二 異類幇
「巳の日の連続殺人」
「そうだ。いま永春はその話題で持ちきりだ。……知っているだろう」
「もちろん、存じております。伝聞で、ですが」
月祥は宵娥として、金繡楼の応接間で対坐する人物を控えめに見つめた。
白髪をきっちりと髷に結い、ゆったりと纏った長袍の背筋は真っ直ぐに伸びている。皴の深い顔の口元は厳しく引き結ばれ、鋭い両眼は一切の欺瞞を見逃すまいと光っている。
郭鴻錦。永春で共存する異類の幇の頭目のひとりである。幇とは同郷や同業や同族が相互扶助のために集まった組織で、ときに結社ともなる。
郭は虎怪の幇を預かっており、自らも羅羅という怪異だった。
巳の日に発見された死体は、これまでに三人。いずれも若い女ばかりで、一様に血液が抜き取られていたという。
永春ではこの一連の事件を、巳の日の連続殺人と呼び、特に若い娘を持つ家は戦々恐々としている。中央政府の尚書六部の一、刑部が捜査を進めているが、まだ犯人は見つかっていないようだ。
「それで、老師がわざわざいらしたのは、われわれをお疑いになっているということですね」
「ほかにも血を求める異類は確かにおる。だが、肉を食らわず、皮膚も裂かずに血を抜き取るような仕業は、そなたらにしかできぬ」
月祥の背後には、筆頭妓女の姚蝉が控えている。もちろん吸血鬼だが、郭の話に不安になっている気配がした。
「金繡楼は連日、満員御礼です。夜間に妓女たちが自由に外出する時間などありません。それに、われわれは一夜に人間一人分の血を飲むことなどしません。多すぎます。客からほんのわずかに、血と気をもらえれば十分なのです」
月祥は落ち着いた所作で茶を飲む。
「そもそも、われわれは西域から逃れてこの地に参りました。人の振りをして、人に紛れて、平穏に暮らすことが一番の望みです。その望みを、あえて壊すような真似は決していたしません」
「そなたらではないという証左はあるか」
「いかようにお調べいただいても、かまいませんよ」
郭は猛獣のまなざしで月祥を睨みつける。
「……人間に紛れて暮らす平安を願うは、われらとて同じ。平安を脅かすものがいるならば、速やかに排除せねばならぬ」
「同感です」
郭は、ふん、と鼻を鳴らして席を立った。
「その口が、客を誑かすだけであることを望むぞ」
言い捨て、従僕を連れて退室した。
「……死老頭子」
「聞こえますよ、月祥さま」
姚蝉がたしなめるように言った。
「老頭子、探りを入れるついでに挑戦してきたぞ」
「そうですねえ。疑いを晴らしたいなら、証明しろということですものね」
「郭の幇は永春でも影響力を持っている。郭がああ言うなら、ほかの異類連中も同じようにわたしたちを疑っているのだろう」
月祥は腕組みをし、考えをめぐらす。
(肉を食らわず、皮膚も裂かずに血を抜き取る……確かに、血を好む怪異はほかにも存在するが、肉を取らずに血だけど抜き取ることはしない……できない)
「……遺体の様子を見たいな。六部刑部に行けば、まだあるだろうか」
「白公子にお願いしてみたらいかがですか。六省に顔が利く方でしょう」
「あいつに? あいつなら……可能かもしれないが」
「お友達でしょう」
「友達? わたしと、あいつが、か」
月祥は意外な言葉を聞いて、驚いた。
(……暁賢が、友達だと?)
暁賢と出逢ったのは七か月ほど前。月祥たちが故国から永春に逃れて来て間もないころで、金繡楼も開いたばかりだった。
(あの日……あいつと出逢っていなければ、いま、なにかが変わっていただろうか)
「――月祥さま」
姚蝉の呼ぶ声に、はっと我に返る。
「いかがなさいました」
「いや……なんでもない」
記憶を辿りかけていた月祥は、現実に戻されて小さく首を振る。
出逢ってから七か月。ときどき酒を酌み交わす間柄になっているが、たがいの出自や身分については、ほとんど明かしていない。
ただ、暁賢については、そうではないかと予想していることがある。だが面と向かって問うことはなく、知らぬふりを続けるつもりでいる。
(あいつは人間、わたしは吸血鬼……相容れない異種族同士だ)
「人間の手はあまり借りたくない。あいつに頼めば、借りを作ることになる」
「いつになっても、頑固ですね――アイダールさま」
「そう呼ぶな」
月祥は眉を顰める。やれやれというように細い肩をすくめ、姚蝉は温くなった茶を淹れなおした。
「人の振りをして、人に紛れて、平穏に暮らすこと……それを本当にお望みなら、人と関わることを避けて通ることはできません。人に交わり、人を使い、ときには人に使われながら、溶け込んでゆくのです。そうしなければ、異質なものは、いつまでも異質なままですよ」
「……」
「いずれにせよ、この事態を放っておくわけにはいかないでしょう」
「……そうだな」
茶碗の中でゆらゆら揺れる茶葉の花びらを見つめながら、月祥は長く嘆息した。