第33話
「……寒っ」
「文句言ってないで手を動かせ~」
その日ウルはエンデの外壁で防衛兵器ダムハイトの補修作業を行っていた。
季節が秋から冬に移り変わろうというこの時期に、遮るもののない外壁の上は酷く寒い。
かじかむ手を擦りながら、少し離れた場所で温かい毛布にくるまっているレーツェルに向け情けない声を出す。
「……なぁ。見てるだけじゃなくて少しは手伝ってくんね?」
「や~よ。これは好き勝手やったあんたへの罰なんだから、私が手伝ったら意味ないでしょ」
レーツェルはすげなく答え、持ち込んだポットからカップにマテ茶を注いで優雅に喉を潤した。
「あんた一人にしたら何しでかすか分かんないからって、わざわざ監視役なんてさせられてるんだから、これ以上私に負担かけないでよね」
「お前にもちゃんと日当出てるの知ってんだぞ!? その分ぐらいちゃんと働けよ!」
「ホホホ。監視役が作業に参加したら本来業務が疎かになっちゃうからね~。あ~、寒いのに身体動かせなくて監視ってたいへ~ん」
「やかましわっ! せめてその手に持った本から目を離して言え!」
娯楽用小説まで持ち込みすっかり優雅な読書タイムと洒落込んでいたレーツェルは、ウルの文句を負け犬の遠吠えとばかり鼻で笑う。
「文句があるならゴドウィンや評議会の連中に言いなさいよ。あんだけ好き勝手やっておいて罰則が奉仕活動だけとか、相当温情ある処分だと思うけど?」
「くぅ……俺のおかげで事なきを得たってのに」
ウルはぶつくさ文句を言うが何を言っても処分が覆ることがないことは理解している。ぶるりと寒さに体を震わせ、補修用のパテをひび割れに注ぎ込み魔力を流して補修作業を続けた。
エンデ共和国と帝国のトップ会談が行われ、迷宮から魔物が溢れ出した一件から半月後。騒動はすっかり収束し、表向き両国はかつての日常を取り戻しているように見えた。
元々、迷宮から魔物が溢れ出したのは事故ではなく作為によるもの、帝国やエンデを狙う侵略者への牽制だ。タイミングを見計い犬ジイたちが迷宮の機能を回復させたことで、エンデだけでなく帝都周辺で迷宮から溢れていた強大な魔物まで、エンデの大迷宮にあっさり再収納された。
表向きは人々の奮闘により迷宮災害を乗り切ったことになっており、エンデ市民の結束はその前後で大きく高まった。
実際にはその後の方が迷宮を手動制御に移行した影響で様々なトラブルが頻発して大変だったわけだが、それも表立った混乱にはなっていない。元々マニュアル自体は準備できていたし、役割分担さえ決まればいつでも移行できる体制は整っていた。強制的に協力せざるを得ない状況に追いやられたことで、冒険者たちは迷宮の新たな管理体制を軌道に乗せるべく対立を棚上げして遮二無二走り出していた。
フルウたち事前に事情を知らされていた上級冒険者は頻発するトラブル対処の実働部隊としてフル回転。
またカナンやエイダらはその他の冒険者への事情説明や橋渡し役として頼りにされているようだ。
エレオノーレは同族のオークを率いて迷宮内の見回りや護衛を任されている。今後の迷宮運営には従来の冒険者だけでは手が足りず、オークやコボルトといった亜人種との協力が不可欠だ。昨今いくらか亜人種への偏見は小さくなったものの、それでもやはりトラブルは尽きない。エレオノーレはその仲裁や調整に奔走しており、苦労は尽きないが前向きな日々に目を輝かせている。
逆に死んだ目をしているのがリン。現在、帝国貴族の間ではエンデに本物の聖女が現れたとの噂でもちきりで、リンはその火消しをどうしたものか頭を抱えていた。教団本部からも問い合わせが来ているらしく、事情を知っている彼女の上司は、いっそこのままリンを聖女として祭り上げてはどうかと検討しているとかいないとか。先日リンと会った時には、本気で改宗を考えていると相談された。
ゴドウィンたちエンデの政治家は市民への説明に中途半端に終わった帝国との再交渉や条約締結の準備、エンデ内に潜入していた工作員たち捕虜の返還など国内外の対応に忙しくしている。
国内対応は魔物による都市内の被害が最小限で済み、また政府の初動対応が市民に好意的に受け入れられたこともあって比較的順調。唯一、税金免除や報奨金の支払い対応を押し付けられたサバデル財政委員だけが白目を剥いていた。
国外──帝国との交渉も、具体的な条約締結などには至っていないが順調だと聞いている。帝国も下手に藪をつついて再び迷宮から魔物が溢れてはたまらないと考えているようだ。またエンデばかりに気を取られてはいられない事情もあり、早くこの話をまとめたいと前向きな姿勢を示していると聞いている。
結局、今回の騒動によって帝国もエンデも上へ下への大騒ぎとなったものの、終わってみれば被害はさほどでもなく、帝国とエンデの関係は落ち着き、迷宮対応も前進。不満や問題がないわけではないが、何となく全てがまるっと収まってしまった印象だ──勿論、例外はあるわけだが。
「何で俺一人が文句言われんのかなぁ……皆知ってて黙ってたわけだから共犯だろ。犬ジイに至っては教唆犯──いや待てよ? 俺は提案しただけで実際に実行したのは犬ジイとカノーネなわけだし、むしろ俺が教唆犯? 実行犯より教唆犯の罪が重いってなんかバランスおかしくないか!?」
「うるさい」
「痛っ!?」
キャンキャン騒ぐウルにレーツェルは読み終わった本を投げつけ、固まった身体を伸ばして続ける。
「ゴドウィンたちも黙って無茶苦茶やったこと自体は怒りはしても許してくれてたじゃない。本気で罰をって言うならこの程度じゃ済まないわよ。むしろ問題なのは事前に企んでたことじゃなくて、後からノリでやらかしたことでしょ」
「…………」
ツッコまれて、自覚はあったのかウルが目を逸らす。
「元々皇太子を逃がす予定じゃなかったのに、勝手に捕虜ごと逃がすなんて約束しちゃってさ。手元に残してれば帝国との交渉材料に使えたのにって、外務委員とかすんごい文句言ってたわよ?」
「いやでも、最終的にはみんな納得してたじゃんか!」
「ゴタゴタしてる時に厄介な問題持ち込まれて、それどころじゃねぇって強引に押し切られたあの反応を“納得”って言うなら、納得してたのかもね」
「ぐぬぬ……」
呆れたように嘆息するレーツェル。
彼女の言う通り、レオンハルト一派の解放はウルが強引に押し切ったものだった。
レオンハルト一派の身柄は帝国との交渉に使えるだけでなく、解放すればまたエンデを乗っ取られるリスクもあったため、当然周囲から散々反対された。
ゴドウィンたちとしては、解放云々はウルが勝手に約束したことだと突っぱねても良かったのだが──
「でも、実際に解放するメリットがあったのは確かだろ?」
「メリットって……ああ。帝国の目をエンデから逸らすためには皇太子に第四勢力として帝国を牽制してもらった方が都合がいいってやつ?」
今回の一件で一先ず帝国とは手打ちとなったわけだが、これで両国の関係が全てクリーンになった訳ではない。
皇帝やオッペンハイム公など帝国の一部の者たちは今回の騒動の裏でエンデが糸を引いていたのではと疑っており、迷宮を利用して帝国に混乱をもたらしうるエンデの存在に警戒感を強めていた。実際にウルたちは帝都近くの迷宮を崩壊させて帝国を牽制したわけで、これに関しては帝国の懸念は的を射たものと言える。
最悪の場合、そうした懸念を取り除くため、対立する皇帝とオッペンハイム公が手を組み、エンデを潰す方向に舵を切らないとも限らない。
ウルはそのリスクを軽減するため、レオンハルト一派を敢えて解放し、フリーにすることで帝国を牽制させることを提案した。
彼らが直ぐに皇帝やオッペンハイム公の立場を脅かすような勢力を築けるとは誰も考えていない。しかし彼らは僅かな手勢だけでエンデ、皇帝、オッペンハイム公の三勢力を出し抜き、あと一歩でエンデを手に入れるところまで迫った。その行動力と影響力は、盤上に存在しているだけで帝国の行動を掣肘する楔となり得る。エンデから目を逸らすだけでなく、皇帝とオッペンハイム公の破滅的な全面対決に対する抑止力としても働くかもしれない。
とまぁ、ウルはそのような理屈でゴドウィンたちを押し切り、裏切っていたニコラウス委員ごとレオンハルト一派を国外に追放したわけだ。
ゴドウィンらからするとニコラウスは裏切り者であると同時に、自分たちが強引に進めた改革の被害者でもある。この処分に渋々とはいえ納得したのは、可能ならニコラウスに穏当な処分をという内心の葛藤も影響していたのかもしれない。
「でもあれってただのこじつけでしょ?」
しかしレーツェルはその説明に疑義を呈する。
「こじつけって……いや、理屈に穴がないとは言わないけど、そんな風に言われる覚えは──」
「だってどんなに警戒されても、実際に皇帝とオッペンハイム公が手を組んでエンデを狙う可能性なんてほとんどないじゃない」
「…………」
ウルは顔を顰め一瞬言葉に詰まる。
「……どうしてそう思う?」
「だって、手を組んでエンデを共同占領したとして、結局もう一方に出し抜かれて単独占領されたらアウトじゃない。それなら帝国を支配する正当性や国力を持たないエンデに押さえさせといた方がずっと安全でしょ。その状態が不安ならとっとと帝国を統一すればいいだけなんだし」
レーツェルの言う通り、皇帝やオッペンハイム公がどれほどエンデを警戒しようと、彼らが直接エンデに手を出してくる可能性は極めて低かった。
エンデを放置することが危険なのは確かだが、今回の一件を受けて放置するリスクより手を出すリスクの方が高いということを理解したはずだ。
「多分、私だけじゃなくて何人かは普通に気付いてたと思うわよ」
「…………」
図星を突かれてウルはレーツェルから目を逸らす。
「一応聞くけど、何で逃がしたわけ?」
「…………」
「皇太子やその下の連中の境遇とか知って、同情しちゃった?」
「……俺ってそんな優しい人間に見える?」
「いや全然」
即答されてウルは鼻白む。そして大きく溜め息を吐き、観念したように口を開いた。
「……背負うにゃ重過ぎるだろうが」
「何を?」
「あの連中の想いとか人生とかそういうの。ほら、今回の騒動って俺が思い付きとノリで始めたことが切っ掛けだろ? 迷宮とか国とか正直どうでも良くて、知り合いが困ってるっぽいから何とかできないかなって、本当に適当に理屈組み立てただけだし」
「……そんなノリだったの?」
半眼でこちらを見つめるレーツェルに唇を尖らせ反論する。
「仕方ねーだろ。そもそも迷宮問題なんて自分がどうこうできるとも思ってなかったし」
それは紛れもない本音。知り合いが妻を、祖母を、仲間を迷宮から解放したいと考えていて、偶々その解決策を思いついたから提案しただけ。
「思いついたら黙ってるわけにもいかんし……でもそうは言っても他の人間踏みつけてまでどうこうしたいってほどの動機も俺にゃないしさ」
だからウルは騒動を起こしても、最終的にその人的被害が最小に抑えられるよう、最大限の注意を払った。
カノーネに入念なシミュレーションを依頼し、蘇生呪文を使える教会関係者に頭を下げて協力を求めたのもそのためだ。
「でも、あのままだと皇太子やその下の連中の人生とか、これまでかけてきた想いみたいなのを全部踏みにじることになるだろ? 誰が皇帝になるとかどうでもいいけど、獣人やら卑民やらの希望みたいなの叩き潰して恨まれるのもやだし。かといって反撃されないぐらい叩き潰すのも罪悪感エグイし。いっそ、あの連中がサンドバックにしても罪悪感湧かないぐらいのクソだったらよかったんだけどなぁ……」
心底面倒くさそうに呻くウル。
レーツェルはそれこそが彼の優しさだと理解していたが、ワザと小馬鹿にしたように笑った。
「小者だね~」
「うっせ」
顔を顰めるウルを一頻り笑い、そしてふと思い出したように付け加える。
「でも、いきなりだったのによく準備できたわね?」
「え?」
「ほら、皇太子の部下に仕掛けたあの爆弾」
「…………あ~」
曖昧な表情で呻くウル。その反応に少し不思議そうな顔をしながらレーツェルは続けた。
「準備する時間もなかったのに、解除不能・任意起爆可能な爆弾とか、よく……?」
「…………」
「──え? ひょっとして、あんた……?」
レオンハルト一派の解放が認められたのは、ウルが彼らの体内に解除不能・任意起爆可能な爆弾を仕掛けたと説明したことが大きい。
彼らにはエンデを出し抜き占拠した前科があるが、いつ起爆するとも知れない爆弾に自分たちの命が握られた状態で再びエンデを狙うことはあるまいと、最終的にゴドウィンが解放を認めた。
しかし──
「あ~、うん──あれはただの出まかせだな」
「…………」
「いや、俺の腕でそんな都合のいいもんを準備できるわけないってお前なら分かるだろ?」
「…………」
「別に実際に爆弾を仕掛けてなくても本人たちがそう思ってれば効果はあるわけだし」
「…………」
「──あ。ハッタリだってバレるリスクは低いと思うぞ? 爆弾が見つからなくて疑われたとしても、無いことを証明するのは難しいからな。カノーネの存在もあるし、勝手にスゲー技術が使われてるって勘違いしてくれるんじゃねーかな」
「…………」
「皇太子には仕掛けず、下の連中にだけ仕掛けたって伝えたのがミソだよなぁ。皇太子の身体に爆弾ってなりゃ何をおいても解除しようとするだろうけど、そうでなけりゃ一先ずエンデには近づかないでおこうってなるだろうし」
「…………」
「えと……」
「…………」
「…………あの、レーツェルさん?」
俯き反応のないレーツェルの顔を、ウルが近づき不安そうにのぞき込む。
「…………はぁ~」
彼女は顔を上げると同時にウルに蹴りを一つ。
──ゲシ!
「痛っ!?」
──ゲシゲシ!
更に連続して蹴りを叩きこんだ後、レーツェルはウルの胸倉を掴み上げて言った。
「そういうとこだぞ~、ウルく~ん?」
「…………すいません。どうかこのことはご内密に」
「よし」
上下関係を叩きこみ満足げに頷いた後、レーツェルは再び指定席に戻って毛布にくるまる。
ウルは諦めたように嘆息を一つ、補修作業を再開した。
「……そういや、最近犬ジイとそのお仲間見ないけど、何してんの? お前もこんなとこいないで婆ちゃんの顔でも見に行きゃいいのに」
「ああ……ちょっとね」
「何? 歯切れ悪いな」
「いや……まあいずれ分かることだから言うんだけどさ、実は爺ちゃんと婆ちゃんと私の先生、三角関係だったみたいで」
「はぁ!?」
「はっきり決着がついてたわけじゃなくて、婆ちゃんが迷宮に取り込まれるってのを口実に強引に爺ちゃんに関係を迫ったらしくて……先生はずっとそのことに納得いってなかったみたいなのよ」
「おおぅ……」
「婆ちゃんはノームで先生はエルフで、まだまだ種族的に若いわけじゃない? 自分の爺ちゃんが若い女二人に挟まれてるの見るのって正直微妙でさぁ……」
「……確かに」
「爺ちゃんも困ってんのか喜んでんのかハッキリ──」
そんな他愛もない会話を交わしながら、この物語は幕を下ろす。
三千年以上にわたる神代からの負債を解消した彼らは、これからも変わらず日常を紡いでいく。
英雄でもない。特別な力など持たない。どこにでもいるただの人間として。
国を動かし、世界を変えることができたとしても。
それで十分と、彼らは知っていた。
本話を持ちましてこの作品は完結いたします。
書ききれなかった設定とかもあるので、後日談みたいな話を付け加えることはあるかもしれませんが、エンデを迷宮を巡る物語はこれで一旦幕を下ろします。
総文字数で70万文字近く、最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました。
またどこかでお会いしましょう。




