第2話
ハニトラ少女はリンと名乗った。
ウルは全く気付いていなかったが、彼女はどうやらこの一か月間ずっとウルを監視していたらしい。犬ジイは当然そのことに気づいていたものの、害意がないことも分かっていたので敢えてそのまま放置していたのだとか。
「害意……ないの?」
「ありませんよ~! 信じてください~!」
事務所の床に正座させられ、半泣きでリンは自身の無害を訴える。
銀髪ボブで童顔、高身長で胸部装甲豊かな美少女がそんな表情をしていれば、普通の男はつい絆されてしまいそうになるものだろうが、彼女には前科がある。ウルはリンの訴えを無視して犬ジイに向き直り説明を求めた。後ろで「ちっ」と舌打ちが聞こえたが、反応するのが面倒なのでスルーする。
「……安心しな。もしその気があったら、とっくに嬢ちゃんの首は胴体から離れてるよ」
「ひぃ……っ!?」
犬ジイの言葉にウルは嘆息。
「……まぁ、害意云々はそっちが専門なんで信用しますけど、害意があろうと無かろうと私生活を監視されるってのはいい気分じゃないんですけどね?」
「だから敢えてお前さんにゃ黙ってたんだよ」
ウルの抗議を犬ジイはさらりと流す。
そしてそういう問題じゃないだろとウルが抗議するより早く、犬ジイはシレッと付け加えた。
「それにお前さんにとっちゃ嬢ちゃんがいてくれた方が安全だろ。その嬢ちゃん、お前さんの護衛役だぜ?」
「はぁ? それはどういう──」
「何で知ってるんですかっ!?」
ウルの疑問を遮るように少女の叫び声が響く。その大声にウルが顔を顰めて振り返ると、膝立ちになって目を丸くするリンの姿があった。
「え? ええ? 監視に気づかれてたのはまだしも、護衛の話まで何で? 襲撃があったわけでもないし、私護衛らしいことなんて何もしてませんよね!?」
その反応からすると彼女が護衛役というのは事実らしい。
犬ジイはそんなリンの反応にニヤニヤ笑みを浮かべ、敢えて彼女を無視するようにウルに向けて話しかけた。
「教会関係者──あの神殿騎士の小僧からすると、今一番怖いのは恥かかされた部下が暴走してお前さんに手を出すことだ。新規事業で部下もそれどころじゃないだろうが、絶対とは言い切れねぇ。その万一を防ぐために、監視がてらその嬢ちゃんをお前さんの護衛につけてたのさ」
「ほほぅ……」
ウルがチラリと視線をやるとリンは犬ジイの言葉を肯定するように項垂れていた。
「護衛がついてた理由についちゃ納得しましたけど、それが何でこの娘なんです? 俺に顔を知られてるし、あんま適任とも思えませんけど?」
一つ理解すると新たな疑問が生まれる。ウルは当然のようにリン本人ではなく犬ジイに向けて問いかけた。
「一言で言えば教会も人手不足なんだよ」
「ぐぅ……っ!?」
背後で胸を押さえてうずくまる様な呻き声が聞こえたが無視する。
「ただでさえ教会は今、新規事業の件で大忙しだしな」
「……ああ。暇してるのがこの娘しかいなかったんですね」
「ぐはっ!!」
ハニトラとか暗躍要員とか教会が真っ当に働くなら用無しだよなぁ、と残酷な感想を抱く。
「そうだな。というかお前さんの護衛もそんな優先度は高くないし、暇してる奴がいたから取り合えず仕事割り振ったって方が正確だろうな」
「────っ!(ダン! ダン、ダン!)」
拳で床を殴っているような音が聞こえたがウルも犬ジイも無視する。
とりあえず犬ジイの説明が正しいということは証明された。リンが教会の指示で自分の護衛をしているというのなら、そのまま帝都に護衛役として同行してもらえばいいという犬ジイの発言は理に適ってはいる。理に適ってはいるのだが──
「事情は大体分かりましたけど、そうは言っても現実問題彼女に帝都までついて来てもらうのは無理がないですか?」
「────(コクコク!)」
ウルの背後で『そうですよ! 何で私がわざわざ都市を離れてまで──』と全力で頷く気配がしたが、それを無視して犬ジイが首を傾げる。
「どうしてだ?」
「だって彼女、暇でやることないから取り合えず上司からそんな重要でもない仕事振られてる状態なわけですよね? そんな重要でもない仕事のために帝都までの旅費なんて教会も出してくれないだろうし、立場上そっちが彼女の旅費を負担するのも問題があるでしょう?」
「……それもそうだな」
「ふぐぅ……っ!」
帝都までは移動だけで往復一か月。交通費、食費、宿泊費を合算すれば相当な金額になるはずだ。
もし自分が上司だったとして、使えない部下が「仕事のために最低一月ほど旅行する必要があるんですけど~、その旅費とか諸々経費で落としてくれます~?」と言ってきたら、その場で罵倒するかカッと痰を吐き捨てて黙殺するだろう。
そして当然、犬ジイに旅費を出してもらうのも問題がある。そもそも教会関係者にとって犬ジイは不倶戴天の敵だ。そこから金を出してもらうなんて、教会関係者からすれば「何お前、あの犯罪者崩れとよろしくやってんだよ」てなものだろう。
結論としてリンは護衛としては使えない。
ウルの完璧な論理展開に犬ジイは珍しく反省した様子で頭をかいた。
「むぅ……確かに。お前さんの言う通り嬢ちゃんは使えないな」
「…………っ!」
「経費を思うまま使えるのは成果を出してる人間だけですからね。彼女の仕事にそれだけの価値があるかと言うと……」
「無理があるわな」
「がひゅ!?」
ウルと犬ジイが結論を下す背後で何かが息絶えたような気配がした。
「──ふ、ふふ……っ!」
しかし、むくりと蘇生する。
「ふはぁ、はっはぁっ!」
「うおっ!?」
「何だ何だ?」
突然立ち上がり哄笑を上げるリンに、ウルと犬ジイは狂ったかと胡乱な視線を向ける。
その失礼な視線に彼女はズビシッと指差しを返すと、血走った目つきでヤケクソ気味に宣言した。
「──見てなさい! 私は必ずや団長に経費を認めさせ、貴方の旅に同行してやります!」
「お、おお……?」
戸惑うウルを無視して続ける。
「私を舐めたこと、必ず後悔させてやりますから! 覚悟しておくんですね!!」
リンは一方的に言い捨てると、ウルと犬ジイの返答を待つことなくだっとその場から走り去った。彼女の言葉を信じるなら、恐らくこれから上司に経費使用の事前申請を上げるのだろう。
『…………』
しばし呆気にとられた後。
「まぁ……何とかなるみたいだぞ?」
「……みたいですね」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
そして時は再び現在。
「うぅ……何であの時、ムキになってどうこうするなんて言っちゃったんだろう、私の馬鹿っ!!」
自分が帝都に来ることになった経緯を思い出し、牢屋の中でリンが頭を抱えている。
「そもそも主目的は先走ったうちの派閥の人からガードすることなんだから、街を離れてくれれば護衛の必要なんてないじゃないですか……! 何で私は団長に『犬と件の魔導技師に不穏な動きあり、監視要』なんて嘘ついてまでノコノコこんなとこまでついて来ちゃったのぉ……!?」
新規事業の立ち上げのために団長のヴァンがヘロヘロになって判断力が鈍っているタイミングを狙って突撃し、滔々と屁理屈を捲し立てて経費を認めさせた過去の自分。その黒歴史を殴りつけるようにリンは石の床に拳を叩きつけた──思いきりだと痛いのでほどほどの強さで。
「何であんな挑発に乗っちゃったの……うぅ!」
そう言って恨みがましく籠の中のカエルを睨みつける。
『いや、あれは挑発したわけじゃなくてただの本音でな。俺的に欲しかったのは護衛じゃなくて帝都の案内役だったわけで、帝都初体験のあんたは正直勝手についてきただけっていうか──』
「う・る・さ・い……! 素直にすいませんでしたと謝れぇぇっ!!」
『ゲコッ!? こら、籠を揺らすな……!』
ウルが潰れたような悲鳴を上げる中、リンは彼が気絶してひっくり返るまで容赦なく籠を揺らし続けた。
気分でヒロイン役を変えただけでなく、一応彼女がついてきたことは物語的に意味があります。
……その設定が最終的に活かせるかどうかは別にして。
 




