第13話
『…………』
仄かに黄色い光を浮かべた亡霊──リンダが地上一〇メートルほどの高さに浮かび、高い木の幹に隠れて機を窺っている。その体内にはカエルの入った籠が浮かんだままで、不気味さよりシュールさの方が際立っていた。
彼らの視線の先にいるのは角の部分に木の枝を生やした大型の鹿型魔物。樹鹿と呼ばれるその魔物は、高所から自分に近づく亡霊たちに気づくことなく、無警戒に水を飲んでいた。
『──ゴー』
──ヌル……ッ!
ボソリと籠の中のウルが呟くと同時、リンダが無重量故のヌルリとした急加速で上空から樹鹿相手に飛びかかる。体内のウルだけは物理法則から逃れられず、粘着質の手足で籠を掴み必死に慣性の法則に耐えていた。
『ッ!? ピィ──』
接敵の直前、樹鹿は籠によって出来た影に気づいてリンダの接近に反応するが、その時には既に遅かった。
──ザンッ!!
リンダの手の中に作られた魔力の刃が突進の勢いのままに樹鹿の太い首を一刀の下に切り裂き地面に落とした。
本来、亡霊の攻撃手段はエナジードレインのみ。防ぐことが困難で強力な攻撃手段ではあるが即効性はなく、この規模の魔物を憑りつき殺すにはじわじわ一分以上の時間を必要としただろう。
それが今、リンダはウルという魔力タンクを活用することでそれ以外の攻撃手段を獲得した。急加速によるGでヘタッと籠の中で萎れながら、ウルはその成果に確かな手ごたえを感じていた。
「お~。結構な大物じゃないですか~」
潜伏先の森の一角で、狩りをしていたウルとリンダのもとに付き添いのリンが近づいてくる。
彼女は自分たちの夕食になる予定の樹鹿の大きさに顔をほころばせ、そのまま水場を利用して手際よく血抜きを行う。リンダにも同じことは出来なくはないが、彼女が物理干渉を行うには一々ウルの魔力を吸収する必要があり、一々こんな細かな作業を行っていてはウルがカエルのミイラになってしまう。適材適所とウルは解体作業をリンに任せ、その上流の水に身体を浸し、乾いた皮膚を潤した。
彼らがアリーゼ、ブランシュに救出されて早一週間。その間、状況にこれといった進展はなく、彼らは崩壊した各地の迷宮跡を巡り、その痕跡を調査していた。
学院の目を逃れ潜伏しながらということもあって有効な調査は行えておらず、出来ているのは精々大きな異常が起こっていないかの監視。凄腕の呪文遣いだというもう一人の仲間との合流もできておらず、一行の間には手詰まり感が漂いつつあった。
一応アリーゼとブランシュはコソコソ何か探っているようだが、顔色を見るに芳しい成果は出ていない模様。
ウルとリンは自然と食事の準備など一行の雑用を担当するようになっていた。
救出された当初はリンダに抱えられているだけのカエルだったウルも、リンダに魔力供給──いかがわしい意味ではない──を行う中で、魔力を通じてリンダと意思疎通を行う方法を確立。今では自分の手足とまではいかないまでも、かなり正確にイメージを伝え、動いてもらうことが可能となっていた。
ちなみにリンダをウルの世話係としてつけたアリーゼは、いつの間にかリンダが自分よりウルに懐いていることに「そうくるか……女誑しめ……!」と恐れおののいていたとかいないとか。
「それにしても大分リンダとのコンビもスムーズになりましたね。最初はリンダが動くたびに籠の中で潰れてたのに、今じゃ元の身体より動けてるんじゃないですか?」
『……いや、動くたび必死に籠に掴まらにゃならんから、手が真っ赤なんだけどな』
血抜き作業がひと段落ついたリンが樹鹿の胴体を川につけ手持ち無沙汰を誤魔化すように話しかけてくる。
一応リンはアンデッドに厳しい態度をとることで有名な至高神の信徒のはずだが、今のところ亡霊のリンダや、無数の死霊を操るアリーゼに拒否反応のようなものは一切見えない。最初は状況が切羽詰まっていたこともあるし忌避感を我慢しているのだろうと思っていたが、ここ数日の行動を見る限り本当に気にしていないのかもしれない。
流石、至高神の信徒かつ未成年のクセしてハニトラ要員なぞしていた女だ。面構えが違う。
「それにしたって激しい動きさえなければもうほとんど不便はないでしょう」
『……屋外でカエル基準の食事を強いられてる俺にそれを言うのか?』
「そんなこと言って、昨日も普通に虫食べてたじゃないですか?」
『むしろ普通に食べれるようになったことがキツイんだよ!!』
慣れたくなかった。むしろゲコゲコ吐いていたかった。人として。
リンはそんな繊細な男心を無視して話を続ける。
「それだけスムーズに動けるようになったなら、材料さえ揃えば魔道具とかも作れるんじゃないですか?」
さりげなく探りを入れてくる少女に、ウルは溜め息代わりに顎をプクッと膨らませた。
『……作れるわけねぇだろ』
「あれ、そうなんですか? 工具とか必要なものがあるなら私が近くの村に行って調達してきてもいいですよ?」
『ありがたいが、それ以前の問題だ』
首を傾げこちらの説明を待つリンに、ウルはベタッと籠の底に突っ伏して続けた。
『魔道具ってのは単にレシピと手順通りにやれば作れるってもんじゃねぇんだよ。スラムの連中に作らせてる消臭剤みたいな本当に簡単なものは別として、炸裂弾だの霊薬だのは作成過程で繊細な魔力操作が必要になる。こんな身体で──神経も回路も精神もぐちゃぐちゃに弄られてちゃ、とてもそれどころじゃねぇよ』
「あ~……確かに、魔道具作れる職って、魔術師とかの呪文遣いばかりですもんね」
『ああ。魔導技師はその例外だけど、呪文が使えないだけで魔力操作が必要ないわけじゃねぇからな』
──まぁ、職関係なく俺の回路は欠陥品で、元々呪文遣いとしての才能がなかったわけだけど。
内心の劣等感をおくびにも出さず、ウルはリンダを屈ませて籠を水面に近づけチロチロと下で水をすくう。そんなやる気の見えないウルの態度にリンは頬杖をついてワザとらしく溜め息を吐いた。
「…………はぁ」
『なんだよ。何か悩み事か? それとも文句か?』
「い~え~。何でもありませんよ~」
全く何でもなくはない態度でこちらを見る少女に、ウルは鬱陶し気に目を細める。
「まぁ、私はただの護衛兼監視役ですから? 大人しくしてくれてる分には文句はないし、こういうアウトドアライフも嫌いじゃないからいいんですけどね? ただまぁ、状況的に必死にならないといけない人がノンビリだらだらしてるのは正直どうかと思うんですよ」
『やっぱあるんじゃねぇか』
ウルの呟きを無視してリンは続けた。
「最初はこっちに隠れて何か事態の打開のために動いてるのかと思えば、日がな一日ぼーっとしてたり、リンダとごちゃごちゃ遊んでたり」
『カエルなんだから仕方ねぇだろ。リンダとコミュニケーションとってかなきゃ一人で動くこともできねぇし』
「雑用もいいですけど、迷宮の調査だってアリーゼさんたちに任せっきりで。少しは手伝わなくていいんですか?」
『俺らは迷宮に関しちゃほぼ素人だぜ? 専門家に任せるのが一番だろ』
「……『犬』から魔導技師の視点で迷宮を見て来いって言われてたでしょ?」
『アホ。そんな戯言本気で信じてたのか?』
「……え?」
キョトンと目を丸くするリンに、ウルはやっぱりか、と呆れる。
「え、でも──」
『前提になる知識もない素人の意見なんぞ必要とする連中じゃねぇだろ。口ぶりからして犬ジイやあの連中は恐らく迷宮に関してかなり深い部分まで理解してる。それを開示もせずに、こっちに何を調べろってんだ』
そう言われてリンの瞳に淡く理解と疑念の光が宿る。
「……つまり、『犬』には最初からその気がなかった?」
『多分な。調査云々は名目で、他に何か狙いがあったんだろ』
「狙いって、具体的には?」
『さぁ? 俺をエンデの外に出す口実として使っただけか、状況的に囮として使われてる可能性もあるな』
ウルの見解にリンは懐疑的に眉を顰める。
「……でも、囮を救出するためにわざわざ賢者の塔に殴り込みまでしますか?」
『あの殴り込みがあったから余計に俺らへの注目が集まったって見方もできるぜ? それにもう一人の呪文遣いが未だに合流してないってのも気になる。そいつが裏で何してんだか分らんし、犬ジイがエンデに残ってるかどうかも怪しいもんだ』
「そんな……」
考えてもみなかったという表情を浮かべるリンに、ウルはこいつは騙し合いには向いてないなと呆れた。
『つーか元々お前にとって犬ジイは敵だろうが。その言葉と仲間をどうして全面的に信じてるんだ? アリーゼたちはさも学院が悪者かのように言ってるが、実際あいつらの方が悪巧みしてて、俺らはそのゴタゴタに巻き込まれただけって可能性も十分にあり得るだろ』
言われてみれば、とリンは口元を押えた。
学院に問答無用で捕まり、そこを助けられたことですっかり『学院=悪』、『アリーゼたち=善』という構図が自分の中で出来上がっていたが、そもそもアリーゼたちが学院の正当な活動を妨害する悪人であった場合はその構図が全て崩れる。
というか真っ当な人間なら学院に正面から殴りこむような真似はしない。学院側に後ろ暗い事情がなければその時点で重犯罪者だ。
彼女たちが余程問題のある行動をしていたせいで自分たちがその関係者とみなされ捕まったと考えれば辻褄はあう。
「え? じゃあ、私たちって今犯罪に加担してたり?」
『そりゃ分からん。実際にアリーゼたちの言ってることが正しいって可能性もあるしな』
「…………」
どっちなんだと半眼で睨むリンから目を逸らし、ウルは回路に魔力を巡らせリンダとの接続を確かめながら続けた。
『俺が言いたいのは状況を見誤るなってことさ。誰が本当のことを言ってて、何が正しいのか。まずはそれを見極めないとな』




