第10話
「──……っ」
「ようやくお目覚め? 随分と手酷くやられたみたいね」
覚醒は最悪の気分だったが、最初に目にしたものは最良だった。
ぼやけた視界と思考で美しい師の姿を捉えながら、カトルは本人に聞かれたら蹴り倒されそうなことを考える。
「気分はどう? 呪詛は一通り解呪したつもりだけど、違和感があったらおっしゃいなさい」
「…………いえ、問題ありません」
魔術師カトルは血の巡りの悪い身体に喝を入れ寝台から上半身を起こし、師カノーネの問いにかぶりを横に振った。
そして周囲を観察──見覚えのある寝室──カノーネの寝室だ。師のベッドで横になっていたという不遜さに眩暈を覚える。
あの襲撃で研究室ごとズタズタに吹き飛ばされたはずだが、既に戦闘の痕跡すらなく修復されていた。師の手を煩わせたという事実を理解し、また一つ心に澱が沈む。
「……申し訳ございません、カノーネ様」
目覚めて早々床に跪き、謝罪する弟子の姿にカノーネは深々と溜め息を吐いた。
「……はぁ。一応聞いておくけど、それは何についての謝罪かしら?」
「カノーネ様の留守を守れず、むざむざコソ泥を取り逃したことについてです」
「──うぬぼれるな、阿呆が」
──ゲシッ!
カノーネのつま先が鼻っ面に突き刺さり、鮮血をまき散らしながらカトルは床にひっくり返る。容赦のない折檻にカトルは動揺することなく、鼻血を抑えながら無言ですぐさま起き上がった。
「あの子は私と同格の術師だ。貴様ごときがどうこうできる相手ではない。貴様はいつから私に並んだとうぬぼれた?」
「……申し訳ございません」
ただひたすらに謝罪する弟子に、カノーネは腰に手を当て再び溜め息。冷たい態度を解いて言葉を続ける。
「貴方は私の命に従って工房を護り、戦った。その行動の成否、咎は全て命じた私に帰属します。反省するのは結構だけれど、謝罪は私への侮辱でしかないわ」
「…………」
カトルは無言で深々とかぶりを下げ、師の言を受け入れた。
「それで。改めて聞くけど調子はどう? 蟲を食べたくなったりお尻がむずむずしたり、何か違和感があったら早めに言ってちょうだい」
「いぇ──……は?」
カノーネの言葉にカトルはそれまでの恭しい態度を崩し、素っ頓狂な声を上げる。
「蟲──に、尻、ですか?」
「ええそうよ」
「……特にそういった感覚はありませんが、一体なぜそのような心配を?」
「だって貴方、死体をぐちゃぐちゃに切り刻まれてキメラにされてたもの」
「────」
アッサリととんでもない事実を告げられ、カトルは絶句する。
自分が侵入者と戦い、死んだところまではカトルも理解していた。いや正確には死んだとの確信はなかったが、死んでいてもおかしくないだろう、と考えていた。
僧職ではないがカノーネクラスの魔術師であれば人体の蘇生は可能。状況的に師が蘇生してくれたのだろうと、申し訳なく思っていた。
「あの子のことだから死体をすり潰して蘇生できなくしたりはしないと思ってたけど、私の想定が甘かったわ。こっちの足止めが目的でしょうね。キメラ化した死体を分離・修復しながら直すのに丸二日もかかったわ」
「──二日っ!?」
自分の蘇生のために貴重な時間を二日も割いたと聞かされ、カトルは目をむく。
「私の蘇生など後回しで──いえ、無視してくださればよかったのです!」
「放置したら貴方、今頃ゾンビ化して帝都を半壊させてたわよ」
「────」
半眼で告げられた事実に再び絶句。
「ホントに私の想定が甘かったわ。八〇年以上前のあの子のイメージで考えてちゃ駄目ね。こっちの能力の限界を見極めてギリギリどうにかできそうな手を躊躇いなく仕掛けてくる。こういう外道な手段をとるような子じゃなかったんだけど……やっぱりろくでもない連中とつるんでると碌なことを覚えないわね」
カノーネは一刻も早く引き離して教育しなおさなきゃ、とブツブツ呟く。
一方でカトルは、蟲を食べそうで尻になんか生えてて帝都を半壊させそうなキメラってどんなだと、自分の手足を見下ろしブルリと身を震わせた。
「……状況はどうなっていますか?」
数十秒後、何とか気持ちを立て直したカトルがカノーネに問う。反省するにも失態を取り返すにも、現状を把握しないことにはどうにもならない。
「どうも何も完璧にしてやられたわ」
言葉とは裏腹に声音は軽く、肩を竦めながらカノーネは答えた。
「アリーゼには好き勝手暴れまわられた挙句取り逃して、牢屋に入れてた連中も騒ぎに乗じて逃亡した。どういう手段を使ったのかは分からないけど魔力探知にピクリとも反応しないし、居場所を突き止めるのは難しいでしょうね」
「…………」
「あの子に関しては私は姿も見てない。貴方の死体に残った魔力の痕跡と術式の癖から、あの子が来てたんだろうと判断しただけ」
カノーネの言葉にカトルは悔しさを押し殺すように唇をかみしめた。
しかし直ぐに不思議そうな表情を浮かべカノーネを見つめる。
「……その割に、さほど悔しそうには見えませんが?」
「そう?──まぁそうね。確かに完璧にしてやられはしたけれど、状況はさほど悪くないもの」
矛盾したカノーネの言葉にカトルは困惑の色を濃くする。
そんな弟子の姿に苦笑して、カノーネは説明を続けた。
「今回の被害って、実害があったのは捕まえてたエンデからの使いを逃したことぐらいなのよね。塔への被害は事前に話を通してあったから金で片が付くし、工房を荒らされたことも貴方が粘ってくれたおかげで重要な部分は手付かずだったわ。エンデからの使いにしたって大した情報は持っていなかっただろうし、元々あの子をおびき寄せる目的で捕えていたわけだから、ある意味目的は果たしたとも言える」
カトルはカノーネの説明を聞きながら、自分の戦いが無意味ではなかったという事実に俯きながらグッと胸を押さえる。
一方でカノーネは説明しながらだんだん上機嫌になっていった。
「逆にあの子たちは派手にやらかした割に大した成果があるわけじゃないわ。取り戻したエンデからの使いが大した情報を持ってないだろうことはさっき言った通り。しかもアリーゼはあの襲撃で相当な魔力リソースを使い果たしたはずよ。少なくとも向こう数か月は今回みたいな暴れ方はできないでしょうね」
カトルはカノーネの説明に納得の頷きを返す。
彼もカノーネとアリーゼの戦いは【遠見】の呪文で見ていたが、アリーゼは死霊の魂が宿った鎧を膨大な魔力を操る特殊な近接職だ。何故リッチ、あるいはデスロードの域に達した死霊に触れて平然としていられるのか全く意味が分からない。分からないが、ともかくその戦闘能力は彼女の魔力に依存する。そしてあの戦いでアリーゼはカノーネと渡り合いつつ外からの横やりを牽制するため鎧に貯えていた魔力の大部分を消費した。現在のアリーゼの戦力はせいぜいが超一級の近接戦士。カノーネであれば問題なく倒せる水準にまで落ち込んでいる。
──といって、短時間とはいえ賢者の塔の総力と互角以上に渡り合える化け物だ。決して油断はできんが。
それでも警戒していた二つの超抜戦力の内、一つがほぼ半減したのだ。カノーネの上機嫌の理由も頷ける。それを理解した上で、敢えてカトルは苦言を呈した。
「しかし、恥ずかしながら私はあの魔女に毛ほどの痛痒も与えることが出来ませんでした。奴に関しては未だ万全の状態。カノーネ様が後れを取るとは思いませんが、油断は禁物かと」
「分かっているわ」
弟子から差し出がましい発言をされてなおカノーネは上機嫌だった。カトルはその様子に自分の苦言が届いているのか不審そうに眉を顰める。
「ふふ。安心なさい。決して油断しているつもりはないわ」
「はぁ……」
どう見ても浮わついている師の姿にカトルは暗に信用できないとのニュアンスを含ませ曖昧に頷く。
そんな弟子の態度にカノーネは不満そうに唇を尖らせ、しかし直ぐに機嫌を直して微笑んだ。
「多少浮つくのは許してちょうだいな。元々この計画はあの子のためのものだもの。あの子が興味を持ってくれるなんて、こんな嬉しいことはないでしょう?」




