1・石榴石《ざくろいし》の煌き
『――人は、幻想したモノを実現させる力を持つ。なぜならば、人は空を飛ぶ夢を見て、空を舞う箱を浮かべ……夜空の月を見上げては、そこへ到達したのだから』
霞染の月。光をちりばめた氷のような塵が世界を覆い、淡い白に包まれる季節。「雪」と呼ばれる幻想的な結晶が、どこからともなく風に吹かれてやってくる。その水晶のような輝きは、手の平に触れると、あっという間にその形を変え、物理変化を起こして気化をしてしまう。
寒い冬にだけ降るという儚い夢。神秘的な舞い。たとえ空から訪れているそれが、本物でなくとも。それが美しく空から飛来する景色は人々の心を捉えて離さない。
この雪が降るとまた冬が来たのだなと思う。
雪と同じ色の髪がふわりと揺れる。柘榴石のような瞳が白む空を見上げ、そうつぶやいた。その眼に宿す赤く煌く光は、淡い色の太陽を見つめている。
そのそらにある白い照明は、人工的な輝きを増し朝の色を告げている。夜のやさしい闇と入れ替わる時刻。その暁の色は、氷の結晶に煌き、とてもやわらかい光に包まれる。
何の問題も見つかっていない、とそうつぶやく唇からは、感情のこもった白い息はもれない。赤い眼に映る白の景色をその電脳で処理はしているが、実際に回路内に占めている事象は、異なっている。意識の大部分は、この世界のすべて、海に沈む都市を見ているのだ。
何も問題はない、再びそう呟いた。
今の時期、光源から離れた場所は、昼間になっても、薄明の色、薄暗い日々が続く。「冬」と呼ばれ、あちらこちらで、「雪」と呼ばれる、美しい氷の結晶を散らすイベントが行われる、年に一度の芸術祭なのだ。仕事も、勉学もほどほどに、人々はこの行事を楽しむ。「冬」と言っても、光が弱くなるだけで、気温が下がるわけでも、日照の時間が変わるわけでもないのだが、いつもよりも、ほんのり暗い太陽を見ると、時間は確実に移り変わり、流れ、過ぎ去っていくと、認識する。
もしも、世界に大地があったのならば、四季があったのならば、凍える白い大地に抱かれ眠る生命の息吹を、かすかに感じ取れただろう。しかし、この管理された世界は、年中湿度も気温も一定に保たれている。寒さ暑さといった環境は、体験できるそういう施設に行かない限り、一生その肌に感じることは無い。
何千年もの昔、この閉ざされた硝子玉に暮らす以前の人々の「四季」の記憶。
その冬の記憶は、一面が白い。
息さえも、白く凍りつく世界だった。
広場で子供たちは、雪の中を喜びの表情で駆けている。彼ら人間は、同じ日常の中、変化しながら無限の中を駈け抜ける。しかし、彼らの時間は有限だ。己のように、日々同じ試行と実行、保存と復元を延々と繰り返しているわけではないのだ。
しかし、だからと言って、その永遠に満ちた体内は、何も感じない。何もない。それをあらわす感情も、表情も持ち合わせてはいない。擬似はできるが、それはあくまで、人の模倣でしかない。その体は、人造。その表情は偽造。組み込まれたことしかできない人形なのだから。
今思う思考も、巨大な情報管理機構の中に符合する「誰かが書き残した記録」があるからに過ぎないのだ。
そして……これからも、同じ日常は過ぎていく。表情のない赤い唇は、そうつぶやいた。
「全ては繰り返し。形を変えて、延々繰り返すのです。栄えるものは滅び……滅びの中に、はじまりがある、」
何も感じぬ、何も流れぬ大地に流れたたくさんの色と同じ輝きの命を、景色を赤い瞳で記録しながら、白い機械人形は何事もなかったかのように、次なる命令の実行のため歩き出す。その間にも、決められた試行の繰り返す作業をしている。
「あ、てれーすさんを、みつけたよ〜ん。こんにちはよ〜ん」
思考の試行を遮るように、廊下の向こう側からやって来た小さな生き物が言う。
「こんにちは。確か君は、」
柘榴石のように赤い瞳の中が、くるりと回る。目に映る形と耳に届く声から、「彼」の部屋にある「第4号水槽に棲む肺魚」という検索結果をだした。登録されている名前は「よんよん」である。由来は、4号水槽で「よ〜ん」と鳴くから。そういう理由で、飼い主の「彼」がつけた名前。
「よんよん。どうしたんだい、こんなところで、」
てれーすと呼ばれた人形は、いつものように、決まった動作で、やさしく微笑み返す。
「おいら、おなかがすいたんだよ〜ん」
よんよんは言う。
「一緒に行こうか、その方が早い、」
よんよんを、そっとその腕に抱えると同時に、よんよんのごはんが得られるであろう場所までの最短距離を検索していた。
「よ〜ん」
よんよんは、抱えられて、ご満悦のようだ。お腹が空いていたので、移動しなくてすむのは、願ったり叶ったりなのである。
厨房では、数人の料理人が各自自分の仕事をしていた。食事時が近いのだ。
「ああ、しまった。魚を切らしてしまった」
厨房にある食料の保存庫を見て、料理長ハムが困っている。この施設には常に20人ほどの人員がいる。しかし、人は一定ではなく、多い時にはすぐに食料はなくなってしまうのだ。
ふと、よんよんとハムは目が合った。
「おいらは、食べてもおいしくないよ〜ん。うろこが、とってもかたいのよ〜ん。こらーげんなんて、たっぷりじゃないよ〜ん」
よんよんは、腕の中で飛び跳ねる。
「そんなに暴れたら、よんよんを落としてしまう、」
硬いうろこを持っているよんよんとはいえ、この高さから落ちれば痛みを感じることを知っている。
「おいら、さかなだけれど。そ、そんな目で、みないでほしいのよ〜ん。おいら、ないちゃうよ〜ん」
「はっはは、よんよんちゃんは、食べないから大丈夫だよ」
ハムは、魚の頭を撫でる。よんよんを見かけるとなぜか撫でたくなる、そんな欲求にかられるのだ。
「おいら、あせったよ〜ん、よかったよ〜ん」
「今日は、お客が急に増えたからなぁ。うかつだった……」
「テレイス。いつもの場所で魚をもらってきてくれないかな」
「了解しました。よんよんの空腹が満たされ次第、その命令を実行します、」
機械的にそう答えた。
「頼むよ」
そう言うとハムは、別の料理をつくりはじめた。作るものは、何も魚料理だけではないのだ。
厨房の奥にある食料保管庫の中で、よんよんの食べられるものを手際よく探し出し、器に準備する。よんよんは、すぐにその器に飛びついた。よほどお腹がすいていたのだろう。あっという間に平らげてしまった。
「おいしかったよ〜ん」
よんよんは、満足そうにしている。
「よんよんの彼女にも、持っていくといい、」
と、よんよんでも持ち運べるように吸盤のついた小さな容器を手渡した。よんよんのように、長時間外を出歩くことはできないが、よんよんと同種族がもう1匹いることを知っているのだ。
「かのじょって、なんだよーん?」
「愛する人ということだよ、」
「おいらは、みんなアイしているよーん。だから、みんなおいらのかのじょだよーん」
「そうだね、」
そう言ってやさしく笑って、よんよんをなでた。
「ひとりで帰れるかい?」
「おいら、えねるぎーまんたん! だいじょうぶだよ〜ん」
頭の上に小瓶を乗せて、よんよんは自分の部屋へ帰っていくのでした。