2・夢見る羊、ストレイシープ。
『――水に船を浮かべるだけで、そこは海となり、遠い世界への架け橋となる。それが、桶の中という小さな小さな世界だったとしても……』
「本物の雪が積もった、どこまでも続く地平線は美しいのだろうな」
窓の無い殺風景な研究室の片隅でペテは、そう独り言を言う。ペテは一度だけ、その「本物に似せた冬」を、体験をしたことがある。そういう「季節」を体験する施設に、学生時代、社会見学で行ったことがあったのだ。
ペテは黒い色の眼を細め、研究室の壁の大部分を占めているたくさんの画面に写る風景のひとつを見てそうつぶやいた。その画面に映るのは、大昔地球が青かったころの『外』の風景。青い海に白い雲が浮かび、大地は雪に覆われていた。
ペテは、白が好きである。
白い色は、素敵だ。
何者にも染まってしまう危うさを持った美しい純粋な色。全ての光を溶かし込んでできる色。
しかし、今はその風景はどこにも存在しない。もしも、今、地球に降り立ったのならば、見渡す限りほぼすべてが海になっている。年に数回は、雪らしきものもちらつくが、それは白ではなくいろいろな物質を溶かし込んで、黒い色をしている。
この閉ざされた空間も、明かりがなければ景色はいつも同じ色、一番嫌いな黒い色。
「厭わしい色だ」
ペテは髪も、瞳も黒かった。この地区では、とりわけ珍しいわけではないが、白色が好きな自分にとっては、その色はコンプレックスでしかない。ペテの住む地区には、黒色色素を持つ人類以外にも、白っぽい肌、白っぽい髪、赤っぽい瞳をもつ人類が数多くいる。遺伝子の突然変異ではなく、環境の変化で徐々に現れた事象である。紫外線を浴びることのないこの世界では、色素の薄い者が増えてきている。日の光の当たらない海中に暮らしていくうちに、紫外線からその身を守るための色素が退化しつつあるのだ。ここ数千年で現れた新しい人類は、昔からいる突然変異のアルビノとは区別して、『擬似アルビノ』と呼ばれている。
ペテは、彼らに淡い羨望がある。美しい色を持つ人々に。
「……だめだ。気分転換しよう。白い人工雪を見よう」
観察していようが、眼を離そうが、そうしたところで、地球の環境は変わりはしないのだから。ペテは気休めに、散歩に出かけることにする。
ペテは、その廊下の向こうからやってくる、白い人影を見つけた。銀色に見える髪、煌く赤い瞳、白い肌が特徴的だ。しかし、それは人ではない。それは、機械人形のテレイスキルだ。テレイスキルでは長いので、みなはテレイスという愛称で呼んでいる。
この機械人形の容姿は、アルビノのように、髪も肌も白い。計算された狂いのないその整った容姿は、群を抜いて異質で、輝いて見える。
「こんにちは、ペテ、」
テレイスキルは、いつもと変わらない抑揚の少ない声で、人と出会ったときの挨拶をする。
「こんにちは……って、テレイス! 君のきれいな銀色の髪も、肌も、ずいぶんと濡れているじゃないか」
ペテは、テレイスキルに向かって言う。テレイスキルは、ずぶぬれだった。銀の髪から、水滴が滴っている。
「問題ない。この身体は、防水仕様。自然乾燥する、」
話によると、ついさっき、水の入ったバケツを持って、階段を駆け下りてきた子供とぶつかってしまい、頭から水をかぶってしまったらしい。床が濡れてしまったので、濡れた場所を掃除するために、掃除用具置き場へ向かっている途中らしい。
「いや、そうじゃなくて……あぁ、ほら、ここ、少し汚れているじゃないか」
ペテは、白衣のポケットから出したハンカチでその汚れをぬぐう。
「機械の体なのだから、これくらいの汚れは、問題ない、」
「いや、だからね……」
しかし、ペテの言葉を遮って、テレイスは発言を続ける。
「この体は、『外』で数カ月放置しても支障がないように、できている。だから、これくらいの汚れは、問題ない、」
表情も変えず、淡々と回答する。
外の世界は、黒く汚れている。30分も外の空気を吸えば、肺の中は黒くすすけてしまうだろう。しかし、機械の体であるテレイスキルは、毒の大気の中に立っても平気なのだ。
「まさか、その姿の君を、外に放置するわけないじゃないか。そんなことしたら、きれいな髪も肌も黒くすすけてしまう」
「君たち人間は、きれい好きだな、」
その言葉に、テレイスキルの赤い眼が瞬き、ペテの姿を捉える。見つめられたペテは、思わず目をそらしてしまう。心拍が意味もなく上がっているように感じる。赤面とまではいかないが、むずむずとした、なんともいえない感情が表情に出てしまいそうになる。
「だから、そうじゃないんだ……テレイス」
小さくつぶやく。
「君には、綺麗でいて欲しい」と、言っても、わからないだろうな……そのような感情は、機械人形の中には、存在しないのだから。
「まぁ、とにかく……濡れたら拭こうよ」
「了解、」
ペテの出した命令は、きっと遂行されるだろうが、その裏に隠されたペテの気持ちは読み取れないだろう。
テレイスキルは、「さようなら、」と一礼すると、何事も無かったかのように、廊下を歩き出す。
ペテは、遠ざかる後ろ姿に、ため息をついた。
「だれだよ、あんな中性的な容貌を実装したのは」
何千年も昔にそう造られて、ずっと変わらないあの姿に文句を言っても仕方が無い。テレイスキルは、男か女か。子供たちが一度は通る疑問。しかし、結局、あれはそういうモノなのだと言う結論になって、考えることをやめ、ひとつ大人になっていく。
人に似せた、偶像に心ときめくココロ。
紫色の淡い恋。
神は、偶像の崇拝を禁じた。
しかし、人は、それに魅せられる。
「……われわれ人は、いつも罪深く、迷える仔羊……」
「まよったら、おとなに、きくといいよ〜ん。おいらは、それで、おうちにかえれるよ〜ん」
いつからそこにいたのだろうか、ペテの足元に魚がいた。これは、ペテの弟が飼っている魚だ。薄い紫色の鱗が、電燈に照らされ紫水晶 のように輝いている。
「よんよんか」
「ひつじさん、まいごなのよ〜ん? おいらが、しっているところなら、あんないするよ〜ん」」
ペテは苦笑いを浮かべながら、よんよんをなでる。ペテは、話を聞かれていたことに、恥ずかしさを感じるが、まぁ、聞いていたのは無垢な魚だ。気にしないことにした。
「こんなところで、どうしたんだい」
「おいら、もらったごはん、ここよんに、とどけるのよ〜ん」
ここよんというのは、よんよんと同属の魚で、9号水槽に棲んでいる。
「あぁ、それで、よんよんは、荷物を持っているんだね。(にしても、我が弟のネーミングセンスは、口にするたびに……相変わらず、独特なことで)」
「ひつじさんは、まいごなのよ〜ん? まよってしまうのよ〜ん?」
「ん、あぁ。でも、その羊さんは、それでいいんだ」
迷える仔羊がいなくなったら、神に救われるべき魂がなくなってしまう。神が救うべき人がいなくなってしまう。神の要らなくなった世界は、どんな世界だろう。それは、幸いなのだろうか、それとも、辛い世界なのだろうか。
「まようひつじは、かわいそうだよ〜ん。だれか、たすけて、あげてよ〜ん」
よんよんは、難しい顔をして黙り込んでしまったペテの顔を見上げている。
「誰かに求めれば、いいものではないんだよ。答えがないんだから」
「それには、こたえがないから、まよったままなのかよ〜ん? おいら、そんなむずかしいこと、かんがえられないよ〜んでも、ひつじさんも、いつか、すくわれるといいよ〜ん」
「そうだね。まぁ、この話は、もうおしまいにしよう……行く方向は同じだ。ついでだから、部屋まで送るよ」
「ありがとうよ〜ん」
よんよんは、楽に水槽に帰ることができそうなので、喜んだ。
「おぉ、カナンじゃないか」
ペテは、よんよんを部屋に送り届けるために白い明かりの続く廊下を歩いていた。すると、向こうから、見覚えのある子供が一人やってきたのだ。
その子供は、ペテの妹であるハムの息子カナンだ。髪は栗色、瞳は赤茶で、色は濃いものの遺伝子上は、擬似アルビノに分類されている。ペテの兄弟の中では、唯一妹だけが擬似アルビノの遺伝子を持っているので、その息子が擬似アルビノになるのは、確率的にもうなずける。
人口は、ここ数百年、増えもせず、減りもせず、一定の数を保っている。限られた狭い世界では、人口は増えすぎても、減りすぎてもよくない。そういった意味では、うまい具合に世界は均衡が取れていた。世界を去った数だけ、世界に現れる。あまり変動のない世界。一見、停滞しているように見えるが、確かに、生命は循環していた。
一組の男女が一生に育てる子供の数は平均で2人。結婚しても、子を生まない組も多くいるので、実際には、子供がいれば、兄弟がいる家庭になりやすい。ペテの家も、兄弟が3人という平均的な家族構成である。
「ペテおじさん! それに、よんよん」
カナンは、からのバケツを持ち、濡れた船を抱えている。
「そのお船は、どうしたんだよ〜ん?」
ペテの腕の中にいたよんよんは、カナンが持っているものが気になって尋ねる。
「セムおじ……セムにぃに、つくってもらったの」
カナンは、抱えていた船を持ち替え、よんよんに見せるように掲げた。船底が赤く、操舵室に藍緑色のラインが入っている、おもちゃの船だ。三角型の旗が、いくつも甲板に揺れている。
「これは、 藍玉丸って言うの。『船乗りのお守りである藍玉の名前をつけたから、最強だぜ!』って、セムにぃ言ってた」
カナンは、自慢げに話し出す。
「さいきょうなのかよ〜ん! うらやましいよーん」
「最強だった。落としても、こわれないの」
「それは、すごいよ〜ん」
話によると、先ほど、水の入ったバケツに船を浮かべた状態で持ち運んで、階段を駆け下りていたときに、テレイスキルにぶつかったらしい。そのときに、船は階段から転げ落ちてしまったが、傷ひとつ付かなかったらしい。
「テレイスが、びしょ濡れだったのは、カナンのせいだったか」
二人の話を黙って聞いていたペテは、ついさっき会ったテレイスキルの様子を思い出していた。そういえば、子供とぶつかったと、そのようなことを言っていた様な気がする
「水の上を走って、遠いところまでいけるんだ」
「おいらも、おふねほしいよーん」
「よんよんと一緒にどこまでも泳げる船は、潜水艦だね。ぼくね、セムにぃと、今度、湖に浮かべに行く約束をしたんだよ〜ん」
カナンは、よんよんの口癖をまねしだした。
「そのときは、おいらも連れていってほしいよ〜ん」
「いいよ〜ん、やくそくしたよ〜ん」
カナンとよんよんは、船を浮かべるために湖へ行く約束をした。
「……それにしても、あの愚弟が。趣味にばかり命をかけて」
水棲生物と船と釣りと、それらは弟の趣味なのだ。湖で自作の船を浮かべて遊んでいるうちはまだかわいいかもしれない。しかし、いつか、この海中都市からぬけだして、自らの手で作り出した帆船に乗って、汚染された世界を一周してしまうのではないかという、無謀な冒険をしかねないくらい情熱を注いでいた。
「親が親なら、子も子ということなのかな」
父と弟は特に似ていた。「船」を作る情熱という点で。
ペテもその親の血は引いてはいるものの、一番先に生まれたせいもあるからだろうか、妹や弟の面倒を見ることが多く、悲しいことに、自分のために、そこまで情熱を注げる趣味は無かった。
ペテは、弟の将来を心配しため息をついた。
「よんよん、ごめん。僕はこれから、セムのところへ行かなくてはいけない」
兄として、言わなくてはいけない。
「わかったよ〜ん。おいら、ひとりでもどるよ〜ん」