第16話
「うぉぉぉぉぉぉっ!?」
自分を背に乗せたガーディアンによる全力疾走は、想像していたより速く、そして迫力があった。
ウルがガーディアンに乗って走るのはこれが初めてではなく、当然地上の安全な場所で試験走行はしていた。しかし地面が荒れた迷宮の草原に変わったことで、元々最低限のクッション機能しかついていないガーディアンの背中はガタガタと揺れ、身体の横を通り過ぎていく草木は疾走による迫力をいや増した。
頭部に着けた一本ヅノが走行中掴むのにちょうど良かったこともあり、振り落とされるようなことはないが、ウルはその速度と迫力に慣れるのに一〇秒ほどの時間を必要とした。
「──ぉぉ……っ!」
精神的に僅かなりとも余裕ができると、今度は追いかけてくる悪魔犬のことが気にかかる。ガーディアンにしがみつきながら背後に視線を向けると、悪魔犬の群れがほとんど距離を詰めることができないまま、ウルたちを追いかけてきていた。
その様子を見やり、ウルは一つの確信を抱く。
──あいつら、そんなに足は速くない……!
移動速度はガーディアンと同程度。ただ一〇秒以上この速度を維持できていることから、恐らく最高速より持久力に長けた種なのだろう。どちらにせよ、持久力では魔法生物であるガーディアンの方に分がある。このまま行けば逃走すること自体は十分に可能だろう。
そう判断すると今度はウルの脳裏に一つの閃きが宿る。ガーディアンの速度を僅かに緩め、身体に伝わる揺れを抑制。左手一本で角を掴んで身体を安定させ、ガーディアンの背に横向きに腰掛けるようにして上半身を起こす。その状態で背後を振り返り、右手が自由に動かせることを確認。
──いける!
こちらの速度が緩んだのを好機と見て距離を詰める悪魔犬の群れ。ウルは焦るなと自分に言い聞かせ、ガーディアンの挙動を完全自動制御に変更。唾を飲み込みながら悪魔犬たちとの距離を測った。
──五〇……四〇……三〇、二五──入った!
群れが有効射程に収まったことを確認したウルは魔導銃を突きつけ、力場の矢弾を発射。
──バシュウン!
『ギャヒ──ッ!?』
『ワフッ!?』
全力疾走中の悪魔犬を襲った不可視の力場。その標的となった悪魔犬は自分が何をされたかも理解できないままカウンターで頭部に矢弾を受け、悲鳴を上げて地面に崩れ落ちる。
事態が理解できず、足を緩めてウルたちから距離を取り、倒れた仲間の様子をうかがう悪魔犬の群れ。
その挙動を予め予想していたウルはガーディアンに命じて右回りに旋回。足を緩めた群れの横っ腹に更に二発連続で力場を発射した。
『ギャン!?』
『ガウッ!!』
一発はこちらから目を逸らしていた個体の胴に命中、もう一発は横っ飛びで回避されてしまう。
ウルは射撃の成果を確認することなく再び群れから距離を取るように移動し、その間に魔導銃の弾丸を再装填。反撃に戸惑い、ウルたちを追うべきかどうか判断に迷いまごついている悪魔犬の群れに再び近づき、魔導銃の射程ギリギリをかすめるようにして力場を三発、雑に連射した。
『ギャウン!』
その攻撃で一体が倒れる。そしてウルは再度転進、距離を取って弾丸の再装填を繰り返す。
このヒット・アンド・アウェイを繰り返せば、この地形なら安全に悪魔犬の群れを削り殺せる。
『──ワォォン!』
それを確信したのは悪魔犬も同じだった。
群れのリーダーと思しき個体が、その場で短く雄叫びを上げる。そしてそれが撤退の合図だったのだろう、残された群れ──と言って動ける個体は四体しかいなかった──は頭をかえし、一目散にその場から逃げだしていった。
「…………勝った、か?」
フラグっぽいセリフだが、悪魔犬が近くの森の中に逃げ込んで姿が見えなくなり、その場に倒れている個体も二体が絶命、もう一体も動く力が残っていないことを確認してから、ウルは深々と息を吐いた。
トテトテとガーディアンの背に乗ったまま倒れたワーグに近づき、地面に降りるとまずダガーでまだ息のある個体に止めを刺す。そして周囲をぐるりと見渡し、他二体が本当に死んでいること、他に魔物の姿がないことを確認した。
魔導銃を腰に収め背負い袋を地面に下ろすと、ウルはそこから今回わざわざ購入した専用の解体道具セットを取り出した。そのお値段何と金貨五枚。長く冒険者として活動していくなら買った方が良いものではあるが、別になくても何とかなるし、そもそもウルはまだ冒険者として本腰を入れてやっていく覚悟が固まっていない。にもかかわらず、こんな高価な買い物をあっさり決断してしまった自分に、ウルは帰宅してから『ひょっとしなくても俺、金遣い荒くなってる?』と自己嫌悪に陥ったりした。
そんな葛藤や後悔はともかくとして、今この場でこの解体道具が役に立つことは間違いない。
「えっと、確か悪魔犬は……皮をなめして鎧や服に使えるんだったな」
解体といってもこの場で全て完了させることはできない。傷みの原因や不要な部位を可能な範囲で取り除き、運搬しやすい形にするのが目的だ。
まず折り畳み式のスコップで地面に穴を掘り、悪魔犬の死体をその近くにまとめる。その後、頸動脈をナイフで刺して血抜き。並行して腹を裂き、内臓や腸を傷つけて内容物がこぼれないよう注意しながら不要な臓物を摘出。運び易いように手足をロープで縛って固定する。
周囲を警戒しながら、慣れない手つきで背一杯急いで処理を行う。作業しながらウルは、狩りは戦闘だけでなく解体とその間の警戒が必要なため、やはりソロでするのは向いていないのかもしれないな、と今更な感想を抱いた。改めて思い返してみれば、確かレーツェルもソロ活動では採取を中心に稼いでいると言っていたような気がする。
もしそうなら買ったばかりの解体道具が無駄になるな~、という事実から目を逸らしつつ、ウルは汚れた手拭いで手についた血と脂を拭い、ほっと一息。
そして最後に内臓や血を廃棄した穴をスコップで埋めなおし、解体作業全工程終了。
「…………」
『…………』
──と、腰を手で叩きながら顔を上げたタイミングで、森の中からひょっこりと顔を出した生き物と目が合う。
「…………」
『…………』
その森まではざっと八〇メートルほど離れているだろうか。互いにすぐ手出しできるような距離ではない。
「…………」
『…………』
ジッと見つめ合う。ウルの体感では永遠にも錯覚するような長い時間が流れるが、実際には一〇秒も経過していなかったはずだ。
「…………」
『…………』
遠く離れていても、その目がウルの一挙手一投足を余すことなく観察しているのを肌で感じる。迂闊な行動を取れば、きっと彼──あるいは彼女──は即座に反応して動き出すだろう。
「…………」
『…………』
それは灰色の毛並みの熊。
──デカい、怖い、無理。
それが恐怖のあまり語彙力を喪失したウルの感想だった。
熊の中でもかなり大型──距離があり、また直立していないのでハッキリとは分からないが、低く見積もって体長は二メートル台半ば、下手をすれば三メートルに届くかもしれない。
先ほど悪魔犬にやったように、ガーディアンの背に乗って引き撃ちをすれば何とかなる?
いや、あの巨体だ。身体を守る皮膚や皮下脂肪の厚さは相当なものだろうし、生命力だって悪魔犬の比ではあるまい。果たしてまともにダメージが通るのか、何十発撃ち込めば倒れるのか。その前にウルがミスをして追いつかれる可能性の方が高い。
──逃げよう!
恐怖に取りつかれた衝動的な判断だったが、それ自体は決して間違いではなかった。
ウルは知らないことだが、この灰色熊は冒険者を一〇人以上喰い殺している凶悪な個体であり、ひよっこ未満で戦闘職でもないウルには明らかに手に余る。他の冒険者に意見を仰げば間違いなく逃げる判断を支持したはずだ。
──獲物は惜しいけど諦める。
苦労して狩り、解体して持ち帰れるように段取りした三体の悪魔犬は地面に放置。ウルは灰色熊と視線を合わせたまま、解体道具を袋に入れて荷物を背負った。
この時、灰色熊は森の中から姿を現した姿勢のまま、ピクリとも動かずウルを警戒・観察していた。
後はこの場から立ち去るだけ──そのタイミングで、ウルは恐怖からミスを犯した。
彼は焦ることなく、ゆっくりとその場から後退すべきだった。そうすれば灰色熊は彼が去った後、その場に残された悪魔犬の肉に齧りつき、満足していたはずだ。
──ダッ!
しかしウルはガーディアンの背に跨り、その場から最高速度で走り去ることを選択してしまう。
背を向け逃げ出せば熊が反射的に追いかけてくることを、一般的な知識として知ってはいた。だが、それはあくまで実体験の伴わない机上の知識。
他に餌があるのならわざわざ逃げるこちらを追いかけてくることはないだろうと勝手に高を括っていたというのもあるし、シンプルにガーディアンの移動速度を信頼していたというのもあっただろう。
だがやはりそれは、恐怖に負けた誤った判断だったのだ。
『ヴオォォォォォッ!!』
「──何でっ!?」
駆けだして数秒後、凄まじい速度で自分を追いかけてくる灰色熊の姿に、ウルはガーディアンの背にしがみつき悲鳴を上げた。
熊は背を向けて逃げ出すと驚き、反射的にその対象を追いかけてしまう。それは食欲や計算に勝る攻撃的防衛本能の表れだ。
そしてその速度は、悪魔犬や狼──ウル自慢のガーディアンよりも速い。
「ウソォォォッ!?」
その悲鳴で余計に灰色熊は興奮し、涎を垂らしながらウルたちに向かって走る速度を増す。
危険な──命がけの鬼ごっこが始まった。




