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第4話

「おぉ……やっぱ結構いい値段するな……」


ウルは不動産屋の表に掲示された賃貸物件の広告を眺め、恐れおののくような細く長い息を吐いた。


「作業場として使う上での希望条件全部満たそうとしたら、最低でも月金貨二〇枚からか……ある程度妥協はせにゃならんのだろうけど、にしてもきっついな~」


本当は不動産屋の中に入って詳しい話を聞きたいところだが、今日のところはまだ市場調査の段階。実際に物件を借りるには懐具合も覚悟も足りない。


素材買い取り業者でバイトを始めて昨日で丁度一〇日目。ウルは昨日の帰り際上司からたまには休めとダメ出しされ、強制的に休みをもらっていた。休んでも給料が出る正社員ではないから全然ありがたくはないのだが、どうやらバイトでもあまり連勤させると上司の評価が下がるらしい。


そんなわけで急に暇になったので、今日は諸々情報収集。特に魔導技師アーティフィサーの本業である魔道具作りの作業場──少し格好つけた言い方をすれば工房──を確保するため物件の相場を確認しに来た形だ。


「えっと……バイト代が日に銀貨八、九枚。そっから宿代銀貨一枚、食事代やらで銀貨三枚引いて、一日銀貨四、五枚のプラス。週一で休みを入れて、一か月働いたとして……大体金貨一〇枚分のプラスか。部屋を借りれば宿代が要らなくなるから、その分を加えて……うわ、ホントにカツカツじゃん」


このままバイト生活を続ければ最低水準の作業場を確保することはできるかもしれないが、それでは魔道具の製作や迷宮探索にあてる時間が確保できず本末転倒。部屋を借りるのであれば、支出の問題だけでなく最低限今のバイト代と同じ水準の収入を魔道具製作や冒険者稼業で稼ぐことが出来る見通しが立たないと難しいわけだ。


だが、バイトから魔導技師と冒険者稼業に切り替えていきなり同じだけの収入を確保するというのは実は結構難しい。


職種にもよるが、大体熟練した職人の一日当たりの収入が金貨一枚=銀貨一〇枚程度と言われており、魔導技師としても冒険者としても見習い以下のウルがそれに近い収入を確保することは、ホント~にハードルが高いのだ。


「冒険者稼業をあてにするのは難しいよな……そもそもまともに迷宮に潜れるかどうかも怪しいわけだし。となると、魔道具作りで稼ぐしかないわけだけど……う~ん。俺ごときが素材に合わせて場当たり的に作ったもんなんぞに大した値はつかんだろうし、やっぱ安定して作って売れる核になる商品を見つけないと話にならんよなぁ……」


まるで何でもいいから独立して仕事を辞めたいと商売のタネを探すサラリーマンのようだ、と自嘲し──いや、まさにそのものかとウルは天を仰いで溜息を吐く。


これ以上ここで賃貸物件の相場を見ていても気が重くなるばかりだし、今頑張って探したところで借りるタイミングでその物件が残っているとは限らない。ウルは売る方の市場調査のために適当に店を冷かしてみるかと気持ちを切り替え、不動産屋の前から離れようと──


「…………」

「…………」


不動産屋の中にいる若い店員と目が合った。


ギョロリとした目つき──あれは見覚えがある。ノルマ未達で追い詰められた営業の目だ。


いきなり目を逸らしたり、背を向けて逃げ出してはいけない。焦った奴らは興奮して追いかけてくる。ゆっくりと視線を広告物の方に向け、身体は正面に向けたまま横歩きでそ~っと、さりげなくその場から離れていく。


「…………」

「…………」


そ~っと、そ~っと……


「──お客様ぁッ! どういった物件をお探しですかっ!?」

「…………」


……駄目だった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「いや、将来的にこういう物件を借りれたらいいなと眺めてただけで、今のところ全く実際に借りる予定とかはなくてですね──」

「なるほど、なるほど! それでしたら、こちらの物件などはいかがでしょうか? 借りるかどうかは別にして、内覧だけでも結構ですので!」


……聞いちゃいねぇ。

ロックと名乗った若い赤毛の不動産屋は、血走った目でウルを店内に引きずり込み、強引にセールストークを展開した。


ウルが正直に「まだ金が無くて今すぐ物件を借りる予定は無い」と告げても引き下がる様子がなく、一方的に賃貸物件の資料を見せてくる。


金持ってない相手にセールスしても意味ないだろとか、シンプルに「こんなセールスマンは成績上がらないだろうなぁ」と、ウルは何とも言えない微妙な表情を作った。


「それでまずは、こちらの用紙に住所とお名前、生年月日を記載いただいてですね──」

「いや、書かないって」


いつの間にやら書類とペンを差し出してきたロックに冷たく拒否し、書類をそっと押し返す。しかしロックは張り付けた笑顔を解くことなく、


「いえいえ。これは契約書とかではなくて、お客様に適切な物件を案内するためのアンケートでして」

「顧客カードってやつだろ? だからまだ客じゃないんだって」

「いえいえいえ。今すぐでなくとも将来その可能性のある方はお客様ですから」

「どうなるか分からない将来の話する暇あったら、今ニーズのある人間の相手しなよ」

「いえいえいえいえ。そんな──」

「いえいえだかいあいあだか、どっかの邪教の信者みたいなこと繰り返してんじゃ──」


しばしウルとロックはテーブルの上で顧客カードを紙がクシャクシャにならない程度の絶妙な力加減で押し合う。


「……ぐっ!」

「……ぬぅ!」


そして顧客カードの上で鋭く視線をぶつけ合い、ウルはごく初歩的なツッコミを入れた。


「つか、どーせあんた成績いかなくて焦ってんだろ? 今、金持ってねぇガキ相手に種まきしてる余裕あんのか」


ロックの答えは明瞭だった。


「成約実績はもう諦めた……! 顧客カードの作成と内覧を日報に書いて、プロセス評価を少しでも……!」


クソみたいな理由だった。

成果に結びつかない形だけのプロセスに注力するプロセス評価の負の側面を煮詰めたようなド三流セールスマンが、ここにいた。


そのあまりのダメっぷりにウルが一瞬怯んだ隙を見逃すことなく、ロックは濁った瞳に淀んだ光を浮かべ、下から覗き込むように顔を近づけ迫ってくる。


「顧客カード作って内覧に付き合っていただけたら、粗品のタオルプレゼントしますから……!!」

「うぅ……分かった! 分かったから、それ以上その顔を近づけるな……!」


とりあえず、顧客カードのプロフィールにはデタラメを書いた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「こちらが候補の物件になります、トマス様」

「……いきなり、スゲーとこ連れてきたな」


ウルが不動産屋のロックに連れてこられたのは、スラム街の一角にあるボロ小屋。ボロいだけでなく狭くて汚く、セキュリティどころか治安も悪い「こっちの希望ホントに聞いてた?」と言いたくなるような物件だ。


ちなみにトマスというのは、個人情報開示を嫌ったウルが名乗った偽名。


「ささ、どうぞ中へ」


ロックはウルの微妙な表情に気づいた風もなく、ニコニコと営業スマイルを浮かべて小屋の戸を開けようとし──


「──ん? ふんっ! ぐ……ぬっ……っ!」


戸は立て付けが悪くなっていたようで、ロックが力を込めて戸を引いてもガタガタ揺れるばかりで全く開かない。次第にロックの顔が真っ赤になっていき、そろそろ止めるべきかとウルが片手を挙げたタイミングで。


「ぐ、が……ふんがぁっ!!」


──ドタァン!


戸はとうとう動き、勢いよくスライドしてそのままレールを外れて小屋の内側へバタンと倒れてしまった。


「はぁ、はぁ……ふぅ。さ、どうぞ中へ」

「入るか阿呆!」


何事もなかったかのように爽やかな笑顔を見せるロックに、ウルはとうとうツッコんだ。


「普通こういうのは、アンカリング効果狙って一件目はいい物件だけど高い、二件目は条件満たしてないけど安い、三軒目に勝負の物件持ってくるもんだろうが! 何で初っ端にクソみたいな物件案内すんんだよ、幾らだここ!?」

「月金貨三枚ですが」

「マジで安いな、クソ!」


ちなみにアンカリング効果とは、最初に提示した情報が基準になってその後の判断に影響を及ぼすという心理的効果。不動産の場合は最初に高めで少し手が届かない物件を見せることで、価格に対する顧客の心理的ハードルを下げるのがセオリーだ。


「いくら仕事してるって上にアピールするためだけの内覧でも、これはないだろ」

「……アピール?」

「……違うのか?」


ロックがいかにも心外だと言わんばかりに顔を顰めたのを見て、ウルは何か思い違いがあっただろうかと勢いを萎ませる。


「私はただ、金がないって話だったんでボロくても一番安い物件紹介すればワンちゃん今月の成約あるかなって」

「ただの下手くそかよ!」


そんなだから実績が挙がらないんだと、ウルは本気で説教してやろうかという衝動をギリギリのところで思いとどまる。


彼は額に手をあてて、あくまで客として、いかにここが“ない”かを説明した。


「……はぁ。アンケートにも書いたけど、それなりに値の張る道具や素材を扱う予定なんで、セキュリティはマストなんだ。建物がボロいのには目を瞑るけど、ここは何て言うか……」


ウルは住民の耳目を気にしてチラリ視線を周囲に巡らせる。建物の陰などに隠れてスラムのあちこちから彼らを伺う怪しげな視線がいくつも突き刺さっており、シンプルに身の危険を感じざるを得ない治安の悪さだ。


そんなウルの怯えを見て取ったロックは安心させるようにカラカラと笑う。


「ハハハ、心配しなくても大丈夫ですよ。空き巣や強盗は多いですけど、反撃しなければ基本殺されることはないので」

「心配しかねぇんだが!?」


予想以上にヤバイ治安情報に、別に住む気は毛頭ないがウルは反射的に叫んでしまう。


「そこまでヤバいエリアなの? そんなとこ普通勧める!?」

「いや、ここはスラムの中では抜群に治安がいいエリアなんですよ。顔役がしっかりしてるんでヤリ過ぎる奴は少ないし、時々炊き出しみたいなのもありますからね。私もガキの頃は世話になりました」


サラリと告げられたロックの個人情報に、ウルは少し目を丸くして彼を見つめる。今までそのお粗末なふるまいから少し──いやかなり馬鹿にしていたが、この国でスラム出身の身寄りのない子供が真っ当な職に就くのがどれだけ難しいかは、比較的恵まれた生まれのウルにも分かる。正直、ロックを見る目が少し変わった。


しかしロックはウルのそんな視線の変化を別の意味に解釈したらしく、ヘラヘラとした表情でこの物件──エリアについてのアピールを続ける。


「他のエリアは大体ヤバイ組織がバックにいるんですけど、ここを仕切ってんのは元冒険者の爺さんで変な勧誘も上納もないんですよ。他の組織もその爺さんにビビッてここにはちょっかいかけてこないし──あ、別にやり過ぎなきゃ怖い爺さんじゃないですよ? 犬好きらしくて私らが子供の時は犬ジイなんて呼ばれてて──」


非常に饒舌に話を続けているが、いくら「スラムの中では治安がいい」アピールをされても、ウルの心は全く動かされることはない。


果たしてどう言ったらロックの口をふさいでとっととこの茶番──もとい物件内覧会を終わらせることが出来るのかと、ウルが頭を悩ませていると。


──ドン! ドォン!


「……ん?」


案内された小屋の隣の建物の中から、何かが暴れるような物音が聞こえ、ウルはそちらに視線をやった。


「──でゴミ取集は──ん? どうかしました?」


ロックもウルを見て、少し遅れて隣の建物から響く物音に気付いたようだ。


「あれぇ? この辺りは大体ガキか独身しか住んでないはずなんだけどなぁ……」


二人して隣の建物の方に回り、何事か耳をそばだてる、と。


──ドゴォォォン!!!


『────は?』


物音がしていた建物の扉をぶち破って、中から鷲頭の魔物が飛び出してきた。

【今回の収支】

<収入>

 金貨4枚 銀貨49枚

 ・バイト代(10日分)

<支出>

 銀貨42枚 銅貨3枚

 ・生活費(11日分) 銀貨42枚 銅貨3枚

<収支>

 +金貨4枚 +銀貨7枚 ▲銅貨3枚


<所持金>

(初期)金貨2枚 銀貨16枚 銅貨26枚

(最終)金貨6枚 銀貨23枚 銅貨23枚

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