シーン3:バルクの気づき
王城地下の資料室。
石壁に囲まれた空間は、外界よりもひんやりとしている。
紙と革と、古いインクの匂い。
書記官長バルクは、一人で棚をめくっていた。
積み上げられた帳簿。
年度別収支報告。
結界維持費一覧。
穀物備蓄推移表。
彼は三年分を机に並べる。
重い冊子が、鈍い音を立てる。
ページを繰る。
修正履歴欄。
追記欄。
訂正印。
……少ない。
極端に少ない。
普通ならあるはずの赤字修正が、ほとんど存在しない。
誤記がないのではない。
誤記が発生していない。
「……無駄がない」
思わず漏れた声が、石壁に吸われる。
数字は滑らかだ。
月ごとの変動に段差がない。
地方差はあるが、急変がない。
まるで、あらかじめ波を均したかのよう。
バルクの脳裏に、あの令嬢の姿が浮かぶ。
夜会の広間を去る後ろ姿。
「あの令嬢……修正させなかったのか」
違う。
彼は首を振る。
修正が必要になる前に、
整えていた。
問題が表に出る前に、
均していた。
修正とは、結果だ。
彼女は原因の段階で処理していた。
だから履歴が残らない。
存在が記録されない。
静かな仕事。
そして、今。
机の上には、修正待ちの書類が積まれている。
赤い付箋。
保留印。
小さな乱れが、可視化されている。
彼は冊子を閉じる。
重い音が、やけに大きい。
● バルクと宰相の対話
宰相執務室。
フェルナーは窓辺に立っていた。
王都の屋根が遠くに見える。
バルクは礼をして、静かに告げる。
「閣下、あの方の不在は予想以上です」
フェルナーは振り向かない。
「具体的には」
「帳簿の滑らかさが失われています。
修正が増え、調整が遅延しています」
短い沈黙。
「代替は?」
即答。
「役職が存在しません」
その言葉が、室内を冷やす。
フェルナーがゆっくりと椅子に腰を下ろす。
「……正式な職務は?」
「王太子妃候補。
財務権限は限定的。
記録上、補佐業務のみ」
「引き継ぎ資料は」
「ありません」
バルクは続ける。
「彼女の仕事は、肩書きに記載されていない」
だから、
存在しなかったことにできる。
だが、
機能までは消せない。
沈黙が落ちる。
フェルナーの指が机を軽く叩く。
規則上、問題はない。
断罪は合法。
手続きも整っている。
だが制度は、想定外を抱え込んでいる。
「……見積もりを誤ったか」
小さな独白。
バルクは答えない。
評価ではない。
事実だけが積み重なる。
レティシアの名は議事録にない。
だが彼女が抜けた穴は、
数字の乱れとして現れている。
肩書きがなかった。
だから代替もない。
制度の外側で動いていた歯車。
それを外したまま、
制度は回り続けている。
だが音が変わった。
静かに、確実に。




