第1話
連載再開します。
ペースは少し不規則になりますが、どうぞよろしくお願いします。
「……何でこんなことになっちゃったんだろ」
『おー! これ意外と美味いな』
薄暗く狭い地下室。
神殿騎士団から派遣された少女リンが慨嘆し、その傍らではウルが呑気に提供された食事を楽しんでいた。
対照的な様子の二人だが、ここが牢屋であり、共に囚われの身であるという事実は共通している。
「『犬』からの話なんて最初から怪しいとは思ってたんですよ? でもこの前のやらかしで教団内でも微妙に居心地悪いし、しばらく外でほとぼりを冷ませるなら、それもまぁいいかなって思うじゃないですか……」
『この檻どういう仕組みだ? 思念をそのまま脳に伝えてるわけじゃなくてワザワザ音声変換してんの? うはっ、リソースの無駄遣いにも程があんだろ。強度や防護機能も含めてもうレベルが違い過ぎて笑うしかねー』
二人は伸ばせば届くほどの距離にいながら全く目を合わせることもなく、口から出る言葉は全て独り言だ。
「もちろん同行者って言うか監視対象がこの人って時点で思うところはありましたとも。でも今この人に何かあったらマズいのは確かだし、拒否したらしたで惨めな状況になってただろうし……」
『つか視点もそうだけど五感全部すげーことになってんな。元の感覚と齟齬が出てないのはどういう理屈だ? 気づかない内に精神構造も弄られてんのかね』
だがマイペースにはしゃぐウルとは対照的に、リンの言葉は相手に聞かせたい恨み節だ。反応を期待していたわけではないが、あまりに反応がないのでついそちらに恨みがましい視線を向けてしまう。
「…………」
『しかし暇だなー。本か何か差し入れてくんねーかな──って、この状況じゃ本なんて読めねーか、ハハハ!』
といってウルの姿を見るとリンの不満も萎れてしまう。
「……ねぇ?」
『こうなったら歌でも──うん?』
互いに何か理由があって無視していたわけではない。リンが話しかけるとウルはすぐさま反応した。
「────っ」
その丸い瞳に見つめられ、リンは反射的にウッと拒否反応を示しそうになるが、ギリギリのところでそれを堪えて言葉を続ける。
「この状況で、何でそんなに平然としていられるんですか……?」
『あん? 面白いこと聞くな、あんた。何で平然としてられるかだと? そんなの──』
ウルは人で言えば顎にあたる部分をプクプク膨らませ、
『──現実逃避に決まってんだろうが!!!』
籠の中に閉じ込められガマガエルの姿で絶叫した。
『人間が、カエルに変えられて、現実逃避以外に出来ることなんざあるもんか! つか現実を直視したら発狂するわ! 思い出させんじゃねぇ馬鹿野郎!!』
「…………何か、すいません」
謝りながら自分だけでなく隣人もちゃんと苦しんでいたことに少しだけ胸がスッとしたのはリンだけの秘密だ。
『ちくしょぉぉっ! 何が色々あったから気分転換に旅行でもどうだだクソジジイっ! 気分どころか種族まで変わっとるわい!!』
彼らがこんな目に遭うハメになった発端は、約半月ほど前に遡る。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「都市外迷宮の調査、ですか?」
教会関係者とのちょっとしたいざこざを解決して一月ほどが経過したある日、ウルは犬ジイの事務所に呼び出され風変わりな提案を受けた。
「ああ。調査つってもそう肩肘ばったもんじゃねぇ。ちょいと俺の知り合いのとこに出向いて、魔導技師としての視点から現場を見てきて欲しいってだけさ。具体的な成果を期待してるわけじゃねぇし、気分転換がてら行ってきてくんねぇか?」
「ふむ……」
ウルはこの事務所で普段出されるものより少しだけ値段の張る茶菓子を熱いお茶で喉に流し込み、首を傾げた。
「う~ん。事業の方は軌道に乗ってきたし用事を引き受けること自体は吝かじゃありませんけど、先に詳しい経緯を説明してもらえません? どこから都市外迷宮の話なんぞが湧いて出たのかとか、何で俺なのかとか」
ウルの言葉に犬ジイはもっともだという風に頷き、テーブルの上にポンと一通の手紙を置いた。
「……これは?」
「昔の俺のツレからの手紙だ。今は帝都の方で活動してるんだが、少しあっちの方で問題──と言っていいのか、少し変わったことが起きてると連絡があった」
「読んでもいいんですか?」
「ああ」
ウルは断りを入れてからその手紙を手に取る。流暢な筆致で描かれていて分量は便箋三枚分。手紙の内容自体は他者に盗み見られることを危惧してか事務的な文体で報告に終始しており、個人的な関係性を窺わせるものはなかった。
「簡単に説明すると、連絡してきたツレは外部の迷宮を巡って活動してる変わり者でな。今は帝都周辺で活動してるんだが、最近小規模迷宮があちこちで崩壊してるらしくて、気になって調査してみたんだそうだ」
迷宮都市外の迷宮となると規模的に採算も厳しいだろうし素材の売却先など苦労も多いはず。犬ジイの知り合いだけあって中々の変わり者だな、との感想をウルは抱いた。
「……そもそも迷宮って崩壊とかするもんなんですか?」
「する。詳しい原因は不明だが、これまでも特に人の出入りが少ない小規模迷宮を中心に自然崩壊した例が確認されてる」
迷宮の成り立ちなどについては学会などでも未だ解明されていないため、経験豊富な犬ジイが言うならそうなんだろうと頷く。
「それでツレが今回の件を調査したところ、どうも学院が関わってるらしくてな」
学院とは魔術師や妖術師に代表される秘術系統の呪文遣いを養成する学術機関の俗称。正式名称は魔術学院で、帝都にある本部は賢者の塔とも呼ばれている。
「……迷宮のシステムを解明し、より効率的な迷宮資源の回収を、ですか」
「ああ。その手紙を読んだだけじゃ具体的に何をどうしてるのかまでは分からんが、迷宮の崩壊はその実験の結果らしい」
手紙によると崩壊した迷宮は確認できただけでも八つ。どれも冒険者が出入りしていないごく小規模な迷宮で、今のところ目に見えた外部への影響は確認できず、手紙の主以外それを把握している者もいないらしい。
「よく分かんないですけど、これって本来、国や領主が動くべき案件なんじゃないんですか?」
今のところ目に見える影響がないとはいえ、迷宮が崩壊するような実験を学院が勝手に行っていいとは思えないのだが。
「国は動かねぇよ」
「何でですか?」
「その手紙にゃ敢えて書いてないが、学院の上層部は帝国のトップとずぶずぶだからな。多分、帝国もこの件は了承の上でやってんだろ」
「……そりゃそうか」
効率的な迷宮資源の回収が最終目的なら、その恩恵を一番に受ける為政者を味方につけていないはずがない。
「──で、手紙を読んだ限り、誰か派遣してくれなんてことは書いてませんでしたけど、何で俺に?」
手紙を読み終えてウルは根本的な疑問を口にする。手紙の内容は犬ジイへの報告のみで、あれをして欲しい、これをして欲しいといった要望の類は一切書かれていなかった。
「俺の方からもいくつか思うところや気づいたことがあってな。ツレに返事を出すつもりなんだが……出来れば内容は人目に触れさせたくない」
現代では郵便網の発達により受取人の個人コードさえ分かっていれば帝国中どこにいても手紙を送ることが可能だが、郵送物の類には無作為に検閲が入ることがある。そしてそれを避けようと思えば個人的に依頼して手紙を運ぶ以外にない。
「要はお使いってことっすか? ついでにそのお連れさんに直接話を聞いて、現場を見てきて欲しいと」
「話が早くて助かるよ」
満足そうに頷く犬ジイに対しウルは顎に手を当てて考え込んだ。
帝都までは定期馬車が出ていて片道二週間ほど。向こうでの調査ややり取りを含めても二か月とかかることはあるまい。先ほども言ったがスラムの事業は軌道に乗って落ち着いているし、オークであるエレオノーレを連れ出すわけにはいかないが、そこはカナンたちに任せれば二か月位は問題ないだろう。その辺りは犬ジイもフォローしてくれる筈だ。
そこそこ懐も温かいし、折角だから帝都に行くついでに教本や道具を仕入れるのも悪くない。
ウル個人としては特にデメリットのない提案だが、素朴な疑問が頭に浮かぶ。
「……それは構いませんけど、何で俺に? わざわざ俺に頼まなくても人手はあるでしょうし、迷宮の調査云々にしたって俺よかレーツェルのが適任でしょ」
孫娘の名前に犬ジイは一瞬顔を顰め、すぐにかぶりを横に振った。
「あいつは駄目だ。いや、そもそもそのツレってのがあいつの師匠筋の一人でな。どうせ人をやるなら別の視点が欲しい」
「……それだけですか?」
それはレーツェルを使わない理由にはなっても、わざわざウルに頼む理由にはならない。
ジッと自分を見つめるウルに、犬ジイは溜め息を吐いて本音を口にした。
「……お前さん、この間の一件で教会関係者から目を付けられてるだろ」
「まぁ……はい」
目を付けられたと言っても最終的に向こうとは話がついている。そう思ってウルは曖昧に頷いたのだが、犬ジイはそうは思っていなかったらしい。
「確かに話はつけたんだろうが、どこにだって理屈の通じないはねっ返りはいる。一応向こうもそうならないように気を付けちゃいるだろうが、念のため外でほとぼりを冷ましちゃどうかと思ってな」
「あぁ……まぁ、それは確かに」
なるほど。一応これは自分に気を遣ってくれての提案だったらしいとウルは納得する。
そもそも教会関係者に目を付けられたのは犬ジイが原因だったわけだし色々考えてくれていたんだな、と彼は犬ジイの言葉を素直に解釈した。
「そういうことなら」
「おお、受けてくれるか」
顔をほころばせる犬ジイに、ウルは念のため確認する。
「帝都に行くのは俺一人ですか?」
『帝都は初めてだし出来れば土地勘のある人間を紹介して欲しいけど、それは高望みだろうな~』と考えていたウルに、犬ジイは何故か少しだけ考えるそぶりを見せた。
「ああ……いや、そうだな……」
そして足音を立てることなく徐に立ち上がり、窓の方に歩いていく。
「どうせだから護衛がてら一緒に付いてきてもらえばいいんじゃないか──なぁ!」
犬ジイがバッと窓を開けると、窓の外で会話を盗み聞きしていたのか「ひゃん!?」と悲鳴を上げて飛びあがる人影が一つ。
「教会としてもこいつの動向は把握しておきたいだろ?」
「う、うう……」
ニヤニヤと笑う犬ジイに話しかけられ、窓の外におずおずと顔を出したのは、先の騒動でウルにハニトラを仕掛けてきた教会関係者の少女だった。
 




