第4話
『一つ確かなのは犬ジイのツレが学院の連中に追われてるってことだな。状況的に多分捕まってはいないんだろうけど……』
「何やらかしたんでしょうね~? 学院の秘宝とか研究成果を盗み出したとか?」
『……どうだろうな。やらかしたのがツレの方とは限らねぇんじゃね?』
退屈なのもあってウルとリンのやり取りは続く。
「あ~、学院のヤバい秘密知っちゃったパターンですか」
『それかシンプルに敵対してるパターンな』
地下牢に放り込まれて丸一日。食事は三食運ばれているが、それ以外何も音沙汰がなく、他にやる事がない。
「敵対って、国でも手出しを躊躇する学院相手にですか? そんな馬鹿な人間──あ」
『…………』
リンが口元に手を当て『そういやここにも五大神筆頭の至高神神殿に喧嘩売った奴がいたよ』とヤベー奴を見る目でウルを見た。
ウルとしては好き好んで喧嘩を売ったわけではなく、巻き込まれて自衛のためにやむを得ず反撃しただけだったが、言っても詮無いことだったので黙してスルー。そもそも反撃しようとする発想がおかしいことは自覚していた。
「まぁでも『犬』の仲間ってことは余程ぶっ飛んでる連中でしょうし、敵対も無いわけじゃないのか、うん。確かにその線なら、この『取り合えず捕まえてみました』みたいな雑な扱いにもいくらか納得がいきますね」
『尋問の一つも無し。丸一日放置だからなぁ……』
例えば秘宝や研究成果を盗み出したというのなら、こちらが何か情報を持っていないか尋問してこないのはおかしい。
学院の魔術師なら【読心】で思考を読むことも可能だろうが、それにしたって通常の尋問と組み合わせた方が効果的だし呪文を使われればウルたちも察知できる。今のところこちらから情報を抜こうとする意図は感じ取れない。
リンの言葉ではないが学院の対応は如何にも行き当たりばったり『取り合えず捕まえてみました』だ。
こんな無差別で手段を選ばないやり口は戦争状態でもない限り中々考えにくい。
「ん~……でも、尋問とかを担当する上の人が偶々学院を離れてて、仕方なく放置されてる可能性もありますよね?」
リンが冷静に敵対説以外の可能性を指摘する。
尋問や詳しい話ができる責任者は学院を離れていて、残っていた部下たちは指示に従って犬ジイのツレの名前を出したウルたちを捕縛し、責任者が戻ってくるまで放置しているという可能性だ。
『それはないだろ』
しかしその可能性をウルは即座に否定する。
リンは自分の意見が否定されたことに不満を示すでもなく、純粋に疑問に思った様子で問い返した。
「どうしてそう言い切れるんですか?」
『俺をカエルにしたこの呪文の使い手、相当ヤベー実力者だぞ。こんなもんポンポン使えるレベルの術者がただの使い走りとは考えたくねぇな』
他者の肉体を変貌させる【他者変身】の呪文そのものは、一流一歩手前の魔術師であれば習得は可能だ。学院の魔術師であれば役職についていなくとも使用できる術者は一定数いるだろう。
だが本来【他者変身】の呪文は対象となった者の精神を破壊しかねない危険な呪文だ。肉体が精神に及ぼす影響というものは一般人が思っている以上に大きい。そもそも精神を支える脳が変化してどうして人としての精神を保てようものか。今のウルのように人間がカエルに変えられてしまえば、発狂どころか一瞬で自我を喪失しているはずだ。
だがウルは今のところ全く精神に異常をきたしておらず、それどころかカエルに変身したという異常事態に対し精神はあり得ないほどに凪いでいる。これは肉体だけでなく精神構造が魂のレベルで補強され変化していることを意味した。呪文が専門ではないウルでさえ理解できる英雄級の絶技。このレベルの呪文が行使できる人間は、大陸最高峰の魔術師が集う賢者の塔であろうと、部門長クラスの一握りの化け物だけだろう。
「へぇ……これってそんなに凄い呪文なんですか?」
しかしその辺りの感覚はリンにはピンとこなかったらしい。キョトンとした顔でまじまじとカエルになったウルの身体を観察している。
『あぁ~そうだな。【神降ろし】──は、言い過ぎか……【天候操作】とか、【完全蘇生】とか、僧侶系の呪文で言えばそのレベル』
「へぇ……」
分かりやすく僧侶系呪文で例えたのだが、教団職員のリンは何故かピンときていない。
『……何でそんな反応薄いんだよ? どっちも都市を統括する大司教クラスでもないと使えない大呪文だぞ』
「いや、教団職員だからって全員が全員呪文に詳しいと思わないでくださいよ」
唇を尖らせて不服そうにリンが反論する。
まぁ実際、教団に限らず自分の専門外の事柄については同じ組織で取り扱っているモノやサービスであろうと全然知らないという人間は今時珍しくない。分業や専門化が進んだ現代社会の弊害と言えるだろう。
「【蘇生】と【完全蘇生】とか結局値段だけの違いでしょ? 完全って頭につけとけば喜ぶ貴族向けのサービスじゃないんですか?」
『ンなわけあるか! 蘇生可能条件から失敗の可能性まで全然違うわい!』
「ええ~?」
だが流石に恥ずかしげもなく堂々と『僧侶呪文分かりません』と開き直られるのはどうかと思う。
『…………まぁ、奇跡を授かってるわけでもない斥候職ならそういうもんなのかもな』
「…………え?」
『…………え?』
その言葉に何故かリンはキョトンと目を丸くする。
ウルは何か自分がおかしなことを言っただろうかと言動を振り返っていると、リンはポンと手を叩いて納得したような声を上げた。
「ああ~。そう言えば言ってませんでしたっけ。私、斥候職じゃなくて職は踊り子ですよ?」
意外な告白にウルは目を丸くする。
『……そーなのか?』
「ええ。一応、斥候系のスキルはいくつか修めてて、得意分野ではありますけどね」
正直、意外だった。借金や罪を減じる対価として教団や公的機関に雇われている人間の話は良く聞く。だがそうして雇われているのは後ろ暗い仕事に適性のある斥候職が基本だ。てっきりリンもその類だと思っていたのだが……
『踊り子が教団勤めって……あんま聞かねーな』
「そうですか?──まぁ、そうかもしれませんね」
踊り子はその名の通り舞踊を専門とするクラス。
それ以外にも芸術系や交渉系スキル全般に適性があり、軽業や剣を用いた近接戦闘もある程度こなせる万能クラス──言い換えれば詩人と並ぶ器用貧乏の代表格だ。
勿論、劇団や旅芸人の一座などでは重宝され働き場所には苦労しないが、裏稼業──しかも教団に雇われているなどといった話は聞いたことがない。
「私の実家って自分で言うのもなんですけど、代々至高神の僧侶や聖騎士を輩出してる結構な名家で、私も教団勤め以外の選択肢がなかったんですよ」
特に気負った様子もなくリンが身の上を告白する。
それがあまりに自然だったのでつい、ウルも何の気なしにそこに踏み込んでしまった。
『ふ~ん。教団で働くなら職は踊り子以外の方が有利だったんじゃね? そんなに踊りが好きだったとか?』
「そういうわけじゃないんですけど……」
リンはほろ苦い表情を浮かべ続ける。
「実際のところ銘魂の儀で出た適性が踊り子以外だと娼婦とかそっち系ばっかで、他に選択肢がなかったんですよ」
『…………なるほど』
ウルはリンの胸部に視線を向けないよう鋼の意思で自分を律し、相槌を打つ。実際のところ今の彼はカエルなのでガン見でもしない限り視線には気づかれなかっただろうが、それはそれとして。
「それでまぁ実家に居場所がなくなって、どうしようか困ってたところを今の団長に声をかけられて、表向き普通の事務員として雇ってもらったってわけです。斥候系もそこそここなせますけど、どちらかと言えば対人関係のスキルを期待されてのことですね」
『……事情を知らん俺が言うべきこっちゃないかもしれんが、家を出て教団の外で就職するって選択肢もあったんじゃないか?』
言うべきではないとは思ってもつい言ってしまう。
それに対するリンの反応はあっけらかんとしたものだった。
「ま、将来的にはそれもありかもしれませんね。でも私まだ未成年ですし、流石に保護者の許可なしじゃ碌な仕事につけませんから」
『お前、未成年だったの!?』
その身体で、とウルは彼女に出会って以来一番の衝撃を受けた。
「ええ。一四歳なので来年には成人ですけど……まぁ、教団にも義理があるので、実際そうするかはその時の状況次第ですね」
ウルの不埒な考えに気づいてはいたが敢えてスルーし、リンは肩を竦めて自身の身の上話を締めくくった。
『しかし学院の思惑はともかく、実際どうしたもんかね──いや、この状況じゃこっちからは何のアクションも起こしようがないし、待ってるしかできないんだけど』
リンの身の上話の後、しばらく話が途切れ沈黙が流れたが、退屈に耐え切れず再びウルが口を開く。
「そうですねぇ……騒いでみてもいいですけど、ここ防音しっかりしてるし意味なさそうですよね」
『だなぁ……』
外部からの音がこれっぽっちも漏れてこないあたり、単に壁が厚いだけでなく魔術的なガードがなされているのだろう。
「教団や『犬』が私たちの失踪に気づくのは一月以上先になるでしょうし、気づいたとしてもここに辿り着けるかどうか……」
『あんま当てには出来ねぇし、流石にそれまでここで待ってるってのは遠慮したいなぁ』
「ふむふむ」
「ですねぇ」
ウルは溜め息代わりにゲコッと下顎を鳴らし、他の希望を口にする。
『一番の理想はやっぱもういいわって学院が解放してくれることだけど……』
「それは期待しない方が良いのですわ。彼らは陰湿で慎重ですもの。念のためで人を一生飼い殺しにするぐらい平気でやりかねないのですわ」
「うわぁ……私が言えた義理じゃないけど、どこの組織もエグいなぁ」
リンが学院の残酷さに教団の裏の顔を思い返して溜め息を吐く。
『となるともう……天変地異でも起こって学院が崩壊することでも期待するしかないのかなぁ』
「それ、私たちも死んじゃいません?」
『だよなぁ……』
「──もう! もっと他に期待すべきことがあるんじゃないですの?」
『えぇ? 他にって言われても──』
怒ったような言葉に、ウルは困ったように下顎を膨らませ──
『────?』
「────?」
───先ほどから聞こえる第三者の声に気づき、リンと顔を見合わせた。
「まったく! 折角助けに来て差し上げたのに、これでは全然甲斐がないというものですわ……!」
二人が声をした方を振り返るとそこには、赤いリボンを付けた白いふわふわの可愛らしい二足歩行のワンコ──コボルトがプリプリ頬を膨らませて立っていた。




