4・輝く白月の泡。
『――空を見上げれば、月はいつもあるはずなのに。
空がガラスに覆われてから、見上げても映し出されるのは映像だけ。
それは、身近にあるが、しかし、あいたい時に、それはない。
すでに失って久しく、いつしかあったことさえ、忘れていく……』
「おや、我が息子も留守か」
廊下から部屋をのぞくのは初老の人物であった。袖や襟の縁に白いラインが2本入った立襟で群青色の制服を着ており、胸元には、瀟洒な女性の横顔とそれを囲むような躍動的な竜の紋章が、刺繍されていた。印象的なのは、その女性の霊妙な瞳である。その瞳は、翠玉 ような石でできており、まるで失った青い星を憂いているように青緑色に濡れていた。
もしも彼が、日に焼けた小麦色の肌を持ち、羽についた半円の帽子や、黒い眼帯を身につけ、片手が義手型の武器だったのなら、物語の中に出てくる海賊の船長! と叫びたくなるだろう。
しかし彼は、擬似アルビノである。日に焼けることはできない肌は雪のように白く、年取ってすっかり白髪になった頭髪や髭は羊毛のようで、眼は美しくバラの花のような色をしている。ますます|チロシナーゼ陰性型先天性色素欠乏症のようになっていた。
「ヌーフぱぱさん、おひさしぶりだよ〜ん」
「いらっしゃいヨン」
窓際で寄り添っていたよんよんとここよんは、同時に振り向いて言う。
「おや、デートの邪魔をしてしまったかな?」
「そんなことないよ〜ん」
「ぬーふぱぱさんは、お仕事お休みなのかヨン?」
「いや、こちらでの仕事が入ったので、三月ぶりに我が家に帰ってきたのだが……」
ヌーフは今、地球最大の企業「-ReEarth-」に勤めている。無理やり訳すのならば、「地球再生」であろうか。彼らは、その名の通り汚染された地球の中で、なんとか人類の住める場所を創るために翻弄していた。しかし、それは初期の頃の話。今では人類の住処を、地球の外、宇宙に求めていた。
今のところ、人が住んでいるのは地球以外には、月と火星である。月は比較的近いので長期出張のような感覚で行き来ができるのだが、火星の場合は気軽にというわけにはいかない。地球から火星まではどんなに近づいたときに宇宙船を打上げても、1年以上かかってしまうのだから。火星に行く人の多くは、赤い色の新天地に移住し永住した。
ちなみに、一番最初にできた火星の都市には、地球を見たこともない世代がいると言う。
ヌーフの主な勤務場所は、月である。そう、あの地球唯一の衛星と地球を往復しているのだ。一回月に行ってしまえば、数ヶ月は滞在する。通信などで連絡は気軽に取れるのだが、自らの家族がいる地球にはなかなか帰ることができないのだ。
「我が子たちと孫は、いずれも部屋にはいなかった。いつもの事ながら駆けつけてくれたのは、テレイスキラだけだったな」
テレイスキラは、この世界のほぼ全てを見ている。テレイスキラ自体は末端の機械だが、全ての情報は常に中枢から流れてくるのだ。その中から、月から来る船の乗客にヌーフがいると言う情報を見つけたのだろう。ヌーフの家族が住む地区に配属されている機械人形は、その知った情報を自分にとって必要だと選択し、思考をめぐらせ迎えに行くと言う行動を実行したのだ。
「誰にも会わないとは、全く持って間が悪い……ま、連絡しなかった私が一番悪いのだが」
「そういえば、みんな、気分転換の散歩しているよ〜ん」
「そうか、そうか、誰に似たのか気ままだな」
そう言って「ふははは」とヌーフは笑った。
「ぱぱさん、かえってきたけれど、みんなにあえなかったみたいよ〜ん」
「それって、結局、みんな、すきかってだヨン?」
ここよんは手厳しい。
「あぁ、この本は『しじまなる海』か」
ヌーフは、机の上に出しっぱなしの本を見て言う。
「あいつも、そんなのを勉強する歳になったんだな」
その本は、何千年も前に書かれた書物である。書かれた当時とはだいぶ状況は異なっており、当てはまらないことや、今では間違いであることが分かっていることもあるのだが、地球環境と再生について学ぶ上で、とても参考になる部分が多いので、それを学ぶ学生に読ませたい読んでおきたい本に未だ推されている。
「おいらも、その本よんだよ〜ん。むつかしかったけれど、うみは、あいでいっぱいって書いてあったのは、わかったのよ〜ん」
よんよんは、ひょんと跳びあがる。
「あいでいっぱいは、ステキだヨン!」
ここよんも、同調して跳ねた。
「ははは、それは斬新な解釈だな」
ヌーフは、そんな2匹の魚たちを、やさしいまなざしで見ていた。
「よんよんと、ここよんは、この地球の海を見たいかい?」
ヌーフは、よんよんとここよんを、なでながら尋ねた。
「おいら、みたいよ〜ん」
「あたいも、見たいヨン!」
「そうか、そうか。近いうちに、見ることができるよ……」
ヌーフは、窓の外を見る。先ほどまで、降っていた雪はやんでいる。
「本当かよ〜ん」
「本当さ。月にだって、行けるさ……」
窓の外への視線を変えぬまま、彼は言う。よんよんたちに背を向けている格好なので、悲しそうなヌーフの目には、気がつかなかった。
「お月さま? ぬーふぱぱさんのおしごとするところよ〜ん?」
「けんがくヨン?」
「ゆっくりはできないけれど、見学はできると思うよ。まぁ、こことあんまり代わり映えしないと思うがな」
そもそも、都市の運用システムは地球と月で同じものを使っている。この技術が確かなものとして確立したから、人は汚染された地球だけではなく、宇宙に浮かぶ星の上でも生活できるようになった。地区ごとに多少の個性は出しているが、覆われた空、人工的な建物に、管理された気温や湿度や天気といった気候、空気や資源の循環といった機構は、あまり大差はないのだ。
「おいら、おつきさまは、しゃしんって、やつでしか、みたことないよ〜ん。いつ、お月さまへ行くよ〜ん?」
しろく輝いていて、うっすらとくろい模様があるお星おさま、あのようなちいさい丸の上に、ぱぱさんのはたらいている場所があると、よんよんはおどろいたことがある。
「もうすぐ、かな。みんなで月へ行くんだよ」
今回彼が、地球に帰ってきた理由はそこにある。
「……とうとう完成したんだ」
すでに、月に思いをはせているよんよんと、ここよんには、ヌーフのその言葉は聞こえなかった。たとえ、聞こえていたとしても、彼ら2匹の魚には何のことか分からないだろう。
完成したもの、それは何世紀も前からの人類の夢。
ヌーフが産まれるずっと前、それどころか父の母の、祖父母の、曽祖父母の生まれるずっと前、脈々と受け継がれ、紡がれてきた最後の希望。
「第2の地球探索移住計画に使う宇宙船が、完成したんだ」
地球再生計画がなかなか成果を現さず、 第2の地球探索移住計画へ移行してから数百年。新たな母なる海を求め、宇宙の海をさまようための船の、その第一号が完成したのだ。
その長期移動用の宇宙船は船と言うには、奇妙な形をしていた。その大きさは、月とほぼ同等の大きさであるが、見た目は小惑星そのものなのだ。
それもそのはず――その宇宙船は火星と木星の間をさまよう小惑星帯からひとつの小惑星を選び、星をくりぬいて作ったのだから。
その岩でできた外殻の内側に厚い金属の壁で何重にも補強し、密閉された空間に大量の水を満たした。そしてその水中に、今まで地球で使ってきた海中都市の技術を使い、居住区や農業工業を行う場所等、生活に必要な施設をつくり、浮かべたのだ。また、宇宙船を満たしているその水は電気分解して燃料や大気として循環させたり、生活水に使ったりするためのものでもある。
新たに生まれたそのちいさな世界には湖がひとつ、島がひとつ。それが新しい巨大な宇宙船のすべてだった。
すでにある小惑星を使ったのは、何もない宇宙空間に巨大なものを一から作るのは手間がかかることにあった。すでにある小惑星を基礎に使えば、地上部分を基地や資材置き場、部品の製作所にすることも可能であり、現場で加工することで細かい修正や新たな機材の追加にも対応できるようになるという利点があったのだ。
小惑星を使ったのには、そういう製造上の利便の理由もあるが、実はもしもの時のためでもある。宇宙を旅するということは、宇宙を漂う小さな塵や石との接触が絶えない。大きな隕石などは事前に観測し避けることも可能であるが、小さなそれらは観測も難しく数多にあり、いちいち避けてはいられないのだ。しかし、下手に接触すれば、宇宙船の設備が破損し、故障や生命の危機に及ぶ可能性があるのだ。だから、一番外の外壁を、砂や岩でできている小惑星を使用することで、微小な塵が衝突しても柔らかな土の外郭が受け止めたり、剥がれ落ちたりすることで、衝撃をやわらげるのだ。
それから、これは冗談なのかもしれないが、あからさまに人工物の宇宙船を作れば、外からの脅威、たとえば地球外生命体の襲撃にさらされやすくなるというものである。出会った知的生命体が友好的である場合はいいのだが、そうであるとは限らないのである。小惑星に擬態すれば、襲撃される確率は低くなるのではないだろうかというものだ。それは、気休め程度であろうが。
「宇宙人、か……」
自らの思考の中に出てきたものが、呆れとともに、つい言葉に出る。
「うちゅうじんが、いるのかよ〜ん」
「いるんじゃないかな? よんよんちゃんは、会ってみたいかい?」
瞳をきらきらさせているよんよんやここよんの夢を壊さないように、ヌーフは優しく言った。
実際のところは、政府が軍が秘密組織が、宇宙人と手を組んでいるとか、その存在を隠しているとか、昔からそう言う噂は絶えなかったが、今まで地球外の生命体との接触に成功したと言う公式な記録はない。
月や火星で生まれ育った人間を、地球外生命体と言う意味で捉えるならば、それは宇宙人と言うことにもなりうるが、彼らは地球人と大差がない。彼らがイメージするような宇宙人とは少し違う。あと数千、数万年もすれば、もしかすると地球とは異なる進化を遂げ、地球人、月人、火星人とそれぞれ異なる人類になっているかもしれないが、そのような遠い未来のことは誰にもわからない。
「おいらは、うちゅうじんにあったら、おともだちになりたいよ〜ん」
「でも、もしも、うちゅうじんがハシビロコウのかたちだったらどうするヨン?」
嘴広鸛 。それは全長約1.2m、体重約5kgの大型の鳥である。肺魚が好物で、その広く大きなくちばしでくわえ、丸呑みする恐ろしい鳥である。
「そ、それはこわいよ〜ん」
虫や爬虫類を生理的に苦手とする人間がいるように、大きなくちばしを持つ巨大な鳥のハシビロコウに恐怖を感じてしまう魚もいるのだ。一説にはよんよんとここよんのような肺魚が、ハシビロコウに狩られていたという事実があり、いわゆる天敵だったせいではないかと言われている。
「あたいは、あのおおきないかついかおが、こわいのよ〜ん」
「こ、こわいうちゅうじんが、やってきても、おいらはここよんをまもるのよ〜ん」
よんよんもふるふると震えながらも、ここよんに寄り添い、いもしない宇宙人の恐怖に備えていた。
「ハシビロコウの宇宙人か」
実際にはいないだろうが、もしもハシビロコウのような外見の知的生命体がいたのならば、実はかなり存在感があるのではないかと、ヌーフは苦笑する。あの大きなくちばし、小さくも鋭い眼光、細く長い足に支えられた黒灰色の巨大な身体では、よんよんやここよんだけでなく、小さな子供も泣いてしまいそうだ。
「もしもハシビロコウの宇宙人が来たら、私が追い払うから、よんよんちゃんはここよんちゃんを連れて、安全なところへ逃げるといい」
「おお、ぱぱさんかっこういいよ〜ん。おいらも、ぱぱさんみたいにつよいおとこになりたいよ〜ん」
そう言ってよんよんは、跳ねながら部屋を歩き回る。どうやら、いまから体を鍛えるつもりらしい。
「よんよん、がんばるのヨン」
「おいらは、つよいおとこになって、おつきさまにいったとき、ここよんを、おひめさまだっこして、つきのうみをみるのよ〜ん」
よんよんもここよんも、お姫様抱っこと言うものが実際にはどういうものか知らなかったが、素敵な場所で、ステキな時に、男の子が女の子を抱っこすると言う、女の子がして欲しい夢のひとつであると言うことだけは知っていた。
「それは、すてきだヨン。はやく、おつきさまに、いきたいヨン。ぬーふぱぱさん、おつきさまには、いついくのヨン?」
よんよんのお姫様抱っこ発言に、ここよんの「おとめのはぁと」が躍りだした。
「今日の夜にでも、いつの便で出発するか決めると思うよ」
「ほんとうかヨン」
「ああ、本当だ」
数百年かかった第2の地球探索移住計画もいよいよ大詰めなのだ。
出来上がったその長距離移動用の宇宙船は小惑星帯から移動し、今は地球と火星の間にある。移住を希望する人々は地球、月、火星、それぞれの星から飛び立つ小型船で数ヶ月かけて巨大な宇宙船まで、ちょっとした宇宙旅行をする。小惑星型宇宙船へ行くための小型宇宙船の数に限りがあり、今回の計画で移住するすべての人を乗せ終えるのはあと数年かかるが、そのすべての工程を終えれば、太陽系の外へ向けてあてのない長い旅へ出るのだ。
★ 魚の日記「つきのうみ」★
もうすぐ、うみを、見ることができるかもしれないらしいよ〜ん。
もうすぐって、あしただったらいいよ〜ん。
わくわくよ〜ん。
ちきゅうのうみは、あぶないから、みることしかできないことを、おいらはしっているよ〜ん。
つきにも、うみがあって、うさぎさんや、かにさんがすんでいるって、えほんに、かいてあったよ〜ん。
もし、つきに、いったら、おいらは、つきのうみを、ここよんと、いっしょに、およぎたいよ〜ん。
そして、つきのうみのすなはまで、かにさんを、さがすよ〜ん。
はしびろこうは、こわくないよ〜ん。
★ここら辺の話を書くときの没ネタを使って書いた短編★
「しかし、月は落ちてくる」
http://ncode.syosetu.com/n1115r/