第8話
「いやぁ、学院から逃げ切るのは一苦労でしたね」
「全くですわ!」
「……疲れた」
『…………(ヴヴ)』
『……かゆい……うま……』
無事に逃げ切りホッとするリンの総括に、その場にいたメンバーがめいめい同意を示した。
学院からの逃走劇は詳しく説明すれば結果的に歌劇の脚本が一つかけそうなほどの一大スぺクタルになってしまったため、この場での説明は割愛する。
敢えて言うなら、復讐に燃える少年に老騎士が『正義なんてのは所詮悪を否定するための方便さ。何かを否定することでしか価値を見出せない……ワシみたいな男に、お前はなるな』と言い捨て代わりに悪徳領主の屋敷に一人で突撃するシーンは胸熱だった──と、そんな夢を道中吐きながら見ていた気がする。
籠の中のカエルだったウルは、どったんばったん逃走劇に振り回され現実世界で何が起きているのかほとんど認識できていなかった。
ともかくいつの間にやら彼らは学院の追跡を逃れ、逃走途中で鎧騎士も合流。理由は不明だがカノーネと呼ばれたあの部門長の追跡はなく、三人と一匹になった一行は無事に帝都を脱出。現在は帝都から二〇キロほど離れた森の中──少しだけ揺れる不安定な土台にテントを張り、休息をとっていた。
「確認ですけどここは安全なんですか……?」
テントの外に顔を出し、周囲をキョロキョロ確認しながらリンが自分たちを救出してくれた二人に尋ねる。
「問題ありませんわ! 確かに帝都からはさほど離れていませんが、周囲に満ちた膨大な魔力がジャミングの役割を果たしていますので、まず見つかる恐れはありませんの。万一見つかったとしても、この場で荒事を起こせば相手は只ではすみません。混乱している隙に十分逃げ出せると思いますわ!」
「……な、なるほど」
ブランシュの回答は的確ではあったかもしれないが、リンの聞きたかった内容とは少しだけズレていた。
「その、学院からの追跡についてはこれまでその網を逃れてきた皆さんを信用していますが……それ以前の問題としてここは安全なんでしょうか?」
『…………?』
「具体的に言うと、この足場というか、生き物というか……」
「──ああ!」
ポンと手を叩いてブランシュがリンの言わんとするところを理解する。
「失礼いたしました。私たちはすっかり慣れていたので今更気にしませんでしたけど、初めてだと戸惑いますわよね」
「はは……いや、雰囲気的に多分大丈夫なんだろうな~とは理解してるんですけど、やっぱりその高いというか、地面が動いてるのは落ち着かないというか……」
リンは地面にあたる“甲羅”部分をコンコンと叩き、訊ねた。
「今更ですけど、このでっかいのって、何なんですか?」
「……ザラタン。大陸亀とも呼ばれてる討伐不能種の幼生」
答えたのは鎧騎士──ではなく、その鎧の中から出てきたエルフの女性。
「私たちはサラって呼んでる……いい子」
「は、はぁ……」
銀髪銀目、長身痩躯のハッとするほどの美女。
自分自身の容姿には自信を持っていたリンでさえ思わず目を奪われてしまう女神のような容姿を持つ女エルフは、アリーゼと名乗った。
「あ、あのブランシュさん? ホントにこの方があの鎧の中の人なんですか……?」
「何を言ってますの? なんですかも何も、実際に貴女も出てきたところを見たはずですわ」
「それはそうなんですが……」
こそこそブランシュに話しかけながら、リンはアリーゼの横に置かれた瘴気漂う騎士甲冑を疑わし気に見る。
その分厚い装甲の重量は軽く見積もっても三〇キロを下回るとは思えない。とうてい目の前の痩躯の女エルフが身に纏って戦えるような代物ではないのだが……
「……ザラタンは基本的には温厚で、攻撃でもしない限り周囲に害を加えることはない。食事は主に鉱物や大地で、そこから魔力やミネラルを摂取してる。攻撃される心配はないけど、口元に近づくとじゃれつかれてパクっといかれるかもしれないので、注意が必要」
リンたちのやり取りを気にしていないように、アリーゼは淡々と自分たちの足元にいる大亀についての説明を続ける。
意外と──いやそうでもないか──天然気味なのかもしれない、との感想をリンは抱いた。
「……本当は水棲の生き物で、大きくなったら海で暮らすそうだけど、まだ小さいから陸で暮らしてるんだって」
まだ小さい──目算で体長二〇〇メートル超はありそうなこの大亀が、まだ小さいとな。
「肉体強度もそうだけど、この巨体を支えるためにため込まれた魔力密度は人類とは限界値の桁が五つ六つ違うから、どんな呪文でも傷一つつけられない。万一見つかっても、この近くじゃ呪文の威力が減衰してほとんど意味をなさないし、安全」
「……はは、そうですか」
本当に問いただしたかったのは、そんな化け物の背中で呑気にテントを張って休んでいられる彼女たちの神経についてなのだが、聞いても疲れるだけだと悟ったリンはそれ以上のツッコミを放棄した。
そして先ほどから意図的に無視していたモノに視線をやり、話題を変える。
「あと……あれは大丈夫なんですか? いや、とても大丈夫には見えないんですけど念のため」
リンの視線の先にあるのはカエルのままのウルが収められた籠と、それを包み込むように怪しく黄色い光を浮かべた亡霊。
骨格を見るにどうやら女性らしいその亡霊は、胴の部分にオーラで包み込むように籠を抱え行儀よくテントの中に座っている。どうやらアリーゼが使役している亡霊の一柱で、こちらに攻撃してくる気配はなくウルを護るかのごとき仕草を見せてはいるが……
「……リンダは体内の亜空間に籠を隔離して、カノーネの魔力の痕跡を完全に遮断してる」
「リンダ?」
「その亡霊の名前なのですわ!」
なるほど。周囲に満ちた大亀の魔力でリンたちの気配は隠されているとはいえ、ウルと彼が入った籠には直接カノーネの魔力が込められている。念には念を入れてその繋がりを遮断しているということか、とリンはアリーゼたちの用心深さに感心した。
「まぁ、そういうことでしたらそれで──」
『そこじゃねぇだろ……!!!』
籠の中のカエルが抗議の声を上げる。
その声音は弱々しく、顔色は──カエルなので分かりにくいが──精気を失い青ざめているように見えた。
『普通にエナジードレイン喰らっててキツイんですけど、リンダちゃんに止めるように言ってもらえますかねぇ……!?』
その瀕死の訴えにアリーゼとブランシュは顔を見合わせ、
「無理に決まってますわ」
「……無理」
『無理って何!? こっちは普通に死にそうなんですが!?』
素っ気ない返しにウルが悲鳴を上げる。
しかしウルの訴えがどれほど切羽詰まっていようとも、ブランシュの反応は冷たかった。
「リンダたち亡霊にとってエナジードレインは自分たちではコントロールできない本能的な行為です。貴方たち男も胸の大きな女性がいたらつい視線を向けてしまうでしょう? それと同じですわ」
『胸は女だって見るだろ!? 男だけの特性みたいに言うな! つーか、その例えはリンダちゃんにも失礼だろうが!』
「む……それは確かに。失礼しましたわ」
『…………(ゴゴ)』
ブランシュが亡霊に向けて謝意を示し、亡霊がそれに気にするなと手を振って返す。シュールで地獄のようなやり取りにリンは『私はツッコまない』とスンと遠い目をした。
「……大分、元気になった」
『ん?』
感心した様子のアリーゼの呟きにウルが首を傾げた。
「……さっきまで死にそうな顔でぐったりしてたのに、今は普通に話せてる」
それがウルのことを言っているのだと、遅れて周囲も理解する。
「……リンダはテクニシャンで気遣いさん。吸い尽くさないように、大分距離の取り方に慣れたみたい」
『それは確かに──いや、そもそも吸わないで欲しいと……!』
「……それは無理」
「あまり我儘を言わないで欲しいのですわ!」
カエルの身でエナジードレインを受けるのは実際問題相当な負担だろう。それを抗議するのと、見つかるとマズいから耐えろと言うこと、果たしてどっちが我儘なのだろうとリンは首を傾げたが、ともかく自分の保身を図ってウルを宥める方に回る。
「まぁまぁ。現実問題、この状況で学院の追手に見つかったらアウトなのは確かですから」
『むぅ……』
ウルも内心やむを得ないとは理解していたのだろう、大人しく引き下がる。亡霊のリンダが『いい子いい子』と言うように籠を撫でているのがシュールだった。
『──まぁ、元の姿に戻るまでの辛抱か。俺はいつまでこの姿で我慢すればいいんですかね?』
窮地は脱した。次は原状回復だ、と軽い気持ちでウルは言葉を発したのだが──
『……え?』
しかしブランシュとアリーゼは心底意外そうな声を出し、顔を見合わせる。
『いや、“え?”じゃなくて。早いとこ人間の姿に戻りたいんですよ……ほら、もう一人のお仲間は凄腕の魔術師なんでしょ? とっとと合流するなりしてこの呪文を解呪してもらいたいんですけど』
ウルとしては全くおかしなことを言っているつもりはない。至極当たり前、人として当然の要求を口にしているだけ。
しかし、それに対する二人の反応はとてもアッサリとした残酷なものだった。
『──それは無理(ですわ!)』




