第3章:宰相フェルナーの理解
王城執務室。
夜は深い。
窓の外には王都の灯が並び、静かな光の海を作っていた。
室内では、机の上に資料が広げられている。
税収報告。
物流統計。
魔力観測記録。
人口移動の台帳。
それらを一枚ずつ読み込んでいるのは、宰相フェルナーだった。
彼は無駄のない動作で紙をめくる。
眉は動かない。
声も出ない。
ただ、目だけが鋭く動いていた。
机の上には、すでに整理された紙束がいくつも並んでいる。
王都の税収。
下降。
辺境の税収。
上昇。
物流路の変化。
王都経由の交易が減少。
辺境経由が増加。
人口移動。
職人。
商人。
若い労働者。
静かに王都を離れている。
そして――
魔力観測。
王都。
高密度。
だが停滞。
辺境。
密度は低い。
だが循環がある。
フェルナーは椅子に深く座り直す。
長い指で机を軽く叩く。
トン。
トン。
思考のリズムだった。
彼は一枚の紙を取り上げる。
それは古い記録。
王都行政の調整報告書。
署名欄。
そこに書かれている名前。
レティシア・アルヴァレン公爵令嬢。
フェルナーは静かに息を吐いた。
「……なるほど」
声は低い。
独り言に近い。
彼は資料を並べ直す。
税収。
物流。
魔力。
人口。
四つの線を頭の中で重ねる。
すると――
一本の流れが見えてくる。
王都から辺境へ。
ゆっくりと。
しかし確実に。
王国の重心が動いている。
フェルナーの目が細くなる。
この流れは偶然ではない。
むしろ逆だ。
かつては、こんな流れは起きなかった。
王都は中心であり続けた。
地方は支えであり続けた。
均衡が保たれていた。
だが。
その均衡は自然に存在していたわけではない。
誰かが整えていた。
誰かが調整していた。
フェルナーは再び、あの名前を見る。
レティシア。
彼女は派手な権力を持っていたわけではない。
王命を下す立場でもない。
軍を動かす権限もない。
だが。
会議の議題整理。
物流の許可順序。
魔力結界の優先順位。
地方申請の処理順。
細部。
無数の細部。
それらを整えていた。
王都と辺境。
権力と現場。
魔力と経済。
彼女はそれらの間に立ち、
衝突を減らし、
流れを作っていた。
フェルナーは静かに呟く。
「この王国には……」
言葉がゆっくり落ちる。
「流れを調整する者がいた」
部屋は静まり返っている。
時計の針の音だけが響く。
彼は次の紙を手に取る。
それは断罪の記録。
王太子主導の婚約破棄。
公爵令嬢レティシアの追放。
署名。
承認。
手続きは完璧だった。
政治的にも問題はない。
だが。
その日を境に。
数字が変わっている。
税収。
物流。
魔力。
人口。
すべて。
フェルナーはゆっくり目を閉じた。
理解したからだ。
断罪によって、
失われたものがある。
一人の令嬢。
それだけではない。
王国の――
調整機構。
彼は小さく呟いた。
「あの令嬢が……」
静かな声だった。
しかしその言葉には、
重い確信があった。
「流れを調整していたのか」
執務室の窓の外。
王都は今日も穏やかだった。
争いはない。
騒ぎもない。
だが。
書類は積み上がる。
決断は遅れる。
流れは滞る。
そして。
王国は、
ゆっくりと傾き始めていた。




