第12話:教会防衛戦
※初めての方は【目次】から ep.1 推奨。なお ep.2 から異世界編(本編)です。
その怪物の前に、たった一人、剣を構えて立ちはだかる男がいた。
白髪交じりの髪を乱し、立派な髭を蓄えた初老の騎士。
この街の領主、ベンクローム・アーデルハイト騎士卿である。
「はぁ……はぁ……なぜ、このような魔物が……」
ベンクロームの手は震えていた。
勇敢な部下たちは全滅した。自身の魔力も尽きかけている。
だが、退くわけにはいかない。背後の屋敷には、家臣たちや、何より避難してきた住民たちがいるのだ。
「グオォォォォ……」
一体のシャドウオーガが、血に濡れた巨大な戦斧をゆっくりと振り上げる。
その一撃を受ければ、今のベンクロームの体など木の葉のように粉砕されるだろう。
死を覚悟し、彼が最期の特攻を仕掛けようとした、その時だった。
ベンクロームの視界――シャドウオーガ達の巨大な肩越しに、夜空の向こうから「何か」が急接近してくるのが目に入った。
「……な?」
ザァッ!!
落下の衝撃と共に土煙が舞う。
それと同時に、左右にいたシャドウオーガの首が、噴水のような血しぶきを上げながら宙を舞った。
「おー、アリーすげー腕じゃん!」
「あなたも、とんでもない太刀筋でしたよ」
土煙が晴れると、そこにはニカッと笑う赤髪の男と、涼しい顔で巨大な剣を振るう白銀鎧の兎が立っていた。
「ベンクローム卿、救援に参りました」
「アリスセレーネ様か?! 救援感謝する!」
ベンクロームが驚愕と安堵の声を上げる。
だが、敵はまだ三体残っている。安堵するにはまだ早い――そう思った瞬間だった。
アリスセレーネが、スゥ……と息を吸い込み、刀身を構える。
「「――『ユーベルアウスシャルトゥン流イナバ派剣術』――」
その姿がブレた、とベンクロームが思った時には、彼女はすでに消えていた。
いや、移動ですらない。
「――『ウルフムーン』・『ウルフハント』!」
フッ、とアリスセレーネの姿が空間に溶けるように消失する。
次の刹那、何の予兆もなく二体のシャドウオーガの背後に、唐突に彼女が出現していた。
空間を跳躍する、神出鬼没の『短距離転移』。
ザシュッ!
死角から放たれた冷徹な刃が、反応すら許さぬまま二つの首を同時に狩り落とす。
ズン……。
一拍遅れて、二体の巨体から同時に首が滑り落ちる。
鮮やかなる瞬殺劇。
「ふふっ。ザキさん、これで3対1。わたしの勝ちですね」
「え……あ!」
アリーが優雅に微笑む横で、ザキが慌てふためく。
戦場には、呆然と立ち尽くす最後の一体のシャドウオーガだけが残されていた。
「さ、最後のは俺がもらうからな! これ逃したら俺のいいとこ無しだろぉぉぉッ!」
「グルルッ……ガァッ!!」
凍りついた空気を裂いて、生き残りのシャドウウルフが背後から襲いかかってきた。 速い。普通の人間なら反応すらできず、喉笛を食いちぎられていただろう。
だが――今の俺は『銀狼』だ。
「……遅い」
俺は振り返りもせず、気配だけで半身をずらす。 鋭い牙が、俺の鼻先数センチの虚空を虚しく噛み砕いた。 通過していく狼の横顔が、スローモーションのように視界を流れる。
俺は魔力で強化した剛腕を引き絞り、その無防備な側頭部へと叩き込んだ。
「『マジック・正拳突き』ッ!!」
ドゴォォォォォォンッ!!
拳が接触した瞬間、圧縮された魔力が内部で炸裂した。 シャドウウルフの頭部が、熟した果実のように内側から弾け飛び、黒い霧となって霧散する。 悲鳴を上げる暇すらない、一撃必殺。
残された胴体が、勢いのまま地面を滑り、動かなくなった。
「ッ……!?」
その圧倒的な暴力を目の当たりにし、残りのシャドウウルフたちが一斉に足を止めた。 ピリピリとした殺気が肌を刺す。 奴らの視線が、獲物から、明確な脅威(俺)へと切り替わったのだ。
唸り声を上げ、じりじりと包囲網を縮めてくる黒い獣たち。 俺が一番の『危険人物』として認定された証拠だ。
「上等だ。かかってこいよ」
俺が手招きをした、その時だ。
「シン! 加勢するニャッ!」 「シンさん! 遅れましたぁ!」
教会の入り口から、二つの影が飛び込んできた。 短剣を構えたリアと、杖を握りしめたミミコッテだ。
「リア、ミミコッテ! 来てくれたか!」
「負傷者のカバーは任せてくださいですぅ! シンさんは前をお願いしますぅ!」
ミミコッテが素早くセシリアやマリエラたちの前へ走り込み、防御結界を展開する。 リアも遊撃の位置につき、いつでも飛び込める態勢をとった。
「助かる! ……よし、これで心置きなく暴れられるな」
後顧の憂いはなくなった。 俺がニヤリと笑った瞬間、示し合わせたようにシャドウウルフたちが一斉に跳んだ。
「ガァァァァッ!!」
四方八方、全方位からの同時攻撃。 逃げ場のない牙の檻。
だが、今の俺にはそれすらも止まって見える。
「『流水』――」
俺は最小限の動きで、最初の二匹の攻撃を躱す。 すれ違いざまに肘打ちを叩き込み、一匹を粉砕。 返しに回し蹴りを放ち、もう一匹を壁に叩きつける。
ドォン! バギィッ!
三匹目、四匹目。 カウンターの拳が次々と黒い影を霧散させていく。
だが、敵の数が多い。 物理的な身体(腕二本)だけでは、どうしても捌ききれない死角が生まれる。
「背中が空いてるニャ!?」
リアが叫ぶ。 死角から飛びかかってくる三体の狼。躱す体勢も、迎撃する予備動作も間に合わない。
――普通なら、な。
「手が足りないなら、増やせばいいだけだ」
俺は思考だけで魔法陣を展開する。
「出ろ! 『ヨトゥン・アーム』!!」
ズドォォンッ!!
俺の背後の空間から、召喚魔法による『巨人の腕』が二本、実体化して飛び出した。 丸太のような腕が、迫りくる狼たちを空中で鷲掴みにする。
「ギャッ!?」
「潰れろ」
グシャァッ!
巨人の握力によって、狼たちは為す術なく握りつぶされ、黒い粒子となって消えた。
俺自身の二本の腕と、魔法による二本の巨腕。 計四本の腕を振るい、俺は教会内を荒れ狂う嵐となって駆け巡った。
――50、いや60体はやっただろうか。 教会の床は、すでに黒い霧と化した魔物の残滓で埋め尽くされていた。
「グルァッ!!」
残った最後の一匹、ひときわ大きなシャドウウルフが、恐怖を怒りで塗りつぶして飛びかかってくる。 直線的すぎる。今の俺には、止まって見える悪あがきだ。
俺は半歩踏み込み、下から掬い上げるようなショートアッパーを、狼の顎先へ叩き込んだ。
ゴッ!
嫌な音がして、狼の巨体がカチ上げられる。脳が揺れ、空中で無防備に硬直した一瞬の静寂。 そこへ、俺は全霊の魔力を込めた右拳を構えた。
大きく踏み込んだ足が、教会の硬い大理石の床を粉砕し、めり込む。 下半身から腰、背中、そして拳へ。全身のバネと魔力を一点に収束させる。
「『マジィィィック・崩拳』ッ!!」
ドゴォォォォォォォンッ!!
放たれた正拳突きは、青白い魔力のオーラを纏い、まるで大砲のようにウルフの腹部を貫いた。 衝撃波が背中へと突き抜け、教会の壁まで風穴を開ける。 魔物は悲鳴を上げる間もなく、爆散した。
「……ふぅ」
舞い散る黒い霧の中、俺はゆっくりと残心を解き、胸の前で腕を十字に切った。
「押忍!」
ビシッ! と空手家のポーズを決める。 誰も見ていない(いや、全員見ているが)ところでも、礼節は忘れない。それが元サラリーマンの流儀だ。
俺は深く息を吐き、『獣化』を解除した。 全身を覆っていた銀色の体毛が光の粒子となって消え、筋肉が収縮していく。
「お、おわったにゃぁ~……」 「ふにゅぅ……」
緊張の糸が切れたのか、リアとミミコッテがその場にへなへなと尻もちをついた。
「シン~、元に戻っちゃうのかにゃ~?」
リアが残念そうに尻尾を垂らす。
「ああ。変身しっぱなしだと、魔力も体力もかなり持ってかれるんだよ。燃費が悪くてな」
俺が肩を回しながら答えると、リアは不満げに頬を膨らませた。
「そうなのかニャ? もったいないニャー。あの狼姿、めっちゃイケメンだったのにニャ~」
「……は?」
俺は思わず動きを止めた。
「イケメン? 俺の狼顔が?」
「そうニャ! シュッとしてて、毛並みツヤツヤで、強そうで……ここら辺の狼族の中でもトップクラスのイケメンだったニャ!」
リアが目を輝かせて力説する。 俺は自分の顔(人間時)をペタペタと触った。 ……狼の顔の良し悪しなんて、人間歴50年の俺にはサッパリ分からん。ハスキー犬と柴犬の違いくらいしか分からんぞ。
「ミミコッテも?」 「ですですぅ。あの野生的なフォルムと、知的な瞳のギャップが素敵でしたぁ。眼福ですぅ」
ミミコッテ先生まで、眼鏡をズレさせながら激しく同意している。 どうやら異世界の獣人業界では、俺の変身姿はアイドルのようなルックスらしい。 なんだろう、素直に喜んでいいのか分からないこの複雑な気持ちは。
「はいはい、ハーレムごっこでイチャついているところ悪いけどね~」
その時、どこか茶化すような、しかし張り詰めた声が割って入った。 教会の奥から、エーベルライトが歩いてくる。 その表情はニコニコとしているが、目は笑っていない。
「エーベ様?」
「シン君、君の活躍は素晴らしかったよ。でも、まだ終わりじゃないみたいだ」
エーベは教会の外、南の方角――領主館のある高台を指差した。
「あっちの方から、何やらよからぬ気配がするんだよね~。なんていうか、すごく『ドロドロした』嫌な感じ」
「領主館……?」
俺は眉をひそめた。 あっちには、最強の脳筋・ザキと、最強のウサギ騎士・アリスセレーネが向かったはずだ。 戦力的には過剰なほどのはずだが……。
「……まさか、ザキの奴、また何かやらかしたんじゃないだろうな?」
嫌な予感がした。 あのトラブルメーカーなら、敵を倒すついでに館を半壊させたとか、勢い余って領主をぶん殴ったとか、あり得ない話じゃない。
「急ごう。この胸騒ぎ、ただ事じゃなさそうだ」
俺は再び気を引き締め、領主館へと走る準備を始めた。
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