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最初はドロシー視点、途中からシャーロット視点に戻ります。
ドロシーは、いけないと自分を自制した。シャーロットが森で発見され、目覚めたら声が出せなくなっていたという悲報を聞いて笑うだなんて"ヒロイン"とは到底似ても似つかないだろうから。
ドロシーは自分が自分になる前の記憶がある。そこでプレイした『野に咲くたんぽぽは王子に愛でられる』というヒロインと、転生した自分が酷似していることに、幼少期のドロシーは気づいた。
「てことは、私、アドルフの恋人になれるってこと……!? それに、この話ならあいつはシャーロットに――!」
孤児院の小さな自室で、ドロシーは小さくガッツポーズをした。
自分には、ゲームでの知識がある。それに加えて、ゲームでは書かれていなかったがドロシーは魅了の力を持っていた。この力で孤児院ではちやほやされてきた。
ゲームと同じ年の時に膨大な魔力から子爵家に引き取られたドロシーは、ゲームの流れになぞらえてアドルフを攻略する事にした。
魅了を少しだけ使ったのもあるが、完璧な婚約者に対して劣等感を持っていたアドルフは、自分を全肯定してくれるドロシーにどんどん傾倒していった。また、学園全体に魅了をかけた事により、誰もがドロシーとアドルフの仲を応援してくれた。
自分を羨むように見つめるシャーロットに、ドロシーはいつだって優越感を感じていた。
でも、シャーロットは羨むだけであった。
「なんで、なんで何もしてこないの?」
ゲームの話であったはずのドロシーがシャーロットから虐めを受けるというイベントが発生しない。この虐めイベントで、正義感が強いアドルフとより一層仲が深まっていくというのに。なんて役立たずな女なのだ! とドロシーは憤慨した。
「……あ、そっかぁ」
ないなら、作ればいいのだ。
シャーロットに虐めを受けていると訴えれば、アドルフは完璧なシャーロットがドロシーに嫉妬し虐めたという背徳感からか、もう既にドロシーに心酔していたからか直ぐに信じてくれた。そして学園の事を教えて欲しいと言えばシャーロットとのお茶会も不参加にし自分につきっきりになってくれた。
シャーロットがアドルフに虐めをしていると疑われた時の怯えた顔を思い出し、ドロシーはうっそりと笑う。
「うふふ、これであとは婚約破棄イベントが起こったら私はアドルフと結婚できるのね……」
ふと、ドロシーはゲームを思い出した。
「あ、でもシャーロットが断罪された後に起きるイベントって厄介なのよね。今の内に潰しておこうかしら?」
ぼんやりと前を見ていたドロシーは、ニンマリと笑うと首を振った。
「ううん、面倒だけどちゃんとイベントが起こってからやろう。そうすれば、悪役令嬢のシャーロットは死んでもう話には出てこなくなるから。……これで、今度こそ私は――」
ドロシーは天高く拳を掲げた。
「いよーし、頑張っちゃうぞー!」
取り敢えず保険の為にもっと強くアドルフに魅了をかけておかなきゃ、と可憐に笑ったドロシーはベッドに潜り込み、目を閉じた。
◇◇◇
シャーロットが目を覚ますと、自室のベッドの上だった。体を起こすとメイドの一人が気づき近寄ってきてくれ、もう一人のメイドは人を呼びに行った。
両親は医者を伴ってやってきた。
「……声が、でない?」
母親の呟きに、医者が重々しく頷いた。母親は手で口を覆い涙を流し始めた。父親は「どうにかならないのか」と医者を問い詰めながら母親を慰めている。
そして、その様子を冷めた表情で見つめるシャーロット。だが仕方ないのかもしれない。だって彼等が危惧しているのはシャーロットが王太子の婚約者では無くなる事なのだから。シャーロット自身には、なんの価値も見出していないのだから。
「あぁシャーロット、何か喋ってくれ……!」
父親の必死の懇願に、物言わぬ少女は身じろぎすらしない。貴方が私の言葉を望まなかったのでしょう? そう視線で射抜くが、父親も母親も、そして医者も、シャーロットの視線の真意には気づいていなさそうだった。
そして、シャーロットが声を失ってから初めてきた月曜日。両親にはもう少し療養した方が……と止められたがシャーロットは首を横に振り、学園に登校していた。
廊下を歩いていれば、生徒達の視線が突き刺さってくる。努めて気にしないように歩いていたら、後ろから呼び止められた。
「おい、シャーロット。喋れなくなったんだって?」
アドルフは今日も今日とてドロシーを侍らせ、シャーロットを嘲りの瞳で見つめていた。彼女が首を縦に振ると、アドルフは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。ドロシーも、クスクスと愉しそうに笑っている。
シャーロットが目を細める事もなく粛々と二人を見守っていると、何の反応も示さないシャーロットに興が削がれたのかアドルフが笑うのを止めた。そして彼女に近づくと、肩に手を置き耳元で囁いた。
「来週のパーティー、絶対に来いよ」
来週にあるパーティーとは、学園で開かれる1年の頑張りを労うパーティーの事だ。
そこで彼は、シャーロットを断罪するのだろう。
合点がいったシャーロットが頷く代わりにカーテシーをすると、彼等は愉しそうに去っていった。
彼等が見えなくなった後、ようやく体を楽にしたシャーロットが窓硝子の向こうにある景色をみつめる。重く暗い雲から零れ落ちた雪は地面を白く染め、木々を白く染め、世界を白で覆い尽くそうとしていた。
寒い。
心の中でそう呟けば、確かに寒い気がしてシャーロットは自分の両腕を擦った。
冬が、今年も訪れている。
「――綺麗です、お嬢様」
あのアドルフ達との対峙から一週間後。澄んだ青空に似たエンパイアドレスを身に纏ったシャーロットを、メイドは少し複雑そうな顔で褒めた。
シャーロットは心配しないで、と首を横に振る。微かに上がった口角の右端は、青紫色に変色していた。おしろいをはたいても、完全には消えてないそれはシャーロットの父親が、一昨日アドルフがエスコートに来ないという事を知って殴ってきたのだ。
「上手くやっておけと言っただろうッ!? 何故殿下がエスコートに来ないのだ!」
床にうずくまるシャーロットは、初めての熱にただ恐怖した。そんな彼女に駆け寄ってきた母親は、シャーロットを無遠慮にゆする。
「ねぇ、ねぇ! 殿下の側に違う女がいるって本当なの? その女に貴女が嫉妬して虐めたっていうのも!」
「……っ、なんだと!? どういう事だ、シャーロット! おい、なんとか言え!」
口が聞けないので何も言えませーん。
心がささくれたシャーロットは心の中で言い返す。そのまま立ち上がり自室に帰った。父親も、母親もシャーロットを追いかける事はせず、五月蝿い金切り声を上げている。部屋に入ればそんな声も幾分か聞こえなくなって、シャーロットはホッと息を吐いた。
大丈夫、大丈夫。まだ私、ちゃんと息をしている。大丈夫、大丈夫。寒いのは、私が暖かい証拠だから。
殴られた日に思考を飛ばしていたシャーロットは、部屋に父親が入室して我に返った。メイドは壁際まで下がる。
「ほら、行くぞ」
頷き腕に手を乗せれば、ズンズンと父親が歩き出す。シャーロットもヒールで躓かないよう気を払いながら歩きだした。
馬車に乗れば、ガタガタと動き始めた。流れる景色をぼんやりとみつめる。目の前でシャーロットを険しくみつめる父親から目を逸らすように。
生まれてこの方、両親から愛情を感じた事はない。いつだって彼等はシャーロットを"駒"としか認識しなかった。
『わたし、おとーしゃまと、けっこんするっ』
『うおぉ! 可愛い! アンジェリーナは一生嫁にやらんぞ!』
『まあ、貴方ったら』
昔読んだ小説にそんな文章があった。何度読んでも、シャーロットにはアンジェリーナが理解できなかった。そしてアンジェリーナは貴族のはずなのに"嫁にやらん"と言っている父親の事も理解できなかった。
でも、理解したかった。止め処無い愛を、知りたかった。だからアドルフと出会った時にシャーロットは、彼と共にあのアンジェリーナ達が甘受していた幸せを築きたいと思った。
だが、結局は――……。
「おい、ついたぞ」
父親の鋭い声に、緩慢にシャーロットは扉の外に視線を向ける。外は夜だというのにやたらピカピカと輝いていて、目がしばしばする。
シャーロットは父親の手を取り、ゆっくりと馬車から降りた。
◇◇◇
おかしい。とシャーロットは周りを見渡した。こちらに視線を向ける彼等に、悪意がこもりすぎてる。まるで、シャーロットが禁忌を犯したかのような、皮膚がひりつく視線。
だが、その疑問は直ぐに解消された。シャーロット達が来たのを見計らったかの如く会場に入場したアドルフーーの隣にいるドロシーの腕には、包帯が巻かれていた。彼女はシャーロットを見た瞬間、怯えたようにアドルフにしがみつきはらはらと涙を流し始める。
そんなドロシーの頭を撫でた後、アドルフは私を睨みつけた。
「シャーロット、お前はドロシーを階段から突き落としたそうだな!」
「……っ!?」
驚き目を見開く彼女を「白々しい」とアドルフは一蹴した。
「ドロシーが泣きながら縋り付いてきたんだぞ! なんて奴だ!」
周りからも「そんな事するなんて」「信じられない」といった声が上がる。シャーロットは震えながら首を横に振るが、それに気を止める人はいない。
シャーロットは、息苦しくなりながら、自分のエスコートをしていてくれた父親の腕にすがりついた。
パシッ。
――乾いた音がなった。ベシャ、とシャーロットが地面に倒れ込む。父親が、シャーロットを振り払うように頬を打ったのだ。
「あれだけ私に迷惑はかけるなと言っただろうッ!」
シャーロットは打たれた頬を押さえながらはらはらと涙を流す。ドロシーの時とは違い、慰めてくれる人はいない。シャーロットは、自分にはこういう時に現れてくれるヒーローはいないのだと自嘲した。
地面に沈み込むシャーロットを見下ろす彼等。アドルフが声を荒げる。
「シャーロット、お前は国母に相応しくない! 婚約破棄だ!」
顔を僅かに上げると、鼻を膨らませたアドルフと、涙を流しながらもこちらを馬鹿にするような笑みを浮かべたドロシーがいる。ドロシーがやけに芝居がかった事を話し始めた。
「うぅっ、もう起きてしまった事は変えられませんが、シャーロット様が謝罪をするというなら、私受け入れますぅ!」
「なんて出来た女性なんだ、君は! ……おい、何か言ったらどうだ!」
口が聞けないのに、どう謝れというのか。尻文字でもすればいいの? とシャーロットは何処か冷静な頭で考える。皆に怒鳴りつけられて、泣いている自分もいるのに、もう一人の自分は真顔でこの状況をよく理解していた。
言葉を話さずジッとしているシャーロットに焦れたのかアドルフが鼻を鳴らす。
「……ふん、言い分はないようだな。おい、コイツは最北にある修道院に連れて行け!」
もう準備していたのか、衛兵がシャーロットの元にやって来る。
やめて。触らないで。祈りは届かずシャーロットは強い力で拘束された。ズルズルと引きずられていく。
そのまま、馬車に投げ込まれシャーロットは連れて行かれる事となった。
硬い椅子上でガッタガッタと揺れるシャーロットは、静かになったせいか痛みがぶり返した。
「……っ、―――っ!」
声のない、悲しみがこだまする。
そして、修道院に辿り着いたシャーロットは寒い中に放りだされた。薄いドレスでどれだけの寒さをしのげるというのか。
シャーロットは必死に修道院の扉を叩く。段々寒さで手がかじかみ感覚がなくなってきたシャーロットは扉をカリカリとひっかく事しか出来なくなり、指先から血が滲み出した所で、ようやく意識を失った。