幽明コンビニ「かくりよ」
深夜零時を少し回った頃、気の抜けた入店音が店内に響いた。
ピロリロローン、という安っぽく間の抜けた電子音だ。
自動ドアが開いた先、街灯すらまばらな真っ暗な県道からぬっと入ってきたのは、頭から二本の黒光りする角を生やした大男だった。
身長は優に二メートル半。横幅に至っては軽トラックの荷台ほどもある。肌は赤銅色にテカり、着ているのはなぜか中学校の体育教師が着るような芋くさい小豆色の芋ジャージだ。背中には白文字で『赤鬼』とデカデカと刺繍が入っている。
「らっしゃーせー」
俺はカウンターに肘をつき、欠伸を噛み殺しながら声をかけた。死んだ魚のような目で、抑揚のないコンビニ店員特有の事務的な声だ。
相手が人間離れした筋骨隆々の赤鬼だろうが、頭に角が生えていようが、俺の態度はいささかも変わらない。赤鬼は自動ドアの鴨居に頭をぶつけないよう、器用に巨体を折り曲げて入店すると、我が物顔で店内を練り歩き始めた。
歩くたびにドスンドスンと床が微かに軋む。地響きとまでは言わないが、普通のアパートなら階下から怒鳴り込まれるレベルの重量感だ。
赤鬼は太い丸太のような腕で買い物カゴをひっつかむと、酒売り場へと直行した。
躊躇なく手を伸ばし、鬼の絵が描かれた二リットルの紙パック酒を三パック、乱暴にカゴへ放り込む。
同族殺しのような銘柄を平然と飲むあたりの神経の図太さは見上げたものだが、まあ本人が美味いと言うのだから問題はない。
続けてスナック菓子コーナーへ移動し、ドクロのマークがついた激辛ポテトチップスを五袋、辛口ドライソーセージの大袋を四袋、次々に放り込んでいく。
そして、一番奥のパンコーナーの前でピタリと立ち止まった。屈強な赤鬼が、筋張った太い指先でそっと大事そうに掴み取ったのは、黄色い袋に丸顔のヒーローが描かれた、幼児向けの細長いスティックパンだった。それもチョコ味とプレーン味を合わせてきっちり四袋。山のような荷物を抱え、赤鬼がレジへとやってくる。
「……三千八百四十円になります」
「おう。釣りはいらねぇよ」
赤鬼が太い人差し指と中指で挟んでカウンターに置いたのは、折り目ひとつないピン札の一万円札だった。
透かしもホログラムもしっかり入っている。どこで手に入れたのかは知らないが、レジ下の偽札チェッカーに通しても正真正銘、今年発行されたばかりの新札だ。
「いや、釣りは受け取れ。百円単位ならともかく、六千円以上もチップ取ったら夜勤明けの帳簿が合わなくなる。ほら、六千百六十円のお返し」
「チッ、相変わらず辛気臭ぇ店主だな。色をつけてやってんのによ」
赤鬼は舌打ちしながらも、返された釣銭を太い指で器用に掬い取り、ジャージのポケットへと突っ込んだ。
「ついでに聞くがよ……そのスティックパン、毎回買っていくけどあんたが食うのか?」
「んなわけねぇだろ! 俺がこんな甘っこいもん食ったら虫歯になるわ!」
赤鬼は心外そうに鼻を鳴らした。
「山ん中の巣窟にいる子鬼どもだよ。最近のガキどもは舌が肥えててな。昔みたいに山葡萄だの木の実だのじゃ納得しねぇんだよ。
『父ちゃん、人間の街の甘くて柔らかいパン買ってきて!』ってせがまれるんだ。
これ買って帰らねぇと、嫁に『アンタは何しに山を降りたのさ!』って金棒でドヤされるんだよ」
「鬼の世界も父親は大変だな」
「全くだぜ。人間を脅かして食ってた時代なんぞとうの昔に終わったってのによ。今じゃガキの機嫌取るのに必死だわ」
赤鬼はコンビニ袋の持ち手を太い小指に器用に引っ掛けると、大きな背中を丸めて自動ドアをくぐる。
「じゃあな店主、また週明けに酒入れといてくれや」と言い残して、漆黒の夜闇の中へと消えていく。
自動ドアが閉まると、再び静まり返った店内に蛍光灯のジーという低い音だけが響いた。
◯
ここは某県の山奥、車も滅多に通らない県道沿いにある個人商店コンビニ「かくりよ」。
有名チェーン店のような派手な看板もなければ、お洒落な挽きたてコーヒーマシンもない。あるのは色あせたプラスチックの日よけ看板と、蛍光灯が一本チカチカと点滅している薄暗い売り場だけだ。
昼間はたまに道を間違えて迷い込んできたトラックの運ちゃんや、近くの限界集落に住む農家の爺さんがタバコを買いに来るくらいで、人の気配はほとんどない。
店主である俺――三十三歳。
どうしようもなく辛気臭いツラをしていると昔からよく言われる。自分でも自覚はある。
元々は都会でしがないインフラ系の運用保守をやっていたのだが、連日連夜の深夜障害対応と客先からの理不尽な怒号に胃袋をボロボロにされ、人間嫌いを拗らせて退職した。
そうして行き着いたのが、親戚が山奥で遺品同然に残していったこの潰れかけの個人商店だった。
人里離れた山の中で、一日中ぼーっとタバコでも売りながら、誰にも邪魔されずに細々と暮らせれば御の字だと思っていたのだ。
だが、誤算だったのはこの土地の立地だった。
どうやらこの店が建っている場所は、大昔から現世と幽世の狭間、いわゆる『境界』の真上だったらしい。
昼間はかろうじて現世の理が勝っているが、日が落ちて辺りが暗闇に包まれると、この店はすっぽりと異界へと足を踏み入れる。
だからだろう。
いつのころからか夜勤の時間帯になると、この世ならざる連中が買い出しに来るようになった。
鬼、狐、狸、天狗。
そして、あの世へ向かう途中の死者たち。
最初こそチビりそうになるほど驚いたが、人間、慣れとは恐ろしいものだ。客が化け物だろうが幽霊だろうが、店内で暴れず、品物を万引きせず、キッチリ代金を払ってくれるなら立派なお客様である。理不尽な理屈で怒鳴り散らしてきたり、細かい規則にネチネチ文句をつけてくる人間社会の連中に比べれば、人外どもの方がよっぽど礼儀正しく、話が通じる。
しかも、あいつらの出す金は決まって新札、新硬貨だ。
偽金チェッカーを通しても跳ねられたことは一度もない。
神社や寺の賽銭箱から掠め取ってきたのかと疑ったこともあるが、連中は「山に迷い込んだ金持ちの道案内をした謝礼だ」とか「霊験あらたかな湧き水を分けてやった代金だ」と胸を張っていた。まあ、現世の銀行がそのまま受け入れてくれる正真正銘の日本円である以上、俺が口を挟む筋合いはない。
仕入れだって滞りなく回っている。
明け方になれば、大手チェーンのルート配送トラックが裏口に横付けされ、商品を満載して降ろしてくれる。
トラックの運ちゃんが届けてくれる商品と、毎夜やってくる異界の住人たち。
あの世とこの世の狭間に挟まったまま、この店は不思議な均衡を保っていた。
そして深夜一時。夜の第二波がやってくる時間だ。
◯
しゃらん、と澄んだ鈴の音が自動ドアの開閉音に重なった。
夜の冷気とともに店内に滑り込んできたのは、一人の女性――に見えるが、明らかに人間の規格から外れた存在だった。身にまとっているのは、仕立ての良い濃紺のパンツスーツ。背筋はピンと伸び、冷涼な美貌を誇っている。だが、その艶やかな銀髪の頭頂部からは、三角形の狐耳がピンと生えて警戒を怠らずピコピコと動いていた。さらに、タイトなスラックスの後ろにはスリットが開けられており、そこから太く豊かな純白の尻尾が優雅に三本、ゆらゆらと揺れている。
「こんばんは、店主さん。今夜も辛気臭いお顔でご健在ね」
「いらっしゃいませ。余計なお世話だ。……今夜は早かったな」
俺はレジカウンターに置いたアルコールスプレーのボトルを指先で回しながら応じた。この銀髪狐耳の女性は、この山奥のさらに奥、霊峰に鎮座する由緒正しき神社の眷属狐だ。人間界では経営相談やら資産運用やらの相談を神託という名目で引き受け、信徒たちから信奉されている現代派の化け狐である。
「ええ。東京の会社社長が山まで登ってきましてね。
適当に『北西の方角に勝機あり』と告げて護符を授けたら、ホクホク顔で帰っていきましたわ。
今夜は懐が温かいのです」
「あんまり適当な神託出して後で恨まれるなよ」
「失礼ね。ちゃんと吉方位を導き出していますわよ」
狐はクスクスと喉を鳴らし、ヒールをカツカツと鳴らしながら冷蔵のチルドコーナーへと向かった。
彼女が買い物カゴに次々と放り込んでいくのは、徹底的に油揚げ関連の商品だった。
まずはいなり寿司。棚に並んでいた三パックすべてを迷わずカゴへ。
続いて、おつまみコーナーにある味付け油揚げの缶詰を棚から根こそぎ五缶。
さらにカップ麺のコーナーへ足を伸ばし、緑色のフタが目印の特盛きつねうどんを迷わず六個抱え込む。
「そのうどん、またお揚げだけ先に吸い尽くして麺を後輩の小狐に押し付ける気じゃないだろうな」
「心外ですわね! 麺だって最後まできちんといただきますわよ。
ただ、あのふっくらジューシーなお揚げに熱湯が染み込んだ瞬間こそが至高なのです。
人間の開発力には本当に敬意を抱きますわ。
あの甘辛い出汁の染み具合、天界の神饌に匹敵します」
熱弁を振るう狐の姿は、とても数百年生きた霊獣とは思えない俗っぽさだった。
だが、買い出しはそれだけで終わらない。
彼女はくるりと踵を返し、スイーツコーナーの前に陣取った。
細長い指先が、ガラス棚に並ぶ洋菓子を品定めするように滑る。
「……あら。新商品の『濃厚生クリームどら焼き』と『宇治抹茶パフェ』が入荷していますわね」
「今日届いたばかりのやつだ。特にそのパフェ、抹茶の苦味がしっかり効いてて甘さ控えめらしいぞ」
「いただきますわ。四つずつカゴに入れさせていただきます。……あと、あちらの生ロールケーキも二つ」
「買いすぎだろ。誰が食うんだそんなに」
「女子会ですわよ。山頂の祠で、近隣の山の女狐たちが集まって夜な夜な近況報告会を開くのです。
『最近の人間界の流行事情』とか『どの神社の宮司が一番かっこいいか』とか、語り合うネタは尽きませんの。
甘いものがなければやっていられませんわ」
霊山の眷属たちの夜会が、実質的に女子高生の放課後談義と大差ない事実を知って、俺は小さく息を吐いた。
狐は満足げな顔でカゴをレジに持ってきた。バーコードをスキャンしていく。
「……合計で八千七百二十円になります」
「はい、一万円からでよろしくてよ」
狐がハンドバッグから取り出したのも、これまたピン札の一万円札だった。
しかも、紙幣の表面からは微かに白檀の上品なお香の匂いが漂っている。
「……これってまさか」
「ええ。ちゃんとしたお札ですわ。
たまに人間の民話などで『狐に化かされて木の葉を掴まされた』などと下品な噂を立てられますけれど、
心外極まりない話ですわね。
私たち格式あるお稲荷様が、そんな泥棒じみた真似をするはずがございません。
等価交換こそが商売の基本です」
「木の葉を出されても困るから助かるよ。はい、千二百八十円のお釣り」
「ごちそうさま。袋は大きめのをお願いできるかしら?」
「五円かかるが」
「構いませんわ。お互い決まりごとは大事にしませんとね」
狐は綺麗に詰められたコンビニ袋を受け取り、優雅な足取りで夜闇へと戻っていった。
立ち去り際、三本の豊かな白い尾がふわっと揺れて、店内に一瞬だけ甘い花の香りが残った。
◯
狐が去ってから三十分ほど経った深夜二時前。
カランコロン、と間抜けな音を立てて自動ドアが開いた。
入ってきたのは、よれよれの茶色い半纏に腹巻きを巻いた、丸っこい体型のオッサンだった。
……オッサンと言っても、頭にはピンと立った丸い耳があり、目の周りは真っ黒。おまけに半纏の裾からは、縞模様の太くて短い尻尾が床を引きずるように生えている。化け狸だ。化けの皮が完全に剥がれかけているが、本人は気にする様子もない。
「うへぇ〜、冷えるねぇ店主! 今夜の山風は身に染みるわ!」
「いらっしゃい。狸さん、尻尾隠す気ゼロだな」
「いいんだよ、どうせこんな時間に人間の客なんぞ来やしねぇんだから。
疲れてる時に無理して人間に化け続けてっと、腹が張って屁が出そうになんだよ」
狸はぽんぽこと膨らんだ自慢の太鼓腹を叩きながら、ペタペタと裸足で店内を歩き回った。
目当ては、さっきの狐とは対照的に徹底して庶民派だった。パンコーナーに向かうと、甘い菓子パンを品定めし始める。
手に取ったのは『つぶあんパン』を三つ、それから砂糖がびっしりまぶされた高カロリーの塊である『アンドーナツ』を四つ。
「やっぱり夜食は糖分に限るねぇ」と独り言を呟きながら、カゴに放り込んでいく。
続いて狸が向かったのは、レジ横のホットスナックケースの前だった。
ガラス越しに保温ランプに照らされた、揚げたてのチキンやからあげ串を食い入るように見つめている。
鼻をひくひくさせ、ヨダレを垂らさんばかりの顔だ。
「店主! その一番デカい『骨なしチキン』二つと、からあげ串を一本くれ!」
「はいよ。チキン二つとからあげ串ね」
「あと、あれだ! おでんの横に置いてある、無料の天かす! あれももらっていいかい!?」
「天かすはおでんやカップ麺を買った客へのサービスなんだがな……まあ、賞味期限の切り替えで下げるやつがあるから、小袋に詰めてやるよ」
「さすが話がわかる店主だ! これがあると、山で煮る木の根スープのコクが段違いなんだよ!」
狸は満面の笑みで太鼓腹を揺らした。カゴをレジに置き、合計金額を計算する。
「パンが七個に、ホットスナックが三つ。……千六百二十円になります」
「へいへい、ちょっと待ちな」
狸は半纏の懐をごそごそと探り始めた。そして――カウンターの上に、緑色の鮮やかな大きなカシワの葉っぱを一枚、ドサリと置いた。
「…………」
「…………」
俺は無言で狸の顔を見つめ、それからレジ下の除菌スプレーを手に取った。
「汚物は消毒だな」
「冗談! 冗談だってば店主! ちょっと古典的なギャグをかましてみただけじゃねぇか! そんな本気で業務用の塩に手を伸ばすなよ!」
狸は慌てて葉っぱを引っ込めると、腹巻きの隙間から小さな布巾着を取り出した。
中からジャラジャラと出てきたのは、今年発行されたばかりのピカピカに光る新五百円玉が三枚と、新百円玉が二枚だった。
「ほらよ! 正真正銘、本物の新硬貨だ! 二色構造の最新型だぞ!」
「最初からそれを出せ。……はい、二千円お預かり。三百八十円のお返しね。袋はどうする? 五円かかるが」
「ぬぐっ……! レジ袋の五円……!」
狸は途端に苦渋に満ちた表情を浮かべ、喉を唸らせた。
「あのさぁ店主、レジ袋くらいタダにしてくれたってバチは当たらねぇだろ?
こちとら山暮らしで環境破壊なんてこれっぽっちもしてねぇんだぞ。
海亀がプラスチックを誤飲したのなんか俺たちのせいじゃねぇってのによぉ!」
「法律で決まってんだよ。嫌なら風呂敷でも持ってこい」
「ケチ! 辛気臭い上にドケチ! ……ちぇっ、手づかみで持って帰るとチキンの油が半纏につくからな、袋つけてくれよ……」
泣く泣く追加の五円玉を差し出す狸の姿は、世知辛い小遣い制のオッサンそのものだった。
袋詰めをしながら、俺はなんとなく気になっていたことを尋ねた。
「それにしても狸さん、その新硬貨はどこで手に入れてるんだ?
山で人間を化かして巻き上げたのか?」
「化かすわけねぇだろ! 今の時代、化かしなんて割に合わねぇ商売ナンバーワンだぞ!」
狸は袋を受け取りながら、盛大に愚痴をこぼし始めた。
「聞いてくれよ店主。昔はさ、山道で人間をぐるぐる同じ場所歩かせたり、
肥だめを露天風呂に見せかけて落っことしたりすりゃ、大笑いして酒の肴になったもんさ。
だが今はどうだ? ちょっと人間を霧で迷わせただけで、
遭難事故発生っつって警察のヘリは飛んでくるわ、山狩り始まるわで大騒ぎだ!
おまけに迷った人間がスマホで動画撮り始めて
『心霊スポットでヤバい現象起きた』とかネットに晒されちまうんだぞ!」
「現代の山は世知辛いな」
「世知辛すぎるわ! だから今の狸はみんな真面目だよ。
山で採れたワラビやタラの芽、松茸を夜明け前に麓の無人販売所に並べてな。
朝市に来た主婦に買ってもらって、集金箱から正規の代金を回収してんだよ。
そっちの方がよっぽど手堅いんだから!」「……お前ら、人間よりよっぽど真面目に生きてんな」
「当たり前だろ。食い扶持稼ぐのに必死なんだよ」
狸は揚げたてのチキンを袋から取り出すと、その場でガブリと食らいついた。
「アツッ! うまっ! 肉汁がすげぇ!」
とハフハフ言いながら、嬉しそうに尻尾を左右にぶんぶんと振り回す。そのままチキンを頬張りながら、
「じゃあな店主、また山菜が採れたら買い出しに来るわ!」
と夜風の中へ消えていった。
◯
狸が去って静寂が戻ったのも束の間、午前二時半を回った頃だった。
ゴオオオオッ、と店の屋根を揺らすほどの突風が吹き荒れ、県道沿いの木々がざわめいた。
カラン、コロン。
規則正しい、高く硬質な木の音がアスファルトに響く。一本歯下駄の足音だ。
自動ドアが勢いよく開くと同時に、黒い風が店内に吹き込んできた。
立っていたのは、漆黒の巨大な翼を背中に背負い、白と黒の山伏装束に身を包んだ男だった。腰には抜き身の小太刀、顔には鋭利なくちばしのような面当て。カラス天狗だ。神々しさすら漂う威圧感……と言いたいところだが、その両目は真っ赤に充血し、目の下には濃い隈がくっきりと刻まれていた。さらに、片手には最新型のスマートフォンを握りしめ、何やら連絡アプリの通知を狂ったようにスクロールしている。
「……店主。すまぬが、いつものやつを頼む」
「らっしゃい。天狗さん、また一段と顔色が死んでるな。生きてる人間なら救急搬送レベルだぞ」
「物理的に死んではおらぬが、霊的には三度ほど過労死しておるわ……」
天狗は力なく溜息をつくと、羽をパサリと畳んで飲料コーナーへ向かった。彼が躊躇なく棚から抱え込んできたのは、緑色の爪痕マークが描かれた炭酸エナジードリンクのケースだった。二十四本入りの段ボール箱を丸ごとレジカウンターにドカンと置く。それだけでは飽き足らず、栄養ドリンクの棚から眠気覚ましの濃縮ドリンクを五本、さらに日用品コーナーから清涼感最大レベルの目薬と、大容量の湿布を三箱掴み取ってきた。
「……おいおい、今夜もエナジードリンクをケース買いか? 羽毛の生えた心臓が止まるぞ」
「止まってくれた方がいっそ楽かもしれん……。
山の神という名の我が主上が、このところ完全に狂っておられるのだ」
天狗はカウンターに両肘をつき、項垂れた。
「聞いてくれ、店主。かつての天狗の任務といえば、神域の風を操り、
時折里の人間を脅かして畏怖の念を集めるだけでよかった。それが今や何だ?
『二十四時間体制による領空警備および不法投棄のリアルタイム監視』だとよ!」
「……急に生々しい任務だな」
「それだけではない! 最近は山奥の立ち入り禁止エリアに、
勝手に産業廃棄物を捨てにくる悪徳業者のトラックが後を絶たんのだ!
それを見つけては風を吹かせて追い払い、さらに週末ともなれば、
人間の若者どもが『絶景を撮影する』などと言って小型無人機を無許可で山頂に飛ばしてきおる!」
「ああ、あのプロペラ飛ぶやつか。あれ鬱陶しいらしいな」
「鬱陶しいなどというレベルではない! あのような機械の塊が神木の周りをブンブン飛び回るのだぞ!
神聖な結界が乱れるわ、野生の鳥どもがパニックを起こすわで、
我ら天狗衆が総出でスクランブル発進して体当たりで撃墜せねばならんのだ!
この一週間、不眠不休で哨戒飛行を続けさせられておる!」
天狗の愚痴は止まらなかった。手元のスマホがピロリンと鳴るたびに、彼の肩がビクッと跳ねる。
「見ろ、また主上からの連絡網だ。『南尾根の監視カメラに不審車両あり、直ちに確認せよ』だと……。
あの爺、現世の連絡網を導入してからというもの、深夜だろうが関係なく呼び出してきおるのだ。
霊界にも労働基準法を適用してほしいと切実に願うぞ」
「……わかるよ、その気持ち」
俺は心底からの同情を込めて頷いた。元インフラ系の運用保守時代を思い出す。深夜三時に突然鳴り響くオンコール電話。
「サーバーの負荷が九〇%を超えました」「至急対応してください」。
あの胃の腑が凍りつくような着信音のトラウマは、種族を超えて共通の悪夢らしい。
「俺も昔は人間界でそんな仕事をしてたよ。深夜障害で叩き起こされては、朝まで画面と睨み合いだ」
「なんと……貴公も同じ地獄を味わっておったのか……」
「だからこんな山奥に逃げてきたんだ。天狗さん、これやるよ」
俺はレジ下から、試供品でもらった、袋を開けると温まるアイマスクを二枚取り出して、カウンターに滑らせた。
「哨戒飛行の合間に、五分でもいいから木の上でこれを目に当ててみろ。少しはマシになる」
「おお……! かたじけない、店主! この恩は忘れぬ!」
天狗の目に涙が浮かんだ。レジの合計金額が表示される。
「エナドリ箱買いとドリンク類、湿布に目薬で、合計一万四千二百円になります」
「うむ、これで頼む」
天狗が懐から取り出したのも、これまたパリッとした新札の一万円札二枚だった。
折り目ひとつなく、指を切ってしまいそうなほどピンとしている。
「天狗さん、この金は山番の手当か?」
「いや、先週、悪天候の中で道を見失って崖下に転落しかけた登山者を救助したのだ。
里まで抱えて送り届けてやったら、その家族が涙を流して感謝し、
この真新しい紙幣の包みを無理やり押し付けてきてな。
『山の神様への御礼です』と。主上には内緒の特別手当だ」
「命拾いしたな。はい、五千八百円のお釣り」
「感謝する。……ふぅ、とりあえず一本いくか」
天狗はレジの前で缶のプルタブをプシュッと引き抜くと、喉を鳴らして一気に半分ほど飲み干した。
「カァーッ! カフェインが脳髄を直撃する……! これで今夜も飛べる……!」と、完全に限界を迎えた社畜のような台詞を吐きながら、箱を抱えて自動ドアを出ていく。そして、暗闇の空へと漆黒の翼を広げ、風を巻き起こして飛び去っていった。
◯
妖怪どもが嵐のように去り、時刻は午前三時を回った。
この時間になると、山の冷気は一段と深まり、乳白色の濃い霧が店のガラス窓の外を覆い尽くし始める。
ここからが、夜勤のもう一つの時間帯だ。 チーン、と控えめに入店音が鳴った。
入ってきたのは、作業着姿のオッサンだった。
首に使い古したタオルを巻き、泥のついた安全靴。いかにも現場上がりの風貌だ。
だが、その足元をよく見ると、靴底が床から三センチほど完全に浮いており、身体の輪郭がすりガラスのように透けて向こうの棚が見えている。
あの世へ向かう途中の死者だ。
「いらっしゃい」
「……あ、開いてる! うおお、よかったぁ、マジで助かった!」
オッサンは幽霊のくせに心底ホッとしたように胸を撫で下ろすと、真っ直ぐレジカウンターの背後にあるタバコ棚を指差した。
「にいちゃん! あの星マークの一番きついの一つ! あと、その冷蔵庫の青い缶コーヒー!」
「二十歳以上だな?」
「見りゃわかるだろ! 五十五で心筋梗塞やってポックリ逝ったばっかりだよ!」
「一応、現世の決まりなんでね」
俺は淡々とタバコと缶コーヒーをレジに通す。
「合計で七百三十円です」
「ほいよ、千円札で!」
オッサンが作業着の胸ポケットから差し出してきたのも、やっぱり折り目ひとつないピン札の千円札だった。
「三途の川の渡し場まで歩いてたんだけどよ、途中で猛烈に一服したくなってさぁ。
渡し守に聞いたら『あの世にゃ自販機もコンビニもねぇぞ、川を渡ったら禁煙だ』って言われて、
絶望して引き返してきたとこなんだよ。助かったぜ、明かりが見えて!」
「そりゃ災難だったな。渡し賃は足りるのか?」
「大丈夫だ! なんでかポケットに家族が入れてくれたピカピカの百円玉がしっかり入ってたからな。小銭は足りてる!」
オッサンは小脇に缶コーヒーを抱え、店の外の灰皿スペースへ直行した。
備え付けの百円ライターをカチリと鳴らし、タバコの先端を赤く灯す。
そして、紫煙を肺のあったはずの胸いっぱいに吸い込み、深々と夜空へ吐き出した。
「かぁーーーーっ! 染みる! もう肺なんかねぇはずなのに、めちゃくちゃ染み渡るわ!」
「そりゃよかった」
「青い缶コーヒーもうめぇ!
生前は医者に『塩分とタバコと糖分は控えろ』ってガミガミ言われてたが、
もう死んじまったんだから関係ねぇもんな!
よし、これで思い残すことはねぇや! にいちゃん、ありがとな!」
缶コーヒーを一気に飲み干したオッサンは、空き缶をキッチリ「スチール缶」の投入口へ放り込むと、満面の笑みで夜霧の向こうへと手を振りながらスキップで歩み去っていった。
未練も後悔も、美味いタバコ一本と缶コーヒー一本で綺麗さっぱり煙に巻いて旅立っていったらしい。
実に健康的(死んでるが)な成仏だ。
その後も、生前は厳しい食事制限を受けていたという小奇麗な婆さんがやってきて、チョコの板が入ったモナカアイスを幸せそうに頬張って光の中へ消えていったり、受験勉強の合間に急逝したという男子高校生が「一度でいいから深夜に特大スナックと炭酸飲料を一気食いしてみたかった」と夢を果たして成仏していったりした。誰も彼も、生前好きだった嗜好品を最後に買いに立ち寄るだけの、気楽でカラッとした客ばかりだ。
◯
そんなこんなで、幽霊やら人外やらの相手をしているうちに時間はあっという間に過ぎ去り、気が付けば客足が引いて午前五時半になっていた。
東の空がうっすらと群青色から白銀色へと変わり始めた頃、けたたましいディーゼルエンジンの音とともに、見慣れた青い二トントラックが駐車場に滑り込んできた。
現世の大手コンビニ配送トラックだ。
エアブレーキの音とともに運転席のドアが開き、馴染みの運ちゃんが商品を満載した台車を押して入ってくる。
「ういーす、お疲れさん! 今日も山道は霧がすごかったわ」
「そうか」
「相変わらずそっけないねぇ! 霧の中このクソ田舎まで配達に来てんだから、もうちょっと労いとかさぁ。幽霊でももうちょっと愛想よくしてくれるぞ」
失礼な野郎だ。本物の幽霊を何人も笑顔で見送ったばかりだっつの。
まあ、確かにあいつらの方が俺よりよっぽど愛想はよかったが。
「ほら、受領印。……今日もスティックパンと油揚げ、しっかり入ってるな」
「入ってる入ってる。山奥の秘密基地でも養ってんのかってくらいよく捌けるよな。
ま、欠品出さないように運んでるから感謝しろよな。じゃ、また明日!」
「へいへい。ご安全に」
受け入れの処理を済ませ、運ちゃんが手を振ってトラックを出していくのを見送る。
午前六時。入店音が鳴り、日勤のパートのおばちゃんが入ってきた。
「おはようございまーす、店主さん。今日も寒いねぇ」
「おはようございます。引き継ぎ、レジ点検終わってます。タバコの補充も済んでますんで」
「いつも助かるわぁ。店主さん、顔色悪いから早く寝なさいね」
「はい、お疲れ様です」
店内の売れ残りの総菜パンとお茶をいくつか買い込んでから、店舗の裏手にある階段を上がって二階の自宅へ帰る。
家族もいないので、一人の時間をだらりと過ごす。
カーテンを閉め、日の光から逃げるように布団に潜り込んで目を閉じれば、すぐに心地よい眠りがやってくる。
そうして目が覚めれば、もう夜だ。
人間社会の面倒くさいしがらみも理不尽な怒号もない。
あの世とこの世の狭間で、今日も俺の夜勤が始まる。
「らっしゃーせー」




