ちいさな赤ちゃん、魔法使いと冒険にでる
ワタルは、ちいさなちいさな赤ちゃんです。
お母さんのおなかのなかで、大きくそだつまえに、うまれてしまったのです。
うまれてすぐに、ワタルは、たくさんのくだをつけられて、ちいさなケースに入れられました。
うすぐらくて、あんぜんなお部屋で、大きくなるのをまつのです。
お母さんも、お父さんも、まだワタルに会いにきてくれません。うまれるまえには、たくさん 「まってるよ」 「あいたいよ」 と、はなしかけてくれたのに。
ワタルは1日のほとんどをねむってすごします。
おきているときは、ぼんやりとしています。
まだ、うれしいことも、かなしいことも、はっきりとは知らないので、ぼんやりとしているのです。
そのときのワタルのきもちを、むりやりことばにするのなら、こんなふうになるでしょう。
ぼくは どうして ここに いるのかなあ
うまれて こないほうが よかったのかな
そんな、ある日。
[まあ、まあ、まあ。なんて、かわいい赤ちゃんだこと]
明るいこえが、ぱっと花がさくように、ワタルのこころのなかにひびきました。
[ワタルくん、っていうのね! ワタルくん…… そうそう、いまの時代は 『さん』 づけなのよね。じゃあ、ワタルさん!]
だれ?
ワタルはまだ目がよくみえませんが、どうしてだか、そのひとのことは、はっきりとみえました。
お母さんでも、お父さんでも、お世話をしてくれるひとでも、そっとワタルにさわって、ようすを見てくれるひとでもありません。
ひらひらする長いワンピースの、おんなのひとです。
おんなのひとは、ゆびさきで、ゆっくりとワタルの頭やほっぺをなでました。
[ワタルさん、ワタルさん。かわいいですねえ。最後に、あなたにあえて、よかったわ]
さいご?
[ふふ、わたしはね、もうすぐ、この世界からサヨナラするのよ。ほんとうは、102さいで、自分ではもう動けなくて、あなたとおなじように、くだにつながれているの。しんせきが、たくさん、おみまいに来てくれているけれど、イヤになって出てきちゃったわ]
くすくすと、おんなのひとは楽しそうに、わらいます。
[そうだ、冒険に出てみよう! ……ってね]
ぼうけん?
[冒険は、とっても、わくわくすることよ]
わくわく?
[たいへんだったり、いたかったりも、あるけれど、新しいことに出会えるのが、冒険]
あたらしいこと?
[そう、新しいことに出会ってこころが動くとね、最高に 『生まれてきてよかった!』 って思えるの…… ほら、わたしはさっき、からだからぬけだして、とってもドキドキしたわ。それからいま、あなたに出会えて、とってもうれしい。だから、冒険、大成功!]
ぼうけん、ぼくも、できるかな。
[できるわよ。かんたんよ。あなたが、新しいことにチャレンジして、ワクワクしたり、ドキドキ、ハラハラしたり…… こころがたくさん動いたら、それはもう、冒険なのよ]
じゃあ、ぼく、いま、ぼうけんしてる。
こころがいっぱい、うごいてる。
[そう、そうなのね。よかったわ。では、おばあちゃんが、ちょっとだけマホウをつかってあげましょうね。さあ、もっと、ぼうけんしましょう!]
おんなのひとが、ワタルの小さな手にゆびをふれさせます。すると、どうでしょう。
ワタルは、ふわりと、うきあがりました。
ワタルは、はじめて自分のいたお部屋を見ました。
大きな部屋です。ワタルとおなじようにちいさな赤ちゃんがたくさんいて、白いものにおおわれて目だけを出したひとが、その赤ちゃんたちをお世話しています。
ぼく、このひと、はじめてみるけど、しってる……
[看護師さんよ、たぶん。ワタルさんたちをいっしょうけんめい、守ってくれているのね]
いま、ぼく、ぼうけんしてるね。
[ふふ、そうね。もうすこし、冒険する?]
うん、ぼうけんしたい。
[じゃあ、ちょっとだけ。お外も、みてみましょうか]
ワタルは、おんなのひとといっしょに、お部屋のドアをすりぬけて、ろうかにでました。
まぶしい!
しばらくして目がなれると、いちめん、きれいなあおでした。
まどのそとに、そらがひろがっていたのです。
[あらあら、きょうは、ぴかぴかのいいお天気だったのねえ]
おんなのひととワタルは、ふうわり、まどの外にでます。
かぜがふいて、そらは、どこまでも続いています。楽しくて、いいきもち。
あれ? したをあるいているのは……
[知っているひと? お父さんとお母さんかしら?]
わからない。
けど、なんでだか、わかる。
あのひとたち、ぼくに、あいにきたんだ……
[あなたは、あいたい?]
わからない。
けど、ぼく、すごくドキドキしてる。
あったら、もっと、ドキドキするかな。
ワクワク、するかな。
[そう。なら、もどり…… いいえ、冒険に出かけましょう!]
そのこえをさいごに、あたりはまた、うすぐらくなり、おんなのひとのすがたはそれきり、みえなくなってしまいました。
―― 気づいたときには、ワタルはまた、いつものお部屋の小さなケースのなか。
いつもとちがうことは、あたたかいゆびさきが、ワタルの手にふれていること。
さあ、冒険に出かけましょう ―― どこかで、あのおんなのひとが言ったように思えて、ワタルは、そのゆびさきをきゅっとにぎりました。
「あ、にぎった」 「…… かわいい、です」
ひさびさにきく、お父さんと、お母さんのこえです。
ワタルのこころは、きもちいいリズムで、ことこと動いていました。
―― 3年がたちました。
ワタルはすっかり大きくなって、まいにち、いろいろなことをしています。
きれいな石ころとカッコいい石ころと、ぼうきれをたくさん、あつめたり。
ちょっと高いへいから、とびおりてみたり。
ありさんのあとをついていってみたり。
さいきょうのコーディネートをかんがえて、いちにちじゅう、きてみたり。
どんなことをするときも、ワタルはこころのどこかで、きいています。
おぼえていないほどむかしに、いちどだけ出会った、だれかが言ってくれたことばを。
「さあ、冒険に出かけましょう!」