第28話
『──あ、あ~。聞こえるだろうか?』
突然エンデ都市中に響き渡った男の声に、市民たちは魔物の対処などで手が離せない者を除き、その声がどこから聞こえてくるのか宙を見上げた。
『私はゴドウィン・バール。今私は、このエンデ共和国の代表として君たちに話しかけている。手が離せない状況の者もいるだろうが、どうか可能な限りこの放送に耳を傾けて欲しい』
ゴドウィン──帝国側との会談に向かっていた筈の代表。
政庁を皇太子一派に占拠され慌てて戻ってきたのだろうが、今彼に代表としての実権があるのだろうか?
皇太子に正式に主権を移譲するとのアナウンスか──いや、この街の状況では皇太子一派にも実権などありはしないか。
そもそもどうして魔物が溢れているのか。外壁に備え付けられた兵器が爆発したのは何だったのか。自分たちはどうすればいいのか。
突然の災害に混乱していた市民たちは、縋るような心地でゴドウィンの言葉に耳を傾けた。
『現在、このエンデは危機的な状況に置かれている。帝国との会談の隙を突いてレオンハルト皇太子が工作員を使い市中で様々な騒動を起こし、政庁を占拠した──そこまでは把握している方も多いだろう。だがその直後に起きた迷宮からの魔物の流出については、何が起きたか理解できず混乱している方がほとんどではないかと思う』
その通りだ。市民たちも馬鹿ではない。皇太子一派から具体的なアナウンスこそまだだったが、張り巡らせたアンテナからエンデが皇太子にしてやられたことまでは把握していた。
しかし、その後街中に開いた迷宮の穴についてはサッパリだ。
一番恐ろしい地竜は今のところ政庁の残骸を舐めてじゃれているだけなので市民への目立った被害はなく、他の魔物も冒険者やオークの一団が素早く周囲を封鎖してくれたおかげで人的被害は軽微。
直接的な被害こそさほどでもないが、しかし魔物は迷宮から出てこないという大原則が崩されたことで市民はひどく動揺していた。
『緊急時に付き詳しい説明はまた後日とさせてもらうが、実はエンデの大迷宮は元々その構造部に大きな問題を抱えていた。これはエンデだけでなく、古代人が建造した遺跡である大陸中の迷宮全てが抱える、施設の経年劣化に端を発する問題だ。中でもエンデの大迷宮はその規模故に問題が具現化した際の影響が極めて甚大なものになると予想されていた。先のエンデ独立は貴族の影響を排除し、この迷宮の問題解消に落ち着いて取り組める環境を整えるためのものでもあった』
迷宮の抱える問題? 古代遺跡? 経年劣化? しかもそれを解決するために独立した?
初めて聞く情報の奔流に魔物と戦っていた冒険者でさえ手を止めてしまいそうになる。
『問題解消の取り組みは順調に進み、あと一歩で諸君らに公表できるところまで進んでいた。しかし今回、皇太子の妨害工作により迷宮でトラブルが起き、一部機能不全に陥った迷宮から魔物が溢れ出す事態となってしまった』
──皇太子のせいで──
市民たちは元々都市の支配者が誰であるかなどあまり気にしてはいなかった。ゴドウィンから皇太子にトップが変わっても、評判のいい皇太子ならさほど無碍に扱われることはないだろうと好意的に考えていた者も多い。
しかしゴドウィンの説明で、市民たちの意識にこの災難は皇太子がもたらしたものだという認識がぬるりと刷り込まれた。
『また問題は都市の内側だけの話ではない。外壁の外では帝国軍がエンデを占拠せんと虎視眈々と様子を窺っており、都市の守りの要であるダムハイトは皇太子一派によって破壊されてしまった。皮肉にも今は迷宮から溢れ出た魔物の存在が帝国軍の足を止めているが、いつ彼らがここに攻め込んでこないとも限らない。そうなれば我々は魔物と侵略者、二つの存在を同時に対処せねばならなくなるだろう』
帝国軍がエンデをこの苦難から救ってくれる存在ならば受け入れるのも一つの手だが、魔物の氾濫という危機的な状況に彼らがどんな手段に出るか予想できない。
市民たちにとって今、動きの読めない帝国軍はただただ邪魔な存在でしかなかった。
演説の中でエンデの“敵”を明確にし、その認識を市民に共有させたゴドウィンはここぞとばかりに声を張り上げる。
『──だが安心して欲しい! 状況は危機的ではあるが、決して打開不可能なものではない!』
市民たちが都市内のあちこちに設置されていた拡声器を見上げる。
『勇敢な冒険者たちの手により既に迷宮の暴走は収束の目途が立った! 間もなく新たな魔物の地上流出は収まり、地上に溢れた魔物を討伐すれば都市内の問題は解消するだろう!!』
無尽蔵に溢れ出る魔物たちに心が折れそうになっていた冒険者の手に力がこもる。
『また破壊されたダムハイトは予備部品の交換により一部の砲台はすぐに修復可能だ! 帝国軍に都市が蹂躙されることは私が何としても防いで見せる!』
貴金属や現金資産を袋に詰め込み逃げ出す準備をしていた商人が一先ず様子を見るかと袋を下ろした。
『どうかこの苦難を乗り越えるため、諸君らも協力して欲しい! 戦えぬ市民は政府の指示に従い秩序ある避難を! 戦える者はどうか武器を持ち共に戦っていただきたい!!』
ゴドウィンはそこで大きく息を吸い、腹に力を込めて続けた。
『この災害の補填として、私は諸君らに今後一年間の法人税と市民税の全額免除を約束する!! また戦いに参加してくれた勇士には一律白金貨1枚、働きに応じ更なる報奨金も約束しよう!!』
その言葉はそれまでゴドウィンが紡いだどんな言葉より雄弁に市民の胸に刺さり、都市中に歓声と雄叫びが響き渡った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……後のことは任せても構いませんか?」
『へへ、やってやったぞ』という顔つきでサバデル財政委員に首を絞められているゴドウィンを尻目に、ウルと犬ジイはコソコソと言葉を交わす。
「ん? そりゃ構わんが……何かあるのか?」
「や。ちょっと確認したいことがあって──」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ほらほら! 呑気にしてると報奨金は全部アタシが頂いちまうよ!」
エンデ市街地に開いた直径二〇メートルはあろうかという縦穴に武僧のカナンが、溢れ出てきた歩き茸を殴り飛ばして落とす。
「カナン姉、突っ込みすぎ」
そう言って召喚した妖霊でカナンをフォローするエイダも、後衛にも関わらず冒険者たちで作った防衛線を飛び出しかなり前に出ている。
大半は上層の弱い魔物とはいえ決して油断して良い相手ではないが、ここ最近ギルドでの実りのない会議ばかりで迷宮に潜れない日々が続いていた彼女たちは、ストレス解消のためここぞとばかりに暴れ回っていた。
彼女たち以外にも、ギルドでの会議に参加していた一部の上級冒険者たちは縦横無尽に魔物を蹂躙し憂さを晴らしている。
日頃、上級冒険者の戦いを直接見ることがない平均的な冒険者たちは、そのあまりの弾けた暴れっぷりにドン引きしていた。
迷宮に開いた縦穴への対処は主に駆けつけた冒険者たちによって行われていたが、彼らのやり方は極めて大雑把なものだった。
そもそも冒険者は戦い方もスタイルも千差万別で、普段組んでいるパーティー以外のメンバーと協調することに向いていない。その為彼らはパーティー単位で大まかに防衛エリアを定め、各々勝手に魔物を迎撃するというやり方で魔物の流出を食い止めていた。
ただ当然そうしたやり方を取る以上、他のパーティーの邪魔をしないようある程度間隔を空けざるを得ず、防衛線には隙間が出来てしまう。
その隙間をすり抜けてきた少数の魔物を、経験が浅かったりそもそも戦闘に不向きな冒険者たちが食い止め、辛うじて市民への被害を防いでいた。
彼らの中にはつい最近、採掘要員として冒険者になったばかりで戦闘経験ゼロという者もおり、そうした者たちは地面に杭を打ち付けて即席の柵を作るなど、工兵として参加している。
そんな中の一人──スラム出身の少年は、魔物の気配に怯えながら一刻も早く自分の安全を確保しようとスコップで杭を地面に打ち付けていた。
「……よし、後は支えを──ひぃつ!?」
顔を上げた瞬間、ダイアウルフが雄叫びを上げながら先輩冒険者の脇をすり抜けこちらに向かって駆けてくる光景が目に入る。
柵はまだ未完成。逃げようにもあちらの方が足は速いし、近くにいるのは同じ未熟者ばかり。他の奴を狙ってくれと表情を引きつらせるが、ダイアウルフはその怯えを見抜いたように少年目掛けて突進してきた。
「うわぁぁぁぁぁっ!!?」
──ザシュ!
やけくそのように目を瞑ってスコップを突き出すが、当たった感触はあっても手応えが鈍い。すぐに自分が牙で首を噛み砕かれる光景を幻視し身を固くするが、いつまで経ってもその瞬間はやってこなかった。
「……ん。大丈夫か?」
「──え……ひっ!?」
目を開けた少年の前に立っていたのは白い肌の女オーク──エレオノーレ。
まだ「オーク=狂暴」という認識が根深くあった少年は反射的に悲鳴を漏らすが、エレオノーレは落ち着いた声音で少年に語り掛けた。
「この辺りは危険だ。もう少し下がってくれ」
「え……あ──!?」
そこでようやく少年は、こちらに突撃してきたダイアウルフがエレオノーレの槍に貫かれて絶命し、自分のスコップが彼女の背を抉っていることに気づいて顔を真っ青にする。
「あ、ああ……ごめ、ごめんなさ──」
「大丈夫。かすり傷だ」
庇った相手に誤って傷つけられたにも関わらず、エレオノーレは穏やかに微笑む。
その気高い振る舞いに少年は目の前の存在がオークであることを忘れ、ぼーっと彼女に見惚れた。
しかしここはまだ戦場だ。そうしている間にも魔物はどんどんやってくる。
「──む。拙いな。いいか、下がっているんだぞ」
「あ──怪我っ」
その時になってようやく少年は自分が彼女にスコップを突き立てたままになっていたことに気づき慌てて手を引く。
「大丈夫だ──ふんっ!」
エレオノーレが軽く気合を入れてバンプアップすると、膨張した筋肉によって背中の出血が止まる。
「それじゃあな」
「あ──」
前線に駆け出していったエレオノーレに手を伸ばし、少年はその姿勢でじっと彼女の戦いを見守っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「──隊長」
「お。聖女様のご帰還か」
「…………」
「悪かった。そんな目で見るな」
リンは彼女本来の上司である神殿騎士ヴァンの部隊に合流していた。
どうやって会談でのやりとりの情報を得たのか、聖女扱いされやむを得ずそれを否定しなかったリンを揶揄うヴァン。しかしリンに絶対零度の視線を向けられ、あっさり白旗を上げる。
ヴァンたちがいるのは縦穴から少しだけ離れた広場。彼らは専門家ではない自分たちが魔物との戦いに混じっても現場が混乱するだけと判断し、怪我をした冒険者や市民の治療に専念していた。
戦えない市民たちからすれば見える場所に彼ら神殿騎士の姿があるだけで精神的な安定が段違いで、直接戦わずとも彼らの影響力は大きい。
「手伝います」
「ああ。それじゃ、そこら辺の物を借りて担架を作ってくれ。重傷者をログナー司教のところへ運ぶ」
その場にいる負傷者の大半は既に神殿騎士たちの奇跡により治療が完了しているが、失われた血液や体力までは戻らないため、すぐに動けるとは限らない。また重傷者は司祭級以上の高位の奇跡でなくては回復できないケースもある。
至高神の信徒ではあるが奇跡を使えないリンはその指示に頷き、念のため確認した。
「かしこまりました。運ぶのは合同教会で良かったですね?」
「いや。司教は今スラムの方においでだ」
「────」
意外な言葉にリンは目を丸くする。
彼女の反応にヴァンは奇跡を行使しながらニヤリと笑い、続けた。
「今、この都市で一番死傷者が出ているのはあそこだからな──『薄汚いローグどものために奇跡を願うのは業腹だが、至高神の威光を知らしめるためと思えば腹立ちも然程ではない』と仰せだ。──ま、今じゃ奴らも取引相手だ。精々恩を売って優位に立つおつもりなんだろうさ」
ヴァンはそう言うが、そもそも司教がローグを取引相手と認めるような方ではなかったことぐらい、直属の部下である彼が一番よく分かっているだろう。
その変化に思わず笑みをこぼし、リンは近くの民家からシーツを借りて手際よく担架を組み立てた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ゴドウィンのアナウンスの後、市民たちの奮闘により都市内の混乱は一先ず収束しつつあった。
地竜にだけは冒険者も近づけずにいたが、市民に被害が出ないよう白いふわふわのコボルトがさりげなく誘導している。
このまま魔物の流出が落ち着いたタイミングで迷宮の制御を回復させれば、差し当たっての迷宮の問題は解消するだろう。
都市内の状況は順調だったが──エンデにいるのはそれを良く思う者ばかりではない。
「何なんだあの放送は……! あれではまるで全て殿下に非があるかのようではないか!?」
這う這うの体で逃げだした皇太子一派の残党が、都市のはずれで合流しその状況に苦々しく地面を殴る。
「……仕方あるまい。我々が失態を犯したのは事実だ」
「何だその言い方は!?」
項垂れる覆面の男に熊の獣人が激昂し掴みかかるが、周囲の仲間たちはそれを止める気力すら残っていない。
一触即発。最悪の空気の中、覆面の男の一人が持つ通信機に一報が届く。
「──大変だ! 殿下が配下を率いてエンデの近くに来ておられる!!」
『────!?』
それは果たして朗報か、凶報か。




