第18話
「まだ例のならず者の情報は手に入らんのか?」
迷宮都市エンデに設置された至高神の神殿、その最奥の小部屋で老年の司教が神殿騎士と町娘のような身なりの女に詰問していた。
もしこの場にウルがいたならば、その女が先日街で出くわし、フルウたちから『教会関係者』ではと警告された人物であったことに気づいただろう。
「はっ。存外にギルド関係者の口が堅く、恐らくは例の老人が手を回しているものと──」
「そんなものが言い訳になるかっ!」
申し訳なさそうに報告する神殿騎士に、司教は手元にあったインクの小瓶を投げつけ激昂する。
「最初から奴の手の者であることは分かっておっただろうが! 貴様はいつになったら頭を使うこと覚えるのだ!?」
「……申し訳ございません」
頭の半分をベチャリと汚すインクを拭うこともせず、神殿騎士は粛々と頭を下げた。
しかし司教はそれで留飲を下げることなく、苛立たしげにドンと机に拳を叩きつける。
「申し訳ないではないわっ! どうせ貴様は形だけ頭を下げてこの場をやり過ごせれば良いとでも考えておるのだろうなぁ!?」
「……いえ、決してそんなことは」
その通りではあったが神殿騎士はそんなことおくびにも出さず頭を下げ続けた。
彼の本音や反応など気にした様子もなく、司教は顔真っ赤にし唾を飛ばして感情の赴くまま怒りをぶちまける。
「ならばどうして成果もなしにおめおめとこの場に立っていられる!? そのならず者のおかげで我らの計画が頓挫し、中央から儂がどれだけ厭味を言われたことか……本当に分かっておるのか!?」
「……申し訳ございません」
「それしか言えんのか、この無能がっ!」
「…………」
「何か言わんかっ!!」
「……はっ」
──どうしろというのだ。
内心の呆れを慣れと諦観で押し殺し、壮年の神殿騎士は司教の怒りが収まるのをただひたすらに待ち続けた。
たっぷり三分ほど耐え続ければ老年の司教は怒り疲れて息切れしてしまう。
「はぁ、はぁ……っ!」
普段なら怒り疲れて最後は『出て行けっ!』と怒鳴って終わるはずの上司は、しかし今回は余程腹に据えかねるものがあったのだろう。神殿騎士たちをギロリと睨みつけ、解放してくれる気配が見えない。
「……本来であれば、例のゴブリン騒動に合わせて中央から騎士団を招聘し、我らが主導権を握るはずであったものを……!」
司教がこれほどまでに怒りを露わにしているのには理由があった。
改めて説明するまでもないことかもしれないが、この司教はエンデにおける至高神過激派──冒険者から『教会関係者』と呼ばれる一派のトップ。常日頃からならず者たちが大きな顔をする迷宮都市の現状に不満を抱き、自分たち正しき神の信徒が迷宮を管理すべきと声高に訴えていた。
しかしそうした主張はならず者揃いの冒険者や、迷宮利権の確保に腐心する冒険者ギルドや都市上層部から白眼視され、全く受け入れられる気配がない。
思い通りにならないだけでなく、無能な同胞の失態や過激な部下の突き上げ、中央からのプレッシャーで心安らぐことのない日々。
そんな司教に巡ってきた千載一遇のチャンスが、先日エンデの都市機能を麻痺させかけたゴブリン事案だった。
所詮はゴブリンと誰もが高を括り、当初は数日も経たず解決すると思われた騒動は、一週間以上経っても全く収束の気配が見えない。そこにゴブリンの異常個体が関わっているという情報を得た司教は、これを自派の影響力を増す好機と見た。
冒険者やギルドは解決のための手が足りず手詰まり状態。
都市上層部は自治権への介入を嫌って騎士団への援軍要請を出せずにいる。
商人や職人を中心とした住民、冒険者たちからも不満の声が上がる中、自分たち至高神の信徒が事態を解決できれば、迷宮都市におけるパワーバランスはどうなる?
そう考えた司教は可能な限り迅速に中央に連絡を取り、持ち得る全ての伝手を使って神殿騎士団の派遣を要請した。
中央の人間からは「ゴブリンごときで」と散々厭味を言われたが、迷宮の利権と都市の自治に介入する口実さえ確保できればこっちのものだと、奥歯を食いしばって頭を下げ、何とか神殿騎士団の派遣を了承させた。
後一週間、いや五日もあればゴブリン事案は神殿騎士団の手で解決され、迷宮都市における至高神の影響力は絶大なものとなっていただろう。そしてそれを主導した司教の評価と名声は比類なきものとなっていたはずだ。
それを全くノーマークだった、どこの馬の骨とも分からない冒険者たちが突然解決してしまい、司教の目論見は全て水泡に帰した。
いや、ただ無駄に終わっただけならまだ良い。派遣を要請していた神殿騎士団は既に中央を発った後であり、慌ててトンボ帰りさせるハメに。今回の件で使った中央の伝手も、こんなことがあった以上今後の協力は期待できない。
結果的に中央への影響力と発言力を大きく削がれた司教は激怒し、一体誰が余計な真似をしたのだと調査した。
直ぐに分かったのは、今回の一件の解決に若い魔導技師の少年が関わっているということ、そしてどうやらその魔導技師は自分たちが『犬』と呼ぶスラムの顔役の関係者らしいということの二点。
『犬』は数十年来に渡る教会関係者にとって不倶戴天の仇敵である。今の司教も直接的に干戈を交えたことこそないが、何度あの老人に計画を潰され煮え湯を飲まされたことか。
そしてすぐにその魔導技師について詳しく調査せよと部下に命じ、いつまで経っても報告がないので呼び出し、問い詰めてみればこの有り様だ。
「どうしてたかが冒険者一人、満足に調べることも出来んのだ!? ギルド経由で情報を抜けんとしても魔導技師の冒険者なぞそういるはずもない。それらしい者にあたりをつけて直接接触すれば済む話だろうが!!」
司教は老人特有の感情を制御できないという欠点こそあるが、地位相応に能力はある。ただ感情的に怒鳴りたてるだけでなく、その詰め方は論理的だった。
──だからこそ部下にとってはただ無能な上司より質が悪いのだが。
「はっ……我々もそのように考え、人物の特定自体は出来ているのですが……」
「ですがどうしたっ!?」
神殿騎士はそこで、それまでジッと黙って傍らに立ち尽くしていた女に視線をやる。
女はその視線を受けて陰鬱な表情で口を開いた。
「実は先日、対象に街中で偶然を装って接触したところ余計な邪魔が入りまして」
「……邪魔だと?」
怒りよりも情報への興味が勝ったのか、司教が話を聞く姿勢をとる。
「は、はい。私が対象と話をしていると、そこに明らかに手練れと分かる冒険者たちが割り込んで来ました」
「……そ奴らとも接触したのか?」
「いえ。近づかれる前に私はその場から離れましたので」
「ふむ……」
黙り込んで少し考えるそぶりを見せる司教の顔色を窺いながら、女はジッと黙って次の言葉を待つ。
「お前の正体に気づかれたか?」
「……確証はありませんが、内一名は明らかに警戒した視線をこちらに向けてきました」
「むぅ……それも『犬』が手を回していたと思うか?」
「…………」
女はその問いに対する判断がつかず、苦い沈黙を以って答えた。
司教は先ほどより幾分落ち着いた様子で、しかし不機嫌な顔で何も言わず黙り込む。
その沈黙はたっぷり一分以上続いただろうか。その重い空気に耐えられなくなった神殿騎士が、おずおずと口を開く。
「あの……それで我々はどうすれば……?」
罵声を覚悟していたが、司教の反応は予想していたよりずっと静かで重いものだった。
「……ガードが堅いということは、そこにそれだけ守りたいものがあるということだ。引き続き調査を進めろ。ただし、今後は一切の手段を選ばず、だ」
『────』
その意味するところに部下たちが息を呑む。
「……返事はどうした?」
『はっ! 承りました!』
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
──ふ~ん。思ったより面倒なことになってるな。
当然のように神殿内に忍び込み、司教たちのやり取りを盗み聞きしていた老人──周囲から『犬』と呼ばれる男は、それ以上聞くべきことはないと判断すると、物音一つ立てることなくその場から離れた。
目をかけている少年が厄介事に巻き込まれている。念のためにと少年のガードにつけていた部下からの情報に、教会の思惑はどんなものかと探りを入れてみればこの状況。
あの少年は冒険者として騒動の鎮圧に貢献しただけなのだが、まさかそれが原因で教会に目を付けられることになるとは。
──騒動に巻き込まれる星の下に生まれてきたのかね。
その原因の三割ぐらいが自分のせいだということを棚に上げて、老人は胸中で少年に同情する。
──ガードを付けたのは失敗だったか?
そう考え、しかしすぐにかぶりを振って否定する。
あの少年のやったことを教会が知れば、遅かれ早かれ手出しは避けられなかっただろう。
──取り込むか、排除するか……恐らく前者の方向で動くだろうが、坊主の性格を考えれば拒否反応を示すだろうな。となると最終的には……
老人の移動速度は思考を巡らせながら軽く走っているように見えて速い。既に神殿のある区画を離れ、彼のホームであるスラムに入っていた。
──今、坊主を失うのは惜しいし……消すか?
老人の技量であれば余計なことを企む教会関係者を排除することはさほど難しくない。
だが、あまりやり過ぎて相手のメンツを潰せば中央から余計な人間が出張ってくる恐れがあるのでそれは最後の手段だ。それに今のトップは先ほどのゴブリン事案で中央への影響力を喪失している。下手に首を挿げ替えるより、そのままにしておく方が扱いやすくはあった。
──さて。どうしたものか……
悩むということはどちらでもいいということではある。
老人は辿り着いた自分の事務所の前に件の少年が立っているのを見て、いっそ当人に決めさせるのもいいかとほくそ笑んだ。




