シーン4:レティシアの視点
名を呼ばれた瞬間、レティシアはゆっくりと瞬きをした。
予想外ではない。
むしろ、少し遅いくらいだった。
王太子の声は、よく通っている。
速さも、緊張も、彼女にははっきりわかった。
(ああ、今夜なのですね)
それだけを思う。
驚きはない。
怒りもない。
ただ、段取りが一つ進んだ、という感覚。
この断罪は、感情の爆発ではない。
王太子の威信回復。
聖女人気の固定化。
貴族不満のガス抜き。
そのすべてを、ひとつの象徴でまとめるための儀式。
“決断する王太子”を示す夜。
“守られる聖女”を確定させる夜。
“力を持ちすぎた公爵家”を少し引かせる夜。
計算式は簡単だ。
誰かが引き受ければ、均衡は保たれる。
その誰かが、自分だっただけ。
(合理的です)
そう思えることに、少しだけ安堵する。
理不尽ではない。
感情の暴走でもない。
構造の帰結だ。
彼女は視線を巡らせる。
宰相はわずかに目を伏せている。
書記官長は眉間に皺を寄せている。
聖女は戸惑いながらも祈るように手を組んでいる。
王太子は――まっすぐ前を見ている。
彼は、自分が何を失うのか、まだ正確には知らない。
それでも進んだ。
その勇気だけは、本物だ。
だからこそ、止めない。
自分は“調整弁”。
圧力が高まりすぎたとき、抜かれる部品。
壊れないための犠牲。
悪役令嬢という役割は、そういうものだ。
感情は動かない。
動かしても、意味がない。
恨めば楽になるのだろうか、と一瞬考える。
けれど、それも効率が悪い。
ただ――
ほんの少しだけ、疲れる。
これまで均衡を保つために整えてきた数字。
夜遅くまで書き直した予算案。
対立を丸く収めるために選んだ言葉。
それらが、静かに手を離れていく。
惜しい、とは思わない。
だが、少しだけ肩が重い。
(次の帳簿は、誰が整えるのでしょう)
そんなことを考えてしまう自分に、
わずかに苦笑したくなる。
断罪の言葉はまだ続いている。
広間の空気は、固まりきらず、流れきらず、宙に浮いている。
レティシアは背筋を伸ばした。
儀式ならば、最後まで正しく終わらせるべきだ。
自分は役目を果たす。
それだけだ。
そうして彼女は、静かに一歩、前へ出た。




