第13話
実は敵も味方も行き当たりばったりで苦労している話。
──それは奇跡という言葉では言い表せない──
隠密、移動、奇襲──失敗。
逃走──不可。
回避──失敗、身をよじり損傷を最小限に。
移動、遮蔽物で視界を遮り、間合いを制御。
投石、移動、隠密、投石、再び移動。
地形を利用し、動植物を利用し、敵の思考を誘導。
身体能力も技術も経験も何もかも敵が上。
ただ逃げ回り嫌がらせをするだけでも、一手間違えば命を落とす命がけの綱渡り。
敵の矢が肩を抉る。
槍の穂先が頭皮を削る。
爆炎が背の皮膚を焼き身体を吹き飛ばす。
死、死、死、死死死死死シシシしシシィ──
死の恐怖と絶望が生を塗り潰す暗い世界で、しかしその一匹のゴブリンは一度のミスも遅滞もなく、死の舞踏を踊りきる。
自分を探し突出した戦士の臓腑を背後から突き刺した。
死んだふりに騙され近づいてきた弓使いの喉をかき切った。
罠を警戒して動きを止めた斥候の足の腱を切り魔物の餌に。
重装の戦士を背後から沼地に突き落とした。
僧侶を錯乱した魔術師が放つ火球の盾にした。
逃げ出した魔術師を押し倒しその首を刈り取った。
幾つもの死と絶望を潜り抜け、ゴブリンは自分たちの群れを蹂躙しようとした敵の精鋭部隊から、たった一匹で勝利を奪い取る。
満身創痍。瀕死。実際、戦闘中に心臓は一度止まっていた。生きているのが奇跡のような状態で、窮地を乗り切ったゴブリンは群れの仲間に一刻も早く逃げようと再び訴えた。
今の自分の言葉なら、きっと仲間に届くと信じて。
しかし。
その奇跡が群れにもたらしたのは生への希望ではなく、闘争と勝利の高揚。
『────』
彼の絶望はまだ終わらない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
迷宮の中層以下を主戦場とする上級冒険者パーティーの全滅。
同じ上級冒険者たちからもたらされたその一報は、迷宮都市エンデに激震を走らせた。
迷宮一〇層以下──浅層は人類の支配領域であるという冒険者の認識を覆す大事件。冒険者ギルド、都市上層部以上に衝撃が大きかったのは現場で活動する冒険者たち。未だ迷宮の封鎖こそされていないものの、もはやまともに探索が行える状況ではなかった。
現場となった六層に限らず、通常の探索活動を行っている冒険者は一人もいない。今や迷宮に潜っているのはギルドの依頼を受けて調査等に当たっている一部の上級冒険者か、医療用素材等の必需品の調達を平時の数倍の価格で請け負った命知らずだけとなっていた。
都市では仕事がなくなり生活に困窮する者たちが増加するが、大規模な炊き出しが継続的に行われていることもあり、今のところ大きな混乱は起きていない。
しかし人は腹だけ満たされれば生きていけるというものではなく、この状況が続けばいずれ人々の生活や都市運営に致命的な破綻が訪れることは目に見えて明らかだった。
上級冒険者パーティー全滅の報から一週間。迷宮都市の住人は全く解決の兆しが見えない状況に不満が蓄積。住民同士の衝突も増え、都市上層部は上級冒険者という貴重な戦力を事態の解決ではなく治安維持に振り分けねばならなくなりつつあった。
「──って感じで、もう最悪よ」
この状況では出かけてもやることが無いと、ここ数日家に籠って魔道具の製作に没頭していたウル。そんな彼のもとに遊びに来たレーツェル──こちらも他にやることがない──が、ウンザリした様子でテーブルに突っ伏し、現在の迷宮都市の情勢を教えてくれた。
「状況が良くなるどころかドンドン悪くなってんな」
「……はぁ。もう最悪よ」
同じセリフを二度繰り返す。
ウルが少なくなった備蓄の茶菓子──といって保存食兼用のドライフルーツ──をお茶と一緒に差し出すと、レーツェルはそれをモソモソ口に咥えながら鬱屈した不満を吐き出した。
「……そりゃ、上級冒険者がパーティーごと壊滅したって聞いたら不安になるのは分かるんだけどさ。そうは言っても暴れたり強盗みたいな真似して周りの足引っ張るのは無しでしょ。結局それが自分の首絞めてることぐらい少し考えれば分かるでしょうに」
そう言えるのは彼女に当面の貯えがあり何かあれば頼れる祖父がいるからだろうと思ったが、言っても詮無いことなのでウルは曖昧に苦笑するに止めた。
代わりに話を聞いて気になった疑問を口にする。
「犬ジイはどうしてんの?」
「……爺ちゃん?」
何故祖父のことを聞くのかとレーツェルが顔を上げてコテンと横に倒す。
「ああ。結局、現場が混乱しているのは正確な情報が無くてみんな不安だからだろ。事件解決とまでは言わねぇけど、あの人が動いたらここまで混乱することはないんじゃね?」
「……逆よ。爺ちゃんはもう動いてる。動いてるからこの程度の混乱ですんでるのよ」
意味が分からず首を傾げるウルに、レーツェルは苦いものを思い出したような表情で説明を続けた。
「都市機能が停止して、一番最初に影響が出るのはどこだと思う?」
「? 一番最初って……………ああ、そういうことか」
ウルもその問いかけで犬ジイが置かれた状況を概ね理解する。
「そう。こういう時に影響を受けるのは貧しい人間から──つまり、爺ちゃんが面倒見てるスラムだね」
「炊き出しとかもそうだけど、こういう状況で問題を起こされると一気に火が付くもんな。目を光らせて回るのも大変か。──いや、あの人がその程度で手一杯になるか?」
一瞬納得しかけたウルだったが、しかしすぐさま、それだけなら部下に任せるなりやりようはある、まだ余力があるだろうと顔を顰めた。
レーツェルはその反応に微笑を浮かべ肯定する。
「うん。実際爺ちゃんも久々に迷宮潜る気になってたし、ギルドもそれを期待してたみたいなんだけどね」
「……何か問題が?」
レーツェルは溜め息を吐いて頷く。
「ほら、元々ゴブリンの裏にオークやオーガがいるんじゃないかって噂が流れてたでしょ?」
「ああ……でも調査隊の話じゃ、その手の脳筋種族のやり口じゃないって──」
「私らは初動で色々噛んでるから知ってるけど、一般にはそこまでの話は伝わってないのよ」
なるほど。確かに調査隊のあの“所感”は都市内に別の不安の種を蒔きかねないものだったから、ギルドから公表はされていなかった。
「だけど、具体的にそれの何が問題なんだ?」
「……とち狂ってオークの集落にカチコミかけようとした馬鹿がいたのよ」
「あ~……」
「それも一人二人じゃなくて、追い詰められた連中中心に結構な数」
「マジかよ……」
ウルは心底呆れた。レーツェルはそれ以上に呆れていた。
「ハッキリ言って、そんな半端な連中が束になってもオークがどうこうできるはずないし、個人的にはブッ殺されちゃえって思うんだけどさ……」
「分かるよ。この状況でそれは最悪だよな」
いや、この状況でなくとも冒険者とオークの衝突など悪夢でしかないが、今は本当にマズい。完全に決裂しても一時的に蓋ができても、どう転んでももう最悪な未来しか見えない。
「爺ちゃんはオークと繋がりが強いスラムの顔役ってのもあるし、オークの族長とも古い付き合いだからさ。冒険者とオーク、両方の抑えができるとなると爺ちゃんしかいないのよ」
「マジか……」
彼女の説明にウルはここ最近で一番の衝撃を受けていた。
実は彼、迷宮都市を取り巻く環境がドンドン悪化していようと、これまではどこか他人事気分だった。レーツェルの説明は『ホントにヤバくなったら大物が介入して収めてくれるんでしょ?』と油断していた彼にとって、『残念。この近辺のネームドヒーローは他の事件で介入不可です』と宣言されたようなもの。別に『お前がどうにかしろ』と言われたわけではないが、ホントにマズい状況なのかも、と実感が追いついてきた感じだ。
「そうかー……」
「そうなのよ」
「そうかー……」
しかしいつまでもショックを受けていても仕方ないので溜息を吐いて気持ちを切り替える。
そして自分から話題を逸らすように、ここ最近会えていない仲間のことに触れた。
「しかし、そうなるとエレナも大変だな。ここ最近顔見てねぇけど、探索どころか集落の外に出るのも難しいんじゃねぇか?」
「そうよねー。特にあの娘は、自分がオークと冒険者の間を取り持つんだって張り切ってた矢先にこれだから、ショックは大きいでしょうね」
レーツェルもエレオノーレのことは気になっていたのか、表情を曇らせる。
「その口ぶりだと、あんたも会ってねぇの?」
「ん~……まあ、バタバタしてたしねぇ」
「…………」
「…………」
どちらからともなく顔を見合わせ黙り込み、レーツェルが口を開く。
「……どうせ暇だし、会いに行ってみる?」
「会えるのか?」
「うん。あたしはオークにも顔見知り多いし、爺ちゃんに話し通せば大丈夫だと思う」
「そうか……」
エレオノーレにとっても気分転換になるかもしれないし、自分たちも暇だし、会いに行ってみるか。
そう二人が結論を出そうとした時。
それより一瞬早く、来訪者が慌ただしい足音と共にそれを遮った。
──バタン!
「──ウル、居るか!?」
ノックもなく、突然家の中に踏み込んできたのは先日知り合った武僧のカナン。後ろには息を切らせて追いついてきたエイダの姿も見える。
「いや、居るかじゃなくてノックぐらい──」
「それどころじゃない!」
カナンはウルの文句を遮り、胸を押さえ息を整えながら続けた。
「それどころじゃないんだ! エレナが一人で迷宮に向かった!」
『────は?』




