第10話
「ウォォォォッ!」
横幅三メートル近くありそうな大蜘蛛。
エレオノーレはその突進を槍で受け止め、取りつかれないよう振り払いながら咆哮を上げる。ビリビリと肌を打つような戦意の発露。しかし暴走して我を忘れていた以前と異なり無闇やたらに突っ込むようなことはなく、その瞳には理性の光が宿っていた。
襲い掛かってきた大蜘蛛は全部で三匹。
一体をエレオノーレが、一体をウルとそのガーディアンが、一体を妖術師であるエイダが召喚した妖霊が押さえている。そしてその全員が自分の役割を弁え、倒すよりも大蜘蛛を食い止めることに注力していた。
蜘蛛──つまり虫と言ってしまえば弱いイメージがあるが、虫はそのサイズの割にとても強靭な生命力とパワーを秘めた生き物だ。実際、巨大化した虫系の魔物は同サイズの肉食獣系の魔物より強いことが多い。
無論、自重や肉体強度の問題があるため、単純にサイズアップした分だけ強いというものではないが、油断すれば熟練の戦士でさえ不覚を取り得る。
対する臨時パーティーリーダーであるカナンの指示は「数で押す」というものだった。それは五対三という意味ではない。即席パーティーではまともな連携は取れず乱戦はむしろ危険。まず一対一の状況を作り出し──
「だっしゃぁぁっ!!」
そこを最も突破力のある武僧のカナンがぶん殴る。
──ボキィ!!
淡いオーラ──気を纏った彼女の拳が大蜘蛛の足の一本を背後からへし折り、大蜘蛛のバランスがガクンと崩れた。
「ハァァァァッ!!」
その隙を見逃すことなく突き出されたエレオノーレの槍の穂先が大蜘蛛の胴をとらえる。蜘蛛の全身が一瞬ビクッと震えるが、虫のしぶとい生命力を一撃で絶つにはいたらない。
「そのまま押さえてろっ!」
そう叫び、大きく宙を舞ったカナンの踵落としが大蜘蛛の頭を叩き潰し、その命を粉砕する。
そして均衡が崩れれば決着はあっという間。カナンがエイダ、エレオノーレがウルの援護に回り、一分と経たず大蜘蛛との戦闘はウルたちの勝利で決着した。
「カナン、素材の剥ぎ取りどうする?」
戦闘終了後、戦闘には加わらず周囲の警戒に回っていたレーツェルがカナンに駆け寄り、方針を確認する。
カナンはふむと少し考える仕草を見せ、
「時間は惜しいが、ちょうど休憩も挟みたかったところだ。一旦休憩をとるからレーツェル、お前はその間に糸腺だけ回収してくれるか? 時間がかかりそうなら残りは捨てていく」
「りょーかい」
レーツェルは軽快な動作で解体用のナイフを取り出し、絶命した大蜘蛛の腹部に切り込みを入れていく。指示を出したカナンは残るメンバーを見回し、
「残りのメンバーは二交代で休憩と警戒。先にエイダとウルが休みな」
「了解」
「うっす」
指示に従ってウルは地面に腰を下ろし、先ほどの戦闘でガーディアンについた損傷を確認。魔力を流して修復に取り掛かった。
すぐ近くにエイダも腰を下ろしていたが、会話はない。
──この人、無口っていうか感情が読めなくて話しかけづらいんだよなぁ……
この六層にくるまでの間すっかり彼女に苦手意識を持ってしまったウルは、気まずさを誤魔化すようにガーディアンの修復に集中しているフリをし、作業を引き延ばした。
一方、ここにくるまでの間に一気に距離を縮めたのがエレオノーレとカナンだ。
「カナン。さっきはどうして私のところに最初に来たんだ? セオリーで言えば、後衛のエイダかウルが相手をしていた蜘蛛を先に仕留めるべきだと思うのだが」
「何だい。ひょっとして自分が頼りにされてないとでも思ってむくれてんのかい?」
「む……別にそういうんじゃない」
「クハハハッ。そういじけるな」
「だからそんなんじゃない!」
カナンはムキになるエレオノーレの胸にそっと拳を当てて微笑んだ。
「あたしはあんたの腕を疑っちゃいないよ。あたしにゃまだまだ及ばないが中々のもんだ」
「む……」
「さっきあんたを優先したのは、腕の良し悪しじゃなく相性の問題さ」
「相性?」
首を傾げるエレオノーレに、カナンは弟子に言い聞かせるよう続けた。
「ああ。さっきは運よく使われる前に倒せたが、大蜘蛛の一番恐ろしい武器は糸だ。あれに捕まったら腕力で振り払うのはまず不可能だからね。エイダとウルにはそれぞれ糸への対応手段があった。あんたにはなかった。それが理由さ」
「……なるほど」
ついさっきギルドで揉めてたのは何だったんだと言わんばかりの気安さ。オークとヒューマン、しかも出会って間もないというのに師弟関係が構築されつつある。
エレオノーレの背後にパタパタと振られる尻尾を幻視しながら──いや、オークってホントに尻尾あったか?──ウルは女だらけの空間で居心地の悪さに溜息を噛み殺した。
「カナン姉は基本脳筋だから。あれこれ言っても結局勇敢な戦士が好きなのよ」
「は……」
それまで黙っていたエイダに突然胸中を見透かすような言葉を投げかけられ、ウルは咄嗟に反応が遅れた。
「あのオークの娘が素直で真面目ないい娘だってのも大きいけどね。自分たちが人間からどんな目で見られてるのか理解した上で、へりくだりもせず無闇に反発することもない。オークと冒険者の融和とか聞いた時は何の冗談かと思ったけど、オークも中々悩ましいの送り込んでくるわ」
「…………」
ウルはエイダが口にする言葉の内容がどうこうというより『この人、意外によく喋るな』と、そちらに意識が傾いていた。
そして彼女はさりげない口調で本題を口にする。
「まぁ、戦闘中もきちんと指示に従って動いてたって言うのも大きいでしょうね。あの娘、中度の狂戦士症候群なんでしょ?」
「──そうですね」
何故それを知っているのか、と考え、答えはすぐに出た。
「レーツェルに聞いたんですか?」
「ええ。迷宮に入る前に“気を付けるように”って」
なるほど。カナンが先ほど自分たちを一対一で大蜘蛛に当たらせたのは、その辺りを警戒してのことでもあったらしい。
エレオノーレの情報を勝手に話したレーツェルを非難するつもりはウルにはない。と言うよりこれはむしろ、ウルやエレオノーレから事前に説明しておくべき事柄で、レーツェルはそのフォローをしてくれた形だ。
視線で暗に『どういうことか説明しろ』と訴えるエイダに対し、ウルは自分が説明するのを忘れていたことなどおくびにも出さず肩を竦めて見せた。
「別に伝え忘れていたわけじゃありませんよ。見ての通り、彼女の狂戦士症候群は制御可能なので、わざわざ伝えて不安を煽る必要は無いと思ったんです」
実戦で試したのは先ほどが初めてで、自分自身上手くいくかどうか半信半疑だったことは棚に上げて言い切る。
そしてそのハッタリは年齢の近いエイダには通じたようだ。
「……なるほど。その自信の根拠は、あの娘が付けてる腕輪かしら。貴方が作ったの?」
「まぁ、そうですね。それもレーツェルから?」
「ええ。見ず知らずの人間に背中を預けなきゃいけないんだもの。可能な限り情報を集めるのは当然でしょ?」
「ごもっとも」
なるほど、エイダは自分に近い性格をしているらしいとの感想をウルは抱いた。根が豪快なカナンとの相性は悪くなさそうだ、とも。
「狂戦士症候群を制御するなんて、若いのに随分腕がいいみたいね?」
「そういうんじゃないですよ」
探るようなエイダの言葉を、ウルは苦笑して即座に否定した。
「それは謙遜?」
「いえ。実際、魔導技師としての俺の技量や知識はせいぜいがひよっこに毛が生えた程度のもんですよ」
正直なウルの吐露に、エイダは疑わしそうに眉をひそめた。
「狂戦士症候群の制御なんて聞けば前例がないかもしれませんけど、精神制御系の魔道具自体は別に珍しいもんじゃない。作ろうと思えば多分、誰でも普通に作れた。わざわざニーズのない魔道具を作ろうなんて考える人間がいなかっただけです」
「…………ああ、そういう」
エイダはウルの言葉の意味を正確に理解したようで、少し皮肉げな表情で笑った。
「だとしたら貴方は随分人がいいのね。ほとんど面識のないオークのために、わざわざ骨を折ってあげたんだから」
「そうでもないですよ」
「?」
今度はウルが皮肉気な表情を作り、続ける。
「彼女が上手くいけば、大きな商売のタネになるかもしれないでしょ?」
「…………ハハッ」
エイダはカラっとした笑いを漏らし、先ほどまでより少し砕けた声音で言った。
「訂正。貴方、イイ性格してるわ」
「……誉め言葉、と受け取っておきましょう」
そうこうしていると見張りの交代かカナンが近づいてくるのが見える。
ウルは先ほどまでより幾分軽い気のする腰を上げた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「四日前、俺らがゴブリンを見かけたのはこの辺りです」
「うむ。間違いない」
目的地であるゴブリンの目撃地点に辿り着いた一行は、斥候職であるレーツェルを中心に先にこの場所を訪れたであろう調査隊の痕跡を探し始めた。
といってレーツェル以外にカナンはいくらか心得があるようだが、他三人は捜査の素人。特にできることもなく、ウルはとりあえず最後に見た時との違いを口にしてみる。
「……ゴブリンやウルフの死体はなくなってますね」
「全部で六体ずつ、ゴブリンの首以外は全部そのまま置いてきたんだったかしら?」
「うむ。しかし全く残っていないな。他の魔物にでも食べられたのだろうか?」
棒立ちのウル、エイダ、エレオノーレがそれっぽく会話をしていると、カナンが地面に顔寄せて痕跡を探しながらそれを否定した。
「だとしたら少しおかしいね。そのゴブリンは素手って訳じゃなかったんだろ?」
『…………あ』
言われて確かに、と気づく。
「ここらの獣が槍や剣やらまで食っちまったとは考えにくい。ということは?」
「──ゴブリン、他の仲間が回収した」
エレオノーレの呟きにカナンは満足そうに頷いて見せた。
「つまりこの辺りはいつゴブリンの群れに見つかってもおかしくないエリアってことだ。あんたらはしっかり周囲を警戒してな」
「うっす」
「了解だ」
「……了解」
言われて三人は互いに背を向けて警戒を行う。
そしてそのまま魔物の襲撃もなく五分ほどの時が流れたところでレーツェルが声を上げた。
「……カナン。こっち」
「何があった?」
レーツェルが指示したのは背の低い茂みの根の部分。地面に半分埋まった、割れた緑色の石だった。
「これは……宝石かい?」
「というより魔術師が使う杖、魔石の破片じゃないかしら」
疑問に答えを返したのは背後からそれを覗きこむエイダ。
「……確か調査隊のリーダーのロートスは魔術師だったね」
カナンは眉間に深い皺を浮かべて呻いた。
そしてその場にいた全員が、ある可能性に思い至る。
「つまり……調査隊はここで何者かに襲われた可能性がある、ということか?」
可能性を口にしたのはエレオノーレ。そして口に出さずとも全員が理解していたことだが、その何者かは、ゴブリンの死体がなくなっていることからゴブリン、あるいはその背後にいる存在である可能性が高い。
『…………』
一行の脳裏に嫌な想像がよぎる。
「……どうする、カナン姉? 最低限の目的は果たした、と私は思うけど」
「そうだね……」
報告のため帰還するか、更に捜索を続けるか。
「……レーツェル。他にそれらしいものはありそうかい?」
「う~ん……絶対とは言わないけど、期待薄だと思うよ」
その少し含みのある表現にウルだけが違和感を抱いた。
カナンは一つ頷き、発見した魔石の欠片をボロ布に包んで懐に入れるとキッパリと宣言する。
「これ以上は今の戦力じゃ手に余る。帰還しよう」
反論する者は、誰もいない。
「…………」
一行が現場を足早に後にするタイミングで、ウルは死体が無くなったこと以外四日前からあまり変化のない迷宮を振り返り、言葉にならない気持ち悪さに一瞬だけ顔を顰めた。




