第6話
学院本部──通称『賢者の塔』は地上二七階、地下一五階以上からなる重厚な石造りの建物だ。
現代の一般的な建築技術で到底実現困難なこの巨大建造物は常軌を逸して高度な魔法技術によって積み上げられ、大砲の直撃すら容易く弾くほどの強固な防護魔法によって護られている。
純粋な強度で言えば帝城さえ凌ぐその塔は今、突然の襲撃により正面から中心部に縦一文字に大きく抉るように切り裂かれ、混乱の坩堝となっていた。
『至急工房の状態を確認しろ!』
『迎撃など衛兵に任せておけ! 研究資料の保全が最優先だ!』
あちこちから魔術師たちの悲鳴が上がり、自分たちの研究成果や貴重な資料を保全しようと躍起になっている。自分たちの身の安全や迎撃よりもそれを優先するあたり、いかにも個人主義者で知識の奴隷たる魔術師らしいと言うべきか。
一方で、混乱と破壊の規模の割に苦痛の声はほとんど聞こえてこない。後に分かることだが、この襲撃による重傷者や死者は〇。無論、衝撃で転んだりして擦り傷や打ち身程度の軽傷者は多数出ていたが、襲撃者はまるで人のいる場所を避けるように設備だけを破壊していた。
『…………(ゴゴゴ)』
塔を切り裂いた斬撃の主は正面から動くことなく仁王立ちしている。
それは一目見て分かるほどに悍ましい瘴気をまき散らす鎧騎士。字面だけ切り取れば亡霊騎士あたりを想像するだろうが、実際に見れば──いや、四方一里以内に近づけばいやでも分かる。これはそんな生温いシロモノではない、と。
死の具現。冥府の穴。底無しの絶望。
常人であれば近づいただけで絶命するだろう呪詛と死の気配が全身から立ち上っている。
『王城へ救援要請は!?』
『要らん! そんな下らないことを考えている暇があったら忌庫に行って封印の確認でもしていろ!』
しかしそんな絶望の化身を前にしてなお、学院の魔術師たちの対応は適切だった。もちろん慌てふためき混乱はしているが、決してそれ以上のものではない。
理由は二つ。
一つ、学院においてこの程度の破壊は決して珍しいものではない。決して頻繁とは言わないが、実験失敗や部門長クラスの私闘が原因で年に一、二度は塔が半壊しており、所属する魔術師たちは爆発や破壊には慣れていた。
二つ、襲撃者の鎧騎士は確かに人の域を超えた化け物だが、学院にはそうした化け物が複数在籍している。慌てなくともこの程度の襲撃は誰かが対処するだろうと確信していた。
「──全く、期待とは別の人間が釣れたわね」
飛行呪文でゆっくりと、嘆息と共に、鎧騎士の前に人影が降り立つ。
銀髪銀目、御伽噺の中から飛び出してきた妖精のような小柄で可憐な容貌の女エルフだ。
彼女は周囲に満ちた致死級の瘴気を気にした様子もなく、心底期待外れといった面持ちで鎧騎士に話しかけた。
「悪いけど、あんたは呼んでないのよ。二度も三度も出迎えの準備をするのは手間だし、見逃してあげるからあの娘を連れて出直してきてくれない?」
その場で起きた襲撃も破壊も心底どうでも良さそうに、女エルフはそんな傲慢な台詞をのたまう。
鎧騎士はそれに対し溢れ出す瘴気の濃度を増し──
『…………(ヴヴヴ)!』
「──や、何言ってるか分かんないから。普通に喋ってちょうだい」
女エルフの抗議に鎧騎士は少しだけシュンとした様子で瘴気の放出を抑え、兜の口元部分をパカッと開けて口を開いた。
「……私たちは忙しい。こんな些事にこれ以上時間も人手も割けない」
それは鎧の悍ましさとは正反対の、か細く可憐な女性の声だった。よく見れば兜からのぞく口元はスラリと細く、整っている。
「些事……この私を些事……ふふっ、よく言ってくれたものね」
「……『カノーネはかまってちゃんだから自分が出ていくと絡んできてウザい』って。私も押し付けられて迷惑」
「────(ピクリ)」
鎧騎士の挑発に女エルフの口元がひくつく。
「へ、へぇ……あの娘も随分偉くなったものねぇ……?」
「……ううん。私たちは昔からカノーネより偉い」
──ドゴォン!!
カノーネと呼ばれた女エルフの怒気に呼応して、制御を外れ暴発した魔力が砲弾となって壊れた賢者の塔を更に抉った。
人一人どころかちょっとした家程度なら吹き飛ばせてしまいそうな魔力暴発を気にした様子もなく、鎧騎士はぐるりと周囲を見回す。
「……一人だけで、いいの?」
「はぁ?」
「……もっとたくさん出てくるものだと思ってたけど」
自分の相手をするのがお前一人でいいのか?──そんな鎧騎士の挑発めいた発言に、カノーネはむしろ怒りを収めて失笑した。
「私一人じゃ不満? かまってちゃんねぇ~」
カノーネが右手を横に突き出すと、その掌に虚空から杖が呼び出される。
「あんたが相手じゃ生徒や講師は足手まとい。部門長クラスには事前に来客の相手は私がすると話を通してあるわ」
襲撃が読まれていたことについては鎧騎士は驚かない。元々カノーネが“彼”からの使いを捕まえたのは、こうした自分たちのアクションを誘うためだと予想していた。
先にブランシュに忍び込ませ“彼”からの使いが本物かどうかを確認させたが、この様子だとブランシュの侵入にも気づいていて敢えて泳がせていた可能性がある。
「……派手に壊せば、怒って全員出てくると思ってたのに」
実のところ鎧騎士としては、カノーネ一人を相手をするより他の部門長も一斉に出てきてくれる方がありがたかった。鎧騎士が見たところ、自分とカノーネの戦力は総合的にはほぼ互角。真っ当に戦えば天秤はどちらに傾いてもおかしくないが、鎧騎士には真っ当ではない手札がいくつかある。
「残念だったわね。私も含め部門長クラスの工房はそもそもこの次元にないもの。あの程度の攻撃じゃ何の影響もないし、襲撃に気づいてない連中も多いんじゃないかしら」
「……そう」
鎧騎士は兜の下で顔を顰めた。
この状況でカノーネクラスとやり合うのは面倒だ。自分が負けるとは思わないが、これでは本当にブランシュたちが脱出する隙を作るだけの詰まらない仕事になってしまう。
「いくらあんたでも無策でここを襲撃するほど馬鹿じゃないわよね。当然、隠し玉の一つや二つは用意してきたんでしょう? 別にそれで私が負けるとは思わないけど、使わせないに越したことはないわ。あんたみたいな手合いは、来るかもしれない増援を警戒しながら戦う方が苦手でしょ」
カノーネは鎧騎士の思惑をある程度見抜き、挑発的に告げる。
今すぐ襲い掛かってこないのは、最初に言った通り“もう一人”を連れて出直してこいと言っているのだ。
「…………はぁ」
鎧騎士は心底面倒くさそうに溜息を吐く。だがその意図はカノーネが思うものとは少しだけ違った。
「……思いきり暴れられると思ったのに、詰まんないの」
──ズォッ……!!
その言葉の意味をカノーネが問うより早く、鎧騎士から溢れ出る瘴気が静かに、しかし爆発的に増加した。
「これは……っ!?」
それまでのようにただ行き場のない力が漏れ出ていたのとは全く違う。瘴気が確かな指向性を以って周囲の空間を侵食していく。
──これで全員出てきてくれれば全力で遊べるんだけど……それは高望みか。
一〇秒後、その場を取り囲んでいたのは見渡す限りの死霊の群れ。ただそれだけでも超抜級の死霊魔術に相当するが、カノーネが驚愕していたのはそこではない。
──数は精々数百程度。この程度なら死霊魔術が専門じゃない私でも再現可能な範囲。でも問題はそこじゃない。この死霊、一体一体が精霊の域に達している……!
カノーネはこれが鎧騎士の切り札なのだと理解する。こんな無茶苦茶な術が長時間維持できるはずもないが、これなら部門長をまとめて相手にしようとしていたことも納得がいく。
数や強度もそうだが一番厄介なのはこれが鎧騎士の制御下にあるということ。下手に本人を倒してしまえば、制御を離れた死霊の群れが帝都を蹂躙してしまうだろう。
──でも所詮は精霊級。厄介ではあっても凌ぐだけなら難しくない。適当に防いで力尽きるのを待てば何とかなる……!
「……今からこいつらが、この場にいる全員に無差別に襲い掛かる」
「────は?」
しかし鎧騎士の言葉はカノーネの予想を超えた。
「……頑張って守れ。犠牲を出したくなかったら」
ちょっと待て。確かに自分たちクラスであれば、この死霊の群れはしぶとく厄介ではあっても凌ぐだけならなんとでもなる。だが背後で呑気に『工房が』『研究成果が』と危機感なく騒いでいる連中はそうではない。もし彼らに犠牲が出ればそれはこの襲撃を誘引し、他の部門長に対処すると宣言した自分の──
「ちょ、ま──っ!」
「待たない」
鎧騎士の合図で死霊の群れが辺り一帯を蹂躙した。




