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第5話

『クケェェェェッ!!』


スラム内の建物から扉をぶち破って飛び出してきた鷲頭の魔物。眼前を横切ったその巨躯を、ウルは逃げることも忘れポカンとした表情で見送った。


「…………え? なに、あれ?」

「…………さぁ?」


隣で似たような表情を浮かべ立ち尽くす不動産屋のロックに尋ねるが、当然のことながらまともな回答は帰ってこない。


だが鷲の上半身を持つ四つ足の魔物。しかも体高二メートル以上ある巨躯と言えば、その種類はさほど多くない。


「グリフォン──いや、ヒポグリフ……か?」


初めて見る魔物なので、ウルの呟きは自信なさげだ。

鷲頭の魔物として有名なのはグリフォンとヒポグリフだが、その最大の違いは下半身にある。


グリフォンは鷲の上半身に獅子の下半身を持つ神獣。そしてヒポグリフはそのグリフォンが雌馬との間に作った混血で、下半身は獅子ではなく馬のものだと言われている。


目の前にいる魔物の下半身は馬のものに見えるので、恐らくヒポグリフなんだろう、とウルは推測した。


『グルルルッ!』


ヒポグリフ──ややこしいので断定する──は興奮した様子で巨躯を振るわせ、身体に纏わりついた扉の残骸やごみを振り払う。幸いと言うべきかヒポグリフの目にはウルやロックは入っていないようで、襲い掛かってくる気配はない。


だが野生のヒポグリフは危険で強力な魔物だ。グリフォンと比較すればまだ穏やかな気性をしており、熟練の調教師テイマーによって乗騎として調教されることもあるが、空腹時や気が立っている時は普通に人間を襲って食らうことも珍しくないと聞く。


通常は山岳地帯や迷宮、あとはグリフォンにかどわかされた牧場の馬が稀に産むことがあるぐらいで、間違ってもこんな街中にいていい魔物ではないのだが……


「……えと、迷宮から迷い出てきた、とか?」

「ありえません!」


ウルの口をついて出た根拠のない呟きを、ロックはものすごい勢いで否定した。


「都市にある迷宮の入口は全て監視されているし、こんなデカブツが出てくれば見逃すはずがない! 何より、迷宮の魔物は人が無理やり連れだしでもしない限り、迷宮の外に出てくることは絶対にないんです!」

「あ……うん」


迷宮都市生まれのロックの言葉は確信に満ちていて、何となく思い付きでそれを口にしただけだったウルは人形のようにコクコクと頷く。


二人がそんなやりとりをしている間に、ヒポグリフは二、三度調子を確かめるように翼を羽ばたかせ、そのままその場を飛び立とうとする──が。


──バサッ、バサッ──ガッ!


『ケェェェェッ!?』


ヒポグリフの左後ろ足は鎖で繋がれていた。その身体が三メートルほど宙に浮かんだところで鎖の長さが限界に達し、ヒポグリフは上半身からドサッと地面に墜落する。


そして次の瞬間、鎖の先──ヒポグリフが出てきた建物の中から、二つの人影が飛び出してきた。


「──今だっ!」


二人はそれぞれ先端を輪にしたロープをヒポグリフに投げつけ、その内の一本が上半身を起こそうとしたヒポグリフの首にスポッとハマる。


その人影に見覚えがあったのかロックが驚きの声を上げた。


「エド! クロム!?」

「よっしゃ! 引っ張れ!」


しかし飛び出してきた二人組はロックの声に反応する余裕もないようで、ロープを掴み、力づくでヒポグリフを建物の中へと引き戻そうとする。


『グル、グルルルルッ!!』


しかし巨体のヒポグリフと人間二人では力の差は歴然。しかも引っ張っている二人は建物の中で既にヒポグリフと衝突した後だったのか、頭や手足から血を流し見るからに万全の状態ではない。


「ぐわ……っ、だぁぁっ!?」

「死んでも手を離すな! こんなところでこいつを逃がしたら、とんでもないことになるぞ!」


振り回されながら、必死にロープを掴んで踏ん張る二人にロックが駆け寄る。


「お前らいったい、これはどういうことだ!?」

「ロックか!?」

「話は後だ! いいからてつだ──ぐうぅ……!」


ロックは混乱しながらも二人と一緒になってロープでヒポグリフを引っ張る。それと同時に状況を把握しようとかぶりを振り、ヒポグリフが飛び出してきた建物の中──その奥にぽっかり空いた大きな穴に目を止め、顔を引きつらせた。


「お前らまさか、迷宮から魔物を密輸──」

「話は後だ!」

「都合のいいことを……クソッ!」


ロックは二人を睨んで口汚く吐き捨てると、しかしこのままではいずれ自分たちが先に力尽きると理解して周囲に助けを求める。


「トマスさん! 手伝ってください!」


茫然と、他人事のようにヒポグリフの暴走を見つめていたウルは、その“トマス”が自分が名乗った偽名であることに気づくのに一瞬遅れた。


「……俺!?」

「そうです! 手伝って──ぐわっ!?」


ヒポグリフが鬱陶し気に身体を揺らすたび、左右に振り回されるロックたち三人。そこに自分が加わったところで根本的な解決にならないとウルは考え、周囲に助けを求めようとするが、気が付けば辺りには人気が全くない。


ここに来たときチラチラ感じていた住人の視線が消えており、皆一斉に逃げ出してしまったようだ。


「手伝えつっても──」


スラムの住人の逃げ足の速さに驚きつつ、ともかく街中でヒポグリフを暴れさせるわけにはいかない。鎖が外れて逃げ出すようなことがあれば間違いなく死人が出る。この状況で取るべき行動は──


「っ! 待ってて! 今、助けを呼んでく──」

「──やめてください!!」


ロックの制止は、ヒポグリフが驚いて一瞬動きを止めるほど大きなものだった。


理解不能な指示に目を白黒させてその場に立ち尽くすウルに、ロックは一瞬躊躇いを見せた後、その理由を補足した。


「この馬鹿ども、穴を掘って迷宮に新しい出入り口を作りやがったんです! このことが都市の上層部に知れたら、この地区一帯が収用されちまいます!!」

「────」


この迷宮都市エンデは大迷宮の上に作られており、六つある迷宮への出入り口は全て議会によって監視、管理されている。新たな出入り口ができたとすれば、この周辺が議会の管理下に置かれる可能性が高く、スラムの住人たちは住む場所を失ってしまう、とロックは訴えていた。


「それは分かるけど──」


それどころじゃないだろ、という言葉をウルは辛うじて飲み込む。ここの住人たちにとって住む場所を失うことは間違いなく死活問題であると想像できた。


『グケェェェェッ!!』

「うぁ──っ!?」


ウルがまごついている間に邪魔者への苛立ちが頂点に達したのか、ヒポグリフは引っ張り合いを停止。金切り声をあげてロックたちに襲い掛かった。


ヒポグリフの突撃は牛馬を容易く弾き飛ばし、その嘴は人の身体など鎧ごと貫いてしまうほど強烈だ。ロックたちはロープから手を離し悲鳴を上げて逃げ出した。


『ケェェェッ! クケッ! クケケェッ!』

「ひっ! く、くるなぁ!」

「ひやぁぁぁっ!?」

「馬鹿! お前らがしでかしたことだろ! 逃げるんじゃねぇ!」


一度闘争本能に火が付いたヒポグリフは、妨害が止まってもその嘴や爪でロックたちを仕留めようと攻撃をやめない。ロックたちを逃がさぬよう、巧みに障害物を利用して彼らを追い立てる。それはまるで獲物を追い立て弄ることを楽しんでいるかのように見えた。


このままでは三人は嬲り殺される。

そう判断したウルは腰から魔導銃を抜き弾丸を装填。ヒポグリフの巨体相手に通常の魔力力場は効果が薄いだろうと、麻痺弾をチャージする。


「あ、ああ……!」

『クケェェ──ッ!?』


──バリバリッ!


建物の壁に追い詰められたロックたちに嘴を突き立てようとしたヒポグリフの後頭部に、ウルの放った電撃を帯びた麻痺弾が着弾。ダメージはほとんどないものの、衝撃でヒポグリフの動きが数秒止まる。


「今だ! いったん離れて──」


──立て直せ。


そうウルが指示するより早く、ロック以外の二人はヒポグリフの動きが止まった瞬間、何が起きたかを確認することもせず一目散にその場から逃げ出していた。


『うわぁぁぁぁっ!!』

『────へ?』


この転身の速さには援護に入ったウルもロックも呆気に取られる。特にウルは彼らの行動が自分に何をもたらすかを理解していただけに。


『グルルルルゥ……!』


ショックから回復したヒポグリフが、怒りに満ちた目でウルを睨みつける。


「え? いや、おい。待てよ……ちょっとした行き違いなんだって……!」

『クケェェェェェッ!』


ヒポグリフが翼を大きく広げウルに向けて一直線に突進してくる。


「トマスさん!? くっ──ぬぉぉぉっ!?」


慌ててロックがヒポグリフの首を捕まえたロープの端を掴んで動きを止めようとするが、先ほど三人がかりで振り回されていたのに一人でどうにかできるはずもない。ロックの身体は軽々と引きずられ凧のように宙を舞った。


その上これまでのやり取りで限界が来ていたのだろう、ヒポグリフの後ろ脚に繋がり拘束していた鎖がブチッと千切れてしまう。


「マジかぁぁぁっ!?」


ウルはヒポグリフに背を向け全力で逃走。スラムの建物の角を直角に曲がってヒポグリフの目から逃れようとする──が。


──バサッ、バサッ!


「うわぁぁぁぁ!?」

「……ああ。そりゃ、そうなるよな」


ロックを宙づりにしたままヒポグリフは翼を羽ばたかせて飛翔、空中からばっちりウルをロックオンしていた。


「くそ、何で俺ばっか追いかけてくんだ……よ!」


──バリリッ! バリバリッ!


いったんヒポグリフの視界から逃れなければ闘争は不可能だと判断したウルは空中のヒポグリフに向けて麻痺弾を連続で放つ。麻痺弾は殺傷能力こそ無いが、食らった相手は生物である限りほぼ確実に動きが止まる。その隙に距離を取るか隠れるか、それが彼の目算だった。だが──


『クケェェェッ!!!』

「うそぉっ!?」


ウルの放った弾丸をヒポグリフは空中で慣性を無視した機動を見せ、華麗に回避。ヒポグリフの飛行は翼に纏った風の精霊力によるもので物理法則には縛られない。その事実を知らなかったウルはそのあり得ない光景に驚愕し、目を丸くした。


当たらなければどうということはないを体現したヒポグリフはしばし頭上を滑空し、ウルの様子をうかがう。すぐさま襲い掛かってくると思っていたウルは戸惑い、蛇に睨まれた蛙のようにその場に硬直した。


──何で……そうか! 警戒してるのは魔導銃か!


ウルはすぐにヒポグリフが警戒しているものに思い至る。


恐らくヒポグリフにとって魔導銃は未知の武器であり、ウルをしつこく追いかけてきているのもそれを警戒してのことだろう。実際は一度に装填可能な三発を打ち切ってしまったため、今襲い掛かってこられればウルはなすすべなくやられてしまうのだが、ヒポグリフにはそれが分からないのだ。


──背を向けて逃げたら、こっちに残弾が無いと判断して襲ってくる。気づかれないように慎重に、弾丸を再装填リロードして……


頭上のヒポグリフから視線を逸らすことなく、ゆっくりと手元の魔導銃を操作する。ヒポグリフに気づかれないよう、ゆっくり、さりげなく──


「────あ」


と、その瞬間。ヒポグリフにロープで宙づりにされていたロックが力尽き、上空からついに落下する。


「────あ」


図ったように、ウルの身体の上に。


──ドサァァァッ!!


『ぐおぉぉぉぉっ!??』


逃げようとしたウルだったが、咄嗟のことに回避しきれずロックの墜落に巻き込まれて二人して地面を転がる。ギリギリ身体を捻り受け止めるような体勢をとったおかげで致命的な衝突は避けられたが、二人は地面にもつれ合い、魔導銃はウルの手を離れて飛んでいった。


「いだたた……!」

「ケホッ! ケホ、ケホッ!」


落下の衝撃に頭を押さえるロックと、むせて咳き込むウル。そんな明らかな隙を、天性の狩人であるヒポグリフが見逃すはずがなかった。


『クケェェェェ!!』

「──って、うわぁ!?」

「ひぃぃっ!?」


二人は這いずるようにして逃げようとするが、互いの身体がもつれ合い邪魔をして動けない。


駄目か、とウルが身体を固くした瞬間、彼の耳にボソリとした声が聞こえた。


「──吠えるな、鳥頭」


その時、何が起こったのかをウルはほとんど理解できなかった。


自分たちとヒポグリフとの間に黒い影が浮かんだかと思うと、次の瞬間にはヒポグリフが悲鳴と共に横の地面に胴から落下していた。


本当に、認識できたのはそれだけだった。


──ドッシャァァァァンッ!!!


「…………え?」


地面に転がったまま、落下してきたヒポグリフに視線をやると、その身体は黒いロープがグルグルに巻かれ拘束されている。


──あの、一瞬で?


状況が理解できず呆然とするウルの身体の上で、ロックが人影に気づいて口を開く。


「い、犬ジイ……?」

「ちっ。クソガキ。何だこの騒ぎは?」


ウルが声のした方向に視線をやると、白髪の小柄な老人が忌々しそうな表情でこちらを見下ろしている。


その姿を何故だかウルは、死神のようだ、と感じた。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


ブクマなど何らか反応いただけますと、励みになりますので幸いです。

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