第16話
竜種の地上出現、その原因がアリーゼたちにあるとの噂を聞いて。
【リンの反応】
「学院の立場を悪くするための妨害工作と考えれば筋は通りますね」
【ウルの反応】
『……やりやがったな?』
【ブランシュの反論】
「濡れ衣ですわ!」
【アリーゼの反応】
「その手が、あったか……っ!!」
→『おいっ!!?』
そんな些細ないざこざはあったものの現段階で噂はあくまで噂だ。
竜種の出現から噂が流れるまでの期間があまりに短かったことから、ウルは恐らく学院側が自分たちのミスを隠すために流した偽情報であろうと推測する。根拠のある情報であればもっと広く確信をもって流れているだろうし、そうでないなら十分の調査確認の形跡もないまま噂が先行するのは不自然だ。明らかにアリーゼたちが狙い撃ちにされている、と。
リンはウルの説明で納得はしたものの、アリーゼたちと行動を共にしている立場としてはそのような噂が流れるのは決して面白い事態ではない。
また今後同様の事態が発生し周辺地域に実害がないとも限らず、そうした問題の抑制も考えなくては、とふんわりした結論を出してその日の話し合いは終了する。
その僅か二日後。
『ブモォォォォッ!!!』
「ひぃぃぃん! 何でこんなことにぃぃっ!?」
森の中で体長二メートル以上あるミノタウロスに追いかけられ、リンが半泣きになりながら全力疾走していた。
「泣き言をいう余裕があるなら肺と足を動かすのですわ!」
『捕まったら死ぬぞ!』
並走するブランシュとウルがリンを叱咤する、が──
「リンダに運ばれて楽してる奴が勝手なこと言うなぁぁっ!!」
カエルのウルは変わらず亡霊のリンダの体内、小柄でコンパスの小さいブランシュはリンダの腕に抱えられて飛んでいる。自分が息を切らしてひぃひぃ言っている横で、楽している奴らから好き勝手なことを言われれば怒鳴り返したくなるのも道理だろう。
──ドゴォォン!!
「うひゃぁっ!?」
文句を言ってリンの注意が逸れた隙を狙い、ミノタウロスが大人の頭ほどの大きさの岩を砲弾のように投げつけてきた。
咄嗟にウルがリンダの腕を操作し逸らしたため大事なきを得たが、的を外した岩は堅い樫の木の幹を大きく抉って突き刺さっている。万一リンに直撃していれば汚いトマトケチャップが出来上がっていただろう。
「生き延びたいなら愚痴も文句も悲鳴も全部後回しですわ!!」
「うわぁぁぁぁぁん! もうやだぁぁぁぁっ!!」
彼女らがこのような状況に追い込まれたことには先日判明した竜種の地上出現の報が影響していた。
混血とは言え竜種。いくら学院が結界を張り見張っているとはいえ決して無視できる存在ではない。ましてやそれが自分たちのせいで地上に出現したと噂されているなら猶更だ。最悪の事態も想定し、アリーゼは一人竜種が出没したという現地の確認に赴いた。
一方残されたブランシュは引き続き情報収集とウルたちのガードを担当していたが、そこで良からぬ情報を耳にする。
それは問題となっている竜種以外にも、この帝都周辺で通常生息しているはずのない強力な魔物の目撃情報が増えている、というものだ。
タイミング的に偶然と無視するには出来過ぎており、先の竜種と同様に崩壊した迷宮から溢れてきた魔物と考えるのが自然。
「どうせやることもないし、確認しに行きましょうよ」
そう提案したのは意外にもリン。
彼女は先の見えないアウトドアライフに退屈しており、またここ最近の出来事が原因で感覚が麻痺していた。
平たく言えば人類最高峰の化け物や人類では討伐不可能な魔物の話に触れ過ぎて“強力な魔物”という言葉を完全に甘く見ていたのだ。
彼女たちは所詮ギリギリ一人前に手がかかった程度の未熟者。更に内一人はカエル状態で完全に能力を喪失しており、ブランシュにしたって小柄でか弱いコボルト。斥候能力はともかく、純粋な戦闘能力で言えばリンにさえ劣るものでしかなかった。
彼らは大型の魔物が目撃されたエリアに連れ立って赴きミノタウロスを発見。
そして遠目に観察するだけのつもりだった彼らは逆にミノタウロスに発見され、こうして追いかけられているというわけだ。
『牛の嗅覚は犬より優れてるらしいからな。筋肉馬鹿っぽい見た目に油断した』
「事実ですが犬呼ばわりされるのは心外ですわ!」
「そんな呑気な話してる場合ですかぁぁっ!!」
大人しく運ばれる以外することのないウルとブランシュはミノタウロスについての所感を述べ、そこにリンが顔から女性として致命的な汁を噴出させながら文句を言う。
こうしていると余裕があるように見えるかもしれないが少なくともリンは必死だった。何せ彼女はミノタウロスより体格が小さく、走行速度では大きく劣る。適当に走っているように見えて、ブランシュの指示で上手く森の障害物を利用し、ミノタウロスの移動速度を削いでいるから辛うじて逃げ延びられているだけなのだ。ここが平地であったならとうの昔に彼女は熟れ過ぎたザクロのようになっていただろう。
だがリンの体力には限界があり、いつまでも走り続けてはいられない。無論、限界はミノタウロスにも存在するが、どちらが先に限界に達するかは火を見るよりも明らかだ。
「何かあいつを倒したり足止めしたりできる切り札みたいなのは無いんですかっ!?」
『カエルに無茶言うなよ』
「私、荒事はお姉さまたちに任せてますの」
「分かってるけどぉ! 分かってたけどもっ!!」
カエル、そして最弱の亜人種と名高いコボルトの斥候職に助けを求める自分が間違っていると理解しつつも、この状況で自信満々に言い切られると腹立たしい。
『……まぁ、どうにかする方法がなくはないけど』
「あるのっ!?」
あるならとっととやれ、という罵声を呑み込んでリンは目を丸くする。
そしてウルは微妙な表情をしたブランシュと顔を見合わせ、指を上に向け二人同時に口を開いた。
『──上に逃げる(のですわ)』
「私を置いて逃げる気だなぁぁっ!?」
一欠片の信用もなく血走った目で絶対に道連れにしてやると睨みつけるリン。事実彼女はここまで、リンダが二人を連れて上空に逃げだそうとしたら飛びついてやろうと一瞬も彼らから意識を逸らしていなかった。
信用されてないなぁ、とウルは下顎をプクッと膨らませ、ガンギマリの目でこちらを睨むリンを無視。そして前方に目当てのものを見つけるとブランシュに話しかけた。
『……そろそろいいでしょ』
「あら。あそこまで持ちますの?」
『ギリですけど、こっちの方がもう限界です(チラッ)』
「……ですわね(チラッ)」
「何をコソコソ、人を見捨てる算段ですかぁぁっ!?」
叫びながら息が切れそうになっているリンを横目に見やり、ブランシュがウルに同意する。
『集中するんで後ろ投擲警戒お願いします』
「了解ですわ」
「絶対、逃がさないから──って、うわぁぁっ!?」
リンダが両手で抱えていたブランシュを左腕に抱えなおすと、一瞬でリンの背後に回り右腕で彼女の胴を抱え込み、グンと宙に浮かぶ。
「えっ? 嘘っ、私も飛んでる!?」
『……これ結構集中力使うから、暴れんな』
ワタワタと手足をばたつかせるリンにウルがしんどそうに呻く。本来実体を持たない亡霊に物理干渉力を与えているのはウルの魔力だ。カエルのウルや軽いブランシュならともかく、リンまで同時に運ぶのはかなりの魔力と集中力を消耗する。
ウルの様子に飛べるなら何でもっと早くという文句を呑み込み、リンは空中で宙吊りにされた状態で少しでも負担を小さくするよう身を固くした。
「左きますわ!」
『──っ!』
──ゴォッ!
地上のミノタウロスが空中のウルたちめがけて岩を投擲。凄まじい勢いで何度も、岩が彼らのすぐ近くを通過する。
「わわわっ! だ、大丈夫なんですか!?」
『……問題ない。あそこまで行けば──』
ウルの視線の先には彼らが拠点にしている見慣れた高台があった。
確かにあそこまで行けばミノタウロスと言えどよじ登るのはそう簡単なことではない。
いや待てよ? そもそも、このまま行けば──
リンがウルとブランシュの思惑を理解するのとほぼ同時。ミノタウロスはウルたちの動きを妨害するように、彼らが着地しようとした足場めがけて一際大きな岩を投げつた。
──グシャァァッ!!
岩の破片が飛び散り、ウルたちは再び上空に逃れる。着地を妨害したことにニンマリ嗜虐的な笑みを浮かべたミノタウロスだったが、その直後、自分が何をしてしまったのかを理解して硬直する。
『────』
──ズズズ……
高台が──そう見えていたものが、鬱陶しそうにその巨体を動かし、パチリと目を開ける。
そしてその見た目に似合わぬ鋭敏な嗅覚で不遜にも自分に岩を投げつけた矮小な生き物を見つけると──
『ブモ──ッ!?』
──ゴォォォォォォンン!!
その前足を器用に動かし、大陸亀はミノタウロスの肉体を踏みつぶした。




