シーン4:王太子の変化
王宮執務室。
高窓から差し込む光が、整然と並ぶ書類を照らしている。
王太子は椅子に深く腰掛け、指先で封蝋の縁をなぞっていた。
穏やかな横顔。
柔らかな声。
怒鳴ったことはない。
机を叩いたこともない。
側近が一歩進み出る。
「増税案はいかがなさいますか」
王太子は視線を上げる。
困惑はない。
苛立ちもない。
ただ、静かな思案。
「……もう少し検討を」
側近は頷く。
反論はしない。
空気は乱れない。
次の書類が差し出される。
「軍備再編の件ですが」
「慎重に」
即断ではない。
否決でもない。
先送り。
言葉は柔らかい。
誰も傷つかない。
会議は穏やかに進む。
だが、進むだけで決まらない。
王太子は悪人ではない。
むしろ理想的に優しい。
反対意見に耳を傾ける。
少数派を切り捨てない。
怒りに任せて命じることもない。
彼は“よい王”であろうとしている。
だが、決めない。
決めるということは、
誰かを選び、誰かを切り捨てること。
何かを得て、何かを失うこと。
その痛みを避ける。
避けられてしまう。
幸福平均化の加護が、
会議室の空気をやわらげる。
強い意志は角が取れ、
鋭い主張は丸くなる。
王太子の迷いは、否定されない。
誰も責めない。
「ご英断です」
「賢明なご判断」
言葉は優しい。
だからこそ、彼は踏み出せない。
夜。
執務室にひとり残る王太子。
机には未決裁の書類が積まれている。
彼は窓の外を見る。
王都は静かだ。
暴動もない。
抗議もない。
民は従順。
貴族は礼儀正しい。
平和。
理想の姿。
それでも胸の奥に、わずかな違和感がある。
何かが足りない。
かつて、隣に立つ者がいた。
意見を整理し、
決断の負荷を引き受け、
「お決めください」と静かに告げる者。
今は誰も言わない。
言わなくても済む空気がある。
王太子は書類に視線を落とす。
封を切らないまま、指を離す。
灯りが揺れる。
だが風はない。
国は穏やかだ。
誰も怒らない。
誰も傷つかない。
――だが、動かない。
静かなまま、止まり続けている。




