第5章:責任の湿度
王城会議室。
長い楕円形の机。
重厚な椅子。
壁には王国の紋章。
窓の外には穏やかな王都。
会議は定刻に始まった。
出席者は多い。
宰相フェルナー。
財務官。
魔導局長。
神殿代表。
王太子アルドリック。
議題は――
王国の微妙な変化。
しかし、誰もその言葉を使わない。
財務官が報告する。
「辺境領の税収が、やや増加傾向にあります」
紙が配られる。
数字は明確だ。
穀物。
交易。
物流税。
すべてが伸びている。
だが言葉は慎重だ。
「これはおそらく、一時的な市場変動かと」
誰も反論しない。
魔導局長が続く。
「王都の魔力消費が若干増加しております」
結界維持費。
補助術式。
再調整費用。
数値は小さい。
だが確実に増えている。
「安全性を高めるための調整であり、問題ではありません」
神殿代表も口を開く。
「人口移動についてですが」
商人。
職人。
若い労働者。
辺境へ向かう流れがある。
だが説明はこうだ。
「新規開拓地への自然な移動と考えられます」
誰も嘘は言っていない。
すべて事実だ。
すべて正しい。
だが――
何かが欠けている。
会議室の空気は静かだった。
誰も声を荒げない。
誰も机を叩かない。
王太子アルドリックは、ゆっくりと頷く。
「つまり」
「大きな問題はないということだな」
誰もすぐには答えない。
数秒の沈黙。
そして宰相フェルナーが口を開く。
「はい」
「現時点では」
その言葉は、慎重に置かれた。
まるで割れ物のように。
会議は続く。
だが議論は広がらない。
深くもならない。
言葉は曖昧になる。
「一時的な変動」
「市場調整」
「自然な人口移動」
同じ言葉が、ゆっくりと巡る。
誰も嘘は言っていない。
しかし。
誰も
本当のことを言わない。
本当のことを言えば、
そこに名前が生まれる。
原因。
判断。
決断。
そして――
責任。
責任は熱を持つ。
熱は広がる。
燃える。
誰かを焦がす。
場合によっては、
国そのものを。
だから人は、
それを湿らせる。
ぼかす。
薄める。
言葉を柔らかくする。
原因を拡散させる。
時間の中に溶かす。
そうすれば、
燃えない。
煙も出ない。
ただ、
静かに沈む。
これが――
責任の湿度。
会議は予定通り終了する。
結論はない。
決定もない。
ただ、
「状況を注視する」
という一文が記録に残る。
人々は席を立つ。
椅子が静かに引かれる。
書類が閉じられる。
王太子も立ち上がる。
彼の表情は穏やかだ。
怒りもない。
焦りもない。
ただ、
少しだけ疲れている。
誰も気づかない。
だが。
その会議の間にも、
王国は少しだけ傾いていた。
音もなく。
軋みもなく。
ほんの、
わずかに。




