第17話
時は少しだけ遡る。
ルワーグ平原で帝国の今後を決めるトップ会談が開かれる少し前。
オーク部族監視の下、移住を希望しエンデにやってきた卑民や獣人たちが外壁の補修・補強作業に従事している現場に現れた一人の男が最初の引き金だった。
「おい、そこのお前。一旦休め。作業ノルマはあるが無理はするな。倒れる前に自己申告しろ」
「へ、へい!」
オーク部族の監視員がフラフラしている猫の獣人の作業員を気遣い、休憩に入るよう促す。
作業が始まった当初こそ緊張した空気が流れていたが、今や現場の空気はすっかり和やかなもの。過酷な重労働を覚悟していた作業員たちは決して楽ではないが思いの外待遇の良い現場に感謝し、張り切って作業に取り組んでいた。つい先ごろまで自分たちも虐げられる立場にあった先住のオーク部族が移住希望者たちを気遣い丁寧に接したことが功を奏した形だ。
移住希望者たちも自分たちの居場所を作ろうと従順に指示に従っており、特に問題行動なども見られない。そろそろ監視や行動制限を緩めてはどうかという意見も出てきた折。
「──た、助けて……!」
──ドサッ!!
そこに全身ボロボロになった狼の獣人が現れ、作業現場は騒然となった。
「お、おい! 大丈夫かっ!?」
「何が──誰にやられたっ!?」
「早く薬──いや、治療師を呼んで来い!」
倒れ込んだ狼の獣人に駆け寄る作業員たち。
狼の獣人は一目見て人の手で執拗に暴行を受けたと分かる様相で、息も絶え絶えだ。
その姿を見た者たちはこの獣人が心無い市民によって暴行を受けたのではと想像し、監視員のオークたちはもしそうならマズイことだぞ、と頭を抱えそうになった。
だがその想像は他でもない狼の獣人自身によって否定される。口に含まされた霊薬によって何とか息を吹き返した彼は、周囲が想像もしていなかったことを口にした。
「仲間、が……ギルドで、拷問、に……助け……」
「──お、おいっ!! しっかりしろ!!」
狼の獣人は命に別状こそなかったが、再び意識を失ってしまう。
しかし彼が口にした「ギルド」「拷問」という単語は、移住希望者たちにとって聞き流せるものではなかった。
「どういうことだっ! 何故同胞がこんな目に遭わされているっ!?」
「ギルドで拷問とはいったい何の話だっ!? 何故ギルドが──」
監視員のオークに詰め寄る作業員たち。彼らはギルドが自分たち移住希望者を疑い、攫って拷問にかけているのではと想像した。
困ったのはオークたちだ。監視員である彼らはある程度都市の事情についても知らされていて、この狼の獣人が先日商隊を襲撃し護衛の冒険者たちに捕えられた賊の一人だろうと予想する。ギルドが拷問にかけているという話は知らなかったが、そういうこともあるだろうと脳内補完していた。
「お、落ち着けっ! 恐らくそいつは商隊を襲撃した賊の一人だ。ギルドの牢から逃げ出してきたに──」
「だからどうしてギルドがっ!?」
「そういう名目で攫っただけじゃないのかっ!!」
「賊なら何をしてもいいのか!? 本当にこんな暴行を加える必要があったのかっ!?」
しかしオークの説明を聞いても作業員たちは鎮まらなかった。無惨な暴行を受けた同胞というショッキングな光景が彼らを動揺させ『同胞たちを解放しろ』『せめて無事を確認させてくれ!』と感情を暴発させる。
エンデにやってきたばかりの頃の彼らなら、仮に同胞が理不尽な目に遭わされていると知っても『そんなものだ』と目を瞑り声を上げることはなかっただろう。だが、ここ数週間のオーク部族の親切な対応が、皮肉にも作業員たちを増長させてしまった。
一度ついた火は他の移住希望者たちにも燃え移り、彼らは徒党を組んで冒険者ギルドに押し寄せる。
「同胞たちを解放しろーっ!!」
『解放しろーっ!!』
「同胞たちに平等で公正な待遇をーっ!!」
『平等で公正な待遇をーっ!!』
「甘い顔をしていれば、何なのだ、あのクズどもは……!」
ギルド職員の一人が、ギルドの正面玄関前で騒ぎ立てる卑民と獣人──移住希望者の一団を二階の窓から見下ろし、苦々しく吐き捨てた。
彼らは反撃を恐れてかギルドの内部に押し入ってくるようなことはないものの、これではギルドが悪者として晒し者にされているようなものだ。詳しい事情を知らない市民たちはギルドと移住希望者双方に好奇に満ちた視線を向け、好き勝手な憶測を口にして面白がっているように見えた。
官憲に訴え出ても移住希望者はギリギリ犯罪行為をしているわけではないため強引に解散させることもできない。
挙句の果てに困った官憲が、
『彼らの要求を受け入れて捕虜の姿を見せてやっては?』
などと馬鹿なことを言い出す始末だ。
そんなことをすれば捕虜が移住希望者たちに呼応して好き勝手なことを言いだし、完全に収集がつかなくなってしまう。そもそも捕虜の幾人かは死体として保管されているというのに、姿を見せて『お前らもこうなりたくなかったら静かにしろ』と脅し付けろとでもいうつもりか?
だが現実問題、このまま何も対応せずだんまりでは収集がつきそうにない。
「課長っ!」
「何だっ!? この期に及んでまだ何かあるのかっ!?」
部屋に飛び込んできた若い女性職員につい反射的に八つ当たりし、委縮させてしまう。感情が自制できなくなっていると自覚した職員は素直に反省し、部下に頭を下げた。
「……すまない。君に非があるわけではないのだが、つい」
「いえ。こんな状況ですから──それよりも、あの移住希望者たちが言っている暴行を受けた捕虜について一つ分かったことが」
女性職員はすぐに切り替えて上司に報告を上げる。
「捕虜……ああ、例の作業現場に現れたという。一体どうやって牢から逃げ出したのか──」
「いえ。牢にいる捕虜たちに逃亡した形跡はなく、全員今も牢の中にいることが確認されています」
彼女が何を言っているのか理解できず、職員は目を丸くする。
「何? では作業現場に現れたという男は一体──」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
続いて動きがあったのは防衛兵器「ダムハイト」が設置されている外壁。
──チュドォォォォン!!!
外壁上部へと繋がる入口付近、都市の内側で大きな爆発音が鳴り響いた。
「何だっ! 敵襲かっ!?」
「落ち着け! 陽動の可能性もある!」
ダムハイトの警護についていた衛兵たちは警戒を強めて奇襲に備える──と、都市の内側に怪しげな覆面をした十数名の集団の姿があった。彼らの中心には人一人がすっぽり入りそうな黒い箱──不可思議な形状からして魔道具だろうか?──が置かれている。
「あの連中か!」
「逸るなよ! あの人数でここを落とすのは不可能だ! 陽動か罠か──警戒を緩めるな!!」
ダムハイトの警護についているのはエンデの衛兵の中でも最精鋭である。彼は突然の事態にも動揺することなく、声掛けしながら不審者たちの捕縛部隊を編成し、対処しようとした──が。
──キィィィィンン!!
『皇帝陛下に忠誠を誓う同士諸君!!!』
耳障りな不協和音と共に不審者の声が増幅され周辺一帯に響き渡る。どうやらあの黒い箱は音を増幅する効果を持つ物らしい。
『卿らに陛下の命令を伝える!! ルワーグ平原にて反逆者ゴドウィンは既に陛下が捕えた!! 後はこの反徒共の都市を制圧するのみである!! 壁外に待機している友軍の侵攻を援護するため、今すぐ立ち上がりあの忌まわしき兵器を破壊せよ!! 繰り返す! これは皇帝陛下のご命令である!!』
その言葉は大音量によって、ゴドウィン代表捕縛の凶報と共にエンデ全体に響き渡った。
市民は勿論、当然それを間近で聞いていた衛兵たちも冷静ではいられない。
「な──っ!?」
「代表が捕まった……!?」
「落ち着けっ!! 我らの動揺を誘うための虚報の可能性もある!! それより備えろ! 都市内に潜んでいる皇帝の工作員たちがここを狙って押し寄せてくるぞ!!」
あるいはそのダムハイトを狙うという発言さえ虚報の可能性があるのだが、わざわざ敵が大音量で目的を宣言する意図が掴めず、衛兵は完全に混乱していた。
「────っ」
そしてそんな中、外壁を守る衛兵の一人が焦った様子で一人不審者たちのところに突撃する。
「──あっ!! 待て! 一人で突撃するな!!」
仲間たちは彼が錯乱したと考え制止するが、その衛兵は止まらず、不審者たちの反撃を鎧で弾いて吹き飛ばし、なんと黒い箱に取りついた。
『ぐあっ!?』
『囲め! こいつ手ごわいぞ!!』
不審者たちは動揺し、衛兵たちは仲間の成果に制止していたことも忘れて思わず感嘆の声を漏らす。
しかし次の瞬間、彼らの表情は再び驚愕に歪んだ。
──キィィィィィン!!
『オッペンハイム公に従う同士たちよ!! これは好機である!! 皇帝の手の者に先んじて防衛兵器を占拠し、エンデを陥落せしめよ!! 断じてあの皇帝の手先にこの都市を渡すな!!』
『────!!?』
皇帝の工作員に続いて今度はオッペンハイム公の工作員。こちらは皇帝の動きに慌てて仲間たちに呼びかけたのだろうが、しかし衛兵の中に潜り込んでいた!?
立て続けの事態に衛兵たちの頭は混乱の渦に突き落とされたようだった。
『繰り返す! オッペンハイム公に従う同士た──ぐあっ!?』
皇帝の工作員と思しき不審者たちによってオッペンハイム公の工作員と思しき衛兵が殴り飛ばされ、黒い箱から引き剥がされる。
一先ずこのアナウンスは止まったようだが、事態は何も改善していない。いや、本当の問題はこれから──
──ぅぉぉぉぉおっ!!!
街中から最初にいくつかの小さな叫び声が。それが重なり、呼応するように次々と蜂起する声と足音が近づいてくる。
衛兵たちは戦慄の中、せめて逃げ出すことなくそれを待ち受けることしか出来ず──
──蜂起した工作員たちが押し寄せた時、いつの間にか煙のように姿を消していた覆面の集団のことなど誰も気に止めてはいなかった。
皇帝とオッペンハイム公の工作員たちは数名単位の班で送り込まれ、自分たちの班以外の仲間の情報は一切持っていません。
そうすることで一つの班が捕まっても他に被害が及ばないようにしているわけですが、それは逆に自分たちが知らされていない情報があってもおかしくはないということで……?




