第16話
迷宮都市エンデにおいて一般に「教会」と言えば、各宗派の拠点となる神殿併設の施設ではなく、五大神の僧侶が持ち回りで蘇生などのサービスを提供する合同施設のことを指す。
迷宮都市エンデは大陸各地から多種多様な民族、種族が集う都市であり、異なる文化や主義主張に端を発する衝突が非常に多い。
その中でも宗派による対立は根深く致命的な結果を生むことが多く、都市上層部は各宗派に自制を促し、都市内での宗教活動に一定の制限を課していた。
この「教会」もそうした宗派間のトラブルを避けるための措置であり、「教会」内では宗派や信条による差別、優越的地位を利用した勧誘などが禁じられている。実際にはいくら制度で禁止しようと差別や対立は依然残っているのだが、少なくともかつてのように運び込まれたローグの遺体が「正しからざる者」として至高神の僧に蘇生拒否されるようなことは滅多に無くなった。
そして冒険者が「教会関係者」という言葉を使う時、それは単に聖職者、僧職ではなく、至高神のある特定宗派のことを指す。
「元々、至高神の教えは道を踏み外した人間には厳しい。裏稼業のモンや教えに従わない連中は全員“正しからざる者”つって、教典でも人間扱いされてないからな」
クリームたっぷりのパンケーキを切り分けながら説明するフルウ。
自分が「教会関係者」から注目を浴びていると聞かされキョトンとするウルに、フルウとロットは顔を見合わせ折角だから講義してやると言い出した。正午には少し早いがお昼時。飯でも食べながら話そうと、ウルは少しお高めのカフェに連れ込まれた。
そしてフルウが勝手にウルの分も糖度たっぷりのクリームの山を注文。『これが昼飯……!?』と驚愕するウルの内心に気づくことなく、フルウは甘いクリームに似合わない淡々とした声音で説明を続けた。
「ただそうは言っても、真っ当な僧職は表立ってそんなこと口にはしないし、精々正しく生きろと説教する程度だ。神の教えは基本的に社会をまとめる上で有益だが、度が過ぎれば対立と亀裂を生む。そんな宗教は為政者からも歓迎されないからな」
「行き過ぎた信仰心は王にとっちゃ厄ネタですもんね」
そう相槌を打ちながらウルはフォークでクリームを一欠けら口にする。その瞬間、想像を超える甘さが彼の舌先を襲い、顎から喉にかけて一瞬痙攣がはしった。
「この迷宮都市に王はいないが、そういう正しすぎる教えとは他の都市以上に相性が悪い。何せ冒険者なんてのは大半がゴロツキに毛が生えたような連中だ。しかもタダのゴロツキなら最悪排除もできるが、迷宮都市はおろか今の人類社会は冒険者が産出する迷宮資源抜きには回らない。過激派からすれば目の上のたんこぶみたいなもんだろうよ」
「──過激派?」
不穏当な単語にウルが顔を顰めた。
「ああ。つまりそいつがお前に注目してる連中──所謂『教会関係者』と俺らが呼んでる連中だ」
「…………」
ウルは情報と口の中を整理するように苦めのお茶を口に含んで少し間を置く。
フルウが「過激派」「教会関係者」と二つの表現を使ったのは、ウルにソレを分かりやすく説明するためだろう。つまりソレの実態を端的に表しているのが前者で、ぼかして表向き使われている表現が後者ということか。
「……よく分かんないすね。その『教会関係者』とやらの目的も、そいつらが俺にちょっかいかけようとしてるのかも」
「だろうな」
フルウは薄く笑って肩を竦めた。
ウルはからかわれているように感じ少しムッとするが──
「勘違いすんな。フルウはむしろお前を褒めてるんだよ」
口を挟んだのはそれまで会話に参加することなく黙々と平打ちパスタのランチを食べていたロット。彼は行儀悪くフォークを振りながら続ける。
「狂信者どもの考えてることなんざ分かんねぇ方が正常だろ?」
ウルがそうなのかと視線で問いかけると、フルウは苦笑しながら首を縦に振った。
「ああ。実際、あいつらの目的を聞けば、きっとお前も冗談だと思うはずだぜ」
そこまでか?
いや、宗教家の行動が一般人から見て突飛なものになり得ることは理解しているし、流石に冗談とまでは思わない──
「なんせ『この世から迷宮を消し去る』なんて大真面目にほざいてやがるんだから」
「…………なるほど。冗談だ」
思わず納得してしまう。
これは確かに誰が聞いても冗談──気が触れたとしか思えない発言だ。
「ひょっとして『教会関係者』ってのは名も無き狂気の神の信者の別称ですか?」
「そう思うだろ? だけど違うんだ。そいつらは至高神を祀る、ある意味神の教えに最も忠実な一派なのさ」
「???」
フルウの言葉に混乱する。
至高神は秩序と正義を司る神であり、光の神々の中でも主神として扱われることの多い大神だ。
間違っても社会秩序を乱すような振る舞いをする宗派ではないはずだが──ウルは過激派という単語から、まさかと思いつつ推理をひねり出す。
「……ひょっとして、魔物の巣くう迷宮は“正しからざる”ものだから、消してしまいましょう、とか?」
「正解」
フルウに肯定され、自分で口にしたことながらウルは『冗談だろう?』と耳を疑う。
そもそも先ほどフルウが口にした通り、現代の人類社会は冒険者が産出する迷宮資源抜きには回らない。その迷宮を悪し様に言うなど狂気の沙汰だ。
そして何より、迷宮もそこにも巣くう魔物も、人類ごときがどうこうできるものではない。一昔前ならまだしも、現代で彼らの発言は「台風や火山の噴火は危険だからこの世から無くしてしまおう」と言っているのに等しい。
そんな『信じられない』という思いがウルの表情に出ていたのだろう、フルウは苦笑ぎみに頷き、説明を補足した。
「言いたいことは分かる。もちろん教会関係者も無謀な考えだってことは理解してるし、いきなり迷宮に攻め込もうとか馬鹿なことを言ってるわけじゃない。まずは迷宮が冒険者なんてならず者の巣窟になってる現状を変えて、自分たちの管理下に置く。その上で迷宮の攻略や破棄に向けた調査活動を行っていこうってことらしい」
「俺はそんなのはただの名目で、ただ迷宮の利権を自分たちの懐に収めたいだけだと思うがね」
ロットが皮肉気に口を挟む。
確かに本気で迷宮を破棄しようなんて考えるよりは、迷宮の利権を手に入れる大義名分として訴えていると考える方が理に適っている。
だがどちらにせよ、非現実的で馬鹿馬鹿しい考えだ。
「……何にせよ現実的とは思えないですね」
「そう思うか?」
「ええ。冒険者を排除しようとしてるのか、それとも自分たちの教えで更生でもさせようとしてるのか。前者なら仕事を奪われる冒険者との衝突は避けられないし、代わりに誰が迷宮資源をとってくるんだって話になる。まさか迷宮探索なんて汚れ仕事を自分たちでやろうとは考えてないでしょうしね。後者なら純粋に頭が悪い。神の教えで更生するような連中は、そもそも冒険者になんざなってないでしょう」
ウルの言葉に、フルウは同意するように頷いた。
「ま、そうだろうな。実際、言ってる本人たちもどこまで本気で考えてるんだか」
「だから文句言うだけ言って、何か利権にいっちょかみしてやろうとしてるだけなんじゃね? それか派閥争いの論点の一つに使ってるだけとか。ほれ、迷宮を自分たちが主導して管理するとか、頭でっかちにはウケそうだろ?」
「かもな」
二人のやり取りに、ふと気になる部分を見つけウルは疑問を口にする。
「あの……その過激派──いえ、教会関係者、ですか。その連中って至高神の信者の中じゃどの程度の力を持ってるんですか? 今まで俺が会った至高神の信者は基本まともな人だったんで、そんなおかしな連中が大勢いるとは思えないんですけど?」
どんな宗教でも一定数狂信者と呼ばれる危ない人間はいるものだ。
だが大抵の場合、それはごく少数でほとんどの信者は常識的で良識的な考えの持ち主であることが多い。フルウたちの言うような過激派が至高神の信者にいるとしても、少数であればさほど気にする必要は無いと思うのだが。
しかしフルウとロットはウルの問いに苦虫を噛み潰したような表情になった。
「あの……?」
「いや。お前の言いたいことは分かるよ。確かにそういう思想を持ってる連中は宗派の中でもごく一部だ」
「なら──」
「だがな。質の悪いことに、そういう頑迷な信仰心を持ってる人間ほど僧職としての力は強い。神殿騎士団なんかの実戦部隊を中心に、数は少ないが無視できない発言力を持っていやがるんだよ」
フルウの説明に、ウルも『なるほど、それは質が悪い』と目の前の二人と同じような表情を浮かべた。
そういう連中は自分をエリートと勘違いするので、大抵数の少なさが悪い方に働く。自分たちこそが正しいと思い込み、他人の話を聞こうとせず、自分たちは特別だと非合法な手段も平気で取るようになる。
「……その、教会関係者ってのがクソ厄介な連中だってのは分かりましたけど、そいつらが俺にちょっかいをかけると思う理由は何ですか? そりゃ、最近多少悪目立ちしてる自覚はありますけど、所詮はぺーぺーの一冒険者です。俺を取り込んだからと言って、そいつらの望みに役立つとは思えないんですけど」
ウルの疑問にフルウとロットは顔を見合わせ、『やっぱり分かってなかったか~』と言いたげな表情を浮かべる。
「何です、その顔は?」
「やっぱり分かってなかったんだな、の顔」
「お前さんにちょっかいかける理由なんて、お前さんのバックに“犬の御大”がいて、ローグギルドやスラムの連中と関係が深いからに決まってるだろ」
“犬の御大”とは犬ジイのことか?
確かにウルは犬ジイの世話になっていて関りが深いし、彼の伝手でスラムとも協力関係を結んでいる。しかしそれが教会関係者に目を付けられる理由?
「…………ひょっとして──いやひょっとしなくても、仲が悪い勢力を切り崩そう、とか?」
「正解」
フルウにあっさり肯定されて、ウルは「うわぁ」と顔を顰めた。
今まで冒険者や裏稼業の人間からは、犬ジイの庇護下にあるということで多少やらかしても目こぼしを受けていたが、逆に彼の庇護下にあるからこそ目を付けられるケースもあるということか。
「犬の御大は俺らからすれば、冒険者とスラム、ローグギルド、亜人種の関係を改善させた功労者だが、教会関係者からすれば不倶戴天の存在だ。お前さんは客観的にみて『御大の下で大きな成果を挙げてる新進気鋭の配下』って位置づけだろうし、これからますます教会関係者からのちょっかいは増えるもんだと思っとけ」
「…………」
迷惑な、とは思うが、今まで犬ジイに助けられてきたので下手に文句も口にできない。
何も考えたくなくなったウルは、目の前につまれたクリームの山をガッツリ口の中に放り込み、その強烈な糖分で頭を麻痺させた。
 




