↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

山に近づく影

作者: をはち
掲載日:2026/10/11

静けさの中で、影だけが増えていく。


深夜の果樹園に、異様な気配が忍び寄っていた。


俺は武道場を営みながら、小さな果樹園を守っていた。静かな生活だった。木々の葉が風に揺れる音だけが、夜の帳を優しく満たすような日々。


だが、その平和は、ある深夜、音もなく崩れ去った。果樹園の奥から、微かな足音が聞こえた。


窺うように動く影が三つ。手にした長物が、月明かりに鈍く光る。侵入者は三人。俺は無意識に、壁に立てかけた櫂型の木刀を握りしめた。


素振りで幾度も振り下ろしてきた、あの馴染みの重み。そっと外へ出る。冷たい夜気が肌を刺した。


「何をしているんだ」


低く、威圧的に声を放つ。男たちの手が止まった。持っていたのは、鉈だった。刃が闇に冷たく輝く。距離を詰めてくる一人に、俺は反射的に動いた。


得意技の片手半面打ちが、無意識に繰り出される。木刀が男の側頭部を捉え、鈍い音を立てて男はその場に崩れ落ちた。


残る二人も、同じように長物を構える。一人が斬りつけてくるのを、俺は木刀で軽く払いのけ、そのまま真横へ。頭部に叩き込む。


続けざまに、もう一人の脳天を割り砕いた。数秒後、俺はわれに返った。たぎっていた血が、一瞬で冷めていく感覚。冷静に、それを感じていた。


三人の体が、静かに横たわっている。警察に通報し、間もなくパトカーが到着した。俺は連行された。――法廷で、判決が言い渡された。



「被告人の行為は、深夜に鉈を所持した複数名の侵入者に対する防衛行為であり、防衛の必要性は極めて高かった。


しかし、結果として三名を死亡させた点は重大であり、防衛行為としては行き過ぎが認められる。


よって、過剰防衛として傷害致死罪の成立を認め、被告人を懲役三年に処する。ただし、被告人は自ら通報し、隠蔽の意思はなく、


深い反省を示しており、社会的基盤も安定していることから、刑の執行を五年間猶予する」



こうして、俺は住処を山へ移した。武道は山でもできる。山であれば、獣に多少食われようとも、人間のように果実を根こそぎ奪う者はいない。


そう信じて、山での生活が三年ほど過ぎた頃だった。台風の気配が空を覆う午後、俺は一人の男を見つけた。血だらけで、泥にまみれて倒れている。


猪にでも襲われたのかと思い、俺は男を家へ運んで横たえた。男は目を覚ました。山から滑落したという。


だが、この辺りにそんな急な場所があっただろうか。考えを巡らせていると、男が弱々しく口を開いた。


「リュックの中身を…妹に届けてくれ。俺はもう、助からない」


外は台風が近づいていた。山の天気は不安定で、いつ降りられるかもわからない。小屋の中で、ぽつり、ぽつりと男が語り始めた。


「俺は、闇バイトに関わったんだ。仲間は五人。指示役の男とも何度も仕事をしてきて、信用されて…大きな仕事をすることになった。


一人暮らしの老人の家に、十億相当のゴールドがある。そう聞かされて、興奮したね。俺の取り分は一億だっていうからさ。


家に押し入って、老人を…殺した。ゴールドのありかを口にしないもんだから、軽く痛めつけたら、死んじまった。そこからが大変だった。


必死に探して、やっと見つけた。どこにあったと思う?トイレの貯水槽の中だよ。仲間に水道屋がいて、水量の少なさを疑って中をあけたら、


そこにあったのさ。俺たちは本当についてると思った。この山に着くまで、本当にそう思ってた」


男の声は、次第に掠れていく。


「山に着いた俺たちを待っていたのは、深く掘られた穴だよ。待ち構えていたやつらに、一人一人落とされていく。刃物を突き立てられてな。


どうせ死ぬなら…俺は覚悟を決めて殴りかかった。こう見えても、自衛隊にいた時期があったんだ。奪い取ったスコップで皆殺しにしてやった。


無傷とはいかなかった。何ヶ所か刺されてよ。それが、あんたが間違えた猪に襲われたという傷だ。だから、もう助からない。俺が一番知ってる」


男は俺の目を見た。


「なぁ、頼むから。あのリュックのゴールドの半分を妹に持ってってくれ。そして、その半分をあんたにくれてやる。


そのうちいくらでもいいから、どこかに寄付してくれ」


俺は頷いた。


「わかった。とにかく、今はゴールドはここに置いて、あんたを下山させる」


男が乾いた笑い声を上げた。


「あはは、無理さ。あぁ、馬鹿な人生だった。もっと全うに生きればよかった」


「全うに生きても、いいことばかりじゃないさ。俺も人殺しだ」


「はは、何だかあんたには似た臭いがすると思ってたんだが、人殺しの匂いだったとは、お笑いだ」


「まぁな。とにかく山を下りるぞ」


「あんたとだったら、うまくやっていけそうだってのに、こんな死に際に会うとはついてねぇや」


ぬかるんだ悪路を、俺は男を背負って必死に駆け下りた。雨が顔を叩き、足元が滑る。


六時間ほど過ぎたとき、雨は止み、山の下に町の灯りが見え始めた。


「おい。町が見えたぞ」


「本当だ。あんた、まさか一人で俺をここまで…?」


「俺たちは相棒なんだろ。もう少しだ、相棒」


「なんてこった。俺としたことが、相棒に全部話しちまったな」


「気にするなって」


「いや、俺が気にするんだ」


「うん?」


次の瞬間、男の腕が俺の喉に食い込んだ。怪我人とは思えない力だ。


「ごめんよ。知られたからには、死んで貰う。すぐに楽にしてやるからな」


俺は横に立つ木を目指して、背中の男を押しつけた。


ぎゃぁ、と短い悲鳴が聞こえた。男の口から、どっと血があふれる。見れば、怪我人の男の胸に、鋭い枝が突き抜けていた。


「おい――」


呼びかけに、返事はなかった。男は静かに、闇に沈んでいった。


雨上がりの山道に、血の匂いだけが残った。町の灯りが、遠くで揺れている。山は、静かに俺を見守っていた。


人間のように、果実を根こそぎ奪う者はいない、と信じていた場所が。


だが、今夜もまた、何かが、静かに近づいてくる気配がした――


読んで頂き有り難う御座います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。