シーン2:数値としての異常
神殿の奥には、祈りの記録を保管する部屋がある。
分厚い帳簿が棚に並び、羊皮紙の匂いが満ちている。
聖女ミリアは一冊を机に広げた。
祈祷記録。
加護の発動履歴。
本来、幸福平均化は“波”のように現れる。
戦時、不作、疫病――
強い不安や怒りが生まれたときに反応する。
だが。
最近の記録は違った。
発動回数が増えている。
しかも、局所的に。
王宮中心部。
議会棟、執務室、会議室。
その周辺で異常値。
「……どうして」
指先で数値をなぞる。
政治会議中に自動発動。
強い対立が生じる直前に干渉。
決断の瞬間に、波が収まる。
怒りが和らぐ。
焦燥が薄れる。
緊張がほどける。
そして――
“丸く収まる”。
だが、決まらない。
ミリアはさらに古い記録を開く。
過去の発動は、山のようだった。
大きく高まり、そして収束する。
揺れがあった。
波があった。
今は違う。
細かく、頻繁に。
常に薄く広がっている。
王宮は、絶えず均されている。
同じ頃。
会議室では法案が議題に上がっていた。
税制改正。
軍備再編。
地方支援策。
どれも重要。
だが結論は出ない。
「時期尚早かと」
「慎重を期すべきでしょう」
「もう少し調査を」
声は穏やか。
表情は柔らかい。
誰も机を叩かない。
誰も声を荒げない。
怒号も涙もない。
代わりに、議題は次回へ。
また次回へ。
さらに次回へ。
改革案は修正を重ねる。
角が削られる。
条文が増える。
責任の所在が曖昧になる。
やがて骨だけが残る。
骨抜きの案。
誰も反対しない。
だが誰も熱を持たない。
神殿。
ミリアは帳簿を閉じる。
争いはない。
暴動もない。
不満は爆発しない。
理想的な安定。
だが、胸の奥に冷たいものが広がる。
前進が、ない。
揺れがないから、動かない。
均され続ける感情は、
やがて意思そのものを削るのではないか。
彼女は窓の外を見る。
王都は穏やかだ。
美しい。
整っている。
だが風がない。
旗は垂れ下がったまま。
「……これは、守れているの?」
問いは誰にも届かない。
鐘が鳴る。
同じ高さ。
同じ強さ。
同じ響き。
その音が、やけに平坦に聞こえた。




