【短編版】ショートボブのあの子が、秘密基地の合鍵をおれにだけ渡してきた。
「あ」
階段を降りながらおれは、ヘッドフォンを机の引き出しに置きっぱなしだったことを思い出す。
帰り道に音楽は絶対必要だ。
高校からおれの家まで1時間半。
そんなに長い時間を無音で過ごせるはずがない。
降りかけていた階段をたったっと駆け戻り、教室のドアを開けた。
夕暮れ色の空気で満たされた教室。
左から3列目、一番後ろの席には、
「うー……どうしよう……」
と頭を抱えている女子がいた。
「いきなりそんなこと言われても困るし……」
独り言言ってる……。
机の上にはスマホ。なんらかのメッセージが届いたのだろうか。
彼女の名前は東条莉音。
いわゆる一軍に属する女子でありながら、それを鼻にかける感じがない。人あたりの良さからか、去年の学園祭のミスコンとかいう前時代的な人気投票イベントでは1年生で2位だった。
パーマがかった茶髪のショートボブがよく似合っている。多分。しらんけど。
とある授業の時、教室のすみっこですみっコぐらししているおれが、彼女が落とした消しゴムを拾ってあげた時にも、「ありがと!」と笑顔で受け取ってくれた。その上、別の日にはおれが落としたシャーペンを拾ってくれたこともある。
誰にも分け隔てなく優しい、そんな彼女が顔面蒼白になって何か困っている。
となれば、することと言えば。
「…………ぅす」
最低限の挨拶だけをして手早く用を済ませて教室を出る。これに限る。
何か知らないけど巻き込まれると困るからな。ヘッドフォンだけに。
おれは彼女の後ろをそそくさと通り、窓際の自席の引き出しからお目当てのものを取り出し、教室の扉へと戻っていく。
……と、顔を上げた東条が、
「……あー!」
と何かを期待するように目を見開く。
「う」
その目力につい足を止めてしまう。
「ねえ、小泉!」
「……なんですかな?」
ミスった。ダンディなおじさんみたいになっちゃった。
いや、だって、立ち上がっていきなりおれに近づいてくるから。
「小泉って、音楽詳しいの!?」
「いや、別に詳しいってほどでは……」
「嘘だ! だってそれ、」
東条はおれの手元にあったそれを指で押さえる。
「ウォークマンでしょ? 音楽聴くためだけの機械。スマホじゃなくて」
「……まあ、そうだけど」
そんなの知ってるのか、意外だ。とこっそり思う。
「しかも、有線のヘッドホン。Bluetoothじゃなくて。どうして?」
「こっちの方が音がいいから……」
「ほら! 音楽詳しいじゃん!」
「いや、『好き』と『詳しい』は別だろ」
「それはそうだ!」
「あ、うん」
なんかもっと「めんどくさいなあ、同じだよ!」的なことを言われるかと身構えてたから案外すぐに受け入れてもらえてちょっとびっくりする。話の分かる人らしい。
「でもでも、音楽に一家言あるってのは間違ってないよね?」
「いっかげん……」
陽キャのくせにちょっと文語っぽい言葉を使うからびっくりした。びっくりしてばっかりかおれは。
「さっきも言った通り、好きってだけだけど……。まあいいや。それで、それがどうしたんだ……?」
このまま細かいこと言ってても堂々巡りだ。東条の言いたいことはおおまかには分かる。おすすめのヘッドホンでも訊きたいのかもしれない。
「小泉にちょっと助けてもらいたいことがあって……!」
手を合わせて申し訳なさそうに頭を下げる東条。
「もし空いてたら、このあと付き合ってもらえない?」
「……うん、いいけど」
「あ。この『付き合ってもらえない?』は交際してほしい的なことじゃなくて、時間をもらえませんか?って意味ね」
「わかってるよ」
改めてそう言われると、ちょっとでもそう思ってたみたいで恥ずかしいじゃん。ひどい濡れ衣だよ。
「あはは、ごめんごめん。付き合ってもらえるって聞いて安心したら軽口叩いちゃった」
軽口。またちょっと文語っぽい言葉を。
ということで、何が何やらよく分からないまま、おれは東条と一緒に下校道を歩いていた。
すました顔をしているつもりだが、胸中は穏やかではない。
「…………」
「…………」
かーかーかー、とカラスの声が厭に響く。
…………無言が気まずい!!
「あーえーっと……」
カラスの声に同じことを思ったのか、東条が話題を探して夕空を見上げる。おれもさっきからそれ見てるけど、そこには空っぽの空しかないんだよな……。
「あ!」
「ん?」
「小泉って……ご趣味は?」
「……音楽鑑賞?」
「あ、そうだった……」
残念そうに目を伏せる東条。ごめん、おれの方こそ他に何かあればよかったんだけど……。
「だったら下校道でも音楽聴きたかったよね、ごめんね……」
「いや別にそこまででは……」
いや、まあ、聴きたいっちゃ聴きたいけど。沈黙が気まずいという理由で。
「はあー!」
東条は、突如大きなため息みたいなものを吐く。
「どうした……?」
「いや、あたしの方から誘っといてごめんね。自分が情けないわ。男子と二人で帰るのとかあんまないから、なんか緊張するっていうか何話せばいいのかよく分かんなくて。別に変な意味じゃなくてね?」
「そうなのか? 日常茶飯事なのかと思ってた。……あ、これも変な意味じゃないんだけど」
「あたし、どんなイメージ!? あたし、中学女子校だからね?」
「それは知らないけど……別に男慣れしてるみたいなことが言いたいわけじゃなくて……なんていうんだ……?」
陽キャの人ってそういうの得意なんでしょ、と思っただけなのだが、角が立つことくらい分かっているのでぼんやりさせる。
「まあ、言いたいことはわかるよ。褒め言葉として受け取っておこう」
はは、と東条は笑う。
「でも、男子と二人きりってのはあんまりないんだよね。部活の後に何人かで帰ることとかは、まあ、あるけど」
「そうか。……東条って何部だっけ?」
「ダンス部」
「あー……」
いかにも陽キャって感じだな、とか思うが口にしない。
「いかにも能天気な陽キャって感じ?」
「そこまでは思ってない」
「あはは、その手前くらいまでは思ったんだ」
東条はまた笑う。
「……能天気な陽キャがやりたくてさ」
「……?」
夕日に照らされる横顔。
「小泉は? 何部?」
「おれは部活入ってない」
「あ、そうなんだ。ロック部とか入らなかったの? 音楽好きなんでしょ」
「ロック部は……」
「……?」
変な間が開いてしまった。
「あー……好きかどうかと演奏するかどうかは別だろ」
「たしかにね」
「……で、どこに向かってんの?」
話題をそらそうとしただけじゃない。
今さっき踏切を渡ったあたりで、最寄駅に向かうルートから外れてしまったのだ。
「んー……あたしの秘密基地」
「秘密基地? え、いいの?」
「いいのって何?」
東条は驚いたように笑う。
「あ、もしかして期待した? 木の上にある小屋みたいな。合言葉言って入るみたいな」
「え、うん。違うのか?」
「そんなに嬉しそうにされるならあたしもそれがよかったわ、あはは」
「秘密基地って言ったらそう思うだろ」
「まー、そうだよね。……あ、ごめん小泉」
東条は、はた、と立ち止まり。
「もうすぐだから……」
「東条……!?」
そして、自分のネクタイをしゅるしゅるとゆるめはじめた。
その膨らみについ視線が奪われそうになって、慌てて上を見る。橙と菫のグラデーションが目に入るが、それすら艶めかしくて恨めしい。
「これつけて?」
「これ……?」
薄目で視線を戻すと、東条は外したネクタイを差し出している。
「え、おれ、もうしてるんだけど……」
「ううん、首じゃなくて……」
おれの背後に回った東条は、
「えっ……!?」
おれの目にネクタイを結んで目隠しした。
「恥ずかしいよね、ごめん」
「いや、え、恥ずかしいっていうか、え。……え?」
戸惑っていると、おれの手に少し冷たい感触が走った。
それが東条の手指だと分かった時には、おれの手は彼女の肩の上に載せられている。
ブラウスの肩口にある固いでっぱり——なんかの紐の感触が否応なしに感じられる。その先にある、柔らかい皮膚も。
「怖くない? 歩くよ」
「え……? いや、怖い怖い怖い怖い!」
進んでいく東条を頼りにおれは歩みを進める。普通に怖い! 何も見えない!
「何、これ、外しちゃダメなのか?」
「うん。秘密だから、秘密基地なんだよ」
「ええー……?」
そして、数十歩過ぎたあたりで、いったん止まる。
「エレベーターに乗ります」
「はい……」
数歩進んで。
「エレベーターからおります」
「はい……」
がちゃがちゃ、と鍵を開けるような音がして、ドアを開く音が、静かにだけど、する。重いドアなんだろうな、と思う。
「着いた、外すね」
東条が目隠しを外してくれると。
「うわあ……!」
おれはつい声を漏らす。
引いたわけじゃない。
目の前にあったのは喫茶店——正確にいうと、喫茶店の跡地っぽいものだった。
店の奥には壁一面ほどはある、もはや建造物認定されるであろう特大のスピーカーと、近くの棚には、たくさんのレコードと、たくさんのCD。その右手に木目調のアップライトピアノ。
そして手前に、スピーカーの方を向いて、4つテーブルがある。
左脇にはカウンターがあり、その奥にはお酒やコーヒー豆が置いてあるべきであろう棚。
「これ、ジャズ喫茶……?」
「あ、やっぱりわかるもんなんだ」
「こんな素晴らしい場所におれを連れてきてくれたのか……?」
サプライズで? なんで? おれの誕生日知ってた? いや、落ち着けおれは今日誕生日じゃない。誕生日だとしても意味がわからないし。
「感謝してんの……? あたしがしたの、ほぼ拉致だと思うんだけど。自分で言うのもなんだけど」
「自分で言うのもなんだな」
しかし、彼女の言う通り、おれは感謝していた。
「実は、一回来たいと思ってたんだ、ジャズ喫茶……」
「じゃあやっぱり適任だったってことだ!」
適任。そうだった、おれはここに何かをしに連れてこられた。
「で、困りごとってなんだ……? あ、レコードの鑑定とかはできないぞ? うちでは買取はやってません」
なんせ元手になる金がない。
「ううん、そうじゃなくて。実は……配線をお願いしたいんだよね」
「配線……!」
このバカでかい機械の?
「うん。ここ、おじいちゃんが老後の酔狂でやってたジャズ喫茶なんだけど、ちょっと前におじいちゃんが亡くなっちゃって」
「それは……なんというか……」
「あー湿っぽくしなくていいよ、90歳の大往生だから!」
「そっか……うん」
「で、おじいちゃんの遺言で『ここは莉音が自由に使っていい』って。あ、莉音ってあたしね?」
「知ってるよ」
「お、知ってた? あたしも小泉の下の名前知ってるよ。四季人。いい名前だよね」
「……話を進めてくれ」
「あははーごめんごめん。んで、高校近いし、っていうかそれで高校選んだから、半年くらい秘密基地にしてたんだけど、お父さんが『オーディオ使わないなら処分するぞ』って、さっきライン送ってきて」
「まあ、使ってないならそうすべきだろうな。使う人のところに行った方がいい」
「でも嫌なの。このスピーカーなくなったら、なんていうか……ここじゃなくなる気がして。そうなったら、あたし、どこで……」
東条は何かを言いかけるようなそぶりを見せて、
「どこで、放課後過ごせばいいのかなって」
と、続けた。
「……なるほど」
「だから、使えるようにしたい。したいんだけど……」
彼女はスピーカーから伸びるケーブルを手に取る。
「これ、パソコンにも挿さんないんだよ?」
「ああー……ま、パソコンに挿すもんじゃないから……」
アナログスピーカーのスピーカーケーブルは、たしかにステレオミニジャックにはささらない。
「スピーカーだけじゃなくて、なんか機械がたくさんあって全然わけわかんなくて……だから、お願い!」
「なるほど……」
おれは腕組みをして天井を見上げる。
その沈黙をノーと受け取ったのか、東条は自嘲的に笑う。
「……なんて、こんなの、都合良すぎだよね。小泉になんのメリットがあんのって感じだし。目隠しまでして連れてきて……ごめん」
「……わかった、やってみるよ。配線」
「本当に……!?」
東条が目を輝かせる。
「……だけど、1つ、条件がある」
「条件?」
東条は首をかしげる。
「ちゃんと繋がったら、何か1曲、好きな曲を聴かせてもらってもいいか?」
「いっ……きょく?」
「レコードかCDか」
「はい、どうぞ……?」
「じゃあ、やるよ」
おれは早速取り掛かろうとブレザーを脱いで椅子の上に置く。
「え、それだけ!? それだけでいいの!? アイスくらい奢るよ!?」
「『それだけ』じゃない、すごいことだ。こんな良いスピーカーで好きな曲が聴けるなんて。でも、アイスはせっかくだからくれ」
腕まくりをすると、すっかり気合いが入る。自分の中にまだ、こんな風にみなぎる気持ちがあることに驚く。まじで今日驚いてばかりだな。びっくり人間コンテスト優勝だ。
「ねえねえ、やっぱりこれってそんなにすごいものなの?」
「『パラゴンスピーカー 値段』でググってみ」
「ぱらごんすぴーかー……これがそういう名前なんだ? えーっと……え!?」
スマホの画面をフリックやらスワイプやらした東条は大声をあげる。
「400万以上!?」
「ああ、スピーカーだけでな。しかもおれもそこまで詳しくないからわからないけど、この真空管アンプも多分100万はくだらない。レコードプレイヤーも相当な品だろうだし……何より、モノが全部揃ったとして、大音量で鳴らせる環境が整わない」
「へえ……」
「こんなの、寝かしちゃダメだし、売りとばすなんてもっとダメだ」
「さっきと言ってること違くない? 売るべきだ的なこと言ってたじゃん」
「さっきはおれが聴けるって条件がなかったから」
「自分の都合!?」
「そっちだって自分の都合だろ?」
「そりゃそうだ……! でも、出来んの?」
「さあな……あ、手伝ってもらえるか? そっちのコードを取って」
「あ、うん!」
東条もブレザーを脱いで加勢してくれる。
伝説級のスピーカーだ。もちろん配線なんてしたことない。
……でも、出来ないことはないはずだ。
おれは、ところどころググりながら、一時間後。
「出来た……多分……」
どうにかこうにか、配線を完了させる。
「わー……!」
そっと、アンプの電源を「入」にする。
「点いた……」
ぼわ、と小さく光が灯りはじめる。
「小泉、聴いてみよう!」
「だめだ、ちょっと待って」
「分かった!」
相変わらず素直だな、東条。
「真空管アンプは電源をつけて少し時間を置かないといけないんだよ」
「真空……! 強そうだね……!」
「……そうだな」
キラキラした瞳に思わず同意してしまう。うん、強そうだよな、真空。
「あ、だんだん光ってきた……! エモーい……!」
暖炉の火にあたるみたいに、二人で屈んでその暖色を見守る。
「そろそろいいか……よし、いくぞ」
ターンテーブルに、手近にあったレコード(John Coltraneの『Ballads』)をセットして、祈るような気持ちで針を落とす。
…………ぷつ、ぷつつ
ノイズが走り、その2秒後。
「鳴った……!」
至高のジャズバラードが空間そのものを優しく揺らした。
「ありがとう!! ありがとうありがとうありがとう!!!!」
「痛い痛い痛い」
おれの右腕を引っ張って揺らす東条。やめてくれちぎれるし好きになる。
「わー、本当にすごい……! あの音だー……!」
「よし、何を聴かせてもらおうかな……」
おれはジャズ喫茶にあるであろうレコードリストを探す。
だいたい冊子になっていて、お客さんがリクエスト出来たりすると聞いたことがある。
店の中をフラフラと物色させていただき、
「お」
小さな本棚を見つけてそこから一冊のノートを取り出す。
「これいい曲だねー……!」
感極まってるっぽい東条の声を背に、取り出したノートの表紙を見る。
そこに書かれていたのは。
『私詩』
レコードリストに、一風変わったタイトルをつけているんだな。
と思って開く。
すると、達筆な丸文字が踊っていた。
* * *
『ありのまま』
夢にまで見た ありきたりな平日
どうにかこうにか生きてるのは
厚底のローファーで下駄履いてるおかげで
靴擦れ 転びそう
つんのめるあたしを 前のめりだとみんなは笑う
ノートはシェルター
裸足になれば あの日のままの 何もないあたし
勘違いしちゃわないように
『ありのまま』と『努力不足』はどう違うだろう
『理想の自分』と『嘘をつく』はどう違うだろう
分からないことだけ変わらないまま
変わらないものさえ分からないまま
* * *
「……ふむ」
違う、これはレコードリストじゃない。
これはきっと——
「うぎゃあああああっ!?」
がたん、と椅子が倒れる音がしたかと思うと、縮地並に早く東条がおれの隣にきて、
「だめっ!!」
とノートをひったくった。
「…………見た?」
顔を上げると真っ赤な顔をした東条。
「見た」
「忘れて?」
「なんで」
「あたしが書いたポエムだからだよぅ!!!!」
「あ、やっぱりそうなんだ」
「なんでそんなに平然としてんの!?!?!?」
「別におれが動揺する必要なくないか?」
「ちょっとくらいしてほしいかも!! ノーコメントが一番辛い!!」
「良い詩だと思ったよ。東条にも悩みっていうか……隠した本音があるんだなって。考え込むタイプなんだな」
「ありがとうだけどなんかそうじゃない気がする!!」
「じゃあどうすりゃいんだよ……」
涙目でおれを睨む東条。睨まれても。
「恥ずかしいよね、こんなの……。あー言いふらされて明日からまたあたしはぼっちになるんだ……せっかく高校デビューしたのに……」
「言いふらさないだろ……」
なんか勝手に自己開示してるし……。
「ほんと!? 約束できる!? 約束できるなら針千本飲んで!?」
「約束破った時に飲むんだよ、針千本は」
「分かった……じゃあ針千本用意しとくね……」
怖いこと言いながら、東条はへなへなとそこらへんにある椅子に座った。破らないっての。……破らないようにしよう。
「……曲を作れないのに歌詞だけ書くの、厨二病なんだって。リアル中二の時に言われた」
「そうなのか。じゃあ、曲を作ってみれば?」
「え、解決策そっち?」
東条が顔を上げてぎょっとする。表情が忙しない人だな。
「他に何が?」
「いや、普通はポエムを書くのをやめるかなって……」
「でもやめてないじゃん。これ、去年の日付書いてある。中二の時に言われたんだろ?」
「すごい細かいところまで見てるね!?」
「やめてないなら、曲作るってことに……ならないか」
東条の言う通り、論理が飛躍したかもしれない。
しかし、
「…………作ってみたことはあるよ」
東条はぽそり、とつぶやいた。
「へえ……!」
「ちょっと待って、今期待したでしょ!」
「期待っていうか……聴いてみたいな、と」
「期待してるじゃん! やだよ、聴かせないから」
「え、音源あるのか?」
「誘導尋問だ!?」
「さっきから勝手に吐いただけすぎる……! まあ、無理にとは言わないけど……ただ、」
……おれはどうしたんだろう。
魔が差したというのか、意地悪な気持ちが顔を出したのか。
それとも、純粋な興味か。
「でも……さっきなんでも一曲聴いてもいいって言ったよな?」
「うん……? ……え、まじ……!?」
おれの真意に気付いたのか、東条は目を見開く。
「その曲、聴かせてくれよ」
「いや、こんなことにその権利使うの!?」
おれもそう思う。でも、おれはずるい手を使っていた。
実は、さっきテストでかけたレコードこそ、おれが聴いてみたい一曲だったのだ。
「あ、ていうか! このスピーカー、レコードしか聴けないでしょ? 音源、スマホにしか入ってないし! あぶなかったー、セーフ!」
「いや、Bluetoothも使えるようにしたよ」
「いつの間に!?」
「レシーバーがあったから繋いどいた」
「何それ?」
「どのスピーカーにもBluetooth接続できる機械」
「その機械も小泉も無駄にシゴデキだな!?」
bluetoothはもう普及してから10年以上経ってる。驚くほどのことじゃない。
「……わかったよ。でも、心して聴いてよ? そんで聞き流してよ?」
「どっちだよ」
東条は「うー」とか「あー」とか言いながらも約束は約束だと思ったのか、iPhoneをbluetooth接続して、そっとその曲を再生する。
ピアノがバンバン叩かれる音と、先ほどのポエムに節がついているものが流れた。
「……ひどいでしょ?」
東条は「改めて自分でも引いた……」とか言いながら顔を机に伏せる。
「ひどいっていうか……」
「あたし、歌が壊滅的に下手なんだ。昔から、音がとれない……っていうか音をとるってことの意味すら分からなくて」
「なるほど……」
「名前に『音』って入ってるのに恥ずかしい……。名付け親のおじいちゃんを一つだけ恨んでるところ」
「この伴奏は?」
「あたしがテキトーに弾いた。そこのピアノを」
「テキトーって、どれくらいテキトーに?」
「目についたところをテキトーに叩いた」
「そりゃテキトーだな……」
もはや『適当』という元の意味からは程遠い。
……しかし、それでも彼女はオリジナルの曲を弾いてみようと思ったのだ。それは多少なりとも、彼女の頭の中にあるフレーズにかすってはいるはず。
「このピアノ、借りてもいいか?」
「え? うん……」
アップライトピアノを軽く弾いてみる。よし、調律は狂ってない。
「ちょっと待って、弾くのも出来んの!?」
「……まあ、ちょっとだけ」
「『好きかどうかと演奏するかどうかは別だろ』って言ってたじゃん! 低い声で!」
「低い声関係なさすぎる……。ほら、たとえば……こうすれば」
おれはさっき東条が弾いていたリズムで、しかし、しっかりとコードを鳴らしてみる。
「え、曲になってる……! ていうかあたしの頭の中で鳴ってたのってこれかもしれない!」
「そっか。そしたら、東条、」
「あたし歌えないよ!?」
言いかけたのを遮られる。
「いや、歌わなくていい。好きなように、詩を読んでみて。さっきの音源みたいに」
「え、今……? 恥ずかしいんだけど」
「おれしか聴いてないから」
「それが恥ずかしいんじゃん!」
「え、おれだよ……?」
「だから何……!?」
「わかったよ……」
おれはヘッドフォンをつける。
「これで聴こえない」
「なんでそこまでしてあたしに歌わせようとするの?」
おれは無視する。だって、聴こえない設定だから。
「いくぞ」
おれはもう一度弾き始める。
迷っていたらしい彼女は、それでも何かに焚き付けられたように、そっと口を開く。
* * *
夢にまで見た ありきたりな平日
どうにかこうにか生きてるのは
厚底のローファーで下駄履いてるおかげで
靴擦れ 転びそう
つんのめるあたしを 前のめりだとみんなは笑う
ノートはシェルター
裸足になれば あの日のままの 何もないあたし
勘違いしちゃわないように
『ありのまま』と『努力不足』はどう違うだろう
『理想の自分』と『嘘をつく』はどう違うだろう
分からないことだけ変わらないまま
変わらないものさえ分からないまま
* * *
弾き終えて、おれはヘッドフォンを外す。
「どうだった?」
ふと彼女の方を見ると、ぶわぁ……!と音がしそうなほど、輝く目を見開いていた。
「すっごい……!」
「……そっか」
「すごいすごいすごい……何これ……!?」
「ポエトリーリーディング」
「ぽえとりーりー……?」
「音楽に合わせて詩の朗読をすることなんだけど……ま、ラップみたいなもんだ」
「へえー……え、あたし今ラップしてたの!?」
「そんなようなもんだよ。これだけレコードがあるんだからさ。それに合わせて朗読するだけでも結構音楽になるんじゃないか」
「音楽に……! あたしにも、音楽ができるんだ……!」
「まあな……って、ええ……!?」
ふと見ると、東条は地団駄を踏み始めた。
「なに、怖いんだけど……!」
「めっっっっっっちゃ楽しい!!」
「お、おう……!」
「ねえ、小泉! 明日もこれ、やってみたい!」
「え?」
明日も……?
「明日、あいてる?」
「まあ、あいてはいるけど……」
帰宅部のおれは毎日放課後はあいている。
「あー、でも明日はあたしが部活あるんだ……。待たせるわけにもいかないし……。ね、小泉ってジャズ好きだよね?」
「好きだけど……」
「今日聴けなかった一枚……といわず、レコード聴き放題って言ったらどうする? ここで、好きなだけ」
「天に召す」
「あはは、なんだそれ。……じゃ、さ」
東条は鍵を差し出してくる。
「……?」
「これ、ここの合鍵。明日先に入って待ってて」
「いや、でも、ここ、秘密基地なんだろ……?」
「うん。でも、大丈夫」
「そうなのか?」
「うん、小泉なら」
「小泉ならって」
「いいから!」
もどかしそうにおれの手を取ってぎゅっとその合鍵を握らせた。
「絶対なくさないでよ? あと……」
これだけは守って、としっかりおれを見つめて、東条は言う。
「他の誰かを入れちゃ、絶対ダメだからね?」
26.10.01追記
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