第7話
過ぎたるは猶及ばざるがごとし。
何事もやり過ぎは良くない、ほどほどが一番という意味である。
改めて言うまでもない当然のことはあるが、その当然を理解し、実践できている者は実は意外に少ない。
例えば安くて便利だからと使い切れない量の消耗品を購入してしまうなどかわいいもの。
健康にいいからと同じものを食べ続け身体を壊してしまうこともあるし、寝る間も惜しんで訓練することが却って上達を阻害することもある。
こうして言葉にすれば皆馬鹿なことをと笑うが、ほどほどを見極めることは実際とても難しい。何せ世の中これがほどほどですと分かりやすく示してくれているものはほとんどないのだから。
そして誰か他の人に尋ねても、その人のほどほどが自分にとってもそうとは限らない。
ぐだぐだ言ったが、つまり何が言いたいかと言うと──
「い~や~だ~!! 確かに俺は竜種を見てみたいとは言ったが、そのためにワザワザ下層に進出したいとは言ってない!!」
地面に仰向けになり、一人の少年が死にかけの蝉のように身体を震わせ駄々をこねていた。
それを四人の女が取り囲み見下ろしているが、女たちが彼に向ける感情はそれぞれ全く異なるものだった。
「でも、下層は嫌だとも言わなかったでしょ? 今更ここまで来てそんなこと言われてもねぇ……」
さも困った風に頬に手を当てるレーツェルの表情にあるのは、確信犯的な愉悦。
「というか、知らなかったのかい?」
キョトンと目を丸くするカナンの顔には純粋な驚きがあった。
「初めて下層に向かうっていうのに全然緊張の色が見えなかったから、おかしいとは思ってたのよね」
深々と溜息を吐くエイダの目には屠殺場の豚を見るような同情の光が宿っている。
「リーダー。そうは言ってももう十七階層だ。ここまで来たら腹を括るしかないぞ?」
エレオノーレは『ファイト』とばかり胸の前で握り拳を作って見せる。
全員に共通しているのは『今更もう引き返せない』という残酷な事実の宣告。ここからウル一人で引き返すこともできないし、わざわざウルのために一緒に戻ってやるつもりもない。
そうした事情は全て理解した上で、しかしウルは感情の赴くまま手足をバタバタ動かす自分を止められなかった。
事の発端はレヴたちの話を真に受けて『竜種を見に行く機会とかないの?』とレーツェルたちの前で話題に出してしまったこと。
それにエレオノーレが『そう言えば私も“本物”は見たことがないな』と乗っかり、カナンが『無いわけじゃないが……』と含みのある呟きを漏らす。そのカナンとエイダはレーツェルに意味ありげな視線を向け、レーツェルが『なら行く? 丁度竜種の観察依頼が出てたし』と発言したことで、あれよあれよと言う間に今回の話が決まってしまっていた。
ウルも『観察依頼』という聞き慣れない言葉に引っかかりを覚えないでもなかったが、エイダから『竜種はその力と影響力の大きさに鑑みてギルドから定期的に動向を確認する依頼がでてるのよ』と説明され、そんなものかと納得してしまう。
この時、彼がもう少し踏み込んで考えていれば、今回のような誤解は防げたかもしれない。
竜種は迷宮の中層以下に棲みついている。ウルの認識は“中層の”竜種に対し観察依頼が出ているというものだったが、中層は数こそ少ないとは言え普通に冒険者が活動しているエリアだ。であれば他の依頼のついでに確認させればよく、わざわざ個別に観察依頼が出ることをおかしいと思わなければならなかった。
ウルは中層も半ばを過ぎたタイミングでようやく『あれ? 一体“どこの”竜種を観察するつもりなんだ?』という疑問に思い至り、他のメンバーとの認識のすれ違いに気づくこととなる──いや、レーツェルに関しては誤解を把握したうえで敢えて黙っていたフシがあるが。
つまるところ今回彼らがギルドから依頼を受けたのは“下層”に棲まう竜種の状況を観察するというもの。
それが目的地を中層と勘違いしていたウルの『下層に進出したいとは言ってない!』発言につながるわけだ。
「何をどう考えたら俺が下層に行くだなんて話になるんだよ!?」
八つ当たりともとれるウルの発言だが、実はこれは迷宮に関する事情を考慮すれば、至極真っ当な抗議ではあった。
「下層ってあれだろ? 上級冒険者でも普段は立ち入らなくて、進出しただけで一流冒険者扱いされる魔界だろ? 何で俺みたいなペーペーの混じったパーティーがそんなヤバイ依頼を受けるんだよ!? おかしいだろが!!」
ウルの言葉通り、二十一階層以下の迷宮下層は本物の魔境である。彼らが下層に進出すること自体本来あり得ないのだから、向かう場所が中層か下層か一々確認する必要はない。客観的に見て非難されるべきは事前説明もなくここまで連れてきた側である。
だが一方で、連れてきた側の女性陣にも当然言い分はあった。
カナン、エイダ、エレオノーレの三人は顔を見合わせ、代表してカナンが重い口を開く。
「……あたしらは当然あんたも知ってるもんだと思ってたんだけどねぇ」
そんな訳ないだろ、とウルが反駁するより早く、カナンは横目でチラリとレーツェルに視線を送って続けた。
「もともとレーツェルと知り合いだったわけだし、てっきり全部知った上で『竜種が見たい』なんて言ってるもんだとばかり……」
「ンなわけ──ん? そこで何でそいつの名前が出るんですか?」
カナンがレーツェルの名前を出した理由が分からず、ウルの怒りは勢いを失う。
「何でも何も、今回の依頼はあたしらっていうより、レーツェルに向けて出されたものだからね」
「んん? いや、意味が分かんないんですけど……」
カナンはレーツェルに一瞬、咎めるような視線を向け、
「この娘はね、あのご老体から直接指導を受けた一人で、迷宮下層を案内できる数少ない斥候職なんだよ」
「…………は?」
レーツェルはすまし顔で肩を竦め、カナンの言葉を肯定する。
「そんな娘に『竜種』をみたいだなんて言うもんだから、てっきり……ねぇ?」
頬に手を当て溜息を吐くカナン。
ウルが壊れたゼンマイ人形のような動きで視線を巡らせると、エイダとエレオノーレも『ご愁傷様』と言いたげに首を縦に振る。
レーツェルはそんな彼の肩をポンと叩き、満面の笑みで言った。
「大丈夫。私は最初からウルが勘違いしてるんだろうな、って気づいてたよ」
「…………」
知ってた。
ウルは俯き、しばし肩をプルプルと震わせ──
「……ウ、ウキャァァァァァッ!!」
──とまあ、飛びかかっては見たが、アッサリ周りに取り押さえられた。
「一言に竜種と言っても、その種類は千差万別よ」
パーティーの先頭を歩きながら、レーツェルがウルに向け『竜種』について簡単に講義する。
「有名どころは火竜、地竜、水竜とかの属性竜だけど、実際これらは全て混血種。属性に縛られてる時点で竜種としては下級に分類されるわね」
隊列はレーツェル、カナン、エイダ、ウル、エレオノーレ。
今更引き返せないと諦めたウルは、死んだような目を浮かべ暗い迷宮の中をとぼとぼ歩く。
「他にもカッパー、シルバー、ゴールドとかの金属竜、レッドドラゴンとかの色を冠した真竜がいるけど、これもざっくりとした性質を表しているだけで、あまり意味のある分類じゃないわ」
「…………」
無視してやろうと思っていたウルだが、人差し指を立てて滔々と説明するレーツェルの語りにいつの間にか耳を傾けている。
人の純粋な知的好奇心を利用した悪辣な誤魔化しだと、ウルは気づいて顔を顰めた。
「竜種の分類で重要なことはただ一つ──純血か否か」
「……何じゃそりゃ。竜の社会も血統社会ですってか?」
思わず反応してしまったウルを、レーツェルは一瞬だけ振り返り薄く笑う。
「竜は血統こそが力だからね。純血と混血の間には決して超えられない壁があるわ」
「……それこそ意味ねぇ分類だろ。純血だろうが混血だろうが、人間が竜に勝てないことに変わりはねぇんだから」
ウルの言葉は冒険者の常識だ。が、レーツェルは前を向いたままかぶりを横に振って見せた。
「そうでもないよ? 竜種でも混血なら人間でも傷を負わせることは十分に可能だし、理論上倒せる可能性がゼロとは言えないわ」
「……本気で言ってんのか?」
正気を疑うようなウルの言葉に、彼女は肩を竦めて見せた。
「あくまで理論上は、よ。実際、致命傷を与えようと思えば国家クラスの英雄がダース単位で必要だろうし、竜種は混血でも四肢を切り落とそうが頭を吹き飛ばそうが脳細胞か脊髄の一割でも残ってればどんな状態からでも三分と経たず完全回復しちゃうから、大陸中の戦力を集中させれば億に一つぐらいの間違いはあるかな、ってレベル」
「それで勝ち目があるって言うのはむしろ残酷だろ」
呆れたようなウルの呟きを、誰も否定しなかった。
「かもね。でも、純血の竜にはその億に一つの間違いもない。完璧な生命体である純血の竜は不老不死にして完全無欠。太古の巨人──神々でさえ竜を滅ぼすことは叶わなかった」
それは誰もが知っている神話。
神々が竜と戦い、地上を追われた敗北の物語だ。
「今から向かう下層には純血の竜がいる」
「────」
ヒュッとウルは息を呑む。
チラリと他のメンバーに視線をやるが、彼女たちにとっては既知の情報らしく特に驚いた様子はない──いや。どうもさっきから口数が少ないと思ったら、その表情には緊張の色が浮かんでいた。
「どうせ見るなら本物を見ないと──きっといい経験になると思うよ?」
そう言って、レーツェルは普段と変わらぬ軽やかな足取りでクルリと回り、艶やかに笑った。




