第26話
「あ゛あ゛……あ、あ~……まだ喉に違和感がある」
「…………ふん」
実はウルよりゴドウィンの方が体格が良くて腕力がある。
自業自得だと放置されていたゴドウィンからウルへの報復は、ウルが意識を失い高度な回復呪文を使用するハメになるまで続けられた。
流石にやり過ぎたと思っているのか、ゴドウィンも首をさするウルから目を逸らし、少しだけ気まずそうな表情だ。
「……ったく、非常時だってのに余計な時間使わせるんじゃねぇよ」
呆れたように溜め息を吐く犬ジイに、ゴドウィンは目を逸らしたまま顔を顰める。犬ジイはそんな彼と事情が分からず困惑した様子のワルターに視線をやって続けた。
「とは言ってもお前さんらにも動いてもらわにゃならんわけだし、そっちを説明するのが先か」
「でも爺ちゃん、そんな時間ある?」
「ん~……まぁ、何とかなるだろ。街中じゃ派手に魔物が暴れてるように見えるが現場は限定できてるし、外の軍にも牽制は送ってある。話するぐらいの余裕はあるさ」
「牽制……ああ」
レーツェルが何か察した様子で頷く。更にその横でリンが疑問を口にした。
「皇太子が転移呪文で追いかけてきそうでしたけど……?」
「そっちも問題ないわ。この都市の外壁には私が結界を張ってるから、私が許可した人間以外、都市内に直接転移してくることは不可能よ。多分、跳べても外壁から二~三キロ地点までね」
リンの疑問にカノーネが答え、一同は情報共有をする程度の時間はあることを確認した。
「…………」
時間があると聞いて何故かレーツェルがそわそわしだすが、それを見た犬ジイは曖昧な表情で一言。
「……今は奥で休ませてる。意識はないが、顔を見る位なら──」
「あ! ううん、いい。今はそんな場合じゃないから……」
「……そうか」
事情を知らないゴドウィンたちはそのやり取りにも首を傾げるが、しかしそれよりまず確認しなければならないことがあった。
ギロリとウルを睨みつけ、改めて問いただす。
「……それでは改めて聞かせてもらおうか。貴様、今回はいったい何をしでかした? どこからが貴様の仕込みだ?」
「すっかり貴様呼ばわり……いや、ちょっと保険を準備しただけで大したことは──」
「惚けるな!!」
ゴドウィンは硬い小石の混じった地面に拳を叩きつけ、皮膚が裂け出血したことも気にせず怒鳴った。
「今回の一件、貴様──いや、貴様ら皇太子の企みも含め最初から全て知っておったのだろう!? あれほど状況が二転三転しておったにも関わず、貴様らだけ平然としておったのが何よりの証拠だ!! 隠れてコソコソと──私が慌てふためく様子はそんなに面白かったかっ!?」
「誤解! 誤解ですって!! 皇太子の企みとか全部予想外だったし、何なら皇太子が黒幕だとも思ってなかったぐらいですから!!」
「何を抜け抜けと……!」
「ホントですって!! つーか読めてれば最初から防いでます! そもそもあのぐちゃぐちゃな展開に、一体何を仕込む余地があったって言うんですか!?」
「む…………」
詰め寄られ必死に否定するウルを見て、ゴドウィンは眉を顰めて考え込んだ。
彼はウルたちがあの混沌とした状況でも動じることなく、最後には皇帝とオッペンハイム公相手に無理やり交渉を成立させた様子を見て、最初から全てウルの掌の上だったのではと疑っていた。しかし彼らがこの状況を引き起こしたのだと考えるのは少し穿ち過ぎだったかもしれない。
予想はしていても防げないことというのは存在する。また具体的な内容は予想できずとも、何らか騒動の方向性を想定していたから落ち着いて対応できただけ、という可能性も十分にあり得た。
それにどこに何を仕込む余地があったのだという反論ももっともだ。
皇太子の行動などコントロールのしようがないし、分かっていたなら泳がせるより先に潰せばよかった。ダムハイトが壊れたことはこちらに百害あって一利なしだし、迷宮が制御を失ったことも同様。
どうせウルが原因だと決めつけてしまったが、冷静になって考えてみれば確かにウルが何かしでかしたというのは無理があったかもしれない。
「……いや、すまない。私も少し冷静さを欠いていたようだ」
「落ち着いていただけたようで何よりです」
「冷静になれば君が何か仕込んだなどとあり得る筈がないのだが……まさかワザとダムハイトを壊したとか迷宮を暴走させたとか、そんな馬鹿なことをする筈もないのだし──」
「いや、それは俺の仕込みなんですが」
「────!」
「ストップ! ストップです代表! 気持ちは分かりますが話が前に進みません!!」
再びウルに掴みかかろうとするゴドウィンをワルターが必死に羽交い絞めにして制止する。浅黒い肌を真っ赤にしたゴドウィンの顔は鬼族のようで、ウルは慌てて犬ジイの背後に隠れた。
犬ジイはそんなコントのようなやり取りに溜め息を吐き、頭をかきながら口を開く。
「ゴドウィン。確かにこの坊主のやったことはクソだが──」
「フォロー!?」
「今回の一件に関しちゃ俺らもコイツと同罪だ。怒る気持ちは分かるが、まずは話を聞いてくれ」
「…………」
自分が商家の見習いだった頃から裏社会を取り仕切り、図らずも何度も世話になった老人の言葉にゴドウィンも一先ず怒気を収める。
犬ジイはチラリと背後のウルに視線をやり、彼に話をさせるとまた揉めそうだなと考え結局自分自身で説明を始めた。
「まず最初に、俺らも今回何が起きるかは分かっちゃいなかった。それに関しちゃお前さんらと一緒だよ。皇太子か皇太子と繋がってる誰かが会談に合わせて何か仕掛けてくるんだろうとは予想しちゃいたが、それが具体的にどんなものかまでは全く予想できなかった」
「……それにしては随分準備が良いようですが?」
犬ジイたちがこうして安全な場所に避難していることをチクリと皮肉る。犬ジイはそれを気にすることなく肩を竦めた。
「別に良くはねぇさ。こんなものは災害の避難対応と一緒だ。火事だろうと地震だろうと、何か起きた時にやることなんてのは大体一緒だろ? 準備が良いってのはそもそも被害を防ぐか広がらねぇようにすることを言うんだよ」
つまり彼らは『何が起きるかは分からないが、何かが起きた場合にはこうすると予め決めていただけ』と言いたいらしい。
犬ジイの言い分に少しだけ理解を示し、ゴドウィンはようやく話を聞く姿勢を見せた。
その様子に胸中で頷きを一つ、犬ジイは言葉を選びながら続ける。
「さて、それじゃ何から話したもんか……そうだな。まずは皇太子の動きから説明しようか。実際、あの坊やの動きは見事だったよ」
犬ジイは自分を出し抜きかけた皇太子とその一派への称賛を声に滲ませつつ、その動きを解説する。
「といっても、皇太子一派の動きは別に奇をてらったもんじゃあない。ある意味じゃ王道だな」
「と言うと?」
「まず徹底的にエンデ周辺で騒動を起こし、こっちの諜報網や処理能力に負担を掛ける。その大半はほとんど害のない嫌がらせだが、どこに本命の仕込みが交じってないとも限らんからな。仕掛ける側は足がつかないようにだけ気を付けて怪しい動きを見せるだけでいいが、こっちはその動きに対して何倍もの労力を払って対応せにゃならん。結果、どんどんこっちの負担だけが大きくなって対応力が損なわれていくわけだ」
犬ジイの言葉にゴドウィンは商隊を襲撃した賊や移民騒動を思い出し、苦々しく頷いた。
レオンハルトの一派は、戦力・諜報力共にエンデが抱えているそれより遥かに下だっただろうが、エンデ側が受け身に回らざるを得ない状況を利用され、その差はどんどん縮まっていった。
「その上であの坊やは会談に合わせて全ての仕込みをぶつけてきた。何かやらかすだろうことは分かっちゃいても、その可能性はあまりに広すぎたし、事前に絞る余力も俺らには残っちゃいなかった」
「……具体的に、エンデで何が起きたのですか?」
ゴドウィンだけでなくエンデを離れていたメンバー全員に情報共有するため、犬ジイは全員をぐるり見渡してから続けた。
「順を追って説明する。まず最初に騒動を起こしたのはオーク部族に監視させてた移住希望者だ。少し前に商隊を襲ってた卑民や獣人の賊を捕まえてギルドで尋問してたのは報告が行ってるな? そこから逃げ出した獣人が、明らかに拷問を受けたと分かる姿で移住希望者の前に現れ助けを求めたんだと。それを見た連中は同族が不当な扱いを受けていると考え抗議のためにギルドに押しかけた」
「実際には捕まえた賊の逃亡は確認できておらず、その賊は移住希望者に騒動を起こさせるための仕込みだったと思われます」
犬ジイの説明にロイドが補足する。
ウルとレーツェルはギルドの動きを制限する目的ならその騒動は少し弱く、何か他に狙いがあったのではと想像したが、そこを犬ジイが見落としている筈もないので黙って話の続きを聞いた。
「ギルドの動きが鈍った段階で連中は次の動きを起こした。狙いはダムハイトの占拠──と見せかけて都市内に潜んだ帝国の工作員を炙り出し、排除することだった」
「帝国の工作員というと、皇帝とオッペンハイム公の?」
「ああ。奴らがこの会談に合わせてエンデで何か起きると予想し、あわよくばエンデを占拠しようと軍を動かしていたことは把握してたか?」
「……いえ。ただそうした動きがあるだろうことは予想していました」
皇帝やオッペンハイム公であれば、当然その程度の備えはしていただろう。
だが秘密裏に動かせる程度の軍ではダムハイトを備えたエンデを落とすことは難しい。そこまで考えてゴドウィンはある想像に思い至った。
「まさか──」
「ああ。エンデで起きるだろう騒動に合わせて工作員にダムハイトを占拠させ、エンデに軍事侵攻するってのは帝国側が当然想定してたシナリオの一つだったんだろう。皇太子はそれを利用した。外壁近くで皇帝の工作員を名乗る連中が『ゴドウィンは捕まった。後はダムハイトを占拠してエンデを攻め落とすぞ』と騒ぎ立ててな。しかもその直後に、オッペンハイム公の工作員を名乗る奴が『皇帝に後れとるな』と煽りやがった」
犬ジイの言葉にゴドウィンは眉を顰め不思議そうに首を傾げた。
「それで工作員たちが一斉に外壁に攻め寄せたと? そんなことがあり得ますか?」
「そんな怪しげな言葉に釣られる奴がいんのか、ってんだろ? 言いたいことは分かるが、国に雇われた工作員なんて大半は使い捨ての駒だ。ぶっちゃけ上の連中は諜報だなんだのにさほど価値を見出してねぇのさ。育成にコストかけてらんねぇって言い替えてもいいのかな。忠誠心だけはガチガチに仕込まれてて言われたことをこなすのは得意だが、自分で判断するのは苦手って奴が案外多いんだよ。怪しいとは思っただろうが、実際にもう一方の勢力にダムハイトを占拠されたらおしまいだ。可能性を示された時点で動く奴はいただろうし、数人でも動けばそれに続かざるを得ない。仲間を見捨てることにもなるからな。仮に動きがなくても、皇太子側の人間が工作員に偽装して仕掛けるフリをして釣ってただろうさ」
「……なるほど」
他にも工作員が動いた理由はいくつかあったが、優秀な人材の育成にはコストがかかるという説明に商人であるゴドウィンは理解を示す。
「だがまぁ、工作員連中にとって戦闘は専門じゃねぇし、そいつらだけで落とせるなら最初からやってる。警戒して備えてたエンデ側の衛兵を抜くことはできず皇帝とオッペンハイム公の工作員は壊滅状態。エンデの戦力も適度に削った上で、皇太子は最少の労力で邪魔者を排除したわけだ」
「…………」
「そっから更に、冒険者に混じってた皇太子の一派が迷宮内で爆弾やら魔物を暴走させる匂い袋やらを使って迷宮内に冒険者を閉じ込めた。これはあくまで一時的なもんだったが、救助なんかに手を取られて冒険者は大半が身動きが取れなくなった」
最初にギルドの指揮系統を乱し、現場の冒険者の動きを封じる。一方で邪魔な皇帝とオッペンハイム公の工作員をエンデの兵士にぶつけて排除。これだけでもエンデの都市機能は半身不随状態だったろうと、ゴドウィンとワルターは残った委員たちの苦難を想像し顔を見合わせた。
「で、他にも細々した騒動を起こされて収集がつかなくなってた中、それでも政庁の連中は残った戦力をやりくりして何とか対処してたわけだが、裏切り者が現れてその政庁も占拠された」
その言葉にゴドウィンはピクリと眉を動かし、震える声で問う。
「……裏切ったのは誰ですかな?」
「想像はついてるんだろ」
「…………ニコラウスか」
絞り出すようなゴドウィンの言葉に犬ジイは肯定も否定もせず肩を竦めた。
怒りで肩を震わせるゴドウィンの肩をワルターが慰めるように叩く。
その気持ちは分かるがあまり同調していられる状況でもない。そのまま犬ジイは説明を続けた。
「政庁は占拠され、評議会からの正式な指示を受けて、正規兵は降伏。その後は皇太子に矢面に立ってもらえば自分たちは無罪放免だって人参ぶら下げられて必死になって帝国側の残党を狩ってたよ。俺の部下も何とかしようと動こうとはしてたみたいだが、事務所に自爆特攻しかけられて機能不全だ。よりにもよって何でウチにゃ搦め手抜きの力技なんだか……」
「え? みんなは大丈夫なの!?」
顔見知りのローグたちを心配するレーツェルに、犬ジイは安心させるように軽く頷いた。
「ああ。すぐにスラムの連中が救助してくれた。何人か死んでたが、そいつらも死体は綺麗だし蘇生の段取りはしてある」
「そっか……」
レーツェルはホッと胸を撫でおろすが、説明を聞いていたゴドウィンとワルターはそれどころではなかった。
改めて聞くとエンデの状況は思っていた以上に悪い。
皇太子によって都市内の戦力はズタズタにされていて、どこもまともに機能していない。
しかもその上迷宮が制御を失い地上では竜種と魔物が暴れ回り、ダムハイトは壊れて使い物にならず、外壁の外では皇帝とオッペンハイム公、皇太子の勢力がエンデを狙って迫っているときた。
──うん? これはひょっとしなくても、やっぱり詰んでないか?
ゴドウィンたちが絶望的な状況に改めて頭を抱えそうになった時、しかしウルは呑気な表情で微笑んでいた。




