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第3章 光の目覚め②

第二部 「影の病」


月光亭の暖炉の前で、イリスは静かに紅茶を注いでいた。その所作には無駄がなく、まるで儀式のような厳かさがあった。


「この村で、何か変わったことが起きているのね」


それはユイの問いというより、確認だった。イリスは紅茶の湯気越しに微笑む。


「ええ、そうね。村の人々が、少しずつ...」言葉を選ぶように間を置く。「影に飲まれていくの」


「影に...?」アカネが思わず身を乗り出した。


イリスは立ち上がり、窓辺へ歩み寄る。外は完全に夜の闇に包まれ、通りの松明さえ、いつもより暗く見えた。


「一週間前から始まったわ。最初は疲れやすくなる程度。でも徐々に...」


話の途中、突然、外から悲鳴が聞こえた。三人は反射的に窓の外を見る。通りの向こうで、一人の女性が膝を突いていた。


「マーサ!」イリスが声を上げる。


アカネは迷わず駆け出していた。薬師としての本能が、苦しむ人を放っておけない。ユイもすぐに後を追う。


「大丈夫ですか?」


膝をつく女性—マーサに近づくと、その異常さが一目で分かった。肌が異様に青ざめ、目の下には濃い隈が刻まれている。まるで、生気を吸い取られたかのようだった。


「気をつけて」ユイが警告する。「この人から、魔力の歪みを感じる」


アカネは慎重に患者に触れる。触診は薬師の基本だ。しかし、指先が肌に触れた瞬間、異様な冷たさを感じた。


「脈は...」アカネが眉をひそめる。「弱すぎます。でも規則的で...」


「家の中で診せてもらえないかしら」


イリスが静かに提案した。彼女の落ち着いた物腰は、この緊迫した状況でも変わらない。


* * *


マーサの家は、村の中でも古い造りの石造り住居だった。暖炉の火が、壁に揺らめく影を作る。


「三日前から、具合が...」


横たわりながら、マーサはか細い声で説明を始めた。話を聞くうちに、アカネは違和感に気付いていく。症状の進行が、どの病気とも違う。


「私が診た限り」アカネが所見を述べる。「体は衰弱していますが、原因となる異常は見当たりません。ただ...」


言葉を躊躇う。薬師としての知識では説明できない何かを感じていた。


「ただ?」ユイが促す。


「体の中で、何かが...影のように蠢いているような」


その言葉にユイが目を見開く。イリスは深く頷いた。


「その通りよ」イリスが静かに告げる。「これが、影の病の正体」


「影の病...」アカネは言葉を反芻する。「他にも患者は?」


「ええ」イリスが窓辺から離れ、ゆっくりと説明を始める。「今、村の三分の一ほどが似たような症状を見せているわ。重い人は寝たきり。軽い人でも、日に日に衰弱が進んでいく」


マーサの呼吸が僅かに乱れる。アカネは反射的に手を差し出し、額に触れた。


「熱はありません。でも...」指先に伝わる感覚に集中する。「体の中で、闇のようなものが渦を巻いている」


「それが分かるのね」イリスの声に、僅かな驚きが混じる。「一週間前まで、村の誰もそれを感じ取れなかったのに」


ユイが腕を組み、考え込むような仕草を見せる。「魔力の歪みは確かに異常です。でも、これは...」


「通常の闇の魔力とは違う」イリスが言葉を継ぐ。「より根源的な、もっと深い闇ね」


暖炉の火が不吉に揺らめく。マーサの呼吸が、さらに浅くなっていく。


「私に、何かできることは」アカネは薬箱を開きながら言った。


「待って」ユイが制止する。「普通の薬では、この症状は—」


「分かっています」アカネは薬草を手に取りながら、静かに答えた。「でも、この一週間で気付いたんです。光の力は、きっと...」


言葉を探すように一瞬躊躇う。「薬を作るのと同じなんです。素材の性質を理解して、調和させて...」


イリスの目が、かすかに輝きを増した。


アカネは選び出した数種の薬草を、丁寧に刻み始める。その動作には、普段の薬作り以上の集中力が込められていた。


「私にも手伝わせて」ユイが近寄り、短杖を取り出す。「魔法で、薬草の力を増幅できるかもしれない」


二人が向かい合うように位置取ると、部屋の空気が変わった。アカネの手元で薬草が刻まれていく様子は、まるで儀式のようだった。ユイの短杖が放つ微かな光が、薬草に満ちていく。


イリスは、暖炉の火影から静かにその様子を見守っていた。その瞳の奥で、何か深い感情が揺らめいているように見えた。


「これを...」


アカネが作り終えた薬を、そっとマーサの唇に運ぶ。通常の薬とは明らかに違う、淡い光を帯びた液体。それは、薬草の力と光の力が溶け合ったような神秘的な輝きを放っていた。


数秒の沈黙。


そして—。


マーサの頬に、僅かに血色が戻り始めた。


「これは...」ユイが声を漏らす。「影が、少し薄くなった」


イリスが暖炉の前から歩み出る。「予想以上の結果ね。でも...」


その言葉の途中、外から悲鳴が聞こえた。今度は複数の声。アカネとユイは顔を見合わせる。


「まだ始まりに過ぎないってことね」イリスの声が部屋に響く。「村の奥に、古い祠があるわ。そこに行けば、もっと多くのことが分かるはず」


月が雲に隠れ、部屋の中が一瞬暗くなる。その闇の中

で、イリスの姿だけが不思議な存在感を放っていた。


夜の村は、より深い闇に包まれていた。三人は石畳の通りを、村の奥へと進んでいく。アカネが持つ光の杖が、かすかな明かりを投げかけていた。


「他にも、倒れる人が出てきそうです」アカネが心配そうに周囲を見回す。


「今は、原因を突き止めることが先決よ」イリスの足取りは確かだった。「あの祠に、全ての答えがある」


月明かりが雲間から漏れ、石畳に影を落とす。その影が、まるで生き物のように蠢いて見えた。


「この村には、古い言い伝えがあるの」イリスが歩きながら語り始める。「かつてここは、光と闇の境界として知られていた場所。そして、その均衡を保つために建てられたのが、あの祠」


細い路地を抜けると、小高い丘の上に建物の輪郭が浮かび上がった。古びた石造りの祠。月光を受けて、不気味な存在感を放っている。


「この気配は...」ユイが短杖を握り締める。


「ええ」イリスが頷く。「魔王の影響ね。でも、少し違和感がある」


アカネも感じていた。祠から放たれる闇の気配は、シャドウと戦った時のものとは異なっていた。より古く、より深い何かを感じる。


石段を上りきると、祠の前に苔むした石碑が立っているのが見えた。月明かりの下、かすかに文字が読み取れる。


「『光陰の均衡、此処に在り』」イリスが静かに読み上げる。「『理の眼、闇を照らす』...」


「この文字...」ユイが目を凝らす。「古代の聖文字ね。でも、どうして私に読めるのかしら」


イリスは答えない。代わりに、祠の扉に手を掛けた。重い石扉が、軋むような音を立てて開く。


中は予想以上に広く、月光が天窓から差し込んでいた。そして、正面の祭壇に—。


「あれは...」アカネが息を呑む。


祭壇の上で、黒い水晶のような物体が浮かんでいた。その周りを、濃い闇が渦巻いている。


「歪んでいる」ユイが呟く。「本来の姿じゃない」


「ええ」イリスの声が響く。「これが、村人たちから生命力を吸い取っているのよ。でも、これは症状であって原因ではない」


「どういう意味ですか?」


「誰かが、意図的にこの場所の均衡を壊そうとしている」イリスが祭壇に近づく。「そして、その目的は—」


言葉が途切れた。突如、祠全体が大きく揺れ始める。黒い水晶から、より濃い闇が噴き出す。


「アカネ、下がって!」


ユイの警告が響く中、闇が渦を巻きながら天井へと上昇していく。そして、その中から一つの影が形を成し始めた。


見覚えのある姿—。


「よく来たな」


シャドウの声が、闇に満ちた祠の中に響き渡った。


第二部 終

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