シーン4:王太子の焦燥
● 第一段階:苛立ち
「北門結界、再調整が必要です」
報告書が机に置かれる。
アルドリックは一瞥し、軽く指で叩いた。
「誤差の範囲だろう」
声は冷静。
だがわずかに速い。
「税収予測も、1.3%の下振れが――」
「担当官の問題だ。確認体制を強化しろ」
即断。
迷いなく。
それが今の彼の武器だった。
決断する王。
揺れない姿勢。
それを示すことが、何より重要だ。
小さな乱れを、自分の決断と結びつけるなど。
ありえない。
ありえないはずだ。
報告官が退出する。
静かな室内。
机の上に積まれた紙束。
以前より、確実に増えている。
だが彼は視線を逸らす。
これは過渡期だ。
担当官の熟練不足。
組織再編の余波。
そうだ。
原因はそこにある。
そうでなければならない。
● 第二段階:不安
数日後。
追加報告。
結界再調整に伴う予算増額申請。
税収予測の再計算。
聖女支援計画の一部保留。
「……なぜ同時に起きる?」
思わず漏れた言葉。
財務官は答えられない。
数字は大きく崩れていない。
国家危機でもない。
だが。
じわじわと圧迫する。
余裕が削られる。
余白が消える。
「偶然か?」
誰にともなく呟く。
偶然。
そうだろう。
そうであってほしい。
答えは単純だ。
同じ調整者が消えた。
だから均衡が崩れた。
だがその答えを、彼は拒む。
それを認めることは。
自分の決断が、国政に影響したと認めること。
それは、威信の否定。
自分の判断が誤りだった可能性。
王になる者が、最も認めてはならないもの。
彼はまだ、そこに踏み込まない。
● 第三段階:疑念
夜。
執務室。
灯りは一つだけ。
窓の外は暗い。
アルドリックは一人、資料を並べている。
断罪前、三か月分。
断罪後、三か月分。
数字は大きく変わらない。
収支は均衡内。
魔力消費も許容範囲。
表面は正常。
だが。
滑らかではない。
以前は、水のようだった。
月次変動が自然に繋がり、
小さな揺らぎが即座に吸収され、
流れが途切れなかった。
今は。
段差がある。
引っかかりがある。
帳簿をめくる指が止まる。
砂を噛むような感覚。
制度がきしむ音が、
耳の奥で鳴る。
ふと、脳裏に浮かぶ。
夜会。
静まり返った広間。
彼女の声。
「承知いたしました。
では来季予算案は、宰相閣下へお渡しいたします」
あの瞬間。
自分が一瞬だけ、言葉を失ったこと。
なぜか。
なぜ、あの一言で空気が変わったのか。
胸の奥が、ざわつく。
あれは単なる形式ではなかったのではないか。
彼女は何を握っていた?
なぜ宰相が顔色を変えた?
机の上の未処理書類。
重なった修正印。
彼はゆっくりと目を閉じる。
違う。
まだ断定するな。
偶然だ。
時間が解決する。
担当官が慣れれば戻る。
そうだ。
そうでなければならない。
だが。
心の奥で、小さな声が囁く。
――本当に、彼女はただの“調整弁”だったのか?
彼はその問いから目を逸らす。
まだ。
まだ認めない。
けれど疑念は、確かに生まれていた。




