第五幕「じわじわと傾く」第1章:数字の異常
王城の奥、石壁に囲まれた財務室。
昼を過ぎた光が高窓から差し込み、長机の上に広げられた帳簿の上で静かに揺れていた。
羽ペンの音だけが響く。
さらさら、と。
王国財務官たちは黙々と数字を書き写している。
税収、徴収率、輸送量、保管費。
いつもと同じ作業。
いつもと同じ静けさ。
――のはずだった。
一人の若い財務官が、手を止めた。
「……あれ?」
隣の机の年配の官吏が顔を上げる。
「どうした」
若い官吏は帳簿をめくる。
もう一度、数字を確認する。
そして、さらに前の年度の帳簿を引き寄せた。
指先が少し震えている。
「計算……間違いでしょうか」
「どれだ」
年配の官吏が椅子を寄せる。
若い官吏は指を置いた。
辺境領。
そこに並ぶ数字。
穀物税。
交易税。
物流通行税。
すべてが伸びている。
しかも、緩やかではない。
跳ね上がっている。
年配の官吏の眉が寄る。
「再計算したか」
「三回」
「帳簿の転記ミスは」
「ありません」
沈黙。
部屋の別の机でも、同じ声が上がった。
「……こちらもです」
「物流量が増えている」
「交易許可証の発行数が倍近い」
紙をめくる音が重なっていく。
やがて、誰かが言った。
「原因は?」
帳簿の端に書かれた地名。
辺境領。
その中でも、一つの街。
パン窯の街。
交易路の再開。
村の自治。
小規模商人の流入。
すべての矢印がそこへ向かっている。
若い財務官が呟いた。
「……レティシア嬢の領地です」
部屋が静まり返る。
その名前は、王城ではあまり口にされない。
しかし、誰もが知っている。
かつて王都で断罪された令嬢。
追放された令嬢。
年配の官吏が帳簿を閉じた。
「……それだけではない」
彼は別の帳簿を引き寄せた。
王都の税収。
去年。
今年。
数字が並ぶ。
そして――
下がっている。
小さく。
だが確実に。
商取引税。
職人登録税。
市場利用税。
どれも少しずつ減っている。
若い官吏が言う。
「商人の登録が減っています」
別の官吏が答える。
「職人もだ」
「工房閉鎖が増えている」
帳簿の端に書かれた備考。
移動。
移住。
転出。
理由は簡単だった。
「仕事がある場所に行っている」
誰かが静かに言う。
「……辺境へ」
窓の外。
王都はいつも通りだった。
整然と並ぶ石造りの街。
市場の喧騒。
貴族の馬車。
何も変わっていないように見える。
王都は気づいていない。
しかし。
机の上の数字は嘘をつかない。
穀物。
物流。
人口。
すべての流れが少しずつ動いている。
王国の中心はまだ王都にある。
だが――
重心は。
静かに。
ゆっくりと。
動き始めていた。




