第4章 月光の剣②
第二部 「山麓の町」
石畳の通りは、緩やかな坂を描きながら市場へと続いていた。古びた建物の間から、時折冷たい風が吹き抜ける。
「あそこかな」アカネが指さす先には、大きな石造りの建物が見えた。朽ちかけた看板に「商人ギルド」の文字が刻まれている。
水晶のペンダントが時折光を放つのが気になりながらも、二人は建物に向かおうとした。その時、横から声がかけられた。
「お嬢さんたち、商人ギルドに用かい?」
振り返ると、小柄な老人が立っていた。白髪まじりの髪を後ろで束ね、鋭い目つきをしている。
「はい」アカネが答える。「神殿のことを...」
「シーッ」老人は慌てて人差し指を立てた。「ここではその話は禁物さ。ついておいで」
老人は二人を、通りの奥にある小さな店へと案内した。軒先には「銀月堂」の看板が掛かっている。
「グレイから連絡があったよ」老人は店の中に二人を招き入れながら言った。「私はドリアンという者だ。この店の主人にして、かつての神殿の記録係の孫でね」
店内には、古い書物や地図が所狭しと並べられていた。奥には、錆びついた武具も見える。
「まずは、お茶を飲みながら話そう」ドリアンは奥の小さな部屋へと二人を導いた。「この町で神殿の話をするなら、ここが一番安全だからね」
「町の人たちは、神殿のことを...」ユイが尋ねる。
「怖れているんだよ」ドリアンはお茶を注ぎながら答えた。「特に最近は、神殿から不吉な気配が漂ってくる。夜になると、奇妙な光が見えることもある」
アカネは首からぶら下がる水晶に目を向けた。今は光っていないものの、確かに町に入ってから何度か反応があった。
「その水晶は...」ドリアンの目が輝く。「やはり、あなたたちが"その人たち"なんだね」
「その人たち?」
「うん」ドリアンは立ち上がり、奥の棚から古い革表紙の本を取り出した。「これを見てごらん」
開かれたページには、七人の巫女たちの姿が描かれていた。そして驚いたことに、彼女たちも同じような水晶のペンダントを身につけていた。
「この絵は、私の祖父が描いたものだ」ドリアンは静かに語り始めた。「最後の巫女たちの姿をできるだけ正確に残しておきたかったらしい」
「七人それぞれが、違う印を身につけているように見えます」ユイが絵に見入りながら言う。
「ええ」ドリアンは頷く。「左から順に、新月、三日月、上弦、九夜月、十三夜、待宵、そして満月の巫女だ。それぞれが異なる力を持ち、そして異なる役割を担っていた」
「役割...」
「月光の剣を守護することが、彼女たちの最も重要な使命だった。しかし、それは表向きの役目に過ぎない」ドリアンは声を落とした。「本当の目的は、光と影の均衡を保つこと。そして...」
その時、店の入り口で鈴が鳴った。誰かが入ってきた音だ。
「お客様か」ドリアンは立ち上がりかけたが、表からの物音に首を傾げる。「おかしいな...」
ユイが素早く立ち上がり、戸の隙間から表を覗いた。そして、ぱっと顔を引く。
「影が...」ユイの声が震える。「誰もいないのに、影だけが動いている」
「奥の部屋へ」ドリアンは素早く本を閉じ、二人を導いた。「ここなら...」
言葉が途切れたその時、店内の灯りが一斉に揺らめいた。暗がりの中、壁に映る影が不自然に伸び始める。
アカネの水晶が突如、強い光を放った。
「アカネ!」ユイが彼女の手を取る。
その瞬間、影が一つの形を結んだ。黒衣の男が、まるで闇から浮かび上がるように姿を現す。
「シャドウ...!」ユイの声には、見覚えのある相手を認識する響きがあった。
「久しぶりだな、ユイ」シャドウの声は低く、冷たかった。「そして...光の巫女か」
アカネは思わずユイの後ろに隠れるような形になった。しかし、水晶の輝きは増すばかりだ。
「何の用だ」ドリアンが二人の前に立ちはだかる。
「邪魔をするな、老人」シャドウは一歩前に出る。「私が求めているのは...」
その時、思いがけない声が響いた。
「お客さんかい?」
表の入り口から、グレイが顔を覗かせていた。シャドウは一瞬、その方を振り向く。
「チッ」
その隙に、ドリアンが素早く床に何かを投げつけた。白い煙が立ち込める。
「早く、この階段を!」ドリアンが床の隠し戸を開ける。「地下の通路を通って、裏の通りに出られる」
「でも...」アカネが躊躇する。
「行きなさい」ドリアンは背を向けたまま言った。「グレイと私で時間を稼ぐ。それに...」彼は小さな巻物をユイに手渡した。「これを持って行きなさい。きっと役に立つはず」
ユイはアカネの手を取り、階段を駆け下りていく。背後では、何かが倒れる音が聞こえた。
地下の通路は湿っていて暗かったが、アカネの水晶が道を照らしている。二人は石造りの狭い通路を必死で走った。
どれくらい走っただろうか。ついに、上へと続く階段が見えてきた。
階段を上がると、古い倉庫の裏手に出た。夕暮れが近づいているのか、空が赤く染まり始めていた。
「大丈夫?」ユイがアカネの様子を確認する。
「うん...でも、グレイさんとドリアンさんは...」
「あの二人なら大丈夫よ」ユイは周囲を警戒しながら言った。「それより、早く安全な場所に...」
「待ちなさい」
声の主を探す間もなく、二人の前に若い女性が立っていた。薄紫色の着物を身にまとい、長い黒髪を風になびかせている。
「イリス...さん?」アカネが驚いて声を上げる。
「ここで会えると思っていたわ」イリスは静かに微笑んだ。「私の知り合いの家があるの。そこなら安全よ」
ユイは一瞬、躊躇したように見えた。しかし、アカネの水晶が柔らかく光を放ち、その光はイリスの姿を優しく照らしている。
「行きましょう」ユイも頷いた。
イリスに導かれるまま、三人は入り組んだ路地を進んでいく。やがて、小高い丘の上に建つ古い屋敷に着いた。
「ここは...」
「かつての神官の館よ」イリスが扉を開ける。「今は誰も住んでいないけれど、私たちには使わせてもらえるの」
館の中は意外なことに手入れが行き届いており、埃一つ見当たらない。イリスは二人を広間へと案内した。
「さて」イリスが座りながら言う。「ドリアンから渡された巻物を見せてもらえるかしら」
ユイは驚いた様子でイリスを見た。「どうして...」
「私にも色々と事情があるの」イリスの表情が真剣になる。「その巻物には、月光の剣に関する重要な情報が記されているはず」
ユイは巻物を取り出した。開いてみると、そこには詳細な神殿の見取り図と、何かの儀式に関する記述が記されていた。
「これは...」イリスが目を細める。「月光の剣を封印した時の記録ね」
「月光の剣の封印...」アカネが巻物を覗き込む。
「ええ」イリスは頷いた。「百年前、巫女たちは剣を封印せざるを得なかった。その力が、制御できなくなってきていたから」
「制御できない?」
「剣には二つの力が宿っているの」イリスは説明を続ける。「浄化の光と、破壊の闇。本来はその二つの力が均衡を保っていたのだけれど...ある時から、闇の力が強くなりすぎてしまった」
イリスは立ち上がり、窓の外を見た。夕陽に照らされた神殿が、赤く染まっている。
「巫女たちは最後の手段として、自らの命を賭して剣を封印したの。そして、いつか相応しい者が現れた時のために、七つの水晶を残した」
アカネは首から下がる水晶に触れた。かすかな温もりを感じる。
「でも、イリスさん」アカネが尋ねる。「どうしてここに...」
イリスはゆっくりと振り返り、柔らかな微笑みを浮かべた。
「私は..." "を待っていたの」
その言葉の一部が、まるで風に攫われたかのように聞こえなかった。
「実は、私もミルトン村を出る時から、ここに来ることは決めていたわ」イリスは続けた。「この町には、まだ月の巫女たちの血を引く者たちが暮らしているの。彼女たちを守りながら、そして...あなたを待っていた」
「私を...?」
「ええ。水晶が光り始めた時、私にも分かったの。あなたなら、月光の剣の真の力を理解できるかもしれないって」
その時、外から物音が聞こえた。三人は一斉に窓の方を向く。
「大丈夫」イリスが告げる。「ドリアンとグレイよ」
果たして、二人は無事に館にたどり着いていた。
「シャドウめ、逃げおったわ」グレイが息を切らしながら言う。
「だが、また必ず現れるだろう」ドリアンが付け加えた。「特に、満月の夜には...」
「満月...」イリスが呟く。「あと三日ね」
夜になり、館の一室に五人が集まっていた。暖炉の火が、部屋に温かな明かりを投げかけている。
「私が何者なのか、不思議に思っているでしょう?」イリスが静かに切り出した。「実は私は、最後の満月の巫女の末裔なの」
アカネとユイは息を呑む。
「私の祖母は、七人の巫女の中でも特別な存在だった。満月の巫女として、月光の剣の力を最もよく理解していた人」イリスは続ける。「そして、封印の儀式の直前に、ある予言を残したの」
イリスは自身の首から、アカネのものとよく似た水晶を取り出した。
「"百年後、光の力を持つ少女が現れる。彼女は、光と闇の真実を理解する者となるだろう"」
「それで、アカネを...」ユイが言葉を継ぐ。
「ええ。私は彼女を見守り、導く役目を受け継いでいたの」イリスはアカネに優しい眼差しを向けた。「でも、それは単なる義務ではないわ。あなたの中に芽生えた力を見ていると、祖母の言葉の意味が分かる気がする」
「しかし」ドリアンが口を開く。「シャドウたちも、それを察知しているということだ」
「ああ」グレイも頷く。「最近、町で不審な影法師が増えてきたのも、そういうことだったのか」
「満月の夜」イリスが立ち上がり、窓の外を見た。「その時、月光の剣の封印が最も弱まる。シャドウたちが狙うのは、間違いなくその時」
「でも」アカネが声を上げる。「私には何ができるのか、まだ...」
「それは」イリスが振り返る。「あなた自身が見つけることよ。ただし...」
彼女は古い箪笥から、一枚の絹布に包まれた物を取り出した。解いてみると、それは銀色に輝く短剣だった。
「これは?」
「祖母が遺した守りの短剣。満月の光を帯びているの」イリスはそれをアカネに差し出した。「これがあれば、水晶の力をより上手くコントロールできるはず」
アカネが短剣を手に取ると、水晶が柔らかく光を放った。
「私たちにできることは」イリスが続ける。「満月の夜までに、あなたの力を目覚めさせること。そして...」
「まずは、私たち自身のことを話させてもらおう」グレイが前に乗り出した。「実は私は、元・神殿の守護騎士団の末裔でな」
アカネとユイは驚いた様子で顔を見合わせる。
「守護騎士団は、巫女たちの護衛と神殿の防衛を担っていた」グレイは懐かしむように語る。「私の曾祖父は騎士団長だった。巫女たちが姿を消した後も、騎士団の血筋は密かにその使命を受け継いできたんだ」
「だから街道で...」アカネが思い出したように言う。
「ああ」グレイは笑顔を見せた。「商人というのは表の顔でな。街道を行き来しながら、水晶を持つ者が現れないか見張っていたというわけさ」
「私もまた」ドリアンが静かに言葉を継いだ。「神殿の記録係として、重要な情報を守り続けてきた家系の者だ。表向きは古物商だが、実際は神殿に関する古文書や遺物を収集し、保管している」
彼は一冊の分厚い本を取り出した。「これは代々、記録係が書き継いできた秘密の記録。神殿の真の歴史が記されている」
「そして」イリスが言葉を添える。「二人とも、満月の巫女...私の祖母から、ある"約束"を託されていたの」
「約束?」
「ええ。"光の巫女が現れた時、その力を開花させるための手助けをすること"」イリスは本棚から一冊の古い手帳を取り出した。「これは祖母が残した修練の記録。あなたの力を目覚めさせるためのヒントが、ここに記されているわ」
グレイが立ち上がり、窓の外を見た。「街の様子も変わってきている。影の気配が濃くなっているんだ。私たちには、それを感じ取る力がある」
「私の店も」ドリアンが続けた。「単なる古物商ではない。神殿時代から続く、秘密の力を持つ品々を守る場所でもあるんだ」
「つまり」イリスがまとめる。「私たち三人は、この時のために...あなたを待っていた守護者たちということね」
アカネは自分に課せられた運命の重さを、改めて感じていた。
イリスは祖母の手帳を開いた。黄ばんだページには、繊細な文字で詳細な記録が残されている。
「まず、水晶と短剣の共鳴から始めましょう」イリスが言う。「この館の地下には、かつて巫女たちが修練に使っていた場所があるの」
ドリアンが立ち上がった。「案内しよう。そこなら、影の目も届かないはずだ」
地下への階段を降りていくと、円形の広間が現れた。壁には七つの月の相を表す紋章が刻まれ、天井には水晶でできた灯りが埋め込まれている。
「ここで」イリスは手帳を開きながら説明を始めた。「祖母たちは三つの修練を積んだそうよ」
「三つの修練?」
「ええ。まず"月見の瞑想"。水晶と心を響かせ、光の波動を感じ取ること」イリスは続ける。「次に"光の流れ"。短剣を媒体として、その波動を形にすること。そして最後は"影との対話"」
「影との...対話?」アカネが不安そうに尋ねる。
「光があれば必ず影がある」イリスの声が静かに響く。「その影を恐れるのではなく、理解することが大切なの」
グレイが広間の端にある古い箱を開けた。中からいくつかの燭台を取り出し、円を描くように配置していく。
「これは守護騎士団が使っていた特別な蝋燭だ」グレイが説明する。「光と影の修練に使われていたものでね」
「私も手伝おう」ドリアンが古い巻物を広げる。「これは記録係が残した詠唱の言葉だ。光を呼び覚ますための...」
イリスがアカネの前に立ち、両手を差し出した。
「まずは、私と向かい合って。ユイ、あなたも加わって」
「私も?」
「ええ。三人で円を作るの」イリスの表情が優しい。「光は決して一人のものではないから」
三人が手を取り合うと、水晶が淡い光を放ち始めた。
「目を閉じて」イリスの声が静かに導く。「そして、感じるの。月の光が、あなたの中を流れていく様を...」
アカネが目を閉じると、不思議な感覚が全身を包み込んでいく。まるで月の光に浸されているような、柔らかで清らかな波動。
「その通り」イリスの声が遠くから聞こえてくる。「その感覚を大切に...」
ドリアンが静かに詠唱を始めた。古い言葉が、広間に響き渡る。
『月よ、光よ、永遠の導き手よ
我らに清きさとりを与えたまえ』
グレイが配置した蝋燭の炎が、不思議な銀色の輝きを帯び始める。
「今度は」イリスが続ける。「短剣を持って」
アカネが短剣を手に取ると、水晶との間に光の糸が紡がれるように見える。
「その光を...形にするの」
アカネは意識を集中した。光の波動が、短剣を伝わって指先まで広がっていく。それは温かく、しかし力強い感覚だった。
「アカネ」ユイの声。「私にも、見えるわ。あなたの周りの光が...」
確かに、アカネの周囲に淡い光の輪が形作られていく。それは月光のように柔らかく、しかし芯の強い輝きを放っていた。
「ここからが大切」イリスが告げる。「その光は、必ず影を生む。恐れないで。じっと見つめるの」
アカネが目を開くと、自分の影が壁に映っているのが見えた。しかしその影は、単なる暗がりではない。どこか意志を持っているかのように、わずかに揺らめいている。
「影もまた、あなたの一部」イリスの声が導く。「光が強ければ強いほど、影も濃くなる。でも、それは決して恐れるべきものではないの」
アカネは静かに息を整えた。確かに、影は自分を脅かすものではない。それは光があるからこそ存在する、もう一つの自分。
「その調和を感じて」
短剣を通して流れる光が、さらに強まる。しかし今度は、それに比例して影も深まっていった。光と影が、まるで呼応するように、踊るように...。
「素晴らしい」イリスの声に、喜びが混じる。「これが第一歩よ。光と影の対話が、始まったわ」
「では、次の段階へ」イリスは手帳の別のページを開いた。「光を"動き"にすること」
「動き?」
「ええ。今あなたは光と影を感じることができた。次は、その力を自在に操れるようにならないと」
ドリアンが広間の中央に、銀の粉のような物を撒いていく。それは月光に反応するように、かすかな輝きを放っている。
「これは月光石の粉」ドリアンが説明する。「巫女たちは、これを使って光の軌跡を練習したそうだ」
「まずは、短剣を使って」イリスが手本を見せる。彼女が短剣を動かすと、月光石の粉が光の帯となって、その軌跡を描いていく。
アカネが真似をすると、かすかに光の筋が現れた。しかし、すぐに消えてしまう。
「焦らなくていい」ユイが励ますように言う。「私にも見えるわ。確かに光は動いている」
何度も試すうちに、アカネは気づいた。力を込めれば込めるほど、光は弱くなってしまう。もっと自然に、水が流れるように...。
「そう」イリスが頷く。「力を振り絞るのではなく、導くの」
アカネは深く息を吸い、もう一度試みた。今度は、光が自分の中を通り抜けていくのを感じる。それを優しく、短剣を通して外へ。
銀色の光が、月光石の粉の上に美しい弧を描いた。
「できた...!」
しかしその時、思いがけないことが起きた。描かれた光の軌跡が、まるで生き物のように蠢き始めたのだ。そして、何かの文字を形作っていく。
「これは...」イリスが息を呑む。
「古代の文字」ドリアンが近寄って来た。「神殿で使われていた特別な文字だ」
「何て書いてあるんですか?」
ドリアンはしばらく見入っていたが、やがて静かに読み上げた。
『光よ、我が娘を導きたまえ。
そして影よ、彼女を守りたまえ』
「これは...」イリスの声が震える。「最後の満月の巫女...私の祖母が残した言葉」
「あなたのお母さんも」イリスが静かにアカネに向き直る。「この力を持っていたのよ」
「母さんが...?」
「そう」イリスは手帳の後ろから、一枚の古い写真を取り出した。そこには若い女性が写っている。アカネの母によく似た面立ちで、首から水晶のペンダントを下げていた。
「この写真は、二十年前のもの。あなたのお母さんが、ここシルバーマウントに来た時のものよ」
アカネは息を呑んだ。母が若かった頃の姿を見るのは初めてだった。
「でも、どうして...」
「あの時、お母さんは光の力に目覚めかけていた」イリスの声が柔らかい。「でも、時が早すぎた。世界は、まだその力を受け入れる準備ができていなかったの」
グレイが言葉を継いだ。「私も覚えている。あの時の彼女を。まるで月の光そのもののような、清らかな力を持っていた」
「それで母さんは...」アカネの目に涙が浮かぶ。
「ええ」イリスが頷く。「力を封印することを選んだの。そして、あなたが成長するのを待つことにした。光の力は、次の世代へと受け継がれていったわ」
ドリアンが月光石の粉の上に新たに浮かび上がった文字を読み上げる。
『時が来た。光は再び目覚め、影は道を示す』
「この文字」ドリアンが言う。「これは予言の続きだ。しかし、まだ何か...」
その時、地上から物音が聞こえた。全員が一斉に上を見上げる。
「シャドウたち」グレイが低い声で告げる。「もう動き始めたか」
「準備の時間は、あと二日」イリスが言う。「それまでに、あなたの力をもっと...」
しかしアカネは、不思議と恐れを感じなかった。母の写真を見つめながら、彼女は静かに言った。
「大丈夫。私、わかってきたの」アカネは短剣を握り締める。「この力は、ずっと私の中にあった。母さんから受け継いだ、大切な...」
その時、水晶が強い光を放った。それは今までにない、清らかで力強い輝き。その光は影をも包み込むように、広間全体に広がっていく。
光が収まると、広間の床に新たな文様が浮かび上がっていた。七つの月の相が円を描き、その中心にアカネが立っている。
「これは...」イリスが驚きの声を上げる。「月の巫女たちの聖印」
「聖印?」
「七人の巫女たちが力を一つに結集する時に現れる印」イリスが説明する。「でも、一人の力で聖印を呼び起こすなんて...」
ユイがアカネの傍に歩み寄った。「きっと、これはあなただけの力じゃないわ。あなたの中に、七人の巫女たちの想いが...」
グレイが突然、身構えた。「上の気配が強くなってきている」
「もう一つ、大切な修練が残っている」イリスは急いで言った。「それは"光の守り"。あなたの力で、他者を守ることよ」
「他者を...守る」
「そう。シャドウたちが狙っているのは、あなただけじゃない」イリスの声が真剣になる。「この町に残る、巫女たちの血を引く人々も。だから...」
その時、地上からドリアンの声が響いた。「イリス様!急いで!」
全員が階段を駆け上がると、館の窓から不穏な光景が見えた。町のあちこちで、不自然な影が蠢いている。
「もう始まっているのね」イリスが呟く。
「でも、まだ満月まで二日ある」ユイが指摘する。
「奴らも必死なんだ」グレイが剣を抜く。「月光の剣を我がものにしようとして」
アカネは短剣を強く握り締めた。「私に、できること...」
「ええ」イリスが頷く。「最後の修練は、実践の中で学ぶことになるわね」
「どういうことですか?」
「この町には、七つの家系が残っているの」イリスが説明を始める。「かつての巫女たちの血を引く家系。その人々を守りながら、あなたの力を完全な形に...」
「七つの家系は、それぞれが月の相に対応している」イリスは素早く地図を広げた。「新月の家は市場の東、三日月の家は北の丘、上弦の家は...」
「分かりました」アカネが頷く。「でも、どうやって守れば...」
「これを」ドリアンが七つの小さな水晶を取り出した。「各家の守りの印。これを正しい位置に配置すれば、結界を張ることができる」
「私たちで手分けしましょう」ユイが提案する。「イリスさんとアカネ、私で三手に分かれて」
「いや」グレイが遮った。「それは危険すぎる。シャドウたちは必ず見張っている」
「だったら」アカネが思い付いたように言う。「影の中を、通れば...」
全員の視線が彼女に集まる。
「そうだ」イリスの目が輝く。「あなたは光だけでなく、影をも理解し始めている。影の道を使えば...」
「でも、それは」ユイが心配そうに言う。
「大丈夫」アカネは短剣を見つめた。「さっきの修練で分かったの。影は敵じゃない。むしろ...」
「味方になり得る」イリスが言葉を継ぐ。「その通りよ。これこそが、月光の剣の真髄。光と影の調和」
急いで作戦が立てられた。アカネとユイが水晶を各家に届け、イリスとグレイが見張りを務め、ドリアンが館から全体の動きを指示する。
「行きましょう」アカネが短剣を構える。
彼女が光を放つと、同時に影も深まった。しかし今度は、その影が彼女たちの味方となる。まるで夜の帳のように、二人の姿を包み隠す。
「凄い...」ユイが息を呑む。
最初の家は、市場の東。古い薬屋の建物だった。アカネたちは影に紛れて近づき、店の裏手に回る。そこには小さな祠があり、月の紋章が刻まれていた。
「ここね」ユイが水晶を取り出す。
アカネが短剣で光を灯すと、水晶が祠の窪みにぴったりと収まった。かすかな光の膜が、建物を包み込む。
「一つ目、成功」イリスの声が、風に乗って届く。
二つ目の家は北の丘にあった。三日月の家系の住居は、古い石造りの建物で、屋根に小さな天文台が設けられている。
「あそこ」ユイが空を指さす。黒い影が建物の周りを旋回していた。
「シャドウの手下ね」アカネは短剣を握り締める。「でも...」
彼女は目を閉じ、さっきの修練を思い出す。光を強く放てば放つほど影も濃くなる。でも、それは決して悪いことではない。
アカネが短剣を掲げると、月明かりのような柔らかな光が広がった。同時に、その光が作り出す影が、彼女たちの姿を完璧に隠していく。
「影の中の影は、見えない」イリスの言葉が蘇る。
二人は建物の裏手へと忍び寄った。ここにも同じような祠があり、三日月の紋章が刻まれている。
「早く」ユイが二つ目の水晶を取り出す。
その時、上空の影が急降下してきた。しかしアカネの作り出す影の中では、彼女たちの姿も動きも完全に消されている。
水晶が祠にはまると、新たな光の膜が建物を包んだ。上空の影が混乱したように旋回する。
「急ぎましょう」ユイが三つ目の水晶を握りしめる。
上弦の家は市場の西、古い書店だった。店の主人らしき老婆が、不安そうに窓辺で空を見上げている。
「あの方も、巫女の血を引く人なのね」
アカネは老婆の不安な表情を見て、決意を新たにした。この人たちを、必ず守らなければ。
しかし、書店の周囲には既にシャドウたちの気配が濃く漂っていた。影が路地という路地を埋め尽くしている。
「どうやって...」
その時、アカネの水晶が不思議な光を放った。まるで何かに呼応するかのように。
「アカネ、見て」ユイが書店の窓を指さす。
老婆の手にも、小さな水晶が握られていた。それが今、かすかに光を放っている。
「私たちだけじゃない」アカネは気付いた。「皆で力を合わせれば...」
アカネは短剣を高く掲げた。すると老婆も水晶を窓際に掲げる。二つの光が呼応し、シャドウたちの影を押し返すように輝き始めた。
「今よ!」
ユイが影の切れ間を素早く駆け抜け、書店の裏手へ。アカネは光を維持しながら、彼女の動きを守る。
三つ目の水晶が祠にはまると、光の膜が書店を包み込んだ。老婆は安堵の表情を浮かべ、小さく頭を下げる。
「無事に三つ目も」イリスの声が届く。「でも、シャドウたちの動きが活発になってきているわ」
確かに、町の空には黒い影が渦を巻き始めていた。
「九夜月の家は?」ユイが次の水晶を確認する。
「織物屋」イリスが答える。「市場の南よ」
しかし、そこへ向かう途中、思いがけない出会いがあった。路地の陰から、小さな少女が飛び出してきたのだ。
「お姉ちゃんたち、待って!」
少女の手にも、小さな水晶が握られていた。
「あなたは...」
「私、織物屋の娘」少女は息を切らせながら言う。「おばあちゃんが言ってたの。"光の巫女様が来てくれる"って」
その時、上空から黒い影が襲いかかってきた。
「危ない!」
アカネは咄嗟に短剣を構えた。しかし今度は、彼女一人の光ではない。少女の水晶も、ユイの持つ残りの水晶も、全てが一斉に輝きを放つ。
まるで星々が瞬くように、町のあちこちで小さな光が点り始める。
「これは...」イリスの声が感動に震える。「七つの家の人々が、全員...」
シャドウたちの影が、まるで光を避けるかのように退いていく。
「急いで」少女が案内する。「私が道を示すわ」
七つの家の人々が、代々受け継いできた水晶。その全てが今、アカネたちの動きに呼応していた。
少女の案内で、裏路地を通って織物屋へと向かう。その道すがら、町の人々の光が彼女たちを守るように輝いていた。
「おばあちゃんが教えてくれたの」少女が走りながら話す。「私たちの家系は、九夜月の巫女様から続いているって。だから、この水晶も代々...」
「みんな、ずっと待っていてくれたのね」ユイが呟く。
織物屋に着くと、店の老婆が既に裏口で待っていた。手にした水晶が、月明かりのように柔らかく光を放っている。
「お待ちしていましたよ」老婆が穏やかに微笑む。「さあ、この子と一緒に行きなさい」
少女は裏庭の奥へと駆けていく。そこには、他の家の祠とは少し違う、青みがかった石で造られた祠があった。
「九夜月の印」イリスの声が響く。「その場所は、七つの家の中でも特別な...」
言葉が途切れたその時、空が急に暗くなった。見上げると、大きな影の渦が町全体を覆い始めている。
「シャドウ!」ユイの声が緊張に震える。
黒衣の男が、影から姿を現した。
「ついに見つけたぞ」シャドウの声が冷たく響く。「光の巫女、そしてユイ...」
「させません!」アカネは少女を後ろに庇いながら、短剣を構える。
その瞬間、驚くべきことが起きた。町のあちこちで光が強まり、まるで光の網のように繋がっていく。七つの家に住む人々の水晶が、全て呼応したのだ。
「なっ...」シャドウが一瞬、たじろぐ。
「今よ!」アカネと老婆が同時に叫ぶ。
ユイが九夜月の水晶を祠にはめ込むと、青白い光が噴き出すように広がった。その光は他の家々の光と共鳴し、まるで月光の帳のように町全体を包み込んでいく。
「くっ...」シャドウが影の中に消えていく。「だが、これで終わりではない。満月の夜、必ず...」
影の渦が散っていく中、アカネは空を見上げた。まだ姿を見せぬ満月を目指すように、七つの光が天高く伸びている。
「これが、光の守り...」アカネは自分の手の中の力を感じながら呟いた。
「ええ」イリスが近づいてくる。「でも、これは始まりに過ぎないわ。満月の夜まで、あと二日...」
館に戻った一行を、グレイとドリアンが出迎えた。
「見事だった」グレイが満足げに頷く。「七つの家の結界が一つになるなんて、百年前の記録にもないはずだ」
「これも、みんなの力があってこそ」アカネは疲れた様子ながらも、清々しい表情を浮かべていた。
「しかし」ドリアンが窓の外を見やる。「シャドウの言葉が気になる。満月の夜に何を...」
イリスは古い手帳を開きながら言った。「おそらく、月光の剣を我がものにしようとしているのでしょう。満月の夜、神殿の封印が最も弱まる時を狙って」
「でも、どうやって?」ユイが問いかける。「剣の在処さえ、誰も知らないはず」
「いえ」イリスが静かに言った。「知っている人が、一人だけいるわ」
全員の視線が、イリスに集まる。
「私の祖母...最後の満月の巫女が、真実を記した」イリスは手帳の最後のページを開いた。「でも、この暗号は、光の巫女にしか解けないと」
アカネは手帳を受け取った。ページには複雑な紋様が描かれ、その間に見慣れない文字が並んでいる。
「これは...」
アカネが文字に触れた瞬間、水晶が反応した。紋様が光を帯び、文字が浮かび上がるように見え始める。
『月光の剣は闇に沈む
光の道を辿りし者よ
七つの印が導く先に
真実の扉は開かれん』
「七つの印...」ユイが考え込む。「さっきの家々の紋章のこと?」
「そうね」イリスが地図を広げる。「七つの家の位置を結ぶと...」
全員が息を呑んだ。線で結ばれた七つの点が、明確な模様を描いていた。それは...
「大きな月の紋章」グレイが地図を見つめる。「そして、その中心は...」
「湖」ドリアンが言う。「神殿の裏手にある月鏡の湖だ」
イリスが頷く。「そう。湖の底に、月光の剣が眠っているのよ」
「湖の底...」アカネは思わず呟いた。「でも、どうやって?」
「祖母の手帳には、こうも書かれている」イリスがページをめくる。「"満月の夜、七つの光が交わる時、水の道が開かれる"」
「七つの光...」ユイが思案する。「各家の水晶の力を使えば...」
その時、外から物音が聞こえた。慌てて窓の外を見ると、織物屋の少女が走ってくるのが見えた。
「大変です!」少女は息を切らして叫ぶ。「シャドウたちが、神殿で何かを...」
全員で神殿を見上げると、その周囲に濃い闇が渦巻いているのが分かった。
「結界を張っているのね」イリスの表情が険しくなる。「満月の夜までに、神殿を完全に闇で包み込もうとしている」
「でも、なぜ?」アカネが尋ねる。
「おそらく」ドリアンが説明する。「月の光を遮断して、私たちが剣に近づけないようにするつもりだろう」
「そうね」イリスが続ける。「闇の中なら、彼らの方が有利...」
しかし、アカネの表情は意外にも穏やかだった。
「大丈夫」彼女は短剣を握りしめる。「さっきの修練で分かったの。闇は、決して光の敵じゃない。むしろ...」
「光を引き立てる存在」イリスが言葉を継ぐ。「その通りよ。だからこそ、満月の夜までにもう一つ、大切な準備が必要になる」
「もう一つ?」
「ええ」イリスは七つの家から集まってきた水晶を、円を描くように並べ始めた。「本来、月光の剣は光と闇の力を統べる存在。その力を受け継ぐには、闇の力もまた理解しなければ」
館の地下室で、七つの水晶が円を描いて配置された。その中心にアカネが立ち、周囲をイリス、ユイ、そして七つの家の代表者たちが取り囲んでいる。
「最後の修練は」イリスが静かに語り始める。「"月影の舞"」
「月影の舞?」
「光と影が一つとなって踊る秘技よ」イリスは目を閉じる。「かつて巫女たちは、この舞いによって月光の剣の力を制御していたの」
ドリアンが古い巻物を広げた。「これは、最後の巫女たちが舞った記録」
七つの動きが、細かく記されている。新月の静寂、三日月の目覚め、上弦の躍動、九夜月の調べ、十三夜の旋回、待宵の願い、そして満月の光輪。
「一つ一つの動きに」イリスが説明を続ける。「光と影の意味が込められているわ」
アカネは短剣を持って立ち上がった。周囲の水晶が、かすかに輝き始める。
「まずは、新月の型から」
イリスの導きに従い、アカネは静かに動き始めた。短剣が描く軌跡に、光の帯が残る。同時に、その光が作り出す影もまた、美しい模様を描いていく。
「その調和を感じて...」
動きが進むにつれ、アカネは不思議な感覚に包まれていった。光と影が、まるで自分の体の一部であるかのように。
「素晴らしい」イリスの声に感動が混じる。「まるで、百年前の満月の巫女が舞っているかのよう」
しかし、九夜月の型に入ったところで、異変が起きた。神殿の方角から、強い闇の気配が押し寄せてくる。
「シャドウたちの力が...」ユイが警戒するように言う。
「いいえ」アカネは舞いを止めない。「これも必要な力」
彼女の動きに呼応するように、闇の波が渦を巻き始める。しかし今度は、それは敵意を持ったものではない。光の舞いに寄り添うように、影もまた踊っているかのようだ。
十三夜の型へと移行する時、アカネの周りで光と影が渦を巻いていた。それは互いを打ち消すのではなく、まるで協調するかのように、美しい螺旋を描いている。
「見事だわ」イリスの声が響く。「満月の巫女たちが目指した、真の調和」
しかし、待宵の型に入ろうとした時、アカネの体が大きく揺らめいた。今までにない強い力が、彼女の中に流れ込んでくる。
「アカネ!」ユイが駆け寄ろうとするが、イリスが制止する。
「大丈夫。これは...記憶が蘇っているのよ」
アカネの目の前で、幻のような光景が広がり始めた。
百年前の神殿。七人の巫女たちが、同じようにこの舞いを舞っている。そして彼女たちの中心で、月光の剣が神々しい輝きを放っていた。
「見えます」アカネの声が遠くから響くよう。「巫女たちが、剣を封印した時の...」
光と影が交錯する中、巫女たちの声が聞こえてくる。
『光は闇となり、闇は光となる
その調和の果てに、真実は現れる』
アカネの動きが、最後の満月の型へと移っていく。七つの水晶が強く反応し、それぞれが異なる色の光を放ち始めた。
新月の紫、三日月の藍、上弦の蒼、九夜月の翠、十三夜の黄、待宵の橙、そして満月の白。七色の光が織りなす中、アカネの舞いが完成に近づく。
「あれを見て!」織物屋の少女が指さす。
地下室の床に、新たな文様が浮かび上がっていた。それは湖の底に眠る剣を封じた、古代の印。
「これが、解く鍵ね」イリスが呟く。
舞いが終わると、アカネはゆっくりと目を開いた。彼女の瞳に、七色の光が宿っているかのよう。
「分かりました」アカネの声には、不思議な確信が込められていた。「月光の剣は...光と影の力を、本当の意味で一つにする」
「月光の剣には、二つの役割があった」アカネは静かに語り始めた。「一つは世界の光と闇のバランスを保つこと。そしてもう一つは...」
「もう一つは?」ユイが促す。
「人々の心の中にある、光と闇を調和させること」アカネは目を閉じながら続けた。「だから巫女たちは、剣を湖の底に...」
「そう」イリスが頷く。「湖面は鏡のよう。光を映すと同時に、影も映し出す。完璧な調和の場所」
ドリアンが古い地図を広げた。「月鏡の湖は、満月の夜に特別な性質を持つ。湖面が銀色に輝き、底まで月光が届くという」
「シャドウたちも、それを知っている」グレイが付け加える。「だから神殿を闇で包み、月光を遮ろうとしている」
「でも」アカネは短剣を見つめる。「それは逆効果かもしれない」
全員の視線が彼女に集まる。
「闇が濃くなればなるほど、光はより強く輝く。そして...」アカネは立ち上がり、月影の舞の最後の動きを示した。「影もまた、より鮮明になる」
イリスの目が輝いた。「そう、その通り!シャドウたちの力を、逆に利用するのね」
計画が具体的に立てられていく。
満月の夜、七つの家の人々がそれぞれの場所で光を放つ。その光が神殿を取り囲む闇と共鳴し、特別な道を開く。アカネとユイがその道を通って湖へ向かい、イリスとグレイ、ドリアンが外からの援護を担当する。
「でも」織物屋の少女が不安そうに言う。「シャドウたちが、邪魔をしに来たら...」
「大丈夫」アカネは少女の頭を優しく撫でた。「私たちには、みんなの力がある」
「それに」イリスが付け加える。「闇の力もまた、私たちの味方になり得る。全ては、心の在り方次第」
満月の前夜。館の広間で最後の打ち合わせが行われていた。
「七つの家は、このように配置につく」ドリアンが大きな地図の上に、色とりどりの印を置いていく。「それぞれの場所で、月の出と同時に水晶の力を解放する」
「このタイミングが重要ね」イリスが付け加える。「シャドウたちの闇の結界が最も強まる時と、私たちの光が重なることで...」
「新しい道が開かれる」アカネが頷く。
七つの家の代表者たちも、真剣な面持ちで話を聞いている。織物屋の少女の祖母が口を開いた。
「私たち、代々この時を待ち望んできました」老婆の声に深い感動が滲む。「母から娘へ、そして孫へと、水晶と共に想いを受け継いで」
「ええ」イリスも目を潤ませる。「祖母たちの願いが、ようやく叶う時が来たのね」
グレイが窓際から声をかける。「街の様子も変わってきている。シャドウたちの闇の結界が、徐々に神殿を覆い始めた」
「明日の今頃は」ユイが神殿の方を見やる。「完全な闇に包まれているでしょうね」
「それこそが、私たちのチャンス」アカネは短剣を握り締める。「光は闇の中で、最も美しく輝くから」
「アカネ」イリスが彼女の前に立つ。「最後にもう一つ、大切なことを」
イリスは懐から、一枚の古い写真を取り出した。そこには七人の巫女たちが写っている。中央に立つ巫女が、イリスの祖母。そして、その隣に立つ巫女の顔が...。
「この方は」アカネが息を呑む。
「ええ」イリスが静かに頷く。「あなたのお祖母様。サヤさん」
アカネの目に涙が浮かぶ。「祖母さんも、巫女の一人だったの?」
「待宵の巫女として」イリスは写真を大切そうに撫でる。「私の祖母と共に、最後まで剣を守った方。だからこそ、あなたの母上にも、そしてあなたにも、その血が...」
「祖母さんは、何も語ってくれなかった」アカネは写真を見つめながら言った。「でも、時々見せてくれた優しい笑顔の中に、何か深い想いを感じることはあって...」
「きっと、守りたかったのよ」イリスが優しく言う。「その時が来るまで、あなたを。だから薬師として、光の力を自然な形で育んできた」
「薬草の扱い方を教えてくれた時」アカネは思い出すように目を閉じる。「いつも"植物の声を聴きなさい"って...」
「そう」イリスが頷く。「それは光の力を感じ取る、最も穏やかな方法。気付かないうちに、あなたは力と共に成長してきたの」
アカネは首からぶら下がる水晶に手を触れた。「だから母さんも...」
「ええ。あなたのお母様も、同じように力に目覚めかけていた」イリスの声が少し沈む。「でも、その時はまだ早すぎた。世界も、人々の心も、準備ができていなかった」
「でも、今は違う」ユイが前に出る。「私たちがいる。七つの家の人々も。そしてなにより、アカネ...あなたの中で光が、確かな強さを持って輝いている」
その時、窓の外で風が強まった。神殿の方から、黒い雲が渦を巻くように広がっている。
「始まったわ」イリスが呟く。「シャドウたちの、最後の準備」
「私たちも」グレイが剣を構える。「備えを固めるとしようか」
七つの家の人々が、それぞれの水晶を胸に抱く。その瞬間、思いがけないことが起きた。アカネの短剣が、突如として強い光を放ったのだ。
その光は、まるで月明かりのよう。温かく、しかし芯の強い輝き。それは部屋にいる全員の水晶と呼応し、柔らかな光の網目を作り出していく。
「これは...」ドリアンが息を呑む。「巫女たちの想いが、一つになっている」
光の網目は、まるで生きているかのように部屋の中を漂い始めた。その光に触れた者たちの心に、不思議な温かさが広がっていく。
「これが、巫女たちの祈り」イリスの声が、感動に震えていた。「代々受け継がれてきた、光の記憶」
その時、アカネの中に様々な映像が流れ込んできた。
かつての神殿での日々。七人の巫女たちが寄り添い、支え合う姿。月光の剣を前に、祈りを捧げる静謐な時間。そして...封印の儀式の日の、決意に満ちた表情。
「みんな」アカネは目を開けた。「見えました。巫女たちの想いが...」
七つの家の人々も、同じように何かを感じ取ったようだった。老いも若きも、その目に涙を浮かべている。
「私たちの先祖」織物屋の老婆が震える声で言う。「こんなにも強く、こんなにも深く...」
「ええ」イリスが頷く。「だからこそ、百年もの間、この想いを守り続けることができた」
「そして今」ドリアンが言葉を継ぐ。「その想いが、新たな光となって」
グレイが窓際から声をかける。「見てごらん。町の人たちが...」
窓の外を見ると、驚くべき光景が広がっていた。多くの家々の窓辺に、小さな灯りが灯されている。まるで星空のように、町中に光の点が広がっていた。
「私たちだけじゃない」アカネが呟く。「この町に住む人たち皆が、光を信じている」
「そうね」イリスの声が強さを帯びる。「シャドウたちは、闇の力だけを見ている。でも本当の強さは、光と影の調和にある。そして、人々の心が一つになること」
「明日の満月」ユイが神殿の方を見やる。「きっと、新しい夜明けになる」
アカネは短剣を掲げた。その光が、空へと伸びていく。そして不思議なことに、神殿を覆う闇の中に、小さな光の道が浮かび上がったように見えた。
「明日の今頃は」アカネは夜空を見上げながら言った。「全てが、変わっているかもしれない」
「ええ」イリスが静かに頷く。「でも、それは終わりじゃない。むしろ、本当の始まり」
部屋の中で光の網目が、最後の輝きを放って消えていく。しかし、その温もりは確かに、皆の心に残っていた。
七つの家の人々が、それぞれの持ち場へと戻っていく。彼らの背中には、百年の想いと、新たな希望が宿っている。
館に残されたアカネたちは、もう一度、計画を見直した。地図の上で光る七つの点。そこから浮かび上がる月の紋章。そして、その中心にある湖。
全ては、この時のために積み重ねられてきた。
母の想い、祖母の祈り、そして巫女たちの願い。
アカネは窓辺に立ち、間もなく夜明けを迎える空を見つめた。東の空がわずかに明るみを帯び始めている。
「新しい朝が、始まろうとしているわ」
その言葉に、誰もが深い意味を感じていた。
夜明けの光が、シルバーマウントの町を、そっと包み始めた。
[第二部 完]




