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あの日。修道院の扉の前に倒れていたシャーロットは、巡回の為に歩いていたシスターによって発見してもらい、今は一教徒として神に祈りを捧げている毎日だ。
この修道院では"宿り樹様"と呼ばれる大樹があり、その樹に祈りを捧げている。
「リーニャちゃん、ご飯にしよっか」
シスター達はシャーロットが口をきけないから名前が分からないからと"リーニャ"という名をつけた。なんだか生まれ変わったようで、シャーロットはこの名が嫌いじゃない。寂しさは拭いきれないが。
祈るのを止めて立ち上がったシャーロットは、ふと宿り樹様を見た。葉の一部が、キラキラ輝いている。
「っ!?」
シャーロットは驚き誰かに聞きたかったが、直ぐにキラキラは消えてしまいその輝きを見たのはシャーロットだけだった。
「どうしたの?」
シスターに顔の前で手を振って誤魔化して、シャーロットは取り敢えずご飯を食べる事にした。
――真夜中。こっそり礼拝堂に入ったシャーロットは宿り樹様の近くに行く。硬い幹は、特におかしな所はない。
んー? と思いながらペタペタペタペタ触る。すると、強い風が吹いたかのように木の葉がガサガサと揺れた。
『あーもー! くすぐったいんだけど!』
「……っ!?」
『今すぐ触るの止めてよ』
若い男の声で、シャーロットを静止する声が響く。脳に直接話しかけてくるような声に、シャーロットは瞠目した。
キョロキョロと周りを見回すと、長い溜息をつかれる。
『ここ、ここだよ。さっきまで君がいやらしくペッタペタ触ってたのが僕だよ』
正体は宿り樹様だったという驚きと、"いやらしい"という単語にシャーロットは顔を真っ赤にする。そのまま頭を勢いよく下げると、もう一度溜息をつかれた。
『あー、そういうのいいよ。悪気がなかったのは分かってるし』
ホッと安心したシャーロットが顔を上げると、白に近い葉がヒラヒラと目の前に舞い落ちた。足元で僅かに発光してる。
『その葉はあと1時間ぐらい光るから、それを使って部屋に帰りなよ。もう来ないでよね』
言い方は素っ気ないけど、親切だなぁ。お辞儀をしてからシャーロットは葉を拾い、真っ暗な中を歩き始めた。
なんだか心がぽかぽかして、シャーロットは部屋についてからも布団の中でずっと光る葉を見ていた。柔らかい光が萎んで、消えてしまうまで、ずっと。
星が銀色に小さく瞬く夜。
『――なんでまた来たのっ!?』
シャーロットはドヤァ、とカンテラを宿り樹様の前に出した。
『灯りを持ってくれば良いってことじゃないからね!? あーもー、調子狂うなぁ……』
シャーロットは宿り樹様が頭をガシガシとかいて困っている姿が容易に想像できて笑みが溢れた。そのまま宿り樹様の側に近づき、カンテラは床に置いて宿り樹様に寄りかかる。
『え、うわ何? ちょっと図々しすぎない、君?』
心底嫌がってそうな宿り樹様に寄りかかったまま、段々シャーロットはウトウトしてきた。ふわぁ……と欠伸が漏れる。
『え、まって。寝る気じゃないよね? ちょっと、ちょっと起きなよ』
本格的にシャーロットの寝息が聞こえ始めると、『もう、本当になんなんだよ……』という情けない声を宿り樹様は上げ、眠る少女を見守るように葉を静かに揺らし始めた。
結局シャーロットは夜が明ける前に、宿り樹様の落ち葉アタックで起こしてもらった。
それからも、シャーロットは宿り樹様の元に夜な夜な通った。最近は宿り樹様も慣れてきたのかシャーロットをあからさまに邪険にはせず、呆れたように帰ることを促してくる。
だが素っ気ない態度を取られる程、シャーロットは宿り樹様が気になった。そして、ある欲求がシャーロットの胸の中で疼くのだ。『宿り樹様と、おしゃべりしたい』という願いが、会うたびに大きくなる。
シャーロットは愛に飢えているのかもしれない。そもそもとして人からの愛情を求めていたのに、手酷く裏切られた事によりその渇望は大きくなった。そんなシャーロットにとって、シスターといえど"人"との必要以上の交わりを持つ事は忌避感が強すぎた。
だが、宿り樹様は樹。どう足掻いても大樹。腐っても大樹。何の心配があるというのか。
今日も今日とて真夜中に宿り樹様の下に訪れたシャーロットは、1枚の新聞を広げた。表紙の大きな見出しには『聖女様、誕生!』と書かれており、その下には嬉しそうに笑っているドロシーがいる。
『ねぇ、何見てるの?』と話しかけてくる宿り樹様にも何の反応も返さない程に新聞を真剣に読んでいたシャーロットは、『これは王太子との結婚も秒読みか!?』という文で勢いが止まり、一瞬の静止後凄まじい音を立て新聞を八つ裂きにし始めた。
『うわっ、何やってんの!?』
と宿り樹様が珍しく焦りながら止めてきたがそれでもシャーロットは止まらない。他にも『迷い猫探してます』『彼女募集中』『公爵令嬢のスキャンダル』等と色んな記事もあったがお構いなく破りさく。
元が文章とは到底思えない程に文字になってしまった紙切れを、ゼーゼー息をしながらシャーロットは見る。そのシャーロットを見つめているであろう宿り樹様は『うん、事情は知らないけど、強く生きて』と雑に励ましてきた。
窓硝子が氷になってしまったのかと疑う程に寒い夜。
『うわ、罰当たりな子がいる』
「ふご、ふごご」
『食べながら喋るのやめなよ。ああほら、パンくず落ちてる。厨房から盗んできたの?』
晩御飯の時に残しておいたパンをこっそり夜に食べた。宿り樹様は呆れているが、『何にも分かってない』とシャーロットはむくれる。宿り樹様――心の置ける樹と一緒にご飯を食べたいと思っただけなのに。盗人扱いなんて。
カンテラの灯り以外、全て白く染められてしまったのではと疑う程に雪が降る夜。
『ねえ、ちょっ、何でまた僕の体触ってんの』
「…………」
『何か言いなよ……』
何処が口なのか気になったシャーロットは宿り樹様を目一杯触ってみたが、口はおろか目すら分からなかった。知らぬ間に目潰ししちゃったらどうしようと震えるシャーロットの心中など考えた事もない宿り樹様は『変態、ド変態だー!』と叫んでいた。女々しい奴め、と毒づく。
雪は溶けることなく、シャーロットまで氷にしてしまう気なのではと思った夜。
『…………』
ゆっさゆっさと大樹を揺らしても、今日の宿り樹様は何も返してくれない。焦れたシャーロットが葉を1枚取ると、ようやく宿り樹様が返事をした。
『そんなに不満気な顔で睨まないでよ。僕は……ふあぁ、本当ならほぼ1日中寝てるんだよ? それをわざわざ起きて君に付き合ってあげてるのに――って怒ってるからって殴らないでよ。痛っ』
宿り樹様は鈍感だとシャーロットはもどかしい気持ちになる。シャーロットは怒ってるから殴ってるんじゃない。自分の為に起きててくれたのが、途方もなく嬉しいのだ。
ポコスカ殴り続けると『悪かったってば!』と謝ってきたので、シャーロットはフスーと鼻息を立てながらもう一発叩いた。
雪の重みが増していく。シャーロットの服の重みも増していく。そんな夜。
『……にゃ、ニャー』
「……っ!?」
『そ、そんな奇異の目で見てこないでよ!』
成人男性(推定)の声が猫の鳴き真似をしたら誰だって気になる。そうツッコみながらも、賢いシャーロットは口を閉じた。彼の名誉の為にも黙っておくのがせめてもの優しさ。開く口(正確には喉)がそもそもないが。
『うわ、そんな憐れみの目で見てこないでよ……』
慈愛に満ちた表情で一つ頷いてみせると『だからー!』と怒ってしまった。何がしたかったんだろう、とシャーロットは首を傾げる。
それっきり宿り樹様が話さなくなったので、シャーロットは手元の新聞を見た。前回は新聞を貸してくれた子にこっぴどく叱られたから今度は破らないように精神統一しながら読み進める。
『聖女様、正式に王太子の婚約者に!』
落ち着こう。もうシャーロットはアドルフの事なんて好きじゃないから何の問題もないはずだ。大丈夫大丈夫。
『悪女シャーロットの虐めを乗り越えて、真実の愛で結ばれた二人!』
ごめん、この新聞の持ち主の子。
『鬼の形相だ……っ』
ゴクリ、と息を飲みながら宿り樹様が呟いた。やかましいわ。
窓硝子の向こうで、硬い蕾が無数にある樹を見つけた夜。
シャーロットは、植物図鑑を読み宿り樹様にはどんな花が咲くのか調べていた。だが、やはり宿り樹様は普通とは違うのか、調べても一致するような樹は出てこない。首を捻るシャーロットに、声がかかる。
『………………リーニャ、何してるの?』
パッと、シャーロットは振り返った。指を指して口をパクパクさせれば『何、悪い?』とぶっきらぼうなのが返ってくる。首をふるふると横に振ったシャーロットは、宿り樹様に縋り付いた。
あぁ、喉なんて潰さなければ良かった。そうしたら、"シャーロット"という名を教えられたのに。
『リーニャ……?』
ヒック、ヒックと泣き始めたシャーロットに、心配そうな声を宿り樹様はかける。そして直ぐにハッとしたような声を上げた。
『魔法で、喉が封じられてる?』
コクコク頷けば、木の葉がザワザワと揺れた。
『誰がそんな事っ、――って、もしかして、自分でやったの?』
コクコク頷く。ただひたすらに泣いていると、シャーロットを宥めるように頭の上に葉が1枚載った。
『……僕は、大きな力は使えないけど。僕の体に君が触れている時なら話せる、位の事なら出来るかもしれない』
「……っ!」
泣き顔から一転、鼻水を垂らしながらもニコニコ笑うシャーロットに、『現金な子だなぁ』と宿り樹様は嘆息した。
『―――』
宿り樹様が何かを唱えると、紫色の魔法陣が浮かび上がった。そして、小さく収縮されたそれがシャーロットの喉に重なる。
シャーロットは、自分の回路のようなものが書き換わったのを感じながら、宿り樹様に触れる。
「あー、あー。……っ、私、喋れてます!」
『はいはい、良かったね』
素っ気ないながらも、その声音は優しい。シャーロットは、自然と満面の笑みで笑えながら、簡単にカーテシーをした。
「改めまして。私の名前はシャーロットです。よろしくお願いします、宿り樹様!」
『シャーロット? リーニャじゃなくて?』
「あれは、私が喋れないからシスターがつけてくださった名前です」
『ふーん』
ひゃっほーいとはしゃぐシャーロットに『ほどほどにしなよ』と宿り樹様は声をかける。シャーロットははたと気付いた。
「そう言えば、宿り樹様の名前ってなんですか?」
『え、名前?』
「そうです」
しばらくの間の後、小さな声で『デューデルハイト』と宿り樹様は呟いた。
「樹のわりにいい名前貰ってるんですね」
『話した僕が馬鹿だった』
「あわわ、ごめんなさいっ」
すっかり怒ってしまったのかそれきり黙り込んでしまったデューデルハイトに苦笑しながら、シャーロットは心の中で何度も"デューデルハイト"というただ一つだけの名を反芻した。この名前は、心を温かくする魔法でも組み込まれているのかもしれないと思いながら。
こころなしか、空が柔らかい藍色をしていると思った夜。
「今日は『お肉が食べられるよ』と言ってたから楽しみにしてたのに、何が出たと思います?」
『"畑のお肉"って言うし、大豆?』
「魚です。お肉はお肉でも魚肉でした」
『物は言いよう』
毎日、取り留めもない事をデューデルハイトの体に寄りかかりながら話す。
牛、豚、鶏の方の肉に思いを馳せていると、ふとデューデルハイトがシャーロットの名を呼んだ。
『シャーロットが喉を潰したのって、聖女達のせい?』
「……新聞盗み見たんですか? 変態」
『はぁっ!? 僕の前で見るからだろ!』
彼女達は、人を一人殺めた恐ろしさに気づかぬまま、今も生きているのだろうか。あの視線、声音を思い出すたびに、シャーロットは自分の心は空っぽで、風が通り抜けていく想像をする。
『どうして喉を潰したの?』
「…………私の、言葉は誰も聞いてくれないから、です。誰にも届かないなら、最初から無い方が、楽です。期待しなくて済みますから」
デューデルハイトの冷たい体に、シャーロットは抱きつく。唇をキュ、と噛みしめると涙は頬を伝う事なく目じりで留まった。
少し荒くなった呼吸を落ち着かせて。パッとシャーロットは明るい顔を作る。
「だから、今デューデルハイト様と話して、本当に楽しいんです」
『……そっか』