シーン6:ミリアの恐れ
夜の王宮礼拝堂。
灯りは落とされ、祭壇の前だけが淡く照らされている。
聖女ミリアはひとり、跪いていた。
両手を組み、深く祈る。
王都のために。
国のために。
争いが起きぬように。
不幸が広がらぬように。
祈りは純粋だ。
だからこそ、応える。
胸の奥から、光が満ちる。
幸福平均化の加護が広がる。
静かな波となって、王宮を包む。
――その瞬間。
王都から、揺れが消える。
遠くの執務室。
議論の声がわずかに高まる。
その直前で、空気が緩む。
苛立ちが薄れ、声が下がる。
中庭。
若い騎士が上官へ不満を抱く。
胸が熱を帯びる。
だが次の瞬間、気持ちは鎮まる。
「まあ、仕方ない」
言葉が丸くなる。
町の広場。
商人が役所の遅延に苛立つ。
拳を握る。
だが怒りは続かない。
「いずれ通るだろう」
諦めが、穏やかに広がる。
揺れが、消える。
ミリアは祈りを止め、息を呑む。
感じる。
王都の波が、凪いでいく。
完璧な平穏。
完璧な均衡。
だが――
動かない。
彼女は立ち上がる。
礼拝堂の扉を押し開ける。
廊下は静か。
足音が響く。
誰も走らない。
誰も怒鳴らない。
誰も泣かない。
理想の光景。
だが胸の奥が冷える。
自分は、不幸を減らしているのだと思っていた。
暴走する怒りを鎮め、
絶望を和らげ、
争いを未然に防ぐ。
それが役目。
それが善。
だが今、浮かぶ疑問。
――これは、本当に救いなのか。
揺れがなければ、痛みもない。
だが揺れがなければ、変化もない。
怒りがなければ、正されない。
焦燥がなければ、動かない。
悲しみがなければ、求めない。
喜びが爆発しなければ、挑まない。
王都は穏やかだ。
穏やかすぎる。
ミリアは中庭の池を見る。
水面は鏡。
風もない。
波紋もない。
だが水は、流れていない。
止まった水は、やがて濁る。
「……これは」
声が震える。
「正常ではない」
自分の祈りが、国を守っていると信じていた。
だがもし。
守っているのではなく、
止めているのだとしたら。
礼拝堂の鐘が鳴る。
澄んだ音。
美しい響き。
その音すら、どこか平坦に感じる。
ミリアは初めて、
自らの加護を恐れた。




