第9話
『無理って……なんで?』
いつまでもカエルの姿でいたくない。早くお仲間の魔術師と合流して解呪して欲しい。
別に無理な要求を口にしているつもりはなかった。
本当は奪われた魔道具や財布を取り戻したいが、状況的に難しかろうとそこまでは口にしていない。控えめで慎ましやかな要求のはずだ。
しかし──
「お姉さまは今、カノーネたちの攪乱に動いてますの。合流は状況的に難しいですわ」
ブランシュの説明は簡潔だった。
『えと、その人は凄腕の魔術師なんだろ? 転移呪文とか使えばひとっ飛びでここまでこれたり──』
「バカなのです? 私たちは学院を敵に回しているのですよ。転移呪文なんて使ったらあっという間に場所を特定されてしまいますわ。念を入れてこちらからは連絡も控えていますのに」
『…………』
いや知らんし──ウルはぐっと反論を呑み込んで我慢する。
確かに転移呪文のような高度な呪文は使い手も少ないだろうし、網を張られている可能性は否定できない。合流は当面先送り、それまでカエル姿で我慢するしかないのか、と溜め息代わりに下顎を膨らませる。
「……それに、合流しても解呪できるかは怪しい」
そこに追い打ちをかけたのがアリーゼだ。
『それはどうして?』
「……カノーネはあれで人類最高峰の魔術師の一人。彼女のかけた呪いを解くのは簡単じゃない」
それは──確かに賢者の塔の部門長ともなれば、その技量たるや生半可なものではあるまい。それは理解している。しているのだが──
『で、でもその最高峰の魔術師相手に貴女は互角以上に渡り合ってたじゃないですか。そのお仲間なら──』
「────(フルフルフル)」
ウルの考えを、アリーゼはゆっくりかぶりを横に振って否定する。
「……それは実戦だったから。カノーネの本分は研究職。純粋な呪文遣いとして技量は、多分カノーネの方が上、だと思う」
『…………』
冷静な分析にウルは反論する言葉を失った。
呪文遣いとしての技量の上下がそのまま解呪の可否に直結するわけではない。わけではないが、やはり格上の呪文遣いのかけた呪詛を解呪しようとすれば相応の準備が必要となるし、失敗するリスクもある。そして失敗すれば反動で命を蝕まれるケースもあり、解呪は気軽に何度も試せるものではない。
──つまり……安全に解呪しようと思えば、術をかけた当人に頼むしかないってこと……か?
思考の海に沈むウルにアリーゼは首を傾げ、根本的な疑問を口にした。
「……というか、何でカエル?」
「そうですわ! しかも何で貴方の方だけカエルに変えられてるんですの?」
何で、そっちだけが?──問われてウルとリンは顔を見合わせた。
それは彼らも疑問に思いはしたものの、それどころではなくて後回しにしていた疑問だ。
「きっと学院の悪人センサーに反応が──」
『テメェは善人のつもりか!? ハニトラ窓際小娘!!』
適当なことを口にするリンにウルが鋭くツッコむ。
アリーゼが『ハニトラ窓際……?』と彼の罵声に反応するが、そこを追及される前にウルは話の方向を修正した。
『──カエル云々は俺らにも分かりません。宿であんたらの名前を出したら魔術師どもに取り囲まれて、犬ジイの手紙を奪われて中を検められたと思ったらいきなり……』
「……カノーネと何か面識は?」
『ありません。帝都に来たのも初めてだし、魔術師の身内もいません』
説明しながらホントに何でだ、と改めてウルは疑問を抱く。
リンが見逃されウルだけが、というのもそうだが、そもそも自分たちを捕まえるだけならわざわざカエルに変える必要などない。この呪詛は相当に高度な呪文だ。合理の塊とも言える魔術師が、何の意味もなくリソースを割いてまでウルをカエルにする必要がどこにあったのか……?
「……なら、切っ掛けはその手紙?」
「そうですわ! 結局手紙には何が書かれていたんですの?」
問われてウルは少し考えるそぶりを見せてから口を開いた。
『……前にも言いましたけど、俺は手紙の中身は読んでないんで詳しいことは分かりません。ただ犬ジイは、そちらから先に送られてきた手紙への返信として、いくつか思うところや気づいたことを書いたと言ってました』
「……思うところ?」
『多分ですけど、最近ゴブリンヒーロー──上級冒険者でも手に負えないゴブリンの異常個体が迷宮に現れたりエンデでもおかしなことが起きてたんで、それ絡みじゃないかなと』
「…………」
ウルの推測をアリーゼは否定も肯定もせず、俯き加減に黙って考え込む。
代わって別の疑問を口にしたのはブランシュ。
「ゴブリン云々はともかく、それだと貴方がカエルにされた理由がないのですわ。手紙には貴方のことも書かれていたんじゃありませんの? 聞きそびれていましたが、そもそも手紙を届けるだけならお爺様の部下がいるでしょう。どうしてわざわざ貴方と──」
そこでギロリとリンを睨み、
「──教会関係者が?」
「睨まれても……私は巻き込まれただけですからね?」
「???」
「えっとですね──」
首を傾げるブランシュに、リンが自分たちがお使いとその護衛を任された経緯をざっと説明する。
一頻り事情の説明を受けたブランシュは得心したように頷いた。
「なるほどですわ。ゴブリン騒動に教会との揉め事。エンデでも色々あったようですわね」
「……でも、それだけだと君がカエルに変えられる理由がないよ? 今の説明だと、帝都に来たのはほとぼりを冷ますことが主目的で、現地を見てくるっていうのはオマケ、なんだよね?」
首を傾げるアリーゼに、ウルは推測を交えて答える。
『多分ですけど、そこは犬ジイの書き方の問題かな、と』
「……書き方?」
『犬ジイのことだから、万一手紙を紛失したり誰かに読まれた場合を想定して、内容はぼかした書き方にしてたと思うんです。例えば迷宮都市の最近の事情を知ってる俺らが補足して初めて詳細が分かるような』
「……ふむふむ」
『当然、俺についても触れてたと思いますが、直接的な表現は避けてたはずなんですよね。そのぼかした表現が読み手に何か誤解を与えたとか興味をひいたとかで、取り合えずカエルに変えて確実に確保しとこう、みたいな感じじゃないかな~と』
「……なるほど」
ウルの説明にアリーゼとブランシュは納得した様子だったが、リンは全く別のことを考えていた。
──いや、あのカノーネとかいうエルフ、手紙を読んだ後物凄い目で彼のことを睨んでましたよ? ちょっと確保しとこうみたいなノリじゃないと思うなぁ。犬が彼のやらかしを書いてればあの反応も頷けるんだけど、う~ん……
しかしリンも確証があったわけではないし、あのレベルの魔術師に彼が警戒あるいは敵視されていますと説明しても事情を知らない者には鼻で嗤われるだけだろうと口は挟まなかった。
そしてそのまま今後自分がどう動くべきか思考に没入する。
──というか、私的にこの状況はどうなんでしょう? 一応、護衛役ではありますが、彼の身の安全が最優先かというとそうではありませんし。このまま彼がカエルのままなら、教会に対する彼に対する脅威は無くなったと考えていい……いや、学院に例の対抗手段が伝わる可能性がありますね。カエル状態は維持しておいた方が都合が良いですが、学院の手に落ちることだけは防がないといけません。となると……
一方でウルは何気ない態度を装って情報収集を行う。
『ところでそちらの迷宮の調査はどういう状況なんですか? 学院の関与は状況的に確定でしょうけど、ここまで直接的な行動に出るってことは、ヤバいネタでも出てきました?』
──人間に戻るためにこいつらの仲間が当てにならないとなりゃ、どうにかしてあのカノーネってのに術を解かせる必要がある。ベストは何らか弱みを握って言うこと聞かせることだが、高位の呪文遣い相手にそれは現実的じゃない。となるとこいつらから情報を引き出して向こうに売りつけるってのが……
そしてアリーゼとブランシュはウルたちにそもそも興味が薄い。
「……ネタというほどのネタはまだ」
「元々カノーネは昔からお姉さまたちに絡んでばかりいるのですわ!」
彼女たちの目的はあくまで学院──カノーネが主導している研究により迷宮が崩壊している現状の調査と、場合によってはその妨害。ウルがカエルになっていることはどうでも良く、何なら情報さえ引き出せれば放置して構わないまであった。
『ふむふむ。では具体的に調査はどの段階で──』
「詳しいことはお姉さまの調査待ちですわ!」
「……それより、エンデで起きたゴブリン騒動についてもう少し詳しく──」
「でしたら、最悪一旦エンデに撤退することも──」
顔を突き合わせて情報交換を行い、今後の方針について相談する四人。
一見、一致団結しているように見える彼らだが、その思惑はこれ以上ないほどにバラバラだった。




