シーン7:誰も止めない理由
王太子の宣言が空気に溶け、
レティシアの返答が波紋のように広がったあと。
広間には、まだ余白があった。
止めようと思えば、止められた。
その程度の沈黙。
けれど――誰も動かない。
● 宰相
フェルナーは、計算している。
止めることはできる。
「殿下、再考を」と言えばいい。
たった一言で、この夜は別の形に変わる。
だがその瞬間、何が起きるかも理解している。
王太子の威信は傷つく。
決断した王族が、その場で覆す。
それは優しさではない。
“迷い”と映る。
求心力がさらに下がる。
今、王家が最も失ってはならないもの。
それが威信だ。
フェルナーは、知っている。
そして、知っているからこそ――
黙る。
彼は現実的だ。
国を守るために、
一人を切り捨てる判断を、理解してしまう。
その合理性が、
自分の胸を少しだけ冷やしていることにも。
● 貴族
広間の各所で、扇子が静かに揺れる。
公爵家は強すぎた。
財務、調整、影響力。
すべてを握りすぎていた。
その中心が、王太子妃になれば――
王家と公爵家が事実上、同化する。
それを望まない者は多い。
「バランスが取れたな」
誰かが、心の中で呟く。
露骨な敵意はない。
だが、機会ではある。
公爵家の影響力が少し弱まるなら、
悪くない。
だから止めない。
正義でも、悪意でもない。
ただ、利。
● 聖女
ミリアは両手を胸元で組んでいる。
自分の名が理由に含まれていることに、
戸惑いはある。
けれど、理解できない。
自分は何もしていない。
ただ祈っただけ。
レティシアに冷たくされたと、
感じたことも、正直にはない。
ただ、距離があっただけ。
それが理由になるとは、思っていない。
だから彼女は、祈る。
この場が荒れないように。
誰も傷つきすぎないように。
平穏でありますように、と。
止めるという発想は浮かばない。
止めることが、
さらなる波を生むかもしれないから。
彼女は常に、平均を選ぶ。
● 王太子
アルドリックは、自分の言葉の重さを感じている。
一度口にした。
もう引けない。
ここで撤回すれば――
優柔不断。
情に流される。
決断できない王。
そう見られる。
それだけは避けたい。
彼は国を守りたい。
王として立ちたい。
そのための“決断”だと、自分に言い聞かせている。
胸の奥にある小さな違和感を、
見ないようにしながら。
● だから
止められる人間はいた。
止める理由も、わずかにあった。
それでも。
誰も止めない。
声を上げるほどの確信も、
傷つく覚悟も、
誰も持っていなかった。
こうして断罪は、個人の感情ではなく、
“制度”として完成する。
悪役令嬢という役割。
王家の威信を保つための儀式。
不満を吸収するための構造。
誰かの悪意ではない。
誰か一人の責任でもない。
ただ、全員が少しずつ合理的だった。
その積み重ねが、
一人の立場を静かに消す。
音楽が再び流れ出す。
談笑が戻る。
夜は続く。
制度は、滞りなく作動した。
そして誰もが、
ほんの少しだけ、何かを失ったことに――
まだ気づかないふりをしていた。




