第19話
『グルォォォォッ!!』
「撤退! 撤退だ!」
「ひっ、ひぃぃっ!?」
帝国騎士団は帝都周辺に出没した迷宮産の魔物に対し静観の構えをとっていた。
帝国上層部の主張は『魔物が出没した原因は学院にあり、その対処は学院が主導して行うべき』というもの。その根底には学院の尻拭いのために貴重な騎士団戦力をすり減らしたくないという思いがある。
建前上、騎士は民を守るために存在する。この状況で命を惜しんでは本末転倒──ではあるのだが、現実問題騎士団──軍隊はとかく金食い虫。一人前の騎士を育成するのにかかるコストは金貨一万枚超(現代日本の価値基準で一億円以上)とも言われている。各地に出没している強力な魔物に対処しようと思えば騎士団の被害は相当なものとなるが、それを補填がされるかどうかも分からない他人の尻拭いのために実施するとなれば上層部の腰が重くなるのもやむを得ないことだった。
人命は金では買えないが、その金があればより多くの命を救える可能性がある。為政者の仕事はキレイごとだけでは回らない。
一方で帝国騎士団が魔物を完全に放置しているかというとそんなことはない。
元々騎士団は帝都周辺のエリアを巡回し、魔物や賊の討伐、治安維持の役割を担っている。いかに彼らが静観方針をとったとて、魔物の方から近づいてきてしまえばどうしようもないのだ。
「隊長! もう馬が限界ですっ!」
「言っている場合かっ!? 足を止めれば食われるのは貴様だぞ! 生き延びたければ尻を叩け!!」
六組の騎馬が平原を全力で疾走している。
駆っている馬は良く鍛えられた軍馬だが、既に相当な距離を走り続けており、口から泡を吹き今にも崩れ落ちそうな様相だ。
騎士たちとて愛馬の悲鳴に胸が痛まぬわけがない。だが足を止めれば愛馬だけでなく自分の命がない。
『ガルァァァッ!』
背後から彼らを追走するのは体高三メートルはあるだろう双頭の魔犬──オルトロス。仕留めるには弓兵隊か強力な呪文遣いの援護が必須とされる強力な魔物であり、とても現有戦力で対処できる相手ではない。
オルトロスの方向と圧を背後に感じながら、隊長は戦力の補強もなく通常体制で巡視隊を送り出した上層部と、その状態で機動力の高い魔物に出くわした自分たちの不運を呪った。
オルトロスは騎馬の速度に合わせてピタリと追いかけてきている。体力的にも速度的にも余裕が見て取れ、それが獲物を追い立て狩りを楽しんでいることは明らかだった。
このまま行けば遠からず馬が潰れて全滅する。その前に一か八か戦いを挑むか、それとも部隊を分けて全滅だけは避けるか、隊長が名誉と命の選択を迫られた──その時。
「────!?」
自分たちの進行方向上に重厚な全身甲冑を纏った戦士の姿を見つけ、ハッと息を呑む。
「そこの者! 逃げろ!!」
叫びながら、徒歩──しかもあのように重い鎧を纏ってオルトロスの俊足から逃げられる筈がないことは理解できていた。
騎士の矜持を守りたいのであれば、ここであの戦士を守るため転進し、オルトロスに立ち向かうべきであろうことも。
だが極限状態にあった隊長の脳裏で『やむを得ないこと』『偶然そうなってしまったのだ』と生存欲求が甘く囁き、戦士を生贄にオルトロスから逃げ出すことを選ばせる。
『────』
「──くっ!」
騎兵の一団が全身甲冑を纏った戦士の脇を駆け抜け、オルトロスが新たな獲物に飛びかかる。
騎兵たちは無力な自分に目を瞑り、直ぐに聞こえてくるだろう犠牲者の悲鳴に構え奥歯を噛みしめた。
──斬ッ!!
しかし。いつまで経っても犠牲者の悲鳴が彼らの耳に届くことはなかった。
数秒そのまま走り続けている──と。部下の一人が突然呆けたような声を上げる。
「──隊長……隊長!!」
「五月蠅い! 黙って走れ! 今のうちに少しでも──」
「隊長! 後ろ……後ろ見てください!!」
見てどうするのだと、部下を怒鳴りつるために顔を後ろに向ける。犠牲者の無残な姿が視界に飛び込んでくることを覚悟した彼の目に映ったのは、前足と胴を正面から背中に向けて両断され、真っ二つになって大地に横たわるオルトロスの死体と、その横に仁王立ちする全身甲冑の戦士だった。
「────は」
安堵よりも驚愕で全身の力が抜け、主の脱力を感じ取った馬は足を緩める。
状況を正確に理解できたわけではない。
しばし茫然と部下たちと顔を見合わせ──二十秒以上経ってようやく自分たちは生き延びることができたらしい、と実感。
『────!!』
彼らは歓喜の雄叫びを上げた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
そんな騎士たちの逃走と生還を林の中から遠目で観察していた三対の目。
「……お~。オルトロスを一刀両断ですか」
『あの感じだとアリーゼさんの魔力、大分戻ってきてるんじゃないですか?』
「まだまだ本調子には程遠いですわ。オルトロスごときではアー姉さまの相手になりませんし、まだ本来の六分程度なのです」
言うまでもなくそれはウル、リン、ブランシュの三人。
彼らはここ最近、帝都周辺を隠れながら移動し、発見した迷宮産の魔物を討伐する日々を送っていた。
今回は情報交換のために偶々四人が合流したタイミングでオルトロスに追われている巡回中の騎士の一団を発見。アリーゼがその救助に向かい、三人は残って様子を窺っていた。
「……あ。騎士団がアリーゼさんに近づいていきますね。あれ大丈夫なんでしょうか? 怪しい風体ですし、状況が状況ですから事情聴取のためにしょっ引かれたりしませんかね?」
「心配いりませんわ」
『だな。あの惨状を見て、あの騎士どもにそんな度胸があるとは思えん』
「いえ、そういう意味ではありません」
彼らの視線の先では騎士団が礼と身元を確認するためにアリーゼに恐る恐る近づいていく。
距離があるので声は聞こえず、細かい雰囲気までは分からない。だがアリーゼが兜をとってその美麗な素顔を露わにした瞬間、場の空気が変わったことだけはここからでもよく分かった。
「アー姉さま、見た目だけは吐くほどいいので」
『あ~……』
「でも、あれはあれで余計なトラブルになりません?」
「大丈夫ですわ。アー姉さまはあれで自分の見た目の使い方が上手いので。適当に彼らから情報を抜いたら、鎧の瘴気で威圧して追い払ってくると思いますわ」
ここ最近の付き合いで分かったことだが、ブランシュはアリーゼたちのことをお姉さまと呼んで慕っているが、決して盲信しているわけではない。彼女なりに苦労させられている部分もあるようで、時折こうして発言に毒が混じることがあった。
「……情報収集、ですか」
「ええ。何か?」
「ああいえ、ただ、あんな平騎士が碌な情報を持っているとは思えないなぁ、と」
「構いませんわ。それが主目的ではありませんもの」
ブランシュの発言に首を傾げるリン。彼女の疑問に答えたのは、ブランシュではなくウルだった。
『メインの目的は帝国上層部へのアピールだよ』
「というと?」
『帝国上層部には学院を襲撃したアリーゼさん──あの鎧騎士が魔物出現の原因だって噂が流れてるからな。積極的に魔物を狩って騎士団を助けることで、テロリストとしてのイメージを払しょくしたいんだろ』
リンはふんふんと納得しかけて、ピタリと動きを止める。
「んん? でも、その噂を知ってるのは上層部だけで、あそこにいる平騎士はそんなこと分かってないんじゃありませんか?」
『だとしても“謎の鎧騎士に助けられた”って報告は上げるだろ。それを聞いた上層部は自然と学院の襲撃者と報告を結び付けて考える』
「ははぁ……自分たちの悪評を打ち消しつつ、学院を襲撃したって情報と組み合わせて帝国の疑いの目を学院に向けさせようってわけですね」
簡単な説明でリンはウルの言わんとすることを正確に理解する。
ウルはウルで説明しながらブランシュの反応を窺っていたが、彼女は肯定も否定もせず、特段の反応を示さなかった。
──悪評の解消プラス、学院と帝国の関係に亀裂を生じさせようって狙いそのものは間違ってないみたいだな。ただブランシュの反応からすると他にも何かあるってとこか。偶々起こった事故を利用したわけじゃないと仮定すれば、彼女たちの目的とそれを実現するための次の一手は──
ウルが思索に耽っている一方で、リンとブランシュは遠目に繰り広げられるアリーゼと騎士たちのやり取りに適当なアテレコをつけて暇を潰していた。
「お。隊長っぽい人を押しのけて若い騎士が近づいて行きましたよ。あれは育ちが良さそうだし“是非とも我が家に逗留いただき両親に紹介させていただきたい!”とかでしょうか?」
「いくらアー姉様が美人でも、見ず知らずのエルフをいきなり実家はないのでは? 精々“麗しの花よ、是非ともお名前をお聞かせ願いたい”とかでしょう」
「え~? そんな芝居がかったセリフ言いますかねぇ──あ。隊長が肩を掴んで地面に転がした。“邪魔だ若造、引っ込んでいろ!”」
「あら、若いのも負けていませんわ。“黙れ平民風情が! 我がカストロプ侯爵家に盾突く気か!?”」
「……いや、その侯爵家の名前どこから出てきたんですか。そもそも部下の方が実家の爵位が上とは限らないでしょう」
「その方がドロドロした感じがして面白そうじゃありませんの。──あら、争っている二人の隙を突いて他の男がアー姉様の肩に手を」
「……突然倒れましたね。よく見えなかったけど、アリーゼさんがやりました?」
「仕方ありませんわ。未婚のエルフに親しくもない異性が触れるのは厳禁ですもの……異性どころかオークと嬉々として殴り合いやってる女が何を今さらという気がしなくもありませんが」
「倒れた仲間の心配じゃなく、抜け駆けしようとしたことを責めてますね」
「アー姉様も頬に手を当てて……“まぁ、何があったのかしら?”」
「いやぁ、あんだけ豪快な戦い見せた後でそのぶりっ子は無理があるでしょう? それを言い出したら何であの男どもは平気な顔して言い寄ってるんだって感じですけど」
「仕方ないわ。あの女は昔から男好きのする見てくれをしてたもの」
「ですわね。アー姉様は男や見た目に興味がない癖に、自分の見た目を利用することばかり覚えて……」
「あ~……個人的には何ともコメントしづらいですね」
「あらそうなの? 若い内から女の武器を利用することばかり覚えていると碌なことにならないわよ」
「ですわ」
「……耳が痛いですねぇ」
『──おい』
女同士のやり取りに、固い声音でウルがツッコミを入れる。
「はい?」
「何ですの?」
「何かしら?」
「────」
「────」
そしてリンとブランシュも遅れて気づく。声が一つ多いことに。
二人が恐る恐る声のした方に視線を向ける──と、そこには小柄な銀髪のエルフ──学院本部伝承科部門長カノーネが満面の笑みを浮かべて立っていた。




