん、そういうことは何度もあったから。


「それで、わたしを?」


「それで、名前を調べた。調べたが、声をかける言葉がなかった。五年かかって、ようやく思いついたのが、あの契約書だった」


 ラウルは、そこで目をそらした。


「我ながら、ひどい求婚だと思っている」


      *


 十二月目の朝。


 契約書は、いつもの机の上にあった。


 最後の行は、こうだった。


 十六、第一条を、削除する。


 一年とする、の上に、まっすぐな線が一本、引いてあった。


 署名欄には、ラウルの字。その下の欄は、空いていた。


 わたしは、ペンをとった。


 署名をする前に、いちばん下に、一行だけ書き足した。


 十七、三も、削除する。


 干渉しない、の上に、わたしの、もうふるえていない字で、線を一本。


 朝食の卓で、ラウルは契約書を見て、しばらく動かなかった。


 それから、わたしのほうへ、ジャムの瓶を寄せた。


「……今日は、ラウルも使ってください」


「ああ」


 その朝、ラウルははじめて、自分のパンにジャムをぬった。


 干渉しない夫婦は、その日でおしまいになった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


一年だけの契約結婚のはずが、無口な旦那さまが、言葉のかわりに毎月一行ずつ契約書に書き足していくお話でした。ジャムの瓶は、最初から最後まで、ずっと同じ場所にありました。


楽しんでいただけましたら、評価やブックマークで教えていただけるとうれしいです。

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